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小説『穴の指』-1

小説『穴の指』-1


 穴の指らしい。

 最初聞いたとき、まったく分からなかった。

「何だ。それは?」

『女の穴に指を入れたら抜けなくなった。――おい。いまバカにしただろう?』

 私は微かに笑った。

 もちろんバカにした顔をしていた。音声メッセージなので、画像はないが伝わったのだろう。そうしたものだ。逆に善意は伝わりにくい。

「その女性は実在しているのか?」

 重要な部分だ。事象として存在しているのだろうか。虹に恋した男の話を聞いたことがある。疑わしきは信じず、だ。

『ディアドラだ。高舞 (こうまい) も会ったことがあるだろう』

 こんにちは、三島高舞 (みしまこうまい) です。天草 (あまくさ) に高舞登山 (たかぶとやま) があるらしいが、無関係だ。

「覚えていない」

 前に紹介したそうだが、酔い時に他人 (ひと) の女をいちいち覚えている訳がない。おそろしく美しければ別だが。

「アイルランド系?」

 ディアドラはケルト神話に登場する女性の名前だ。どんな話だったか覚えていないが、神話の女性はだいたい悲劇の結末を迎える。世の中には「オフィーリア」と名付ける親もいる。高舞よりはマシか。地に足がついていない。

『四分の三は。――彼女が事故に遭ったのは話しただろう?』

「だから覚えていないと言っているだろう。和目 (かずま) 」

 相手の名前は加藤和目 (かとうかずま) という。和 (なご) やかな心ざしという意味らしい。

『右目を失明したんだ』

 馬から落馬している。

『右直 (うちょく) 事故で、運転席に鉄筋が飛び込んできた』

 双方のドライブレコーダの画像がメッセージで送られてきた。

 相手のトラックが看貫 (カンカン) を避けるために脇道に逃げて事故を起こしていた。トラックスケール (カンカン) で過積載となると道路交通法違反で切符を切られる。運転手 (ドライバー) としては死活問題だ。たいていの場合、会社は罰金を支払ってくれるが、点数は運転手 (ドライバー) 責任となる。

 逃げた道路は狭くステアリングで逃げることもできず、過ぎた積載量で急に止まれず、鉄筋のうち三本が右折していた車に刺さっていた。

「亡くなっているだろう」

『ふつうは、な。右に座っていたら死んでいた』

 右の助手席に二本刺さった画像もあった。

「負傷した画像は要らない」

 送られるまえに牽制した。私は医師ではない。理論物理学者 (修士) だ。

『その無くなった右目に指を入れたら取れなくなった』

 最初の「女の穴に指を入れたら抜けなくなった」よりは理解できた。

 いやいや状況は理解できてもそもそも論だ。

「どうして指なんか入れたんだ」

 医師が触診するなら分かる。眼窩 (がんか) ――眼球がおさめられている凹 (くぼ) みをどうやって診断するのか知らないが。

『向こうが見えていたんだ』

「『ムコウ』とは?」

 たぶん「あちら側」の「向こう」だろうが、確認だ。――まさか彼岸 (あの世) が見えていた訳じゃあないだろう。

『だから、彼女の目の穴から向こう側が見えていたんだ』

 これだから実験屋 (バカ) は困る。事実をどうやって客観的に認識するのか、まったく理解していない。

 第一に定義しろ、である。

 1.「右目を失った」――これは理解できる。不幸な事故だ。

 義眼に保険が適用できるか知らないが、確かオーダーメイドできたはずだ。人工眼球や人工網膜の開発も進んでいる。科学万歳である。

 2.「向こうが見えていた」――理解できない。

 通常であれば眼窩が見えているはずだ。

 3.「指を入れたら抜けなくなった」――まったく理解できない。

 どうして指を入れる? ひっかかって抜けなくなったのなら分かる。猿 (サル) の罠にある。サルの手首が入るような穴が開いていて、中の餌を掴むとその量が大きいので手が抜けなくなる。サルが気づいて餌をはなすころには捕まえられているという訳だ。

 人間もそうしたことをするかもしれない。パニックになると正常な思考ができなくなる。

 それにしても傷ついた女性の目に指を入れるだろうか? 新手の (アダルトな) プレイなのか?

『透明になっていたんだ』

 謎が深まった。透明とは?

「――光学迷彩か?」

 SFではなく、現実に開発されている。実用段階にあったとしても眼窩におさまる大きさだとは考えにくい。近い将来そうなるだろうが、まだ今日明日は無理だ。

『光学迷彩? そう光学迷彩だ。向こうの壁が見えていた』

「『見えていた』とは? どうして過去形なんだ?」

『今は俺の指が入っている』

 溜息。#柴田淳

「隙間から奥が見えるだろうに」

『暗くて見えない』

 奇妙な事実に気づいた。

「お前、何本指を入れたんだ!」



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