菊ちゃんマグナ・カルタ
テントに集まり、隠し事ナシでの話し合いが始まった。
茶は俺がいれた。
これ以上、可児くんに罪を繰り返させるわけにはいかない。
「えー、つまり、煽り運転のちょっと前に、大きめの隕石が飛んできたと?」
俺は事実を反芻しながら、菊ちゃんに確認した。
「そう。急に。で、そのときはAIがビーム撃って、うちの船にはぶつからなかったんだけど……」
「触手どもは、欠片がぶつかったと言ってきたわけだ?」
「うん。でもさ、欠片なんて、当たっても大したことないんだよ? それに、当たりたくないなら撃てばよかったんだ。なのに後ろから追っかけてきて、すっごいライト照射してきてさ」
チンピラだな。
だが、もし欠片が当たったのだとしたら、少しはなにか言いたくなるかもしれない。
「そもそも最初の隕石が、触手陣営の罠ってことは?」
「AIに聞いたけど、飛んできた方向からして、それはありえないって」
なら不幸な事故、というわけか。
まさか、第三の宇宙人が仕掛けてきたってことはなさそうだし。
菊ちゃんはお茶をちびちび飲んでいる。
顔をしかめていないところを見ると、味は悪くないようだ。
というか、お湯を熱くしすぎるから渋くなるのだ。少しぬるめにすれば、あまみのほうが出る。
「しかし隕石の欠片がぶつかったくらいで宇宙船をよこせというのは、あまりに乱暴すぎるな」
「……」
俺が真面目にフォローを入れたのに、菊ちゃんは視線をそらしてお茶を飲んでいる。
まだなにか隠しているのか……。
「菊ちゃん、なんか言ったのか?」
「えっ? な、なんかって? なに?」
「彼女たちを怒らせるようなことを、言ったりしてないよな?」
「してないよ! でも触手だよ! 気持ち悪いじゃん! そんなの使ってレスリングなんて……えっちすぎるよ……」
「……」
これは間違いなくなにか言ったな。
侮辱して怒らせたせいで、慰謝料を請求された、という可能性はある。だからって宇宙船ごとぶんどるのはどうかと思うが。
しかし気の毒なのは、菊ちゃんには仲間がおらず、頼れる大人もいないという点だ。
それに比べて、プラタナヤ共和国は大人が出てきた。人口も少なくないはず。他者との衝突に慣れているから、交渉もうまい。少なくとも菊ちゃんよりは。
俺は思わず溜め息をついた。
「なあ、菊ちゃん。地球に住むのはどうだ? もういっそ謝ってさ、許してもらおうよ」
「えっ?」
「菊ちゃんは気づいてないかもしれないが、あいつら、地上のメディアを買収し始めてるぜ? そしたらここに観光客は来なくなる。いまは勝ってるかもしれないが、そのうち追い抜かれるだろう」
「ズルい!」
「もし金があるなら、こっちも同じことができるかもしれないが……」
メディアを買収するには金がいる。
日本円がないなら、それに換えられそうなものを提供せねばならない。
AIと警備ロボット以外になにがあるのか分からないが。あるいはテクノロジーでもいい。
だが地球人も商売についてはうるさい。こんな子供だかギャルだか分からない外見では、買い叩かれるのがオチだろう。
「山村さん、なんとかしてよ!」
「俺にその才能はない。君んとこで囲ってるおじさんに、その道のプロはいないのか?」
「たぶんいないよ! みんな地上から逃げてきた人ばっかりだもん!」
つれぇ……。
そうだな。
おじさんたちは、公園でたたずんでいるだけで通報される。そういう時代だ。
だから、この偽物の世界に逃げ込んできたのだろう。
菊ちゃんが友達になろうと言えば、もちろんすぐに応じたはずだ。
きっとなんらかの取り柄はあるんだろうけど、いますぐ戦力にできそうもないな。
「やっぱりさ、宇宙船はあきらめて、このエリアだけでも死守するしかないんじゃない?」
「やだ! 宇宙行くの! みんなも行くって言ってるもん! あたし約束したんだから!」
「勝算があるならいいけど」
「山村さん、さっきから負けることばっか考えてるじゃん! なんで? そんなに負けたいの!?」
イヤなところを突いてくるな。
俺は茶をすすり、気持ちを落ち着けた。
「俺は現実的な話をしてるんだ。もしこのまま悪あがきを続けたら、最終的にすべてを失うことになるぞ。宇宙船だけじゃない。この地下都市だって取り上げられるかもしれない」
なぜなら無許可で掘った穴だからな。
仮に触手陣営がいらないと言っても、日本政府が権利を主張する可能性がある。なにせ地球人にとって未知のテクノロジーが眠っているのだ。いろいろ使いたくなるわけだよ。
だが菊ちゃんは席を立ってしまった。
「もういい! 山村さんとは話さない!」
*
というわけで、なぜか俺ひとりだけ監禁されることになってしまった。
菊ちゃんマグナ・カルタだ。
クソみてーな法律作りやがって……。
するとテントに来訪者があった。
マリちゃんだ。五十代くらいのおじさんも連れている。
「なんだ? いったい……」
俺が身構えると、おじさんが柔和に笑った。
「あーいやいや、すみませんね、お休みのところ。ただ、この子がね……」
「この子が?」
「お酒欲しがってる人がいるっていうから」
「酒……」
おじさんは巨大なヒョウタンを抱えていた。
まさか、作ったのか?
現地で?
おいおい、いろんな才能持ったおじさんがいるじゃねーかよ。
マリちゃんは小学生とは思えぬほど醒めた目で言った。
「おじさんなんだか可哀相だったから、お酒作ってる人にお願いして持ってきてもらったの」
「そ、そう。ありがとう」
なんだか、これから死ぬヤツに餞別でもくれてやるような態度だが。
いやいい。
酒があるならいいよ。
あまりに暇すぎてどうにかなるところだった。
おじさんはヒョウタンを置いた。
「これ、ヤシの実から作ったヤシ酒ね。防腐剤とかないんで、早めに飲んで。悪くなっちゃうから」
「ありがとうございます! いやぁ、嬉しいですよ! このご恩は一生忘れません」
「いやいや。あなたがあの宇宙人を追い返したとき、すっごく勇気もらってね。みんなも喜んでたよ。だから気にしないで」
「いやぁ、ははは……」
二億は手に入らなかったが、その代わり密造酒は手に入った。
いや、ここに法はないのだ。あるとしても菊ちゃんマグナ・カルタとかいうクソみたいなルールだけ! 密造だろうがなんだろうが酒は酒だ。
おじさんは言った。
「菊ちゃんにバレたら怒られるから、あんまり派手にやらないよう頼みますね。私らも危ないんで。じゃ、これで……」
「あ、はい……」
結局違法なのかよ……。
マリちゃんも「ほどほどにね」と言い残し、テントを出て行った。
ほどほど?
まあ、ヒョウタンに入っている以上の酒は、物理的に消費しようがないからな。
そこまでは飲んでいいってことだろう。
*
下痢になった。
クソ密造酒めが……。
しかも酔っぱらってトイレから出たところを菊ちゃんに見つかり、さらに厳しい管理下に置かれた。誰の面会も許されない。
二億を棒に振って味方してやったというのに、なんて扱いだ。
いや、俺がバカだったということだ。
金のあるほうについていきゃよかったのに。
だいたい、アルコール禁止ってどういう了見なんだ?
禁酒法時代のアメリカを知らんのか?
キャリー・ネイションの亡霊が憑りついてるとしか思えんな。
というわけで俺はテントの中でひとり、特になにをするでもなくうずくまっていた。
はぁ、まともなビールを飲みながら、一条さんとグダグダな関係になりたい。
思えばあれが俺の人生のピークだった。
「神は死んだ……」
そうつぶやいてみても、なにも変わらない。
地上の様子はどうなっているのだろう?
戦争の行方はどうなっているのだろう?
一条さんは、いまごろなにをしているのだろうか……。
思い出すだけでテンションがあがる。
普段は穏やかで清楚な感じなのに、いざ事が始まると次第にエンジンがかかってきて、最終的には無邪気にはしゃぎだす。全部演技なんだとは思うけど。
俺をもてあそぶには十分だ。
「ビール、ビール、ビール……」
せめて酒でもあれば。
こういう弾圧が、のちのちの反乱につながっていくんだよなぁ。
*
ある朝、外出許可が出た。
菊ちゃんの腹の虫がおさまったということだろう。
住民たちは、意外とフレンドリーに歓迎してくれた。
ここを守った行為が、いちおう評価されたらしい。
とはいえ、愛想よく挨拶してくれるだけで、特典などはない。いや十分だ。毛嫌いされるよりはいい。
「山村さん、少しヤセました?」
駒根さんが心配そうに近づいてきた。
「そう? あの宇宙食のせいかな」
「ちょっと味気ないですよね」
「君は元気そうだね」
すると彼女は、にこりと満面の笑みを浮かべた。
「はい! パソコンもらったんです! ネットにはつながってませんけど、いろいろできるので……」
「それはよかった」
彼女にとっての精神安定剤みたいなものだろう。
可児くんは長い棒を振り回して武術の鍛錬をしていた。
剣道だか槍術だか分からないが。
元気なのはいいことだ。
マリちゃんは、同い歳くらいの子と座ってお喋りしていた。
ちらほら学生もいる。
みんな家出してきたのかもしれない。
ここは、ある種の受け皿になっているようだった。
なら、守りたくなる気持ちも分かる。
俺もたまたま就職できたが、どうなるか分からないところだった。
可児くんだってそうだろう。
彼はまともに学校を出ていないし、あまり人に言えないような過去もある。間違いなくいいヤツなんだが……。
*
菊ちゃんが、棒付きのアメをくわえながらこちらへ来た。
目だけはこちらを見ないようにしながら。
「なにかご用かな?」
俺は先手を打って牽制した。
近づいてきたということは、なにかやらせようということだ。
「その前に、言うことはないの?」
「外に出してくれてありがとうってか? そもそもなんで監禁したんだ?」
「分かってるくせに!」
「君は好物のアメを禁止されたらどう思う? 俺にとってはアルコールがそれだ。どれだけつらいことか想像できるよな?」
彼女はぐぬぬと眉をひそめた。
「で、でもお酒はよくない文化だから……」
「誰がそんなこと言ったんだ?」
「AIが教えてくれたの」
「AI? あの低能AIが? あんなヤツの言ってることを真に受けたのか?」
信じられない。
だいたい、あいつらはアルコールを摂取するための身体を有していないのだぞ。正しく評価できるわけがない。まあアルコールが害になる面もあると言えばあるから、全肯定はできないにしてもだよ。
彼女はぷいと顔をそむけた。
「でも、あたしたちの種族は、それで滅びかけたって」
「アルコールに弱かったのか?」
「ううん。たぶん地球人と同じくらい。でも飲みすぎて、みんな体壊しちゃって……。AIも、最初は止めようとしたんだけど、大人たちとケンカになっちゃって……。で、もういいやって放っておいたら、だんだん数が減っちゃったみたい」
AIがぶっ壊れるのもムリはないな。
せっかく心配して忠告してやったのに、酒で酔っ払ってるだけのヤツに悪く言われたんじゃな……。
菊ちゃんは溜め息をついた。
「AIはね、ハッキリ言ったんだ。人間がいる以上、サポートはするけど、絶対に価値観は合わないから、そういうときはもう勝手にしてくれって。人間が滅びたがってるのに、それを止めるのも手伝うのもバカらしいからって」
皮肉な話だ。
だが、ありふれてもいる。古い教訓にでもありそうじゃないか。家臣の忠告を聞かない国は亡びるとかなんとか。
彼女たちも、同じ人間なのだ。
「分かったよ。君の船の歴史は尊重する。俺もダダはこねない。で、ご用は? なにか用事があって来たんだろ?」
「うん。上の見回りしたいんだ。誰か来てるかもしれないし」
「護衛ってことか。ここの屈強なおじさんに任せればいいんじゃないのか?」
「ダメだよ。みんな役割決まってるんだから。無職は山村さんだけなの」
「無職……」
それもそうだな。
欠勤続きだから、おそらく会社からも切られているはず。そもそも依頼内容に反する行動をとったわけだし。
ここでも役割はない。
間違いなく無職だ。
「分かった。行くよ」
警備ロボットの停止したいま、彼女の身を守るものは特になくなってしまったからな。
まあAIが状況を把握してるんだから、守ってくれてもよさそうだが。彼らがいまなにを考えているのかよく分からない以上、人力で守るしかないのだろう。
俺は咳払いをした。
「だけど、まさか俺だけってことはないよな? せめて可児くんは一緒に……」
「もちろん! 駒根ちゃんも一緒だよ! あたし、駒根ちゃん好き! 優しいもん!」
「そ、そうか……」
まあたしかに優しいな。
かつての職場の同僚が勢ぞろいってわけだ。金で一時的につながっていただけのチームメイトとも言える。べつにいい。少なくとも敵じゃない。
「でもさ、観光客呼ぶなら、一番上のフロアもこれくらいイイ雰囲気にしとくべきじゃないか?」
「えっ?」
なぜハテナなんだ?
マジでひとつも理解してない顔だ。
「あんな日常の劣化コピーみたいな雰囲気じゃ、わざわざ来る意味ないぜ」
「そうなの? あたしは楽しいけど」
「俺たちにとっちゃ見飽きた景色なんだよ。まあ、よく似せてるだけに、細かな違いに注目すれば楽しめそうだけど。そんな玄人みたいなヤツばっかじゃないだろうしな」
「違いある? どこ?」
無自覚だったのか。
じゃあ、彼女としては、完璧にコピーしたつもりだったんだな。
「まず文字が違うのと」
「そこは商標に関わるから」
「しょ、商標か……。あー、あとは、郵便局が多すぎる」
「先に言ってよ!」
ああ、できればぜひそうしたかったな。
(続く)




