第3話 お姉さんは意外と喋る
朗報。オレの部屋に超絶美人なお姉さんがいる件。
いや、正確にはテーブルの前で体育座りしながらクッキーをつまんでいる。
自分から部屋に呼んでおいてなんだが……この人には危機感とか微塵もないのだろうか。昨日もあんなとこで酔っ払って瀕死になってたし。
隣人とはいえ、だ。
対して話さないような男の家に易々と上がり込んでむしゃむしゃお菓子食う? 食わないよ、絶対に。
面白え女……とかじゃなくて、普通に心配だ。
いや、呼んだのオレなんだけどさ。
「ずずず……う〜ん……この紅茶、おいしいね。本場で磨かれた確かな技術を感じる。君が淹れてくれたんだ? ふふ、やるじゃん晴翔くん。お姉さん感心しちゃった」
「市販のティーバッグです」
「あっそ……」
ちょっとだけ悔しそうに口を尖らせてから、彼女はふっと目を細めた。
さっきまで見せていた「社会人謝罪モード」の空気はもうほとんど残っていない。遠慮と後ろめたさはいつしかどこかに消えて、残ったのはただの気さくなお姉さん本体。
もしかして、打ち解けたってやつ?
えっ、さすがに早すぎない?
いつの間にか晴翔って名前呼びになってるし。距離の詰め方が自然すぎてビビったわ。
ちなみにお姉さんは甘崎水萌さんというらしい。みなもって、意外と可愛い名前だよな。
「それにしても……男の子の部屋に、まさかこんなふうにお邪魔する日が来るとはね。お姉さん不思議な気分だな」
「いやぁ、まさかまさかですよ。オレにゲロ吐いた女の人と、同じテーブルを囲みながらクッキーを食べる日が来るとは思いませんでした」
「うん……もうそれ言うの禁止ね?」
「すみません」
一言で黙らされる。いつの間にパワーバランスが逆転したんだろう。ゲロのおかけで多少は優位に立っていたはずだったんだが。
それにしてもこの人、すごいよく喋る。
どちらかといえばお淑やかというか、静かなイメージを持っていたのだが、正反対だ。
まだ酔いが抜けてない? いや、そんなはずがないだろう。紛れもなく、今は素の甘崎さんだ。
「ていうかさ、晴翔くんって優しいよね。私が階段でダウンしてたとき、別に放置しても良かったじゃん?」
「見捨てたらニュースになる未来が見えたんです」
「んんっ、私そんなにヤバい状態だった?」
「普通にめちゃくちゃ酔ってましたからね。放置したら危ないなって。あとゲロを死ぬほど……」
「うっ……また言ったぁ! また言ったねッ!?」
──ゴンッ!
恥ずかしい感情を消すように机に突っ伏した。
なんというか、反応がいちいち可愛いのが本当に困る。
構って上げたくなるというか、逆に構われたくもあるというか。
「……晴翔くんって名前で呼ばれるの、慣れてる?」
不意に、甘崎さんが顔だけこちらに向けてそう尋ねてきた。
「え? いや……苗字が多いですかね。教授とか、友達とか」
「そっかぁ。じゃあ、私は特別ってことかな」
特別──その一言に心臓がドクンと鳴った。
なんだろうか、この気持ちは。
「じゃ、じゃあオレは甘崎さんって呼ぶかな」
「えー。お互い名前呼びにしようよ、ね? 水萌さんって言ってみて」
「甘崎さん」
「水萌さん」
「甘崎水萌さん」
「ブーーーーッッ!」
「うわっ! ちょっ、いきなり吹き出さないでくださいよ!」
「ケホッケホッ! い、今のは晴翔くんが悪い! 面白すぎる!」
「何がだよ!」
お姉さんのツボはよく分からない。
「強情だなぁ……水萌さんって言いなさい。分かった?」
急に強気なお姉さんモードにタイプチェンジ。どこか逆らえない圧のようなものを感じる。
「うぐっ……わ、分かりましたよ……み、水萌さん」
「ふふ、どうしたの晴翔くん?」
彼女はにこっと余裕の笑みを見せたあと、クッキーをぽいと口に放り込み、もぐもぐしながら続けた。
「晴翔くんってさ、いい匂いするよね。ゲロぶっかけたあとなのに……」
「あの、帰ってもらっていいですか」
「うそうそごめん! ちゃんと拭いたもんね! あはは!」
「帰ってもらっていいですか」
「ごめんってばーーー!」
ギャーギャー泣き喚く彼女を見ながら……。
オレは、密かに確信していた。
この人はやばい。
たぶん、きっと、間違いなく。
オレの生活に波を起こすタイプの人間だ。
そしてきっと──その波に一度でも呑まれたら、もう抗えないのだろう。