歴史は繰り返す
電話で一報を入れてから、俺は車で北千住へ向かった。
途中、サービスエリアに寄ったが、誰もアイスを食わなかった。
いつもは可児くんが言い出してたからな……。
十六時二分、事務所着。
秋風が吹いていた。
「戻りました」
事務所に入ると、応接室から中年男性が飛び出してきた。
「マリ!」
ツーブロックでアゴヒゲ。いちおうスーツだが、ネクタイはしていない。ベンチャー企業の役員とかいう話だった。
マリちゃんはちょっと身構えた。
「ごめんなさい、パパ」
「いや、いいんだよ。お前が無事で。ホントによかった。心配したんだぞ」
「うん」
「ひどいことされなかったか? 怪我はないよな?」
「平気よ」
完全に二人の世界に入っている。
ボスが近づいてきた。
「詳細はのちほどあらためてご連絡します。本日は娘さんとごゆっくりなさってください」
そこで男は、ようやく我に返った。
「ありがとうございます。残りの分もすぐに入金します。ほら、マリ行こう」
「うん」
ペコリと頭をさげて、事務所を出て行った。
ドアが閉まると、急にしんと静かになった。
一件落着だ。
表向きは。
ボスは盛大な溜め息とともに、手近な椅子へ腰をおろした。
「で? 可児は? ホントに残ったのか?」
「はい」
「座れよ」
「はい」
俺も椅子へ腰をおろし、駒根さんにも手で勧めた。
ボスは「うーん」と天井を見上げた。
「なんで残ったんだ?」
「そういう男です」
「お前はいいのかそれで?」
「よくありませんけど、彼の意思も尊重しないと。あそこでモメたら、なにも手に入らなかった可能性もありましたよ」
話がモメると、しばしば無関係な事態に飛び火する。
たとえば俺たちがあそこで怒鳴り合えば、マリちゃんも心変わりしてキャンプに残ったかもしれない。菊ちゃんもなにか奥の手を出してきたかもしれない。AIが想定外の動作をしたかもしれない。
今回の選択が最善だったとは言わないが、少なくとも目的の達成へと導けた。
実際、芦原マリは父親と再会することになった。
するとボスは、駒根さんへ顔を向けた。
「駒根、今日の日報はお前が書け」
「へっ?」
「頼んだぞ。提出は明日でいい」
「え、ちょ……」
ボスは問答無用とばかりに社長室へ行ってしまった。
どうやら俺は信用されていないようだ。
というより、ボスは以前から、俺の日報をこころよく思っていない節があった。俺が余計な所感を書くからでもあるが。
だから今回の仕事も三人チームになったのだろう。
本来、これは一人でもできる仕事だった。
車を動かせる俺だけで十分。
なのに、駒根さんと可児くんまでつけた。
俺の釈明を聞きたくなかったのだ。言い訳だけは得意だからな。いつでも事態を正当化する。
*
その後、ボスは用があるとかで社を出た。
気を使ったつもりかもしれない。
駒根さんは日報を書かないといけない。俺は鍵を管理しているので、残らないといけない。
「日報なんて、どう書けばいいんですかぁ……」
駒根さんはパソコンを前にして、しょんぼりしてしまっている。
普段バチバチ打ち込んでいるBL小説のようにはいかないようだ。
「箇条書きでいいよ。どういう経路で移動して、どういう事件があったか」
「可児くんのことは?」
「本人の意思で残ったと」
「たった一行だけ?」
「所感は書かなくていいよ。ただ事実だけ書けば」
「事実ってなんですか……」
泣きそうになっている。
死んだわけじゃない。
だが、仲間を失った。
もしかすると、もう二度と会えないかもしれない。
駒根さんは顔をあげた。
「可児くんは、ホントに残る必要があったんでしょうか?」
納得いかない、か。
まあ分かる。
「ないよ。でもそれは俺たちの意見であって、可児くんの意見じゃない」
「山村さん、なんで止めなかったんですか?」
「さあね」
彼女の苦情を、俺はバカげているとは思わない。だったら自分が止めろとも言わない。あのとき現場を仕切っていたのは俺だった。責任を負うのも俺だ。
駒根さんは少し鼻をすすった。
「すみません、言いすぎました」
「もしアレなら、今日はあがろうぜ。ボスも、提出は明日でいいって言ってるしさ」
「いえ、書きます。帰ったら、きっとなにもしたくなくなっちゃいますから」
「分かったよ。俺はちょっとコンビニ行ってくるよ」
「はい」
*
コンビニで買い物をしたあとで、公園に入った。
誰もいやしない。
それでも地下都市の公園と違い、かすかな騒音があった。街の活動する音だ。自動車の音。電車の音。ときおりヘリコプターの音。たまに通りがかる人たちの会話。
少し時間をつぶして事務所へ戻ると、駒根さんは日報を進めていた。
そこには感想はなく、事実しか記述されていない。
簡素な内容。
それでいい。
*
社を出て一人になった俺は、またパブへ入った。
オーダーはビールとナッツ。
なんならメシなんていらないくらいだ。とか言って、帰りにコンビニで買ってしまうわけだけど。
「タブレットは置いてきたんですね」
隣の席に一条さんが来た。
今日はいないと思っていたのに。
「あの場を丸く収めるために必要な措置だった。そうしないと、あいつらエレベーター動かしてくれそうになかったし」
「ええ、大丈夫ですよ。雇用主もそのシナリオは想定してましたから」
「そうかい」
AIにさえタコ呼ばわりされていた触手陣営だが、俺より頭の回転は速いかもしれない。
ま、俺と違って、ずっとあのAIと付き合ってきたわけだしな。なにを求めているかは、とっくに分かっていたのかもしれない。
「『状態e』だってさ。分かる?」
「なんの話?」
「AIが言ってたんだ。ミームを交換して……それで虚無がどうのって」
「ごめんなさい。私には難しいみたいです」
まあそうか。
もし知りたければ、触手野郎に直接聞くしかなさそうだな。
「それにしてもさ……。俺っていつの間にかおじさんになってたんだなって、この数日で思い知らされたよね」
いろいろあったはずなのに、口をついて出たのはその話題だった。
無意識で可児くんの話題を避けたせいかもしれないが。
すると一条さんは、うっすらと笑みを浮かべた。
「なにかあったんですか?」
「菊ちゃんとマリちゃんに、おじさんって言われてさ……。まあ三十四だし、おじさんなのは間違いないけど」
「おじさんではないと思いますよ」
「そう?」
「体も元気ですしね」
邪気のない笑みを浮かべてくる。
まったく……。
彼女が普段どんな年齢層を相手にしてるのかは知らないが、勝手に想像する限りでは、俺なんてまだ若いほうなのかもしれない。
彼女はサングリアをひとくち飲み、こうつぶやいた。
「それに、もし山村さんがおじさんなら、私だっておばさんってことになっちゃいます」
「えっ?」
いくつなんだ?
てっきり二十代後半だと思っていたが……。もしかして年上の可能性もあるのか?
彼女は妖しくほほえんでいる。
うかつに質問したら大変なことになりそうだ。
いや、何歳だろうといいのだが。
これだけ経験豊富ということは、最低でも三十代かもしれない。
「いちおう言っとくけど、今回の件は正式な業務提携だから、いつもみたいな手口は使わなくていいぜ。こっちの情報は、ほとんどそっちに行くはずだし」
なにか聞きたいなら、ここで聞いてくれということだ。
すると彼女は少し興ざめしたように目を細めた。
「山村さん、やっぱり私のことそういう目で見てたんですね」
「いや、そういうわけじゃ……あるけど。だってそういう職業なんでしょ?」
「相手の方に、気持ちよくお話ししていただいているだけですよ」
「……」
肌の露出はほとんどないし、隙もない。
なのに、距離感だけがおかしい。
「ナッツ食べる?」
「いただきます」
「聞きたいことあったらいまこの場で聞いてね。お願いだから」
「ずいぶん警戒するんですね」
「これでも反省してんだよ……」
仲間が現場に残ったってのに、自分だけエンジョイするわけにもいかない。
いや、可児くんの場合、あっさりあの場になじめそうだけど。
俺はビールをあおり、グラスを置いた。
「あー、そういや、こっちから質問するのってアリなのかな?」
「たとえば?」
「君の雇用主について」
規模や思想など、いまだに詳細が分からない。分かっているのは、菊ちゃんの宇宙船をぶんどろうとしたことだけ。
彼女は愉快そうに眼を細めた。
「教えても構いませんけど、私の情報は高くつきますよ」
「金とるのか? じゃあいいよ。財布に余裕もないし」
「べつにお金で払う必要もありませんけど」
「労働しろって? 合法で、なおかつ簡単なら受けられないこともないけど」
「そうですか。ならあとでお願いしちゃおうかな」
いや待て。
彼女との取引は、ホントに高くつきそうだ。
「いや、ナシだ。やめておこう。俺はなにも聞かない。契約もしない。リスクが高すぎる。それに、気づいてないかもしれないけど、あんたマークされてるぜ? あんまりウカツなことはしないほうがいいと思うよ」
彼女は、しかし表情を変えない。
「ありがとうございます。もちろん気づいてますよ。でも、害もありませんし、傷つけるようなことをするつもりはありません」
「やっぱり怖いな」
「そんなこと言わないでください。私、平和主義者なんですから。ケンカしているより、仲良くしたほうがいいって思いません?」
「お、思うよ……」
顔が近い。
いやそんなに近すぎというわけでもないのだが、ちょっと身を乗り出してくるから、急に距離が縮んだ気がしてしまう。
*
その日、俺は一人で帰宅することに成功した。
彼女がなんの策もなく近づいてくるわけがないから、きっとなにかの布石なのだと思うが……。
ともあれ、それからの数日は、特に事件もなく経過した。
事件がない、ということは、仕事もないということだが。
「おはようございます」
無気力なまま事務所へ。
例の捜索依頼は達成した。依頼主への報告書も仕上がった。入金もあった。俺たちへの手当もついた。
本来なら、ちょっと浮かれた気持ちになっているはずだった。
待機所では、テレビがつけっぱなしになっている。
世情を調べるためだ。
これは情報源にもなる。
芸能人の不倫のニュースが終わると、大塚氏と矢野氏のプロレスの結果が報じられた。ビクトル投げからの膝十字固めで大塚氏が勝利したらしい。ホントにただの大学教授だったのか?
いや、いまはエンタメニュースにはしゃいでいる気分ではない。
「山村、暇か?」
昼頃、ボスがそんなことを言い出した。
「はい、残念ながら」
「皮肉はよせ。ちょっと話がある」
「はい」
社長室のデスクには、なんだかよく分からない資料が山と積まれていた。
ちゃんと目を通しているのだろうか。
ボスは皮張りの椅子へ腰をおろし、落ち着いた様子でこう告げた。
「共和国側から依頼が来た」
「共和国?」
「お前が触手呼ばわりしてる連中だよ。お前を名指ししてきたぞ」
「……」
じつにイヤな予感がする。
一条さんの誘いには乗らなかったはずだが。
「依頼内容は?」
「例の地下都市にもぐって、すべての地球人を解放すること」
「合法なんですか?」
「あそこに法はないだろ。そもそも軍と警察の出入を禁じたのは彼女自身だからな」
そうだった。
法などないのだ。
すべては警備ロボットが解決してきた。
すると俺が言葉を発するより先に、ボスはこう続けた。
「三億だ」
「さ、三億? 円で?」
「そうだ。三億円だ。人質を救出できる上、三億の金が手に入るんだぞ。ま、手間賃としていくらか会社でハネさせてもらうが。お前は二億でいいよな?」
「二億……」
「不服か?」
「いやいやいや……」
贅沢さえしなければ、働かずに暮らしていける額だ。
しかも人質まで救出できる。いや、本音を言えばそんなのはどうでもいい。大事なのは、可児くんを連れ戻せるということだ。
深呼吸をした。
俺は金と仲間を手に入る。
すると菊ちゃんは、すべてを失う。
いや、そもそも宇宙人同士の戦争なんて、彼女たちが勝手に始めたことだ。
勝敗の行方がどうなろうが、俺の知ったこっちゃない。
「額のデカさに浮かれてましたけど、なんで俺なんです? もっと適任がいるでしょう?」
こういうのはタフな男の仕事だ。スタローンにでもやらせるべきだろう。ジェイソン・ステイサムでもドウェイン・ジョンソンでもいいが。とにかく俺じゃない。
ボスもうなずいた。
「そうだな。二億も取れるなら、俺が代わってやりたいくらいだ。しかし担当者は、お前をご指名だぞ。俺にはどうにもできん。イヤなら断ってもいい。だが、結局受けるハメになるだろう」
「なぜです?」
「その担当者ってのが、例の夕霧だからだ」
そりゃムリだ。
俺の行動は、彼女に支配されているといっても過言ではない。いや過言だが。いまのところ全敗なのだ。もう結果は決まったようなものだ。
俺は思わず腹をさすった。
「考える時間をください」
「ああ、そうだな。選択肢があると思ってるうちに好きなだけ悩め」
「はい」
現実は非常である、ってやつだな。
こういうとき、いつも思うのだ。
菊ちゃんが女の子で、しかも一人で頑張っているから、同情してしまうのか、と。
しかも対立関係にあるのは触手陣営だ。
イメージだけで考えれば、あきらかに菊ちゃんの味方をしたくなる。そもそも煽り運転してきた触手野郎が原因なわけだし。
ただ、俺はすべての事実を把握しているわけじゃない。
狭い見識だと言われようとも、見えている範囲で判断しないといけない。
電話が鳴った。
ボスが受話器を取るよりさきに、待機所で駒根さんが取った。
ややあって、社長室に駒根さんが入ってきた。
「失礼します。ボスに、芦原さんからお電話です。なんでも、また娘さんが行方不明になったとか……」
「……」
(続く)