13 楓の乙女《メイプル・メイデン》
「森野さんですか? うちのクラスの」
「うん」知佳は頷いた。「今朝にちょっとね。偶然会って」
五條は黙り込んだ。
「訊かない方がよかった?」
「いえ、誤解なきよう」五條は言った。「ただ、なんと言ったらいいものか――あまり交遊関係の広い方ではありませんし――」
「浮いてるってこと?」
「端的に言えばそうなります。クラスでは岬さんとしか喋りませんし――」五條は唸った。「しかし、そうですね。唐突ですが、巫女さんをご存じですか」
――これでもそのりんご様の巫女だからな。
「神社にいる?」
「まあ、あれもその一種です。巫女とは神に仕える乙女。この場合の乙女というのはつまり処女です」
「処女?」
「ええ、そうです。神に仕える身は、清らかでなければならないんです」五條は咳払いをした。「ここでひとつむかしばなしをしましょう。むかし――ちょうどこの学校が共学になったばかりの頃、美しい女生徒がいたそうです。彼女は生徒たちの間で《楓の君》、または《楓の乙女》と呼ばれていました」
メ、メイプル・メイデン……と知佳は頭の中で繰り返した。
「……五條さん、ふざけてない?」
「ふざけるものですか」五條は興奮したように言った。
「ごめん」
「いえ、こちらこそ失礼しました」五條は気まずそうに咳払いした。「叔父がこの学校のOBでしてね。よく当時の思い出を語って聞かせるんです」
「それっていつ頃?」
「一九九〇年代末。いわゆる世紀末ですね。携帯電話もやっと普及しはじめたという頃でした。世はいわゆるヤマンバギャル全盛期。そんな時代に逆行するかのような正統派の美少女こそが件の《楓の乙女》でした」
よっぽどよく聞かされる話なのだろう。言葉がすらすらと出てくる。
「それはもう息を飲むような美少女だったようです。烏の濡れ羽色の長い髪、陶器のように白い肌、切れ長の目。背筋はぴんと伸び、所作の一つ一つに気品が漂っていたようです。そして、そのことを鼻にかけることもなく、男女の別なく朗らかに接し、ユーモアを解するお方だったとか」
五條は夢見るように言う。
「美しさとはときにかえって異性を遠ざけるものです。人は無意識に自分と釣り合うパートナーを求めるものですから。しかし、彼女はその親しみやすい人柄から、叔父を含めた男子生徒たちを虜にしました。彼らから直接愛を乞われるようになるまで時間はかからなかったと言います」
五條は悩ましげにため息を吐いた。まるで、彼女自身がその《楓の乙女》に心奪われた一人であるとでも言うように。
「しかし、《楓の乙女》は誰の告白も受けませんでした。それは彼女曰く『巫女だから』。あまりに突飛な理由で、体のいいお断りの口実かとも思われましたが、実際に彼女は誰とも交際せず、彼女の清らかな雰囲気がそういうこともあるかと周囲を納得させたそうです」
五條は続ける。
「これは叔父の見解ですが――彼女はそもそも男性に興味がなかったのかもしれません。なにせ、まだノストダムスの予言がどうのと言ってたような時代のことですからね。同性愛への理解もいまほどは進んでません。大っぴらには言い出しづらかったでしょう。巫女というのはやはり口実だったということです。実際、彼女は自分の周りに女子生徒を侍らせていたようです。それは彼女自身が指名した、言うなれば選ばれた乙女たちだったとか。彼女たちもまた巫女を名乗り、男子を寄せ付けなかったといいます」
それではまるで少女小説の世界だ。
「彼女たちは同時に、茶道部の部員でもありました」五條は言った。「放課後になると、作法室で優雅にお茶を立てていたとか。秘密の花園ですね。さぞやいい匂いがしたでしょう」
うろんげな視線を感じてか、五條は気まずそうに咳払いをした。
「これはわたしの見解なのですが、彼女たちはきっと、互いに操を立てることで絆を確かめ合っていたのでしょう。その口実として用いられたのが《巫女》だった。一種のロールプレイングですね」
五條はそこで突如、鼻息を荒くして、
「思春期の少女というのは時に同性の友人と疑似的な恋愛関係を築くものです。お互いに純潔を誓い合う絆の形もあるでしょう。いや、あるべきです」
「えっと……」
「すみません。百合豚の血が」五條は咳払いした。「前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。三号館三階の北端――その手前にあるのが作法室です。茶道部は何年か前に廃部になったらしく、この部屋はいまはもう使われてません。そのはずなんです。しかし、そこに出入りする生徒が目撃されてもいます」
「それが森野さん?」知佳は先回りして言った。
「そういうことです」五條は頷いた。「いまのところ目撃されているのは森野さんと岬さん、それに隣のクラスの小太刀さんという生徒です。どうやら彼女たちは高校に入る前から交遊があるそうで」
「友達ってこと?」
「でしょうね」五條は言った。「わたしから話せるのはこのくらいです。何か質問はおありで?」
カナと五條から聞いた話を照らし合わせる。共通するのは「巫女」というキーワードだ。
カナはりんご様の「巫女」を名乗った。
ならば、蒼衣や夢路もりんご様の「巫女」なのだろうか。そうだとしたらなぜそんなものになったのだろう。神社のアルバイトでもあるまいに。
「そういえば、夢路って子知ってる?」
知佳はふと浮かんだ疑問を口にした。教室でも夢路の姿は見なかった。一年生のはずだが、何組なのだろう。
「いえ」五條は即答した。「少なくとも、わたしは聞いたことがありません。もちろん、わたしといえど学年の女子一九〇名をすべて把握しているわけではないですが――」
「さっき言ってた小太刀って子は違うの?」
「ああ、小太刀さんですね。たしか瑞月という名前だったはずです。ちなみに三組ですね」
カナが屋上で口にした名だ。てっきり夢路の名字かと思っていたが、別人らしい。知佳がまだ会っていない「巫女」なのだろう。
小太刀瑞月。
その名を頭に刻む。
「どんな子か知ってる?」
「あまり。隣のクラスですから体育などで一緒になることもあるのですが――どうも彼女は人見知りらしいので」
それではやはり夢路とは似つかない。人見知りが初対面の相手の頬をこねたりはしないだろう。
「少し顔色がよくなったようですね」五條はほっとしたように言った。「そんなに気になりますか?」
「え、何が」
「森野さんたちのことです」
「……よそじゃなかなか聞かない話でしょ?」
「それはたしかに」五條は納得したように頷いた。「さて、そろそろ戻りますか?」
「うん」
洗面台から離れる。五條に続いて出口を目指した。
「いろいろありがとう」知佳は五條の背中に言う。
「学級委員ですから」五條はそう言ってドアを開けた。
二人並んで教室へと向かう。HRが終わってからもう一〇分以上は経っているだろう。始業式の放課後ということもあり、人通りはまばらだ。
「でもやっぱり変わった子が多いんだ」知佳は言った。
「森野さんたちのことですか。まあ、そうですね」五條は続ける。「学級委員なので先輩方とも話す機会があるのですが――やはりわたしたちの入学前からあの部屋に出入りする女子生徒はいたそうです。いまの三年生の先輩方ですね」
「じゃあずっと続いてるかもしれないんだ。その……《楓の乙女》の時代から」
「そうですね。さすがにその間のことまではわかりませんが」五條はそこで何かを思い出したように、「ただ、その先輩方はもう出入りしていないようです。というのも、わたしたちが入学する少し前、ちょっとした事件が――」
五條は言葉を切った。正面から歩いてきた同級生に目を留めたのだ。
色素の薄い少女だった。
波打つグレージュのロングヘアーに、透き通るような白い肌、長い睫毛。夢見るような瞳は日本人離れした明るい色だ。部分的だが、ほとんど青色に見える。マスクで顔の下半分が隠れているため、その輝きがいっそう目立つ。
「あら、市川さん」青い目の少女は知佳の名前を知っていた。微笑むように目を細めて言う。「今朝以来ね。体はもう大丈夫なの?」




