メインシナリオ#7 大家さんとミッションシステム
「お、ようやくお目覚めのようだね、黎太君!」
ぴょん、と飛び跳ねるようにソファから立ち上がった千代は、溌剌とした元気な声をあげ、お日様のように温かい笑顔で黎太を出迎えた。
「おはようございます、や…千代さん」
柳さん、と呼びたい気分だったが、それはそれで面倒なことになりそうである。
入学式が昨日ならば、昨日のうちに「あたしのことは『千代さん』か『お母さん』と呼ぶように! えっへん!」と言われていたはずだからだ……ソシャゲ版の黎太が、だが。
「ん! おはよう! 朝ご飯食べる?」
「いただきます。ところで、西川先輩は?」
「朝ご飯食べたらお部屋に行っちゃった。なにか用?」
「いえ、そういうわけでは」
千代は、すたたっと軽やかにキッチンに向かいながら、黎太と未果の二人に言った。
「あ、冷蔵庫にあるたこわさと酢だこは
好きにつまんでいいからね!」
幼い女の子の口から出るには似合わない単語に、未果が苦笑しながら返事をする。
「朝からはさすがに…
だいたいそれ、千代さんのお酒のおつまみですよね」
「そだけど、簡単に作れるし。黎太君はどうする?」
冷蔵庫を開けて、サランラップをかけた銀のボウルを出す千代に、黎太はよそよそしくも歩み寄った。
「あ、じゃあ一口だけ。それ俺が持っていきますよ」
「その前に、自分のごはんよそっちゃいな
黎太君のお茶碗は青いので、お椀は茶色の縞模様…
そうそれ。お箸は持ち手の柄がお魚さんのやつね」
「これか。ありがとうございます」
食器類は、食卓に並ぶ未果の分も含めて十人分もあった。二セットは予備だろうか。どのみち、今は四人しかいないけれど。
大きな銀のボウルの中身は、野菜のマリネだった。他にも角皿に並ぶ形のいい卵焼きや、アスパラのベーコン巻きが乗ったプレートが、食卓の中央に置かれていく。
食事風景は、アニメで見たものと似ていた。千代が大量に作ったおかずが一品ごとに大皿に乗せられ、それぞれが取り皿にほしいだけ取っていくというものだ。
黎太のそばに、蓋つきの、漬物用の器が二つ並ぶ。
「おかず足りなかったらカップの納豆あるから!
んで、丸い器のがたこわさ、四角いのが酢だこ!
それでは召し上がれ~」
「「いただきます」」
千代の朝食はうららと済ませてしまったようで、千代だけは満足げに頷いてソファに戻る。
「ん、おいしいですこれ
酢だこもたこわさも、目が覚める味で」
黎太が食べるのを見て、未果も食べたくなったらしい。千代に一声かけてつまみ、ご飯に合いますねと述べていた。
「でしょ~。日本酒のお供にするつもりだったから
味濃いめにしたんだけど
うららちゃんにも好評だったよ!」
卵焼きは甘い味付けで、ベーコン巻きはいい感じにコショウが効いていて……どちらも冷めてもご飯がすすむ。むしろ白米の暖かさが引き立てられて見事な共存具合である。
「そういえば千代さん、俺に渡したいものってなんで」
文字数オーバーだったのだろう、「すか?」を言葉にできなかった。もっとも、千代は気にしなかったようだ。
「朝ご飯食べたらねー
ほら、黎太君ってば、天恵スキル〝絆の恩恵〟で
一緒にいるだけであたしのEXP増えるでしょ?」
「ああ…あれ? でも千代さんって戦えるんですか?」
選べる☆5キャラに、千代はいなかったはずだ。ガチャを回せば☆3か☆4で出るのだろうか……などと、まさか直接訊けるわけもないが。
「そりゃ今はラビリンスに登る気はないけどさぁ
学生時代はやんちゃしてたんだよこれでも
まあ? 大人になって落ち着いたってことかなっ!」
ソファで足を組んでふんぞりかえり、鼻を鳴らす千代は、背伸びをする幼女のようにしか見えない。
「それはとにかく
いくら自動効果とはいえ貰いっぱなしは悪いもん」
というわけでそのお礼、と千代が笑顔を輝かせた。
黎太は茶碗と箸を置いていやいやと手を振り返す。
「悪いですよ、そんな
それにこの調子じゃ毎日ってことになりません?」
「ふっふっふ。そこはこの千代様に考えがあるのだよ
ちゃんと基準を設けてさ、それを達成したら
その分のプレゼント。っていうのはどう?」
黎太は曖昧に頷きながら、お味噌汁をすする。濃厚なお味噌の香りと柔らかな豆腐の食感にはリラックス効果があるのだろうか。
「名付けて、ミッション報酬!」
「ぶふっ!?
ごほっ、ごほっ…め、メタメタしすぎる…!」
高らかに宣言されたそのワードは、ソシャゲによく実装されている王道のシステムのことだった。よもやソシャゲの中のキャラがそれを口にするとは思ってもおらず、黎太は動揺して味噌汁でむせている。
「れ、黎太大丈夫? はいティッシュ」
未果にお礼を告げながら、黎太はこぼした味噌汁を拭いた。
拭きながら思い返すのは、まだ一度しか見ていないソシャゲのミッション画面。今更ながらに、ミッションが表記された枠の隣に、千代が立っていたような……と、思い出す。
「そんなにいいものをあげられるわけでもないけどね
とりあえず、難易度ごとに日ごととか週ごととか…
デイリー、ウィークリー、トータルの三種類で」
ティッシュをゴミ箱に捨てながら、黎太は遠慮がちに確認を取る。
「ええと、じゃあ、お言葉に甘えて…
ちなみに、ログインボーナスも千代さんが?」
「ログインボーナス? というと?」
きょとんとして首を傾げるその仕草からして、まったく心当たりがないらしい。
黎太の記憶の中でも、ログインボーナスはミッション報酬と違い千葉市を俯瞰するホーム画面に広がっており、そこに誰かしらキャラクターの姿はなかったはずだ。
「いえ、なんでもないです!
でも、本当にいいんですか?」
「うん。むしろ、ラビリンスに潜るつもりがないなら
ゴミばかり渡すことになるんだけど」
貰ってみないことにはわからないが、ラビリンス攻略に使えるものが貰える、ということだろうか。
「い、いえ! そういうことならいただきます」
なにせ、無事に元の世界に戻る方法は、ラビリンスに願いを叶えてもらうことしかないのだから――