捌拾伍、伊吹編 ソールス(寂しさ)
「……チッ」
思わず舌打ちをしてしまう。だがその気持ちも分かって欲しい。
どうやら自分のあの苦労は無駄だったらしい。
【絶対零度】に【落雷】。転生時の圧倒的な魔力がない、今の自分にはかなりの大技を用いて群れを殲滅したのだが【落雷】や射撃音の大きさにより、ばらけていた個々の個体が自分目掛けて集まって来てしまった。
正直、状況は逼迫している。先の交戦で魔力の三分の一程使用しており、更に魔力で体力増強にもあてているから三分の二は消えている。
疲弊し、重くなった足。後ろをつい見るが、前駆逐した群れより確実に増えている事が分かる。
解決策が全く、完全に、さっぱり思い付かない。
はあ……これ、どうすればいいのだろうか。
嫌な予感がする。先程から自分の思うように逃げられない。
右へ曲がろうとすれば、右から二十前後の群れが現れ左に曲がらざるを得ず。道が六箇所に分岐していると、わざとなのか分からないが、五箇所の道からは二十前後の群れが飛び出し一箇所しか逃げ道がなかったり。二十前後というのも、自分が瞬間的に射殺仕切れない絶妙な数。
こういう事が何度もあるとな……誘導されている気がしてならない。
しかし、他に手立てがない。自分には逃げるしか術がないのだ。
先が明るくなって来た。徐々に洞窟の明度が上がっている。
これが何を意味するのかは分からない……が、心情としては周囲が明るくなってくると、何かいい事が起きるのではないかと期待したくなってしまう。
その予感が当たっていてくれると嬉しいのだが、あまりこの類の予感は当たった試しがない。大抵、何か悪い事とセットになっている事が多い。
ただ……もう走り始めて数時間。時計がない為、詳しくは分からないものの、少なくとも三時間は走っている筈だ。
息が上がり始める。
まずいな……本当にこれ、死ぬかもしれない。
「…………ハアッ……ハアッ……ハアッ……」
息が、荒い……筋肉が、脳が、体のあらゆる器官が肺に呼吸を、酸素と二酸化炭素の交換を求めている。体が熱い。
後ろから迫る異形の群れ。走り始めた頃より遥かに数が増え、ドドドドドと振動が地を微かに揺らしている。
もう一つ問題がある。
寧ろ、こちらが命に関わるのだが……群れとの距離が接近してきている。やはり疲労で自分の速度が落ちて……それに対して異形に疲れなんてものはないのか? 逃げ始めてから全く速度が落ちないとは……人だと数が増えると、混雑して速度が落ちたりなんかするんだがな。
直角路を曲がる。
はは……何だこれは? 吉なのか凶なのか?
直角路を曲がると、真っ直ぐ道が数百メートル続き、その先から光りが漏れている。
しかし例えこれが罠だとしても、進まざるを得ないのだ。
全くどうするか……よし。なら最後は駆け抜けよう。
ラストスパートだ。
……というか、自棄だ。
「くっ! あぁああぁああ!!」
全力全走。
ハハハハハ、異形との距離が離れて行く。ハハハハハ、ハハハハハ! 何で笑っているんだ!? ハハハハハハハハハハ!!
ハハハハハ、何か自分が壊れた気ががするな! ハハハハハハハハハハ!!
あと百メートルか!
今まで聞き慣れていた、後ろの振動音が心なしか小さくなった気がする。
壊れた自分を引き締め、冷静さを何とか引き出す。
あの光りの先に何があるのか分からないからな。
鬼が出ても邪神が出ても対処……はともかく、即座に逃げられるようにしておかないとな。
白い光の光幕を抜ける。
そこには……投光器。いや、その下に小さな人影。
「あ! 来た! 発射ぁ!」
透き通るような声と共に強力な極太の光線が自分の僅か二、三センチ脇を通り抜けていく。
……冗談じゃないぞ。何だあの威力。
光線へ目をやりたいのは山々なのだが、発射源こそが危険だ。
後方から異形の悲鳴と光線の破壊の業績が聞こえてくる。どうやらあの異形を倒す目的で放たれた一撃だったようだ。
そうだとしても、油断は出来ない。即座に腰からセミオートマチック拳銃P228を取り出し、人影へと構える。
くそ、投光器のせいでよく見えん。
ここは洞窟にしてはかなり広い。一般的な体育館程もあるだろうか。
ならば……右へ移動し、投光器の直射を避ける。
人影の正体は何だ?
「伊吹来たーーっ!!」
「なっ……ぐ!?」
いきなり腹に頭突きをくらう。反応出来ない速度、だと? 何て速さだ。ただP228は離さない。反撃の手段は残しておかないとな。
「会いたかったよー!!」
何で……頭を腹に押し付け、グリグリとされているんだ?
下を見れば艶やかな灰色の長い髪。
女の子?
彼女からはほのかにいい匂いがして、何だか変な気分に……待った、平常心を養え。何故、自分は頭を撫でようとしているんだ。
「誰なんだ?」
このままでは色々まずいので気を紛らわす為、未だグリグリと押し付けてくる頭を右手で固定し、彼女の顔を自分に向ける。
「ふぇ? 何?」
彼女はポカンとした表情を見せる。ぐ、破壊力が中々に高いな。くそ……戦闘意欲が削がれて、何だか甘やかしてやりたくなってしまう。
いや、そんな場合じゃない……紅い目、だと?
自分が転生した時も目が紅かった……なら他の同じ点があるか? 顔立ちは、非常に整っている。自分はどうだっただろうか? 正直よく覚えていない。そもそも自分の中では‘田口伊吹’の姿を自分として意識していたからな。ただ……同じような気がしないでもない。気のせいとして捨て置いていいのだろうか。
まあいい。先ず、名前を確認してみるか。これが初対面の子供との対応で基本的なものだろう。
「君の名前は何なんだ?」
「わたしの名前? わたしはねぇ、ソールスだよ?」
ソールス……知らないな。記憶にはない、知り合いではないな。
「それで、ここで何をしているんだ? ソールスも迷っているのか?」
「ソールスはねぇ、伊吹を待ってたんだよ」
待っていただと?
「……どういう事だ? ソールスはここが何なのかしっているのか?」
「うん。ここはねぇ、レクーサちゃんが作ったの」
「レクーサ? それは誰なんだ?」
レクーサについて尋ねると、喜ばしいような悲しいような……形容し難い表情をする。
「レクーサちゃんはねぇ、とっっても頭がいいんだけど…………すごく怖がりなの。わたしも怖いんだって。……だから、わたしをここに閉じ込めたの。わたし一人ぼっちだったの」
レクーサか。こんな小さな子供を閉じ込めるとは……いや、ただあの光線の威力は凄まじかった。あれに恐れを為したのかもしれない。だからと言って同意は出来ないがな。
「でも! 伊吹がここに来たから一人じゃないの! ねえねえ、一緒に遊ぼう! 遊ぼうよ!」
ソールスは自分の拳銃をたたき落とし、無邪気に笑いながら無理矢理両手と両手を繋ぎにきた。
「ちょっ、拳銃が……」
「ふふふ、えへへへへっ! 楽しーねー!」
く。その笑顔は反則だ。何か許さないといけない気になってくる。
自分だって殆ど人と交流してないんだ。こういう人との接触に懐かしさが沸かないと言うと嘘になる……。
「ふぅ、仕方ないな。少しだけだぞ」
ソールスには負けたな。自分みたいに変にこじつけをする人間は、こういう直接的な感情表現に弱いのだ。決して、甘やかすのではない。
何をするんだろうか? これだけ活発なんだ、鬼ごっことかか?
いやしかし、身体能力はどうなんだろうか。かなり魔力で強化してきそうだ。
自分でもこれだけ近いと、魔力を直に感じられる。自分より高いな……知り合う人が大抵魔力の高い人ばかりというのはどうなんだろう。多少落ち込まざるを得ないなあ。
まあ、いいか。今は一通りこの子を満足させて……その後、これからの事を考えよう。走り疲れてるしな。
「やったーー!! じゃあねー! オセロしよ!」
……何でボードゲームなんだ。そもそも遊び道具はあるのか?
いや、疲れてるから調度いいんだがな。
いそいそと用意を始めるソールスを眺めながら、思考する。
未だに、自分の身がどういう状況下に置かれているのかは分からない。
この洞窟は何なのか。レクーサとは何者なのか。ソールスは何者なのか。あの異形は何なのか……疑問は数多い。
ただ、ソールスの明るさに多少気持ちに余裕が出たような気がする。
さて……これからどうなるだろうな?
明るい未来を切に所望するね。