機械的な感情論
捜索は再開された。
地図は……もうよく分からないので、見ないことにした。二千円損した。
「ねーねー、山村さん、さっきさぁ」
「なに?」
可児くんが枝を振りながら話しかけてきた。
「アリの墓ってさー、いっぱい作る気だったの?」
「いっぱいって?」
「だっていっぱい死んでたじゃん。全部の墓作るの大変でしょ?」
「いやイッコだよ。イッコありゃ十分でしょ。分かってくださいよ」
もっとも、そのイッコさえ作る気はなかったがな。
なにせ場を和ませるためのジョークなので。
本当です。
後ろでは駒根さんが菊ちゃんとお喋りしていた。
「ふーん、じゃあ休日はなにしてんの?」
「基本はネットしてます。あとはアニメ観たりとか……」
「外で遊ばないの?」
「お買い物には行くかな」
「ひとりで?」
「はい……」
こいつ、人のプライヴェートにずかずかと……。
歩けど歩けど、街並みには変化がなかった。
似たような景色がずっと続いている。十字路を挟んで郵便局がある。同じところをぐるぐる回っているわけでもないのに。きっと宇宙人は、この街をコピペでデザインしたのだろう。
枝を振るのに飽きた可児くんが、キョロキョロし始めた。
「ねー、山村さん。あれなんて書いてあんの?」
「たぶん意味なんてないよ」
「なんで?」
文字は幾何学模様のようなものだ。
もしかしたら意味はあるのかもしれない。しかし推測さえできなかった。
「だって、あのコンビニの看板見てみ。で、近くに同じコンビニあるよね? 書いてある文字が違うの分かる?」
「うん」
「もし同じコンビニなら、書かれてる文字も一緒でしょ? 店の名前なんだから」
「たしかに」
「だから俺たちにとって、あまり意味のあるものじゃないと思うぜ。もしかすると一意のナンバーかもしれないけど」
「いちいのナンバー?」
「建物を管理するために、個別の番号が振ってある可能性があるってこと。まあ住所みたいなものだよ」
「すごいね。なんでそこまで分かるの?」
「いや。たいしたことない。そこまでしか分からないんだから」
頭のキレるヤツなら、記号の類似性からもっといろいろ推測するのかもしれないが。残念ながら俺はそこまで頭が回らない。
ふと、後ろで菊ちゃんが爆笑した。
「え、マジ? そんなのに引っかかったの? バッカだぁー」
「ちょ、ちょっと。声が大きいです……」
聞かれちゃマズいような話か。
ま、人にはそれぞれ事情があるからな。聞くべきじゃないだろう。
すると菊ちゃんは、スピードをあげて俺の隣に来た。
「ねーねー、ホント? ハニートラップに引っかかったって?」
「……」
駒根さん、君はいま自分の失敗談ではなく、俺の失敗談をバラしていたのか……。
彼女はバツが悪そうに目をそらしている。
あとで個別にお話ししないといけないな。
俺は咳払いをした。
「おい、それは企業秘密だぜ。部外者は知るべきじゃない」
「なに部外者って? もう友達じゃん? 詳しく教えてよ」
いつ俺たちが友達になったんだよ!
俺はなぁ、自慢じゃないが友達なんてほとんどいねーんだよ!
クソ……。
「なにが知りたいんだ?」
「美人だった?」
「ああ、美人だったよ。俺たちは『何でも屋』でな。いろんな仕事受けてる。正体不明の荷物を届けたりとか……。だから、依頼主のライバル企業が妨害してくることもあるんだよ。その一環だ」
「ヤりまくったってこと?」
俺の高尚な説明を無視し、ひどく下世話な質問を投げつけてきた。
セクシャルハラスメントでは?
「内容は教えられない」
「なんか喋ったの?」
「喋ってない。俺にはなんの情報もなかったからな。いつも言われたことをやってるだけだ。情報はボスしか知らない。依頼主の名前さえな」
「じゃあヤリ得じゃん!」
「ああ、ヤリ得だよ。笑いものにされたこと以外はな」
俺の皮肉もスルーして、彼女はキャハキャハ笑っている。
*
本当に美しい女性だった。
艶のある長い黒髪、切れ長の目で、絵に描いたような和風美人。むかしはそういうベタなタイプにいまいちピンとこなかったが、いざ近くで見ると一気にテンションがあがった。ただ容姿が美しいだけじゃない。この世界の何物にも注目していないような、少しぼうっとした表情もよかった。
あの日、荷物を届け終えた俺は、一人でビールを飲んでいた。彼女も隣のテーブルで飲んでいた。そこへナンパ男が来た。きっとそいつもグルだったのであろう。
男のしつこい誘いを断ってから、彼女は俺の席へ近づいて来た。
「あの、もしよろしければ、一緒に飲んでることにしてくれませんか? 一人だといつもこうで……」
俺はできる限りキリリとした顔を作り、「もちろん、どうぞ」と紳士ぶって応じた。
彼女はサングリアを飲んでいた。
よく虚空を見つめていた。
たまに店内の音楽にあわせて身をゆらしたりもした。
俺がつまらないジョークを言うと、うっすらほほえんでくれた。
笑顔の素敵な人だった。
帰り際、彼女は少しフラッとして、こちらへ寄りかかってきた。
「ごめんなさい、少し飲みすぎちゃったみたい……」
「帰れる? タクシー呼ぼうか?」
「家が遠いので、タクシーは……。ね、あそこに入りましょう。休めるみたいです」
ホテルだった。
すべてが彼女の計算だったことに、俺は気づけなかった。そもそも、自分がターゲットになるなんて思いもしなかった。
その後は、まあいろいろあって……。
彼女は、ほとんど経験がなくて恥ずかしい、みたいな演技をしてきた。もちろん俺は信じ込んだ。ほとんど経験がないのは俺のほうだったわけだけど。
すべてが終わってから、彼女はこうつぶやいた。
じつは開発中の商品を産業スパイに盗まれて、なんとしても取り返せと上司に言われて困り果てているのだと。
話を聞けば聞くほど思い当たる節があった。
俺が荷物を受け取った場所、荷物のサイズ感、担当者の容姿などなど。あらゆる情報が一致した。
だからつい、俺も口を滑らせてしまった。自分の運んだ荷物がそうなのかも、くらいだが。
そもそも俺は、ロクになにも知らされてなかった。ボスが教えないようにしていたのだ。こちらは指示された通りに動くだけ。だから彼女の力になれなかった。
数日後、ボスに呼び出された。
俺が女とホテルにシケ込んだのがバレていたのだ。
女の顔写真を見せられた。
通り名は「夕霧」。
彼女はいろいろな企業に雇われて、ハニートラップで情報を集めるプロと聞かされた。
俺との接触が発覚したのもただの偶然ではなく、夕霧を追っていた第三者からの情報提供だったようだ。
ボスの会社は、かつては探偵事務所だった。だから当時の協力者とのつながりがある。
俺は特に叱責されなかった。ただ、今後は気を付けてくれと念を押された。
それだけだ。
それ以来、彼女とは一度も会っていない。いったいいまどこでなにをしているのやら。恨みを買うような仕事でもあるから、もしかするとこの世にはいないかもしれない。
*
また公園に入った。
ベンチと遊具があるだけの、低い鉄柵で囲まれたエリアだ。
見ても意味がないと分かっているのに、つい地図を広げてしまう。なにせ手掛かりがないのだ。こうして気分を紛らわしたくなってしまう。
「えーと、この郵便局が……」
「こっちじゃないでしょうか?」
「じゃあ向きはこうで」
「いえ逆ですね」
まあ逆だろうと逆でなかろうと、いずれにせよ地図は役に立たない。
可児くんは「おしっこして来るね」と行ってしまった。彼はアリを観察するか、おしっこをするためだけに、うちのチームにいるのだろう。
菊ちゃんは棒付きのアメをくわえながら、空を見つめていた。
「カーラースー」
おそらく空調によるものだと思うが、この地下都市には風が吹いている。
生ぬるくて、ゆったりとした風だ。
「山村さん、ごめんなさい」
駒根さんが急に頭をさげてきた。
親に叱られた子供みたいな顔をしている。
「え、なに?」
「さっきの……。ハニートラップのこと……。話題が欲しくて、つい……」
「ああ、あれね。まあいいよ。でも今後は気を付けてね。いちおう業務上の内容だから、外部にバラしちゃマズいからさ」
「はい……」
とはいえ、バレたからどうだということはないのだ。
ただ、あれもこれも喋っていいということになると、際限がなくなってしまう。ゆえに、業務上知りえた情報は、原則として外部に出さないことになっている。
俺は話題を変えるべく、菊ちゃんに話を振った。
「なあ、菊ちゃん」
「カーカー」
カラスなんて飛んでないのに、カラスの歌に夢中だ。天井のスクリーンにさえ映っていない。
「君はこの辺に詳しいんだろ? なにか知らないか?」
「なにかって?」
「人が住んでそうな場所」
「んー」
考え込むような顔。
だが、俺の質問に対して本気で悩んでいるというよりは、教えてやるべきかどうか吟味している様子だった。得意げな顔でニヤニヤしているようにも見える。
「知らないならいいよ」
「まーまー、そうすねないで。教えてあげるから」
「条件でもあるのか?」
「んー、まーね」
やけにもったいぶってきやがる。
時間のムダだ。と、言いたいところだが、ほかに手掛かりがない以上、どんなヒントでも欲しいところだった。
たとえば、駅前で人と待ち合わせをするのでさえ大変なのに、この広大な街から人を一人捜し出すっていうんだから。
駒根さんが勢いよく立ち上がった。
「教えて、菊ちゃん」
「教えてあげてもいいけど、そこ住んでる人いるからさ。勝手に教えたら迷惑かけちゃうなーって」
「でも、どうしても捜したい人がいるんです。お願い」
いつになく押している。
さっきのミスを取り返そうとしているのか。
菊ちゃんは肩をすくめた。
「ま、いいけど。でも条件あるかんね。そこに入っていいのは、住むのを希望してる人だけなの。いっぺん入ったら出られなくなるけど、それでもいい?」
「えっ……」
いや待て。
とんでもないことを言い出したぞ。
これは単に、俺たちが入ったら出てこられないというだけの話じゃない。もし捜索対象がそこに入り込んでいた場合、連れ戻すことができなくなる。
俺は横から割って入った。
「詳しく説明して欲しい。そこは要塞みたいな場所なのか? 警備状況は?」
菊ちゃんは目をパチクリさせた。
「え、なに? 攻め込むつもり?」
「まさか。俺はシルベスタ・スタローンじゃない。情報だけ手に入れて、いちど事務所に持って帰る。判断はボスがする」
「帰っちゃうの?」
「俺たちは定住を希望してるわけじゃないからな」
「ふーん」
アメの棒をくいくいと動かした。
もしかすると、悪い印象を与えてしまったかもしれない。しかし情報欲しさにウソをつくと、あとでそのウソに悩まされることになるのは自分自身だ。ウソはなるべく少ないほうがいい。
「俺、べつにいいけど」
トイレから戻ってきた可児くんが、いきなりそんなことを言い出した。
いい?
なにが?
彼はベンチに腰をおろした。
「俺、ここに住むの全然いいよ。住めるなら」
菊ちゃんも「ホント!?」と大興奮だ。
なぜ興奮しているのかは分からない。
誰かに住んで欲しいのか?
俺は咳払いをした。
「ま、君の意思は尊重する。だがその前に、ひとつ確認しておくべきだな」
この言葉に、可児くんも、駒根さんも、ぎょっとした顔を見せた。
そう。
俺がこういう言い回しをしたときは、空気を読まない発言をするときだ。
分かっていないのは菊ちゃんだけ。
「なあ、菊ちゃん。質問だ。君はどうやってその場所を知った? こうして自由に出歩いてるってことは、少なくとも住人ではないということだな? 誰に教えてもらった? よかったら、詳細を教えてくれないだろうか?」
彼女は最初からどこか怪しい。
ハニートラップではないかもしれないが、あきらかになにかに引き込もうとしている。
菊ちゃんは露骨に動揺した様子で、あちこち視線を泳がせた。
「ええっと……。それは……その……噂で……」
「噂? 誰が噂してたんだい? いまや観光客なんてどこにもいないようだが」
「むかし! まだ人がいっぱいいたころに!」
「具体的にはいつごろ?」
「分かんないけど……半年ぐらい前……。疑ってるの?」
「いいや。ちょっと疑問に思っただけだよ。教えてくれてありがとう」
もちろん疑っている。
この地下都市にまつわる行方不明者の話は、じつはちらほら出回っていた。
ただ、宇宙人たちは、迷子になった観光客は必ず助けてくれる。だから誘拐説は、あるにはあったが、さほど強く主張されてこなかった。
しかし希望者を誘導しておいて、二度と出られないようにしているのなら……。
それは半強制的な抑留と同じことだ。
俺は立ち上がった。
「場所を教えてくれ。中には入らない。外からちょっと見るだけだ。それならいいだろう?」
「それは困るよ」
「誰がどう困るんだ?」
これをケンカだと判断したのか、警備ロボットが入ってきた。
今度は二体。
じつになめらかな挙動だ。高い技術力で造られているのだろう。
俺はしかし引かなかった。
「俺たちは『話し合い』をしているんだ。邪魔しないでもらおうか」
ロボットからの返事はない。
ただ無言でたたずんでいる。
「さ、菊ちゃん。答えてくれ。誰が、どう、困るんだ?」
「住んでる人たちが……」
「住んでる人たちが? いったいどんな不利益を受けるんだ?」
「ロジハラだよ!」
菊ちゃんはダンダンと地面を踏みつけた。模範的な地団駄だ。だいぶやりなれている。
ロジカルハラスメント――。つまり論理的に話を進めると、ハラスメントになってしまう。ちょっとした裏技だ。
まあいい。
なら質問相手を変えてやろう。
「なあ、ロボット諸君。どう思う? ロジカルに話を進めるのは、ハラスメント行為なのか? どう思う? ん?」
彼らの回答はこうだ。
「排除します」
こ、こいつら、感情論で判断した……。
(続く)