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第2話 お姉さんとお詫び

「ハァァ……」


 翌朝、洗濯機の中で絶賛ぐるぐる回っているお気に入りのTシャツと、風呂場の消毒済みスリッパを交互に見つめながら、オレは重苦しいため息をついた。


 ──夢じゃ、なかった。


 まさか、隣人のお姉さんさんにゲロを吐かれた、なんて。


 あの後、ゲロまみれのオレは死にそうな顔で死にそうな顔の彼女を、彼女の部屋まで運んだ。

 トイレで背中を摩ってあげた後、コンビニで買った自分用の水を渡して、譫言のような「ありがとう……ごめんね……」を右から左へ聞き流し、逃げるように自室に戻った。


 お姉さん相当酔ってたみたいだけど、大丈夫だろうか。オレにゲロをぶち撒けたこと、果たして覚えているんだろうか……。

 いや、頼むから覚えてないでいてくれ。

 それとできることならオレの脳内から酔っ払いお姉さんの記憶も消えて欲しいものだ。

 

 しかし、そう都合良くはいかないのが世の中なのである。


■■■


 その日の夕方。バイトから帰宅し、自室のドアに手をかけようとしたそのとき──。


「……あ、風間晴翔くん?」


 声のする方に顔を向けると、そこに立っていたのは──例のお姉さんだった。

 昨日とはまるで別人のような姿。ブラウスにジャケットを羽織り、仕事帰りらしいオフィスバッグを肩にかけている。長い黒髪は緩やかに巻かれ、端正な顔立ちは大人の余裕すら感じさせる。


 そして今、その美人の口元はどこか申し訳なさそうにゆるんでいた。


「どうも風間です」

「あ、良かった。今帰り? あ、大学生なんだっけ。お疲れ様」

「バイト帰りですね。お疲れ様です。あの、昨日のことって……覚えてたりしますか?」


 思わず聞いてしまった。パンドラの箱を躊躇いなく開けるように。

 オレの問いに、彼女は罰の悪そうな顔で小さく肩をすくめた。


「……う、うん。ところどころはって感じだけど……吐いたよね、たぶん。……君のシャツに、思いっきり」


 オレが首肯するより早く、彼女は紙袋を目の前に掲げた。


「これ! お、お詫びに!」

「えっ」

「中身はクリーニング代と、ちょっとしたお菓子。ほんとにごめんなさい……」


 頭を下げるお姉さん。艶やかな黒髪が垂れ下がり、地面に着きそうになる。

 どうやらちゃんと常識は備えているらしい。本当にただ、酒癖が悪い人ということなのだろうか。


「えっと、いいですよ、悪気はなかったみたいですし許します。クリーニング代は大丈夫なんで、お菓子だけいただきますね」

「あ、ありがとう……やっぱりクリーニング代は貰って? 好きに使ってくれていいから」

「そうですか? じゃあ……お言葉に甘えます」

「うん。あと、できれば、昨日の記憶をなかったことにしてくれると嬉しいな、なんて……あ、あはは」

「そ、それは無茶ですね」

「そうかなぁ? 何か方法知らない?」

「怖いって……知りませんよ」


 お姉さんはどこか冗談めいた口調。でも、目は少しだけ本気のように感じた。


「だって……思い出しただけでも死ぬほど恥ずかしいから……」


 うつむいたその横顔は、昨日の酔いどれ姿とは違って妙に大人びて見えて。

 そのギャップがなんだか面白おかしくて、オレは思わず微笑んだ。

 だから勢いに任せて、つい変なことを口走ってしまう。


「……じゃあせっかくなんでそのお菓子、部屋で一緒に食べます? 笑い話にでもしましょうよ」


 まるでナンパみたい。こんなことをしたのは生まれて初めてだ。自分でも何をやっているんだろうと、我に返って焦りを覚える。

 そんな中、お姉さんの目がぱちくりと瞬いたのが分かった。


「……いいの? 私、ゲロ吐いた女だよ?」

「まあ、はい。ゲロを吐かれるのは金輪際勘弁願いたいですけど……せっかくのお隣さんなんでやっぱり仲良くはしたいですね」

「ゲロの話はもうやめてー!」

「自分から振ってたよ!?」


 うずくまるようにして膝に顔を埋め唸るお姉さん。

 やばい、なんだこの人ちょっと面白いかも。

 それに、見た目は非の打ち所がないくらい完璧だけど、中身は結構なポンコツなのかもしれない。

 酒癖の悪さも知っているからか、どうにも放っておけないと思ってしまうオレなのだった。


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