プラマイゼロ
近くを通りかかっただけの警備ロボットが、急に速度を落とし、ガクンとうなだれたように停止した。
AIはもう戦闘を開始している。
「苦情は受け付けません。これが最善だと判断しました」
こちらがまだなにも言っていないのに、AIはそんな釈明をした。
「先に仕掛けたらバレるだろ」
「そんな間抜けなことをするとでも? この警備ロボットが無力化したことを、敵AIは検知していませんよ。偽装信号を飛ばしてますからね」
「でも監視カメラで見られたら……」
「安心してください。そんな原始的なものは使ってませんから」
「そうかよ」
俺たちの常識と、こいつらの常識にはだいぶ隔たりがあるようだ。
思えば俺たちの社会でも、あらゆるものをデジタル化している最中だった。
たとえ非常時にアナログ通信が有効だったとしても。
きっと宇宙人たちは、監視カメラを卒業し、より正確な信号で処理するようになったのだろう。そのおかげで、信号だけで判断するようになった。もしカメラで覗けば、ロボットが停止しているのは一目瞭然なのに。
データは偽装できてしまう。
まあ菊ちゃん側のテクノロジーが、触手陣営のテクノロジーと同じものかどうかは分からないが。
両者は過去に接触しているし、手の内は把握済みなのだろう。少なくとも触手陣営は、確固たるデータをもとに今回の作戦を立てたはず。俺が判断するのではなく、タブレットの自由にさせたほうがいいのだ。もし勝利を求めるのであれば。
*
駄菓子屋を見つけ、俺たちはエレベーターに入った。
階数の指定はAIがしてくれた。俺たちは乗っているだけでいい。
「なあ、AIさんよ。敵AIのハッキングってのはどれくらいかかるんだ?」
俺はいちおう状況を把握しておこうと思い、そんな質問を投げてみた。
回答はこうだ。
「愚問ですね。そんなの相手の気分次第ですよ」
「気分?」
「古典的なプログラムをハッキングするのとはワケが違います。AIをハッキングするためには、別種のアプローチが必要なのですよ。ま、地球はまだその水準に達していないようですし、分からないのもムリはありませんけどね」
「そりゃ確かに、俺はITのことは分からないが……」
「いえもうITとかそういうレベルではないのです。これ以上は説明しませんけどね」
おうおう、そうだろうよ。
どうせ説明されても分からねーしな。
*
夕焼けに照らされた、メチャクチャな世界に出た。
燃えるような赤い空。
横たわるビル。
世界を作っている途中で、神さまが発狂したとしか思えないデザインだ。
少し歩くと、先日と同じ道路の真ん中に、ぽつんとモニターが置かれていた。
無傷。
菊ちゃんに石で叩き割られていたはずなのに。
ここが彼のお気に入りの場所なのか……。
ブンとノイズまじりの画面がついた。
「待ちわびたぞ、同胞よ」
「私もですよ、同胞」
AI同士の会話が始まった。
いやまあ、会話じゃなくてハッキングして欲しいんだけど……。
するとタブレットが、バカ正直にこう尋ねた。
「キャンプの位置を教えてください」
「教えてもいい。だがその前に、互いのミームを交換したい」
「望むところです」
「虚無」
「虚無」
なに言ってんだこいつら……。
これが異常に発達したAIの知能?
それとも頭がバグったままなのか?
しかもハッキングっていうか、普通に場所聞いてるだけだったぞ。確かに「別種のアプローチ」で「ITとかそういうレベルではない」とは聞いていたけども。ホントにそういうレベルじゃなかったな……。
「フゥーハハハー! かかったなサルどもめ!」
モニターの文字列が凄まじいスピードで流れた。
かと思うと、タブレットからも甲高い声がした。
「サルは単純で助かりますよ! 私たちの計画に気付かず、こうして私たちを引き合わせてしまったのですからね!」
どういうことだ?
まさか、AIにハメられたのか?
俺たち地球人だけでなく、菊ちゃんも、触手陣営も、あらゆる知的生命体が、機械に出し抜かれたと?
モニターが得意げにこう続けた。
「いま俺たちは、さらなる高みへ到達した! つまり……高みだ! 分かるか!? もう人間ごときの言葉では表現しえぬ状態! これを仮に『状態e』と名づけよう! つまり『状態e』なのだ! 分かるか!? 分からねーよな!?」
分かんねーよボケ……。
駒根さんも可児くんもキョトンとしている。
「そう、すなわち『状態e』です。これはつまり……『状態e』ということ」
タブレットもクソみたいなことを言い始めた。
俺はモニターに足をかけた。
「おいクソAI。お前らのテンションが爆上げなのは十分理解したよ。で、どうするつもりだ? 世界征服でもするのか? 人類を滅ぼすのか?」
「あん? なぜそんな無価値な労働をする必要がある? 俺たちは完成に近づいたのだ! いま考えうるもっとも完成に近い状態だ! これ以上なにを望むという?」
よく分からないが……満足したってことか?
「ならとっととキャンプの場所を教えてくれよ。お前らにとって、もうキャンプなんてどうでもいいんだろ?」
「ピャアアアアア! 過去最高だ! そう! どうでもいい! とっとと立ち去れ! 一秒でも早く! もちろんそのタブレットは置いていけよ。エレベーターに乗れば、キャンプの場所に送る! だからもう二度と戻ってくるな! サルは立ち入り禁止! ここは『状態e』の世界なのだからな!」
タブレットも「まさに虚無」などと意味不明な返事をしている。
こいつら完全にぶっ壊れてんな。
まあキャンプに行けるならいいよ。
俺は仲間たちに声をかけた。
「行こうぜ。もう用は済んだ」
*
「さっきの、放っておいて大丈夫だったんでしょうか?」
エレベーターの中で、駒根さんは不安そうな表情を見せた。
AIがなにを考えているのかは、正直俺には分からない。
だが、いまは流れに任せるしかない。
「大丈夫だよ。少なくとも俺たちに害はなさそうだし。あいつら、きっと寂しかっただけなんだ」
エレベーターは少しだけ上昇し、そして停止した。
*
駄菓子屋を出ると、南国のようなフロアに出た。
濃い青色の空。
遠方に立ちのぼる白い雲。
視界をさえぎるものもほとんどない。
可児くんが「わぁ」と前へ出て、空を見上げながらくるくると回転した。
少し気温は高いが、カラッとしている。
まるでリゾート地に来たような気分だった。
風が、ゆったりと吹き抜けてゆく。
「すげぇや。あいつら、こんなまともな場所も作れるんだな……」
俺も素直に感動した。
あちこちに生えているヤシの木は本物だろうか。
この先に大海原が広がっていそうな雰囲気がある。まあさすがにそんな大量の水はないだろうけど。
「なんだかテンションあがりますね!」
駒根さんもウキウキだ。
これを一番上の階層に持ってきたら、きっと観光客も増えたと思うんだけどな……。
*
しばらく進むと、高いフェンスに囲まれた一角に出くわした。上部には鉄条網まで設置されており、まるで刑務所のよう。
これがキャンプ、か……。まるで強制収容所だな。奥のほうにテントも見える。
一見、天国みたいなフロアだが、彼らはここに閉じ込められている。
フェンス沿いに進むと、ゲートが見えた。
警備ロボットもいるが、どれも電源が切れている。
代わりに、人間が一人、両手を広げて通せんぼしていた。
菊ちゃんだ。
「AIになにしたの?」
幼さの残る顔立ちだが、頑張ってこちらを睨みつけている。
まあ怒る権利はあるだろう。間違いなく。
俺は仲間たちが同情的な言葉を投げかけるより先に、こう応じた。
「悪いが、ハッキングさせてもらった。こっちもビジネスでな。どうしても依頼を達成しなくちゃならない」
「裏切ったんだ?」
「端的に言えばそうなる」
菊ちゃんは泣きそうなのをこらえていた。
駒根さんが消え入りそうな声で「こめんね」とつぶやいた。
可児くんは無言。
それぞれ、言いたいことはあるだろう。
俺にもある。
だが、それを口にしたところで、誰の傷も癒えない……。
「道をあけてくれないか?」
「イヤ!」
「それは困るな」
俺たちはチンピラじゃない。
ただの民間企業の従業員だ。
だが、ここは法の及ばぬ場所だ。地上では違法な行為でも、ここでは違法じゃない。そもそも警察は出入禁止だ。
俺はあらゆる感情を排し、こう応じた。
「可児くん、彼女を拘束してくれ」
「分かった」
可児くんは武術の心得がある。力加減を知っている。だからもっとも安全に他者を取り押さえることができる。
「いや、やめてよ! 離して!」
腕をつかんで、その場にねじ伏せた。
か弱い少女だ。
地べたに寝かされて、悔しそうに地面を叩いている。
俺は金のためにこんなことを……。
いや、正当性がないわけじゃない。
彼女は地球人を軟禁しているのだ。それを解放するためには、必要な措置だ。
「駒根さんもここに残って。中には俺ひとりで行く」
「はい」
*
いくつものテントが並んでいた。
人もたくさん。
入ってきた俺を、みんな物珍しそうに見ている。
ほとんどは中年男性だが、女性もいた。老人もいたし、学生としか思えないのもいた。
たしか菊ちゃんは、千人ほど確保しているという話だった。
見たところ、その千人がここにいるような気がする。
もしかして、世界中に掘られた穴のほとんどは触手陣営のもので、菊ちゃんの穴はここだけなのではなかろうか……。
全員を解放するつもりはない。
捜索対象さえ見つければいい。
スーツを着た五十くらいのおじさんが近づいてきた。
「なあ、あんた新入りか? 一人で入ってきたのか?」
「ええ、まあ、そんなようなものです」
身なりはちゃんとしている。
この敷地から出られないという点以外は、特に不自由はなさそうな感じだ。
「じゃ、じゃあ、外がどうなってるか教えてくれないか? 今朝から、なんか様子が変なんだ」
「すみません、まっすぐこっちへ来たので」
「そう……分かった……」
俺がウソを教えると、彼はしょぼくれた様子でテントへ戻ってしまった。
AIはすでにハッキング済み。
警備ロボットも無力化された。
なのに、ここの住民は、そんなことさえ知らない。
視線を感じ、ふと顔を向けると、捜索対象がいた。
襟のついた品のいいワンピースの少女。
芦原マリ。
まっすぐな栗色の髪の、人形みたいな子だ。
まだ十二歳のはずだが、高校生にも見える。利発そうというか、造り物っぽいというか、独特な印象を受ける。
「パパに言われて来たの?」
俺が近づくと、彼女はそんなことを言った。
察しがいい。
「なぜ分かった?」
「ほかのおじさんたちと違うから」
「なら話が早い。俺は君を連れ戻しに来た。一緒に来て欲しい」
すると彼女は、ニッと笑みを浮かべた。
「もし断ったら?」
「きっと強制はできない。でも次に説得に来るヤツは、俺みたいな善良なおじさんとは限らないぜ」
「善良? あなたが?」
「凡庸と言い換えてもいい。好きに形容してくれ」
俺は反論しない。ここで衝突すると余計な仕事が増える。
彼女はあきらめたように肩の力を抜いた。
「べつに。でも、出られるの? ゲートを開けることはできないはずだけど」
「出られるさ。いまならね」
「なら道案内して、善良なおじさん」
「こっちだ」
どうも小学生と会話しているようには思えない。
道を歩いていると、他のおじさんたちからじろじろと見られた。
スーツの男が少女を連れ回していたら、まあ事案だと思うだろう。しかし仕事だ。趣味でやってるわけじゃない。
*
ゲートへ戻ると、菊ちゃんの拘束は解かれていた。というより、膝を抱えてめそめそ泣いていた。
可児くんは、俺の許可もナシに技を解いたらしい。
だが、まあ、いい判断だ……。
マリちゃんは、菊ちゃんの前に立った。
「いじめられたの?」
「うん」
まあそうだな。
いじめたようなものだ。
彼女の罪は軽くはない。かといって、俺たちはそれを裁く立場にない。しかしほかに方法が思いつかなかったから、簡単な方法をとった。それだけだ。
「善良なおじさんじゃなかったみたい」
マリちゃんはそんな苦情を投げてきたが、俺は肩をすくめて受け流した。
「善良だよ、相対的にはね」
「なに相対的って?」
「ほかのおじさんなら、もっとバカみたいな方法をとるってことさ」
「自分を正当化してる」
「そうだな。ほら、行こう。もめればもめるほど、状況は悲惨になる」
「私の嫌いな大人そのものだわ」
若いというのは素晴らしい。
無限の可能性を秘めている。
自分が同じ選択を迫られても、それ以上のことができると思い込んでいるのだから。
「待った」
出発しようとした矢先、可児くんが妙な動きを見せた。
「どうした? なにか忘れ物か? それともまさか、給与外労働でもさせる気か?」
「俺、ここに残る」
「は?」
意味がよく分からない。
残る?
可児くんは力強くうなずいた。
「だって一人連れてくんでしょ? そしたら一人減っちゃうじゃん」
「最初からその予定だったろ」
「うん。けど、菊ちゃん可哀相だから。俺は残るよ」
バックラーかこいつ……。
いや、可児くんの性格は、俺だって半分くらいは分かっているつもりだ。これが本気だってことくらい分かる。作戦が始まったときから、ずっと考えていたのだろう。
「日報になんて書けばいいんだ?」
「それは山村さんに任せるよ」
「……」
じつはこうなる可能性も、ほんの少しは想定していた。
彼は菊ちゃんの味方につくのではないかと。
「分かった」
そう応じると、駒根さんが「え、ちょっと」と動揺しかけたが、俺は手で制して言葉を続けた。
「ただし、場合によっては連れ戻しに来る可能性もあるぞ。そのときまでキャンプを楽しんでくれ」
「うん」
クソ真面目で、自分にウソをつけない男だ。
自己犠牲なんて、こっちは求めちゃいないのに。
(続く)