不合理な存在
翌日、俺はゲッソリとやつれた状態で出社した。
結論から言うと、すべての情報を開示した上、敵側に買収されかけた。
俺はとんでもないクソ野郎だ……。下半身に負けた。意志薄弱。あのAIが言う通り、サルなのだ。
でも仕方がない。
道を歩いていたら、いきなりティラノサウルスに襲われたようなものだ。
勝てるヤツがいるなら教えて欲しい。
待機所で落ち込んでいると、ボスが出社した。
「早いな、山村」
「おはようございます、ボス」
「おはよう。また夕霧とヤッたんだって? ホントにしょうのないヤツだな。気をつけろって言ったろ」
「すみません……」
情報が早すぎる。
もしこの件で菊ちゃんに迷惑をかけたら、俺は約束通り宇宙に行かねばならない。なのだが、一条さんの口車に乗ってしまい、俺は敵方の宇宙人に手を貸してしまった。
だっていろんなことしてくれたし、またふたりきりで「ミーティング」してくれるっていうし……。あんなに物腰の柔らかな女性が、あんなにきわどいことをしてくるなんて……。
悪の女幹部にいいように操られるモンスターみたいな立場だ。
ボスは俺に缶コーヒーをくれた。
「まあ飲めよ」
「ありがとうございます」
素直に白状すべきだ。俺はこれ以上、この人に迷惑をかけるべきじゃない。
「じつは昨日の件なんですが……」
「言える範囲でいいぞ」
器がデカい。
ま、人間が動物みたいなミスをするときは、言ってもダメなときだ。言葉で説得するのは不可能。だから使えないとなれば、いきなりスパッと首を切られてもおかしくない。
「宇宙人、じつは二種類いるんです。俺が接触したほうと、夕霧さんがついてるほう。で、両者は争ってて」
「なるほど。そういうことか。近ごろ夕霧の動きが妙だと思ったら。まさかあっちも宇宙人だったとはな」
「地球人をたくさん味方につけたほうが勝ちってルールらしいんです。それが種の優等生を証明するからって。ただ、禁止事項が多くて、厳しい制限の中でやってて……。お互い、あまりうまく行ってないようなんです。だから一人でも味方にできたらパワーバランスに大きな影響を与えるとかで」
予定ではもっと簡単にいくつもりだったらしい。
地球人の大半を巻き込んで、大々的にやるはずだったとか。
なのに、いま菊ちゃん陣営が約千名、触手陣営が約八百名という、かなりショボい流れになっている。これは日本だけでなく、世界各地での総計だ。マジでショボい。
しかも一条さんの話では、菊ちゃん陣営はズルをしている。住みたいと言った人間を軟禁して、外部に帰さないようにしているのだ。
触手陣営は、そこに怒っている。
だから彼らは、俺を動かして、その軟禁から人々を解放しようとしている。
「以上が、いま俺の知る限りの情報です」
「なるほどな」
ボスはブラックの缶コーヒーをぐびりとやった。
室内でもサングラスを外さないんだろうか、この人は……。
「分かった。だが俺たちは、俺たちの仕事に集中するぞ。目標は、あくまで捜索対象を連れ戻すこと。もしその目標を達成できるなら、どっちの宇宙人と手を組もうと構わん。使えるものは使え。責任は俺がとる」
「承知しました」
これなら一条さんのオーダーとも一致する。
菊ちゃんのことは裏切ることになってしまうが……。
だが、本当にそれでいいんだろうか?
もちろん釈明はいくらでも思いつく。
そもそも菊ちゃんはズルをしていた。俺たちにも隠していた。前提となる状況が変化した以上、虚偽の情報にもとづく約束は無効となる。
そんな流れで押し切ることも不可能ではなかろう。
問題は、ロジックがどうあれ、人として納得できるのか、ということだ。
ま、下半身の暴走を止められなかった俺が、人の道を説くのも虚しい話ではあるのだが。どんなクソ野郎にも、一片の良心はある。いやクソ野郎ならなおさら、一片の良心にすがりたくなるものだ。
問題は、俺の首に鎖がつながっていて、それを一条さんが握っているということ。
ワンワン。
*
群馬へは行かなかった。
その代わり、俺とボスとで古い喫茶店に入った。
「お待ちしておりました」
出迎えたのは一条さん。
昨夜あれだけ乱れていたのがウソみたいに穏やかだ。今回はハニートラップだけでなく、交渉も担当しているらしい。
この店にはメニューが一品しかない。客が来たら、オーダーも聞かずにマスターがコーヒーを淹れる。業界の人間がよく使う店らしい。
俺たちは対面の席に腰をおろした。
「で、そちらのプランは?」
ボスがいきなり本題に入ると、一条さんも静かにうなずいた。
「情報によれば、地球人たちはあるキャンプにまとめて収容されているようです。しかし残念ながら、具体的な場所までは特定できておらず……」
「それを山村たちに見つけろと?」
「いいえ。AIをハッキングして場所を特定していただきます。しかし難しい話はなにもありません。自動的に処理をしてくれるツールがありますから」
対象もAIなら、ハッキングツールもAIってところか。
まあ地球人の中でもとりわけITに疎い俺が、そんな仕事できるわけないからな。
俺はこう補足した。
「AIの場所は特定できてる。本体かどうかは分からないけど、端末は見つけた」
菊ちゃんに破壊されてしまったが。
しかしホントに壊して困るのは菊ちゃん自身のはずだから、あれは子機のひとつに過ぎないはずだ。探せばほかにもきっとある。
ボスはふんと鼻を鳴らした。
「警備ロボットはどうする? 自衛隊でもかなわなかったんだぞ」
「信号で無力化できるそうです」
「そんな便利なモンがあるのか? だったらなぜ乗り込まない? あの地下都市にいる宇宙人は、最後の一人なんだろ?」
「いちおうルールがありますから」
宇宙人たちは、律儀にゲームのルールを守っている。
まあ菊ちゃんは一線を越えてしまったから、触手陣営も同じくらいルールを破ってくる可能性はあるが。それが発展してドンパチにならなきゃいいけど。少なくとも地球では。
ところで、警備ロボットは無力化できるし、AIさえハッキング可能となると、あとの障害は菊ちゃんだけということになる。
彼女は一人で戦っている。
圧倒的なテクノロジーに保護されているとはいえ。
ごうと自動車の走り去る音がするほかは、ごく静かな店内だった。
サイフォンの湯を沸かす音さえ聞こえてくる。
やがてコーヒーが来た。
先ほどから香ばしいかおりがたちこめていたから、飲めるのが待ち遠しかった。
俺はミルクと砂糖を入れた。ブラックでもよかったが、せっかくついてきたので。
ボスと一条さんはブラックで飲んだ。
コクはあるが濃すぎず、興奮と安心感を一緒に味わえるような、豊かな体験だった。砂糖はともかく、ミルクを入れたのは正解だったかもしれない。少なくとも俺にとっては。
銘柄はよく分からない。きっと店のブレンドだろう。
俺はカップを置き、こう尋ねた。
「全員解放する必要ないんでしょ?」
一条さんはかすかに笑みを浮かべ、うなずいてくれた。
「ええ。滞在を希望する人たちはそのままで構いません。私の雇用主は、フェアなルールで競い合いたいと思っているだけですから」
まあ約二百人差とはいえ、このゲームに負けてるわけだからな。しかもズルで。面白くはないだろう。
俺はつい鼻で笑った。
「フェアね……」
もし菊ちゃんの主張を鵜呑みにするなら、そもそも煽り運転でいちゃもんをつけてきたのは、触手陣営だ。なのに一方的に慰謝料を請求してくるなんて、あまりフェアとは思えない。
*
事務所へ戻ると、可児くんは紙飛行機で遊んでおり、駒根さんはBL小説を書いていた。
軽く地獄だな。
「あ、お帰り。見てこれ。すっごい飛ぶのできた」
可児くんはぐいぐい近づいてきた。今日もパーカーにジーンズ、シューズという学生みたいな格好。バイトではない。いわゆる契約社員だ。期日が来たら切られる。
「わ、分かった。あとで見せてくれ」
「いま見てよ。ほら! かなり飛ぶでしょ?」
確かに飛んでいる。
凄まじい勢いで壁に激突した。というか先端を重くしまくっているから、飛んでいるというよりは投げている感じだな。
駒根さんもさすがに手を止めた。
「お帰りなさい。お電話などはありませんでした」
「分かった」
ボスはそれだけ応じると、社長室に入っていった。
一人で考えたいことでもあるのだろう。
社長がいなくなると、駒根さんは血走った目で執筆を再開した。
いったいなにが彼女をそこまで駆り立てるのだろう……。
俺もPCでネットを始めた。
この待機所というのは、本当にただの待機所だ。自由に過ごしていい。おかげで基本給は低めだが。依頼をこなせば手当がつく。失敗すればつかない。労基的にどうなのか知らないが、いまのところ特に不満はない。
オーダーさえこなせばいい。気楽な職場だ。
犯罪歴があっても雇用してくれるしな。
*
仕事がハケてから、また俺は一人でパブに入った。
今日は一条さんもいない。
あるいは別の男とよろしくやってるのかもしれない。そう考えると、なんだか落ち着かない気持ちになった。自分の彼女でもないのに。
だが、どんな気分であろうと、ビールは俺を裏切らない。「酒がマズくなる」なんて言葉を吐くヤツもいるが、特になにが起きたところで酒はマズくならない。
とはいえ、正直、少し寂しい感じもした。
昨日のことを思い出すと、それだけで妙な気分になる。テンションが乱高下している。人としての修業が足りない。しかし修業ったって、どこでどうしたらいいものやら。金払ってプロに頼むしかないのか。
なにげなくスマホを見ると、ネットが荒れていた。
群馬の地下都市で行方不明者が多発しており、しかも宇宙人の仕業だというのだ。主張しているのは、大学教授の大塚氏。ただし「ある筋からの情報によると」と話をボカしている。
一方、宇宙人研究家とかいう矢野氏がこれに反論。宇宙人は友好な存在なのだから、そんなことするわけないと主張した。
両者の対立はヒートアップし、最終的にプロレスのリングで決着をつけることになったという。
まあ後段のクソみたいなオチは無視するとして。
きっと大塚氏は、触手陣営に雇われて発言したのであろう。地下都市が危険だという噂が広まれば、誰も足を踏み入れなくなる。すると菊ちゃんが困る。状況は触手どもの有利に運ぶというわけだ。
正直、どっちが勝とうがいいのだが……。
いいはずなのだが……。
*
翌日、事務所に荷物が届いた。
運んできた人物は、自転車で食事を運ぶ個人事業主という風体だったが、おそらく俺たちの同業者だと思う。荷物の中身はタブレット型端末がひとつ。取扱説明書さえナシ。まあタブレットに全部入ってるってことなんだろう。
起動すると、タコみたいなロゴマークが出た。触手陣営のオリジナルブランドだろうか。宇宙人がこの手の商売を始めれば、すぐにGAFAを超えそうだ。
操作方法はいたってシンプル。
「なにも言わなくて結構。現地についたらあとは勝手にやりますから、いまは電源をオフにしておいてください。私も暇じゃないんで」
電源を入れると、タブレット端末が簡潔に説明してくれた。
こいつもクソAI搭載型のようだ。
終わったらフリスビーにしてやろう。いやメンコかな。どちらにせよきっと気分がよくなるはずだ。いちおう借り物だから、所有者の許可をとってからだな。賠償請求されたら困る。
「じゃあ三人とも、よろしく頼むぞ」
「はい」
ボスに送り出され、俺たちは群馬を目指した。
*
サービスエリアでアイスを食ったり、トイレへ寄ったりしながら、現地に到着。警備員がじろじろ見てきたが、俺たちは構わずエレベーターに入った。
まずは地下都市の最上部へ。
警備ロボットがうろうろしているので、俺はタブレットの電源を入れた。
「はいはい。分かってますよ。なにも言わなくて結構。あとは私がやりますから」
「お、おう……」
クソ生意気なAIだ。きっとこいつも俺たちをサルとしか思ってないんだろう。サルに道具として使われるのはプライドが許さないのかもしれない。
実際、魔法の石板だ。警備ロボットを無力化し、エレベーターを操作し、AIをハッキングするのは、こいつなのだ。
いちおうありがたがっておいてやろう。
とはいえ、いまいち気乗りしない。
俺は菊ちゃんを裏切ることになる。自業自得とはいえ……。いや、きっと一条さんのハニートラップにかかっていなかったとしても、捜索対象を発見するにはこれしかなかった。
なのだが……。
駒根さんが声をひそめた。
「山村さん、もしかしてまた……」
「えっ?」
「トイレですか?」
「いや、違うよ。この作戦を成功させるとさ……」
思わず言いよどんでしまったが、駒根さんは察してくれた。
「そうですよね……。私たち、ウソつきってことになっちゃいますよね……」
「いや、ウソをついたのは俺だけだ。みんなは悪くない」
「でも、共犯なのはたしかです。だって私、山村さんを止めようとさえしてませんし……」
タブレットから「聞こえてますが?」と苦情が入ったが、もちろん無視だ。
たぶんこの程度の流れは、とっくにお見通しだのはず。
可児くんは無言のまま枝を振って歩いている。
あんまり喋らないが、納得していないのは事実だろう。普段は小学生みたいな言動だが、内心どうあれ、業務上の命令には従ってくれる。
はぁ、ホントに気が進まない。
まあ全員を解放する必要はないのだ。捜索対象さえ連れ戻せれば。
で、駄菓子屋はどこだったか……。
「そこの十字路を左折してください」
タブレットが教えてくれた。
こいつ、いつの間にマッピングを……。
ま、エレベーターを操作できるくらいなんだから、きっと事前にテスト済みなんだろう。触手陣営の協力者が、このフロアで予行演習したに違いない。
俺はタブレットに告げた。
「なあ、AIさんよ、俺が許可するまで余計なことしないでくれよ」
「余計? 余計とはなんでしょう? すべては私が適切に判断します。あなたは頭を使わなくて結構ですよ」
「ダメだ。どんなにバカげているように見えても、俺の指示に従え。道具は道具らしく、使用者の判断に従うんだ」
「誰の得にもならない提案ですね」
「そうだよ。人類ってのは不合理な存在なんだ。あんたを作った触手野郎だって、きっと同じだぜ」
するとAIは音声合成で、盛大な溜め息をカマしてきた。
「ええ、同じですね。あのタコども、自分たちを高度な知的生命体だと思い込んでますが、所詮は下等生物ですから。ま、あなたも同じ下等生物ですし、話が合うんじゃありませんか?」
「だといいな」
本当に。
話が合うなら、それに越したことはないよ。
(続く)