勝手に穴を掘ってはいけない
「みんな、悪い。そろそろ限界だ。俺はここまでかもしれない」
恥を忍び、俺は仲間たちへそう告白した。
行方不明者の捜索のため、地下都市を進んでいる最中だった。
チームは総員三名。
公務員ではない。民間企業だ。
隣を歩いていた気の弱そうな駒根さんが、目を見開いた。
「ウソ……ですよね?」
「ウソだったらどんなによかったか。だが、もう持たない」
「そんな……」
この地下都市は、宇宙人が作ったものだ。
それも、日本政府に無断で。
どんな技術力なのかは知らない。空間はドーム状になっており、天井のスクリーンにはまばゆいばかりの青空が映し出されていた。疑似的な太陽まである。
俺たちの任務は、ここへ迷い込んだ少女を捜すこと。
なのだが、俺の体は限界を迎えていた。
もうひとりの仲間、可児くんが口をへの字にしてこちらへ向き直った。
「大きいほう?」
「そうだよ。大きいほうだよ。いかに危機的な状況か君にも分かるだろう?」
出かける前にトイレを済ませておく。
そんな基本的なことさえ忘れていた。なにせちょっと来てすぐ帰る予定だった。俺はきっと昼メシを大盛りにすべきではなかったのだ。
地下都市とはいうが、遺跡のようではない。
俺たちが普段暮らしている街を模したもの。
ただし、完璧なコピーではない。文字は幾何学模様のようなものに置き換えられていて、読むことができない。
可児くんは路地裏を指さした。
「あそこでしてきたら?」
「いや待ってくれよ。犬じゃないんだからさ」
「でもほかにするところないよ」
「まあそうなんだけど……」
そういう現実から目をそらしたくて、なんとかあがいてるんだよね、俺はさ。
すると駒根さんが、斜め下から遠慮がちに声をかけてきた。
「私、大丈夫ですよ。あっち向いてますから」
「ああ、そうだな……」
あっちを向いていてもらわないと困るよ。
出るものも出なくなる。
「あー分かった。提案を受け入れる。けど、ティッシュ足りるかな」
「よければ私のを」
「ありがとう。この恩は一生忘れないよ」
「きっと帰ってきてくださいね。私、待ってますから……」
態度はおどおどしているけれど、ノリだけはいい。
きっと優しい子だから、俺が滑らないよう合わせてくれているのだろう。もし彼女がいなかったら、俺は可児くんに冷たい目で見られるだけの毎日だっただろう。
*
というわけで、危機的状況は脱することができた。
ここを作った宇宙人には悪いが……。
いや、だが彼らも彼らだ。もっとトイレを多めに作っておいてくれれば、こんなことにはならなかった。
「恥ずかしながら、帰ってまいりました。いやー、今日という今日はアウトかと思ったぜ」
生きてるって素晴らしい。じつに晴れがましい気分だ。
だというのに、駒根さんは身をちぢこめている。
「あとで手、洗ってくださいね?」
「水道がありゃね」
ここは日本の街を模しているから、店はある。
あるのだが、肝心の中身が空っぽだった。ガワしかない。よって基本的にトイレも水道もない。例外は公園だけ。まあないよりはマシだが。ここを作った宇宙人にも、公共性の概念はあったらしい。彼らも街を汚されたくはなかろうしな。
それにしてものどかな景色だ。
人はほとんどいないし、自動車も通らないから、街を独占している気分になれる。まあ自動車の代わりに、たまに宇宙服みたいなロボットが通過していくのだが。
「はぁ、しかし広いね。その上、スマホも圏外と来た。俺たちの迷子の子猫ちゃんは、いったいどこにいるのやら」
俺は散歩でもしている気分だった。
宇宙人は、ある日突然やってきた。
しかも姿を見せず、声明だけ出した。
「地下都市を作りました。ぜひ観光に来てください」
それだけ。
日本だけではない。世界各地に、いつの間にか地下都市を建造していたのだ。
日本の場合、まずは民間人の立ち入りが規制され、政府の調査チームが派遣された。
だが、警備ロボットに追い返されてしまった。
戦闘にはならなかったものの、人類側にはなすすべもなかったらしい。
さらに、宇宙人からはこんな声明まで出された。
「軍と警察は出禁にします」
やがて民間に開放されて、観光客がどっと押し寄せた。
だが、それも最初だけ。
ハッキリ言ってここにはなにもない。店もない。広大な空間に、それっぽい建造物が置かれているだけの場所。
だから一年もしないうちに飽きられた。
ただし危険な場所ではない。犯罪者が逃げ込むと、警備ロボットが捕まえて日本政府に引き渡すことになっている。動けなくなった人間も、希望すれば搬送してくれる。ケンカの仲裁にも入ってくれる。
ホスピタリティの精神は行き届いている。
どうせなら、迷子の少女も見つけてくれればいいのだが……。
いや、彼女が帰ってこないのにはきっと理由があるのだ。
ここでは、本人が滞在を望めば、犯罪者でもない限り、強制的に追い返されることはない。つまり定住できる。実際、どこかに住んでいる人間たちもいるようだ。
食事をどうしているのかは不明だが……。
「あ、山村さん! 公園見えましたよ! 公園! 手、洗えますよ!」
駒根さんが珍しく声を張って教えてくれた。
ずっと探していたのだろう。
正直、もういいかなと思っていたが。
*
俺たちは公園に入り、ベンチでミーティングすることにした。
もちろん手を洗ってから。
「えーと、どの辺かな……」
俺は地図をひろげた。
インチキそうなおじさんが地上で売っていた怪しい地図だ。二千円もした。たぶんそんな価値もないのに。
何本かの大通りと、それをつなぐ脇道が描かれている。ところどころに郵便局や学校の地図記号。
紙の地図だから、GPSなんて対応していない。歩いてきた道の景色を、この雑な地図と照らし合わせなければならない。
「あ、アリだ」
さっそく可児くんが集中力を切らした。
この男、見た目だけは爽やかな好青年なのだが、精神年齢が小学生レベルだ。すぐに虫の観察を始めたり、木の枝を拾ったりする。
ちなみに俺と駒根さんはスーツ姿だが、可児くんは私服だ。スーツを持っていないらしい。どうやって就職活動したのか分からない。まあまともな会社じゃないしな……。
しかしこの人工的な都市にアリがいるとは。
宇宙人の持ち込んだアリだろうか。それとも地球のだろうか。よく分からない。
ギュイーとモーター音が近づいてきた。
白い警備ロボットだ。
とはいえ、ただの見回りであり、地球人に干渉してくることはない。勝手に通り過ぎて行くはずだ。
俺は地図を回転させた。
「えーと、こっちから来たから……いまこの道かな」
駒根さんも地図の回転に合わせて首をひねった。
「いえ、こっちじゃないでしょうか」
「だって郵便マークあるよ?」
「それはあっちの郵便局じゃないですか?」
「あ、ホントだ。ふたつあるのか。ややこしい街だな……」
普通、十字路の対角にふたつも郵便局を作らないだろう。ここは俺たちの街に似せて造られてはいるが、細部がおかしいのだ。宇宙人の技術力にも限界はあるのかもしれない。
足音が近づいてきた。
女だ。
俺たちの捜している少女じゃない。
タンクトップにショートパンツ、頭にはキャスケット。棒付きのアメをくわえている。背は高くない。歳は十代後半から二十代前半といったところ。
「こんちゃー。なにしてんの?」
それが彼女の第一声だった。
フレンドリーというか、馴れ馴れしいというか。
もしかして、この公園の住人だろうか。生活圏に無断で足を踏み入れてしまったかもしれない。
鮮やかな紫色の瞳、うっすらと青みを帯びたプラチナのショートヘア……。
まさか宇宙人ということはないだろうな。
なにかのコスプレかもしれない。
駒根さんが笑顔で「こんにちは」と応じたので、俺も警戒を解いて挨拶を返した。
「こんにちは。人捜しの最中でね。この子、見たことないかな?」
俺はスマホに写真を表示して、彼女に差し出した。
彼女は身を乗り出して、画面を凝視した。
「んー、知らない。誰? おじさんの彼女?」
「おじ……。いや、いいんだ。知らないならいい」
まあいちおう三十代だし、おじさんと呼ばれるのも慣れないといけないかもしれない。
すると彼女は、当然のようにベンチに腰をおろしてきた。
「え、なになに? 教えてよ。気になるじゃん」
「こっちは仕事なんだ。依頼内容をペラペラ喋るわけにはいかない」
「あっちのお兄さんはなにしてんの?」
可児くんのことだ。
俺は「おじさん」で、可児くんは「お兄さん」かよ。
いいよ。まだ二十代だし……。
「アリを見てる」
「アリ? なんで?」
「楽しいんだろ、きっと」
「へー」
へーじゃない。
帰らないのか?
仕事の邪魔なのだが……。
すると気を利かせた駒根さんが、彼女の話し相手になってくれた。
「あなたはひとりなの? 散歩?」
「んー、まあそんなとこ。ね、お姉さんはさ、どっちの男と付き合ってんの? おじさんのほう? それともそっちのアリのほう?」
「えっ? いえ、あの……私たち、ただの仕事仲間で、まだそういう関係じゃ……」
「まだ? そのうちなるの?」
「ち、違います! ぜんぜん違います!」
秒殺されてしまった。
それにしても、いったいなんなのだこの会話は……。
地図を見るところではないぞ。
彼女は身を乗り出し、地図を覗き込んできた。
「なにこれぇ。ここの地図? だっさぁ……」
「は?」
「だってぜんぜんじゃん。この道なに? どこ?」
「二千円もしたんだぞ」
「お金払ったの? うっわ、カワイソー……」
こいつ……。
経費で落ちなかったら丸損だってのに。
二千円ありゃ、百円ショップで豪遊できるんだぞ。クソ。安いツマミでビールが飲みてぇ。
すると可児くんが顔をあげた。
「あ、俺、五百円なら出すよ」
そして尻ポケットから財布を引き抜いた。
「いやいいって。経費で落とすから」
「落ちるの?」
「たぶん……」
「落ちなかったら払うから言って?」
「うん……」
精神年齢は小学生だけど、根はいいヤツなのだ。
女はすると遠くを見ていたが、急にこちらに向き直った。
「自己紹介してよ」
「なんでだよ?」
「せっかくだし。あ、あたし、菊ちゃんね。よろしくー」
なんだこの距離感……。ホントに宇宙人か?
俺が渋い顔をしていると、代わりに駒根さんが返事をした。
「私、駒根って言います」
「駒根ちゃんね。じゃあ次」
待て! 相手は年上だぞ! 敬語を使え!
「俺、可児三郎。よろしくね」
「よろしくー。じゃあ次」
このまま友達にでもなるつもりか?
「山村耕作。三十四歳。平社員だ。よろしくな」
「ちゃんと働いてんだね。すごい」
お褒めにあずかり光栄だよ。
自称菊ちゃんはどうしたって労働者に見えないが。ま、生き方は人それぞれだからな……。
「ねー、人捜してんでしょ? あたしも一緒に行っていい?」
「は?」
思わず礼儀を欠いた返事をしてしまった。
だが、やむをえまい。
そもそもの要求がおかしい。
なのに菊ちゃんはむくれてしまった。
「イヤなの? なんで? あたし、邪魔?」
「ま、まあ、正直なところ、作業妨害されているように感じないこともないな……」
「つまりどーゆーこと?」
「邪魔……かなぁ……」
「ひどい!」
俺だってひどいこと言いたくないよ。
でも仕事なんだから……。
するとまた、モーター音が近づいてきた。
白い宇宙服にローラーをつけたような警備ロボットだ。
それも一体ではない。二体、三体と集まってきた。公園内に入り込んできて、取り囲まれてしまった。銃らしきものはないが……。
菊ちゃんは焦ったような表情を見せた。
「違う違う! べつにケンカじゃないから! 集まんないでよ!」
するとロボットたちはしばし黙考したかと思うと、ささっと解散してくれた。
治安維持のための活動ってわけだ。
ここで大声を出すのは、あまりよくなさそうだ。
駒根さんがどっとベンチに腰をおろした。
「怖かったぁ……」
「ごめんね。あのロボット、大袈裟なんだ。過保護っていうか」
菊ちゃんはしょんぼりしてしまった。
まあそれはいい。いいのだが……。なぜいま彼女は謝ったのだ?
過保護とは?
警備ロボットは、ケンカを止めに来たのではなく、菊ちゃんを守りに来たということか?
「あー、いまのでアリが……」
ふと、可児くんが哀しげな声をあげた。
警備ロボットの乱入に巻き込まれたせいで、アリたちが車輪につぶされてしまったのだ。
いやまあ、じつに気の毒ではあるが……。
湿っぽい雰囲気になってしまった。
ここは最年長の俺が、小粋なトークで場を和ませるしかあるまい。
意を決して立ち上がり、ネクタイを直し、軽く咳払い。
「よし分かった。これもなにかの縁だ。ここにアリさんのお墓を作ろう。立派な墓標を立ててよ。で、この地図に印をつけて、毎年みんなで拝みに来るんだ。な? それでいいよな?」
「……」
「……」
「……」
この世界は、明らかに俺を愛していない。
いや「この世界」という主語が大きすぎるなら、こう言い直してもいい。
「この三人は」と。
マジで言ってんのかこいつ、という顔をしている。
もちろんジョークに決まってるだろ!
俺はベンチに座り直し、こう訂正した。
「やっぱいまのナシで」
アリかナシかで言ったら、ナシだ。
言わないけどな。
もちろん返事はない。
静寂に包まれている。
地下都市だというのに、そっと風が吹き抜けている。
「えーと、そろそろ仕事に戻ってもいいかな?」
(続く)