示談の条件とは
菊ちゃんが瓦礫でモニターを粉砕したのち、俺たちはエレベーターで別のフロアへ移動した。
ひとまず公園で話し合おうということになったのだ。
そこも特に代り映えのないコピペの街。
警備ロボットはいない。
「あたし、戦争してるの」
菊ちゃんはブランコに座ったままそう切り出した。
なにを言っているのかサッパリ分からないが、とにかく続きを聞くとしよう。
「あたしたちって、宇宙船で旅してる一族なの。でもだんだん人口が減ってきちゃって、あたしが最後の一人になって。AIもあんな調子だし、人間のいっぱいいる星に行きたいなって思って……」
会話相手はあのAIだけか。拷問に等しいな。
菊ちゃんはまた涙目になった。
「そしたらね、別の宇宙船が近づいてきたの。でね、あたし、お友達になれるかもって思ったの」
「どうなったんだ?」
俺は好奇心を抑えきれなかった。
知的生命体同士の、宇宙空間での邂逅だ。
きっとドラマチックな事件だったはずだ。
だが、彼女の返事はこうだ。
「煽り運転してきたの」
「は?」
「けっこう近くまで迫ってきて、バンバン煽ってきて。だからあたしAIに言ったの。あれ撃ち落としてって」
「で、戦争に?」
「ううん。そのときはAIに拒否されちゃって。戦っても勝ち目ないからやりたくないって。そしたら通信が来て」
「なんて?」
「分かんない。使ってる言語が違ったから。で、向こうも困って……。それで三週間くらいかな、翻訳できるようになってから、ようやく交渉が始まって……」
なんだか思ってたのと違うな。
菊ちゃんはがっくりとうなだれた。
「そしたらね、うちのAIもひどかったけど、向こうのAIもひどかったの。もう人間なんて滅ぼしちゃおうって。ふたりで意気投合しちゃって」
「とんでもねークソAIだな……」
「で、向こうの宇宙人が、AI抜きで交渉しようって。あたしはオーケーしたの。そしたらよく分かんないけど、いっぱい慰謝料請求されて……」
「チンピラかよ」
「宇宙船ごとよこせって言われて。でも、そんなことしたらあたし死んじゃうし、ムリだって言ったの。そしたら戦争だって」
戦争――。
宇宙人のテクノロジーを駆使した破壊的な戦争が起きた、というわけか。
菊ちゃんは両手で顔をおおった。
「触手レスリングで勝負しろって言うの! ムリじゃん! あたし触手なんて生えてないし!」
「……」
「そんなの卑怯じゃん! だいたいなんなの触手レスリングって! えっちじゃん!」
「ま、まあ考えようによってはえっちだな……」
「えっちすぎるじゃん!」
「……」
「いろいろアウトじゃん?」
「……」
あえて触れないようにしているのに、勝手に自分で掘り下げるんじゃない。
困るだろ。
菊ちゃんはぐすと鼻をすすった。
「でね、ムリだから違う条件がいいって。そしたら近くに地球あるから、あそこで互いの存在を競い合おうってことになって」
「なにで勝負することになったんだ?」
「うん。どっちがいっぱい地球人と仲良くなれるか。つまり種の魅力を競い合うんだって」
だから友達を増やそうとしていたのか。
ん?
てことは、敵の触手野郎も、どこかに穴を掘っているのか?
菊ちゃんは涙をぬぐってこちらを見つめてきた。あどけない顔に、宝石のような紫色の瞳。最初はカラコンかと思ったが、これが本来の色なのかもしれない。
「だから友達になって? お願いだから」
「んー、まあダメじゃないけど、いま勤務中だしなぁ……」
俺がそう言いかけると、駒根さんが「えっ」と声をあげた。
「かわいそうですよ! こんなに困ってるのに……。お友達になってあげましょうよ? 山村さん、友達ひとりもいないって言ってたじゃないですか?」
「い、いや何人かはいるよ……」
本当だよ。
たぶん。
可児くんもうなずいた。
「少なくとも俺はもう友達だよ」
こいつ、会った人間全員に言ってそうだな。
菊ちゃんはふるっと震えた。
「嬉しい! ずっと仲良しでいようね? で、戦争に勝って、みんなで宇宙に帰ろう!」
「は?」
俺は思わず顔をしかめた。
戦争に勝って?
みんなで?
宇宙に帰る?
「いやちょっと待ってくれ。友達になると戦争に巻き込まれる上に、宇宙に行かないといけないのか?」
「そだよ」
そだよじゃねーんだよ!
このクソガキ、自分がなに言ってんのか理解してないのか?
「可児くんだって、さすがに宇宙はイヤだろ?」
「うーん」
「迷うんじゃない! 即座に否定して!」
こいつはマジで、生きていければどうでもいいのか?
器がデカすぎるぞ。
だが駒根さんは、さすがに困惑していた。
「私も宇宙はちょっと……」
当然だろう。
ちょっと行くくらいならまだしも、永遠に地球とオサラバするのだ。ハードルが高すぎる。
菊ちゃんは駒根さんにすがりついた。
「え、なんで? 駒根ちゃんも行こうよ! あたしが誘ってもおじさんしか来てくんないから、女の人は貴重なんだよ!」
ひでぇ話だな。
つまり定住希望者の大半はおじさんということだ。
そんなの引き連れて宇宙に行くなんて、きっと地獄だぞ。
駒根さんも怯えてしまっている。
「わ、私はパスかなぁ……」
狭い宇宙船でおじさんに囲まれて暮らしたくはないだろ。
俺だってイヤだよ。
だが厄介だな。
捜索対象は、菊ちゃんにとって貴重な駒のひとつだ。きっと返したくないはず。
俺たちは「何でも屋」ではあるが、だからってなんでもできるワケじゃない。強行突入は専門外だ。いっぺん帰社して、ボスの判断を仰ぐしかない。
俺はスマホの時計を確認した。
もうすぐ十六時といったところ。移動時間も考えると、そろそろ引き上げるタイミングだ。
「帰るの?」
菊ちゃんが不安げな顔を見せた。
この思わせぶりな態度で、いったい何人のおじさんを落としてきたのやら。
「いったんね。いちお給料もらってるからさ。会社に戻らないと」
「できれば、このことは政府の人に言わないで欲しいんだけど」
「言わないよ。ただ、業務上必要な内容に関しては、上司には伝える。悪いけどそこは了承してくれ」
「そのボスって人、信じていい人?」
ボスか……。
もとは探偵だった。それだけじゃ食っていけなくなって、何でも屋に鞍替えした。謎のコネクションがあり、合法だか非合法だか分からない仕事をとってくる。ジョークはキツいが、口が悪いというほどではないし、金払いもちゃんとしている。ただ、なにを考えているのかは分からない。
ま、余計なことはしない人だ。それは間違いない。
「おそらくな。ただ、少なくとも、君の利益は侵害しないと誓う。もし約束を守れなかったら、俺が宇宙に行く。それでどうだ?」
「分かった。じゃあ信じる」
少なくとも彼女は、今回の仕事における現場の協力者だ。
互いの利益は侵害すべきじゃない。
*
地上に出た。
場所は群馬県の畑のド真ん中。いまは周囲の土地を政府が買い取り、柵で囲っている。警備員もいる。とはいえ、基本的にフリーパスだ。入るのは自己責任。
円筒状のエレベーターで出入りする。ただしこのエレベーターは行き先が決まっていて、地下都市の一番上のフロアにしか行けない。
俺は社用のボロいセダンに乗り込んで、エンジンをふかした。
助手席には可児くん、後部座席には駒根さん。ホントはふたりとも後ろにいて欲しいんだが、可児くんは景色が見たいと言っていつも前に座る。
「ったく、とんでもない日になったな……」
俺は車を進め、ハンドルを切りながらそうつぶやいた。
この意味不明な事態をまとめて、日報を書かないといけない。
まさか日報に「宇宙人」なんて単語を書く日がこようとは……。
駒根さんはノートパソコンをカタカタ打っているが、日報を書いているわけではない。きっと趣味のBL小説でも書いているのだろう。本人は隠しているつもりかもしれないが、とっくにバレている。
「ね、途中でアイス食べたい」
可児くんはいつもの調子だ。
おかげでサービスエリアに寄るハメになる。まあトイレもあるからいいんだが。
*
寄り道した挙句、北千住の事務所についた。
駅から少し離れた雑居ビルだ。線路に面しているから、電車が通るたびけっこうな音がする。
「ただいま戻りました」
クソ狭いオフィスだ。
入ってすぐが待機所、ほかに応接室、社長室、ロッカールームがあるのみ。トイレはビルの共同。
「どうだった?」
社長室にいればいいのに、ボスはいつも待機所にいる。
デカすぎるサングラスをかけた角刈りの男。オーダーメイドのスーツを着て、黒いグローブをしている。探偵というよりは、古い刑事ドラマのコスプレみたいだ。
「どうもこうも……。宇宙人に会いましたよ」
「ホントか? どんな感じなんだ?」
「女の子ですよ。その子が対象の居場所を知ってるようでした」
するとボスは「ほう」とサングラスを押しあげた。
「てことは、明日には依頼を達成できるってことでいいんだな?」
「じつはですね……」
宇宙人が、対象を帰したくないこと。
対象も、本人の意思で残っているであろうこと。
この二点を、まあまあボカして伝えた。
ボスは眉間にしわを刻んでいる。
「面倒になってきたな」
「強行突破しようにも、政府でさえ手を出せないレベルですからね。俺らじゃムリですよ」
「力で勝てるなんて思っちゃいない。だが、お前の口八丁ならどうだ?」
「今日もさんざん滑り倒してきましたよ」
力でも策でもムリということだ。
ボスは天井をあおいだ。
「さすがに無理筋みたいだな。分かった。依頼人とも相談してみる。これ以上は民間の仕事じゃない」
かといって、公権力が動いてくれるとも思えない。
宇宙人の件に関して、どこの政府も腰が重かった。きっと裏でなにか取引していて、完全にやり込められているのだろう。宇宙人にしてみれば、地球人を懐柔するなどたやすいことなのだ。
菊ちゃんにしたって、あくまでルールの限定されたゲームに勝てないから困っているだけで。ノールールで地球を征服しようと思えば、きっと可能だ。なにせあの警備ロボットは、地球の軍事力を凌駕している。
*
解散後、俺はパブに入った。
先にカウンターでビールだけ買って、好きな席で飲めるタイプの店だ。
どっと疲れがきた。
ナッツをかじりながら、ビールをやる。あまり冷やしすぎないイギリスのビールだ。苦みは淡く、甘味がほのかにある。
テーブルに置いたスマホを時々いじりながら、ただナッツとビールを交互にやる。若いころは、友達と飲むのが楽しかった。だが、いまは飲んでるだけでよくなった。
コミュニケーションよりも、アルコールの摂取がメインになってしまっているが……。
あらためて見ると、ここは地下都市とは大違いだ。
文字が読めるし、騒音もある。なにより人がいる。カラスもいる。ハトもいる。たまにネコも見かける。
「こんにちは」
女が近づいて来た。
黒いスーツの、目の覚めるような美人。しかし表情が優しいから、ほとんど壁を感じさせない。すべて演技なのはもう分かっているのだが。
「こんにちは。久しぶりだね」
「はい。きっとまたお会いできると思ってました。お隣、いいですか?」
「どうぞ」
今日は荷物を運んじゃいない。
だから用があるとすれば、宇宙人に絡んだ話だろう。
彼女はグラスからサングリアをひとくちやって、はぁと天井を見上げた。
本当に、ただ飲みに来ているかのような態度。
俺は手っ取り早く話を進めてやることにした。
「じつはもう、君の正体は知ってるんだ」
「夕霧、ですよね……。一条夕子というのも偽名です。お気を悪くしたのならごめんなさい」
「いいよ。俺が間抜けだっただけだ」
しかもいま、まさに許してしまいそうになっている。
見た目がよければなんでもいいのか、と、自分につっこみたくなる。とはいえ、世界が人の容姿に払っている額を考えれば――つまり動いているエネルギーの量を考えれば、俺みたいな凡人が抗しうるわけもなく。
「地下都市、行かれたんですよね?」
「よく知ってるね。でも先に言っとくけど、俺はなにも知らないぜ。質問されてもクソみたいな情報しか流せない」
「あらら、嫌われちゃってますね、私」
嫌いになろうと努力してるんだよ。
俺はナッツを口に放り込み、ビールで流し込んだ。
「誰の依頼で来たの?」
「もしかして、私から情報を引き出そうとしてます? だったらもっとサービスして欲しいな、なんて」
「ナッツでもどうぞ」
「ええ、いただきます」
小皿を差し出すと、彼女は指でつまんで一粒食べた。
どう考えても俺の勝てる相手じゃない。ちょっと反撃しようとしても、すべて受け流されてしまう。そもそも、即座に話を打ち切って追い返せない時点で、俺の負けなのだ。
どうしてもズルズルと話を続けたくなってしまう。
「一条さん、悪いけど、ボスからもう近づくなって言われてるんだ」
「勤務時間外でも?」
「そうだよ」
「せめて飲み終わるまで、一緒にいちゃダメですか?」
「まあ、一杯だけなら……」
同じ酒飲みとして、飲んでる最中に追っ払うのは可哀相だ。
彼女はまたグラスからひとくちやって、じっとこちらを見つめてきた。
「あの、もしかしたら誤解してるかもしれないので……」
「なに?」
「たしかに私はスパイみたいな仕事をしてます。でも、誰にでもああいうことをするわけじゃないんです。だって、お話を聞くだけなら、ここでもできますから……」
あなただけは特別、というわけだ。
こんなので喜ぶバカがいるんだろうか。
まあここに一人いるけど。
俺はつい目をそらした。
「べつに、君のことをそんなふうに思ってるわけじゃない。ただ、業務上、支障があるから……」
「安心してください。今日はそういうつもりじゃないんです。なんの準備もしてませんし。ホントにただお見掛けして、挨拶したかっただけなので……」
信じたくなってしまう。
信じたら、またいい思いができそうな気がするから。
緊張で内臓がぞわぞわしてきた。
「宇宙人に会ったよ。向こうから接触してきてさ」
口を滑らせたわけじゃない。餌をまこうと思っただけだ。彼女の依頼主が誰なのか、知りたかった。きっと俺が宇宙人と接触したことは、とっくにバレているはず。核心について話さなければそれでいい。
一条さんはにこりと笑みを浮かべ、かすかに息を吐いた。
「もう、気を使わないでください。ホントに探るつもりはないんですから」
「そうなの?」
「はい。それより、山村さん、今日もビールなんですね? お好きなんですか?」
「惰性で」
「どんな味なんでしょう? ひとくちいただいても構いませんか? あ、もちろんお嫌でなければ……」
「いいけど……」
いやダメだ!
敵の攻撃を受けているぞ!
俺はなんてバカなんだ……。
(続く)