九十四、I remember.
フュロルの握る赤光剣はレクーサさんの肉体、ちょうど臍の辺りを易々と貫いた。
事態の急変に、ここにいるフュロルを含む全員の頭が追い付かない。
「な、何で……何で避けねえんだよ……」
フュロルは、顔を青ざめさせながら震える腕で赤光剣をレクーサさんから引き抜く。
赤光剣の熱で貫かれた部分の肉は焼け爛れ、一滴の血も流れず、レクーサさんの下腹部には黒々とした穴がぽっかりと空いていた。
「……私、あなたに悪い事しちゃったから。これ位、されて当然だよ」
レクーサさんは、フュロルへ自虐的な淡い笑みを送った。
「レクーサさんっ!!」
レクーサさんが浮かべた悲壮感すら漂う儚げな笑顔を目の当たりにし、私は我を取り戻した。未だ思考停止しているソールスさんを引きはがし、レクーサさんへと駆け寄る。
レクーサさんは糸の切れた操り人形のように崩れ落ちていく。
「大丈夫かっ!?」
伊吹がレクーサさんの肩を支え、そのままゆっくりと床に横たえさせた。私はレクーサさんの傍にしゃがみ込む伊吹に尋ねる。
「容態は!?」
「医者ではないから詳しくは分からないが、これを軽傷とは呼べないだろうな……」
私は伊吹の反対側、横たわるレクーサさんの左手側に座って穴を観察する。黒く焼け焦げた人肉の匂いに、僅かに脈打つ筋肉だか何かの残骸。見ていると、何とも言えない気持ちになる。
「アタシは……そんな、違う……こんな……」
うわごとをぶつぶつ呟くフュロル。どうやら本気で殺す覚悟もなく、赤光剣を振り回していたらしい。自身の行動が起こした結果に、フュロルはただただうち震えている。ふざけるなよ、いまさら何を言った所でどうにもなりやしない。殺す覚悟もないくせに、殺すなんて言葉を口に出すな。ただ今はレクーサさんを助ける事を考えないとならないから、はらわたが煮え繰り返っていも無視しておく。
私は成人男性でも余裕を持って寝かせられるだけの大きさをもつ、上部のスライド式のドアに赤十字が描かれた白い長方形の箱の形をした、医療用カプセルを物質創造。
「伊吹! これにレクーサさんを入れます! 手伝って下さい!」
「分かった!」
切迫した雰囲気の中、伊吹が頭側を、私が足側を持ちレクーサさんをすぐ隣に物質創造した医療用カプセルへと慎重に運び入れる。赤十字の絵柄がドアがなめらかに閉じていく音と共に動きだし、完全に閉じた。
「これで治るのか?」
「……」
正直、分からない。治って欲しい。
「……内部とカメラ中継しときます」
伊吹の背丈に合わせ、床から百七十センチ程の高さまで三脚を延ばして好感度カメラ付きの双方向通信可能な液晶ディスプレイを物質創造した。
「だ、大丈夫なんですか?」
我に帰ったイブキ‐アレシアが、肩にディーウァを乗せて私に近付いてくる。彼女もあの惨事を見たのか、若干顔が青ざめていた。
「映像、出ます」
私は答えられなかった。離れた所ではソールスさんがボロボロと涙を流している。私は全て引っくるめて敢えて無視し、三十インチの液晶画面にレクーサさんを映し出した。
「大丈夫ですか、レクーサさん」
大丈夫じゃない事は明白なのに、私は思わずこんな質問を投げ掛けてしまった。というのも、こんな酷い怪我というのにレクーサさんは痛みに顔を歪めもせず、汗一つかかないから不思議に感じてしまったのだ。もしかしたら、痛みすら感じないのかもしれないが。
「……ふふ、大丈夫だよ」
私の愚かしい質問を笑顔で返すレクーサさん。
「……そんな顔、しないで。本当に大丈夫、痛みがないから」
痛みがない、か。確かにそれなら納得は出来る。ただ、むしろ危険な気がする。
「……だからそんな顔しないでよ。本当に大丈夫なんだから……私はね、インプレカートロフ様の魔術なの」
「は?」
レクーサさんはいきなり何を言い出しているんだ?
「……インプレカートロフ様は、あなたの魔力を見て、敵わない事を知ったわ。あの時インプレカートロフ様があなたの魔法障壁を打ち破っていたら、逆に、インプレカートロフ様がやられていた。だから、自動発動する魔法障壁に私を寄生させたの」
「何の、話ですか?」
「……私は本当は、あなたの精神を乗っ取る予定だった。けれど、魔力が多くて、抵抗が強かったから、人格を分裂させる事しか出来なかった。だけどあの巨大な光線を放った時あなたの魔力が大きく減ったから、また私は精神を乗っ取ろうとしたの。でも、また分裂させて終わっちゃった。その時私は分裂した人格を手に入れた」
レクーサさんの独白に、誰もが圧倒され無言になる。
「……でも、私が死ねば、じゃないや、私が破壊されたから、もう大丈夫だよ? 私が、あなたたちを分裂させていた原因、だから……」
魔術、インプレカートロフ様、分裂、寄生、魔力……レクーサさんは何の話をしているんだ?
「……最後の最後だったけど、楽しか、った、よ…………」
レクーサさんが浮かべた笑顔は、とても美しかった。
「レクーサさんっ!」
私は咄嗟に医療用カプセルを消し、そのせいで床に横たわったレクーサさんへ駆け寄り、穏やかな笑みを浮かべて動かない顔に手を延ばした。
私の手は、レクーサさんの顔をすり抜けていた。
「……え?」
気付けば、私の視界は闇に覆われていた。
何なんだ一体、どうなっているんだ? レクーサさんはどうなったんだ!? 彼女が死ぬかもしれないのに私はこんな……!
いや、落ち着こう。落ち着こう。
まずは状況確認だ。何が起きているか確認しないと。
始めに、私は仰向けに寝かされている。手足を動かし回った所、四角……長方形に近い形状の箱のような何かにとじ込められているようだ。次に……ん?
『意識ノ回復ヲ確認シマシタ。コード・イエロー、解除』
機械音声が流れると共に、箱の上部が開かれて明かりが入ってくる。
眩しい。
しばらく待つと、目が光りに慣れて来る。私は箱から身を起こし、目をしばたかせながら辺りを見回す。私の周囲には、人型でビームブラスターライフル一丁を両手で持つ機械兵や、機械兵の脆弱性を補う為装甲を表面に施し右腕に二連装ビームブラスターガンを内蔵している機械兵2型、トライポッド(三脚)状の脚を持ち体を丸めて転がる事で時速八十キロで移動が可能な機体の両腕にビームブラスターマシンガンを搭載する重装機械兵など、様々な兵器が私を守るように配置されていた。さらにそれら兵器の先には半透明の壁が存在。現状としては、半透明のドームの中で私が兵器に囲まれている。
これは、重篤な病気や怪我を負った時発動するコード・イエローの防御システムだ。
しかしどうして発動したんだ? 私は……私は、謎空間にレクーサさんと共にいたが、怪我をしたのは私じゃない。レクーサさんだ。
ここは一体何処だ?
何故こんな場所にいるんだ?
私は医療用カプセルの縁に手をかけて立ち上がり、カプセルから出ようと体を乗り出し足を地面に勢いよく下ろす。するとバシャリと水しぶきの立つ音と共に、靴にじんわりと水が染み込んできた。
「冷たい……」
足元を見下ろしてみると、足を踏み入れた事で舞い上がったのであろう白い砂で濁った水面が広がっていた。さらに辺りを見回すと、一面が水に覆われている事が分かる。深さはそれほどでもなく、肉体年齢が十歳に満たない私の膝下にぎりぎり届くかどうかといったところだろう。水が澄んでいるせいか、深さがそこまでないからかは分からないが、水底は白い砂に覆われている事が見て取れる。潮の薫りもする。恐らく海水だろうが、ぼろぼろに擦り切れている革靴にすっかり染み込んでしまっていた。
足元から来るかじかむような水の冷たさに身をぶるりと震わせながら、私はもっと辺りをよく見回そうと視界を遮っている各種兵器群と半透明のドームを消す。
私が立っているのは、海へと繋がる洞窟だった。この洞窟は海から細長く延びた一本の通路を経て円状に広がる空間が広がっており、空間の上部からは陽光が差し込んで時折波立つ海水に濡れた白い岩肌を柔らかく照らしている。
私は膝下を埋める海水に足元を取られながらも、洞窟の出口を目指す。陽光眩しい空間から一転し薄暗い通路を抜けると、青々とした広大な海原が見えてくる。洞窟の入り口を境に水深は途端に深くなり、私なんかの身長では水没してしまう。私は洞窟にとどまり、入り口から顔を覗かせて洞窟の外を観察する。
どうやら私のいる洞窟は、崖に出来た小さな穴らしい。見上げてもなお上限の見えない灰褐色の絶壁の崖が、左右に渡ってずーっと続いている。海と崖の間には岩礁が横たわり、崖に迫る波は岩礁に突き当たりしぶきをあげて散っていく。洞窟の前には海から突き出た山のような岩礁が立ちはだかり、直接波が入ってくる事はなかった。
「……」
身を切るような海風が私から体温を奪い、海面が時折ゆっくりとうねって私のふとももまでを濡らす中、人間など一息で飲み込むような大波が一定の周期で岩礁にぶちあたって砕けていく様を見ていると、レクーサさんの事は実感の伴わない出来事のように思えてくる。
だが、あれは現実だった。私は確かにレクーサさんと出会い、話し合い、触れ合った。彼女は、実在した。
その彼女は何故……いや、それ以前に何で私はこんな場所にいるのだろう。何故離れ離れになってしまったんだろう。
彼女は、自分の事をヘンリー様の魔術だと言っていた。意味が分からない。自動展開型魔法障壁に寄生したと言っていた。意味が分からない。彼女が私の人格を分裂させたと言っていた。意味が分からない。何を言いたかったのか、全然意味が分からないよ。
ただ、心当たりはある。私の自動展開型魔法障壁を唯一破った男。
今なら、記憶が戻った今なら思い出せる。茶色いローブを頭から被り、ローブの隙間から暗い闇の底を彷彿とさせる眼を持つあの老人。
あいつが原因、なのか? 大陸を混乱の渦に巻き込むだけじゃ飽き足らず、レクーサさんをあんな目に遭わせたとでもいうのか?
私は背に六枚の翼を、目に片眼鏡装着式統合多目的指揮統制及び情報表示装置(Ver.1)、略してモノクルをかけて空に飛び立つ。
モノクルの緑色のディスプレイに行き先が表示される。
次は負けない、必ず潰す。