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小説『春茄子』

『春茄子』


 岡山の秘湯に身をよせたのは例の震災で火傷を負ったからだ。顔の右半分が移植した皮膚でズレている。生きているだけマシというが、社会は冷たい。第一印象でまずはじかれる。


 幸い友人と起こした会社が成長したので、代表権を奪われて一株主として配当で生活している。人前に出られぬ身姿であれば、厄介払いもかねていたのだろう。まま言い過ぎたわたしも悪いが。


 隠れ湯とはよくいったもので宿にはわたししかいなかった。


 朝餉あさげの前に宿をでて散策にむかった。うっすらと霧が残っていたが、陽が高くなるにつれ雪が解けるように消えてしまった。


 杖を脇にパナマ帽をかけなおすと、宿に借りた手拭いで汗をぬぐった。

〈いち〉の女主人京子(きょうこ)つやのある髪を薬指で耳にかけると、わたしをみかけ会釈した。


 ハットのブリムに手をかけ軽くうなずいた。


 声がかかったのか、もう一度会釈しながら歩み出した。


 遠くの春山に白と黒の雲がかかっていた。黒雲は雨だろう。走るように白い雲の上におおいかかり、過ぎていく。白雲は蹴散らされるが、高度差があるのか混じらず、温度差もあるようで濁らない。


 ふと苦笑しているのにわたしは気づいた。


 山道にパンチドキャップは似合わないが、あいにくこれしか持っていない。


 履き慣れたものだから靴擦れはしないだろう。


 山に向かう途中で水車小屋があった。昔は小麦を製粉していたらしい。


 途中のちいさな畑に陸稲おかぼがある。水稲とは違い、水をはらずにすむ。急な斜面では機械も使えないのだろう。


 十分二十分は歩いただろうか。牛が玩具のように見えた。宇宙人であれば牛のほうが多いので、人間より知的生命体と考えるかもしれないなどという愚かな考えにまた笑ってしまう。


 どうやらこの地方ののどかさにわたしは癒されているらしい。そう自覚するが、笑うと引きってしまう顔が嫌になる。痛み。


 折口信夫おりくちしのぶ先生にも青いあざがあったことを思い出した。


 稀人まれびと客人マレビトという思想をつくった偉人だ。


 そして、どこにでもいる同性愛者だ。


 わたしが会社を去ったのは、友人に会わせる顔がなかったからだ。愛されているとは知りながら、自分自身も愛していると知りながら、その事実を、あの人の瞳に映るわたし自身を許せなかったからだ。


 あの時、咄嗟に庇ったのでわたしだけが傷を負った。それで十分だった。新しい人を紹介したのもわたしだ。


 いつもの丘を背に下った。


 朝餉に茄子なすはでるだろうか……。


 夕餉ゆうげの茄子がわたしのお気に入りになった。身を冷やすというが、あたたかくして食べればいいだろう。そうした塩梅あんばいは女将の仕事だ。


 またも笑ってしまい、自嘲したが足を踏み外してしまった。


 転がり落ちる。


 立とうとしたのがいけなかった。


 重心が上がって加速した。


 どこかしら痛いが、問題は足だった。


 違う方向に折れていた。


 合点、ああそうか。


 違う。


 わたしが誤っていたのだ。


 首が後ろを向いていた。


 痛みが消え、冷たくなってきた。


 最期に考えたのは、あの人の幸せではなく、茄子の調理法だった。


 笑み。

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