6
宿屋に帰り、ロブは自分の部屋には戻らず、マナリアの部屋に向かう。
「マナリアいるか?」
「……」
扉の奥から返事はない。ロブは気にせず、愛用している盗賊セットを取り出し、鍵で扉を開けるようにスムーズに解錠した。
「お邪魔しまーす」
「ちょ」
「おれ、盗賊なんで」
顔をあげて涙を流していたマナリアに対して、ロブはにっこりと笑った。
マナリアはロブに何を言っても無駄だと悟り、諦めたのかそのまま顔を伏せた。
「……」
「……」
無言のまま時間が過ぎていく。
勝手に侵入したロブは何も言わず、マナリアも口を開こうとしない。
数刻が経ち、外から声が聞こえてきた。
外では金属同士がぶつかる音と、時折聞こえる雄叫びに似た声が、静寂した部屋の中まで聞こえてくる。
マナリアは悟った。マナリアが落ち込んでいる時にも、仲間達は必死になって、戦いの準備をしていることに。
「……ごめんね。私、みんなが頑張ってるのに何も」
「こら」
「いたい……」
ようやく口を開いたかと思えば、謝罪の言葉。
ロブは即座にマナリアの頭を叩いて、叱った。
「お前は十分やってるよ、マナリア。他のと比べるな。あいつらは少しネジが外れてるんだ。お前までネジが外れたら、誰があいつらを制御できるんだよ」
「でも……私は」
何もしていない、何もできない。
マナリアは分かっていた。
自分が戦闘時、危険に晒される前に、仲間達が身を挺して守ってくれていたことを。
仲間に甘えている自分が情けなくて、それでも頼ってしまう自分に呆れて。
負の感情と戦いながら、マナリアは今日まで頑張ってきた。
今日初めてカーンの無茶を聞いたマナリアは、自分の想像を遥かに超える仲間達の努力を聞いて、己に絶望した。
もはや、どうすればいいか分からなかった。
絶望の影に身を潜め、マナリアは考えていた。
もう、早く死んでしまいたいと。
ロブはマナリアが死にたがっていることに気がついた。
目を見なくても雰囲気、いや、匂いで分かる。
心の底から死にたい人間から発せられる、濃厚な負の感情と死が混ざり合う、毛嫌いするような臭いが。
そんな感情を抱いているマナリアに対して、ロブは淡々と言葉を並べていく。
「マナリアは、普通の女の子だったんだろ? まあ、あれか。話を聞いた限りは、結構たくましい女の子だったか。でも冒険者になって、魔物を討伐していたわけでも、命を賭して働いてたわけじゃないもんな。それがいきなり魔王討伐してこいだ……そりゃ辛いのも当たり前だ」
「でも、みんなは!」
「だ、か、ら! 人と比べるなって。マナリアは今、手を抜いてるのか?」
振り向いたマナリアの顔を掴んで、固定するロブ。
ロブの言葉に対して、普段から怒りの感情を表に出さないマナリアは、カーンに対して怒鳴ったように、2度目の怒りを見せた。
ロブの手を無理やりどけて、力強く叫んだ。
「本気でやってるよ! 死にたくないし、死なせたくないんだから! でも、今のままだと、いずれ全滅しちゃうんだよ!?」
マナリアに眠る力はいまだに目醒めていない。マナリア自身は気がついていないから、今のままだと全滅するという恐怖に怯えていた。
ただ、死という恐ろしい状態に怯えるただの少女に対して、ロブは優しく言葉を伝える。
「なら、強くなるしかない。強くなれないなら、もっと連携を深めるしかない。ヴィラが言ってたろ?俺たちは仲間だって。俺たちをもっと頼れ、マナリア」
「もう頼ってる。頼り切ってる。分かってるんだ。本当は守られて戦ってることも。でも、それで、私のせいで誰かが死んじゃったら?」
マナリアにとってそれが最も恐ろしいことだった。
先程のカーン達の推測の通り、マナリアは自分のせいで仲間が死ぬところを見てしまうことを何よりも怖がった。怖いなら戦うしかない。でも、逃げてもいいじゃないか。
残りもの勇者パーティーには、誰も期待していない。
きっと、逃げたところで何も言われない。いつかは死ぬ運命だ。なら、少し先延ばしにしたところで、誰も怒りはしないと、マナリアは考えてしまった。
「逃げようよ。 私はみんなが生きてればそれでいい」
それくらい、仲間思いで、みんなのことが好きなマナリアの言葉を聞いて、ロブは微笑んだ。
でも、ロブは首を横に振った。
「今逃げても、いずれみんな死ぬ。
マナリアのせいじゃない。どのみち戦わなきゃ、俺たち全員が死ぬんだ」
「そんなのやってみなきゃ」
「そうなるさ。死を感じたことのある俺らには分かる。
魔王軍は本気だ。本気で俺たち人間を全滅させようとしているんだ。遅かれ早かれ死ぬくらいなら、俺たちは戦って死にたい。生き残るために戦ったけど、相手が強過ぎて無理だった。なら、仕方ないって死にたいんだ」
死の次に最も恐ろしいのは、後悔だ。
あの時ああしていれば、もしこう動いていれば、過去のことばかりに拘って、前を向いて歩くのが難しくなる。
過去は変えられない。
なら、今できる最善を生きるしかない。
ロブはそれを知っていた。マナリアはその恐怖を知らない。
仲間を殺された時に、自分だけが生き残ってしまう後悔も、恐怖も。
それを教えてあげるのが、仲間だと、ロブは思ったから、マナリアの隣にいる。
「生き残るために戦うなんて、馬鹿げてるよ」
「そうだな。でも、後ろめたい気持ちのまま生きていくのも、結構辛いんだぜ?」
「……それは」
「大丈夫だ。俺たちは生き残る。みんながそうなるように動く。もう一踏ん張りしようぜ、マナリア。俺たちは残りもの勇者パーティーだろ? きっと生き残るさ」
おちゃらけるようにマナリアに伝えるロブの表情は笑っていた。
どうして、笑えるのかマナリアには分からない。
でも、励ましてくれていることだけは分かった。
励ましは確かにマナリアの絶望に呑まれた凍った心を少しずつ溶かしていく。
それでも、まだ足りなかった。なにせ、魔王と戦うには、まだ四天王が残っているし、実力が圧倒的に足りていない。
このままでは、死が目と鼻の先だ。
「もし……誰かが死んで、誰かが生き残ってしまったら?」
それが怖かった。
みんなはマナリアを生かすために動く。マナリアは、1人で生き残ってしまう気がして。
その時に自殺する勇気も、戦う勇気もなく、きっと自分は逃げるだろうと。
「そん時は、そうならないように、みんなで死ねばいいってナーテルが言ってたぜ?」
「ナーテが?」
「おう。それに俺たちはきっと、誰か一人でも死ねば、そこで終わりだと思うんだ」
「そんなこと」
マナリアの反論に、苦笑気味にロブは答える。
「あるさ。俺たちはいま、それくらいお互いに支えあって生きてる。支えがなくなったら、簡単に崩れるよ」
「でも、みんなはきっと私を生かすために、戦うよ。分かるよ、みんなが私を守りながら戦ってくれることくらい」
「そん時は、お前が最後にならないように、先に俺かナーテルがお前を殺してやるよ」
ナーテルは言った。
魔族のことはどうでもいいけど、あなた達を殺したくはないと。
言い換えれば、殺せる手段があるってことだと、ロブは思っていた。
幸い、ロブも人を容易に殺せるくらいには、暗殺が得意だと自負している。
マナリアを殺すことに良心は痛むが、独りぼっちで残すよりもいいかなと考えていた。
ロブはマナリアの髪に触れて、優しく頭を撫でた。
「あんまり励ましにならないと思うけど、生き残るのも、死ぬのも、きっと一緒だ。一緒なら、怖くないだろ?」
「……本当に、慰めにも励ましにもなってないよ、ばか」
「あはは、悪いな。これが俺にできる精一杯」
両手をあげて降参のポーズをするロブに、マナリアは寄り添う。
「でも……そうだね。それだけ、みんながみんなを頼りにしてるなら、そうなってもいいかもね」
「なるっていうか、絶対にそうなっちまうくらいには、俺たちは最高のパーティーだよ」
「……やっぱり、残りものには福があるのかもね」
「そうだな」
寄り添ってきたマナリアを、そっと抱き寄せ頭を撫で続けるロブ。
マナリアは目を瞑りながら、恋人のように接してくれるロブに身を委ねている。
不意にマナリアは思った。普通は逆だよなと。
思ったら、なんだかだんだん恥ずかしくなってきたマナリアは、心臓の鼓動が早くなっていることを無視して、ロブに意地悪気にいう。
「……ロブって、年下らしくないね」
「大人なんだよ、俺は」
「……なまいき」
「そうかいそうかい」
またしても、年下のロブに年上の対応をされて、拗ねるマナリア。
でも、それすら心地よく思える理由くらい、マナリアにも分かっていた。
「ねえ、ロブ」
「なんだよ」
「ナーテルが言ってたの」
(ぜってぇ、ろくなことじゃねぇ)
ナーテルが言ってた。
その言葉を聞いたロブは、マナリアには見えないように、あからさまに呆れた表情へと変えた。
「……なにを?」
「その、年下の子を……けば、守りたいって気持ちが強くなるって」
ロブには重要な部分が聞こえなかったが、間違いなくマナリアの言いたいことは分かった。
「マナリアはいいのかよ、それで」
バツが悪そうに話すロブに、マナリアは大勢を変えて、ロブと向き合う。
「私は、その、ロブのこと、ん!」
「それ以上は言わなくていい」
「きゃ」
マナリアの初めてのキスを奪ったロブは、マナリアを抱き寄せてベッドに運んで押し付けた。
「今日は覚悟しろよ? 男はみんな野獣ってこと、教えてやるよ」
「!!」
ロブの真っ白な肌と、神の瞳を思わせるキラキラとした黄金の瞳に、目を奪われるマナリア。
一方のロブは、顔が真っ赤に染まったマナリアをぎゅっと抱き寄せてから離れて、月明かりに照らされる天使のようなマナリアを瞳に焼き付ける。
盗賊で培ったスキルを存分に用いて、すらすらとマナリアを生まれたての姿に変えると、そのまま行為を楽しんだ。
好意と行為は生きているうちに。
マナリアはその言葉が降ってきたと同時に、ロブに身を任せて、2人きりの時間を楽しんだ。
数刻が経ち、2人はお互いの温度を最も感じる姿のまま抱き合っていた。
「それで、強くなったか?」
「やっぱり……なまいき」
「はいはい」
「……ばか」
マナリアは、ロブの腕と胸に挟まれて丸くなりながら眠りについた。
ロブもまた、満足そうに目を瞑った。
マナリアは勇者になってから初めて、普通の女の子に戻り、安心して熟睡するのであった。
次の日、太陽が目を覚ます前に起きたロブは、マナリアを起こさないようにベッドから出て、宿の外に向かおうとする。
すると、そこには服が血まみれのカーンが、自分の部屋に戻るところだった。
カーンは、ロブを見ると、ニヤニヤとした表情で聞いてきた。
「昨夜は楽しめました?」
「……ああ、おかげさんで」
呆れつつも、ロブは観念したように答えた。
素直なロブに対して、カーンはあっけらかんと答える。
「いいなー、私も運命の人に会いたいものです」
「本当に思ってるか、それ?」
「いえ、まったく。男としての機能を奪われてからは一度も」
僧侶になって、ブツを切り取られたカーンは、中性的な美しい顔で笑う。
カーンの答えに、ロブはゾッとしながら答える。
「ほんと、クソみたいな世界だよな、ここ」
「全くです。……でも、あなたたちに出会えただけでも、儲けものかもしれません。これで死んでも、後悔なく死ねますよ」
「はは、違いねぇ。なにせ、俺たちは」
「死ぬ時も生きる時も、一緒ですからね。 疲れたので寝ますね。また、数時間後に」
「ああ、またな」
スーパーショートスリーパーのカーンは、綺麗な顔とそれに見合わぬ血まみれな服のまま部屋に戻る。
宿屋の従業員の悲鳴が聞こえたロブは、いつも通りだなと思いながら、いつもの鍛錬を始めるのであった。
朝の鍛錬が終わり、朝食を食べていると、起きたカーンが食事を取っていた。
カーンと別れて数刻しか経っていないのに、飄々と飯と酒を嗜んでいるカーンを見ると、こうはなりたくないなと、ロブは思うのであった。
「そうそう昨日の事ですが」
「どれのことだよ」
「ほら、覚悟した時の話ですよ」
「あぁ、それね」
カーンは、昨日の覚悟について話を始めた。
「私自身も、冷たい鎌を首に当てられたことがありますよ。あの頃は、いつ死んでもいいと思ってましたが、本心ではそうでなかったのでしょう。死にたくない一心で、光の防御魔法を覚えました」
「強いやつの大半がそういう経験あるよな」
「それともう一つありますよ」
「どんな?」
カーンは食事の手を止めて、にっこりと悲し気な雰囲気を出して笑う。
「僧侶にされてたから、目の前で何人もの人が、私の目の前で死んだのも事実です。僧侶の私の目の前で、これ以上人が死ぬのはごめんだと、強く願った時でした。光の回復魔法を覚えたのは」
「そういうこともあるんだな」
「勇者でなくても、死なせたくない人がいる人間は多いでしょ。大切な人が死神に持っていかれる瞬間を見たら、どんな人にも新たな力を発揮する場合があるのです」
つまり、マナリアが覚醒しなくとも、誰かが新たな力を得る可能性があるといいたいらしい。
カーンにしては、非現実的な答えに、ロブは苦笑気味に答える。
「……そうなることを願うばかりだよ」
「そうですね。仮にそうならなかった場合ですが」
「あぁ」
「全員で死神に連れ去られましょう。なに、私たちはきっと天界へと連れて行かれます。天使という神の使いの死神に、ね」
カーンやロブにとって、地獄も天界も同じようなものだ。
死を司る神だから、死神。
上に連れていかれようが、下に連れていかれようが、どこに連れて行かれようとも、死ぬことにはかわりないのだから。
ロブは、カーンの言葉を聞いて呟いた。
「……共に生き、ゆく時も共に、だな」
「ほう、いい言葉ですね。私たちパーティーの指針にでもしますか」
「……却下だ。つか、お前がさっき言ってたことをだな」
「ふふ、ですね。あ、みなさん、おはようございます! いまですね、ロブが恥ずかしいことを!」
「てめ、ゴルァ、カーン!!!!!!」
今日も今日とて、和やかに見える勇者パーティーであった。
7話目は、1月22日6時に投稿いたします。