イオナとの約束
その日も、いつも通りの1日になると思っていた。
穏やかな時が流れる村の中、いつも通りイオナに連れ回され少女の有り余る体力に舌を巻き、へとへとになって今日イベルタさんは何を作ってくれているかな? なんて楽しみにしながら帰路に着く途中のことだった。
イオナが音もなく崩れ落ちたのだ。
転んだと勘違いできる倒れ方ではなかった、明らかに普通ではないことが起きていた。
慌てふためきイオナに近寄ると、その顔は血の気がひいており真っ青で、寒さに震えているように見えたが、滝のような汗が流れていた。
少女を抱え、家に運ぶ。
「イベルタさん!! イオナが!」
悲鳴に近い少年の叫び声。
静かな村に、異変が起きていた。
「…………風土病だ」
イオナの父が消え入りそうな声で呟く。
運び込まれたイオナの部屋に医者が入ってもう数時間がたった。
その間、少女の父と母、そして村長が何度か部屋に入っては出てを繰り返し、少年は扉の前でただ震えて待つことしかできなかった。
「おそらくずいぶん前に感染していたいたんだろう。それが今日になって表に出てきた」
「お、俺……ずっと一緒にいたのに……気づけなかった」
「仕方ない、アレは発症するまで感染しているとは気づかないんだ。本人ですら」
責めてくれる方が楽だった。
今になって思えば、今日のイオナはいつもより頬が上気していた気がする。息も上がっていたように感じる。
彼女の一挙一足全てが、彼女の異変のサインのように思えた。
それを見逃した、気づくことができなかった。そのことが自分で許せなかった。
「…………子供だけに発症する病気じゃ、もう何十年も確認されていない。とっくの昔に消えたと思っていたんじゃが……」
いつも陽気な村長が悔しさをにじませ、唇を噛む。
「治るんですよね? イオナは、助かるんですよね!?」
祈るような気持ちで声を上げる。
「…………治療薬がある。だがその材料が足りない」
「っ!! だったら! その材料を今すぐーー」
「その材料、シリン草は双子山の山頂にしか生息してないんだ!!」
声を荒げる少女の父、彼の憤りの理由がすぐにわかった。
双子山の山頂付近、そこにはあの機械仕掛けの獣、ギアビーストがいるのだ。
「あ、アレに見つからないように、山に登れば……」
「無理だ、あの化け物のは我々には理解できない感覚器官で縄張りに入った獲物を見つけるんだ」
「だったら俺が!!」
「馬鹿なことを考えるな!!」
それは奇しくも、師の言葉と一緒だった。
「お前にアレが倒せるのか! あの何もかも貪り喰うあらゆる生命の敵に、お前は立ち向かうことができるのか!!」
できる、と言い返すことができなかった。
あの時目にした悪夢のような光景。ゴブリンを噛み砕く無慈悲な捕食者。
思い出すだけで震えてしまう自分が、泣きたくなるほど情けなかった。
「…………今、ユノが隣町まで馬を走らせている。そこになら薬があるかもしれん」
「あるかもしれないって…………それに隣町まで往復で三日はかかるんじゃ、それって……」
間に合うのか? と聞けなかった。
直後、いつも気丈なイベルタさんが顔を覆い、泣き崩れたのだ。
「………………。」
今がどれだけ絶望的な状況なのか、嫌というほど理解した。
「なぜあの子が……あんな優しい子ではなく、この年よりが変わってあげられたら…………」
そのまま重苦しい沈黙が場を支配する。
しばらくすると、部屋の中から医者が出てくる。
「ジン…………イオナが会いたがってる」
部屋の中に入ったのはジン一人だった。
少女と二人きりにさせてくれたその気遣いの意味を考えると、叫び出してしまいそうだった。
「あ……お兄ちゃん……」
イオナは、笑っていた。
その笑顔に力はなく、わずかにこちらに顔を向けるだけで辛そうだったが、確かに少年に笑いかけたのだ。
「イオナ…………大丈夫か?」
大丈夫なわけないだろう。なぜ自分はそんな言葉しかかけることができないんだ。
「うん……大丈夫だよ……」
そんなわけないのに、少女は少年を心配させまいとする。
「でもね……イオナ明日……妖精さんにお菓子持って行こうと思ったのに……」
「……うん」
「イオナね……いっぱい練習したんだよ……」
「ああ……イオナのお菓子、美味しくなったよ」
「本当、嬉しい……じゃあ、お兄ちゃん明日、別のお菓子を妖精さんに持っていってくれる?」
「っ!!……」
泣くな!! 絶対に涙を流すな!!
自身の掌を、血が滲むほど握りしめる。
こんなにも幼い少女が弱音一つ吐いていないのだ、そんなことは絶対に許されない。
「楽しみに……してたのになあ……」
少女の弱々しい声。
…………何をしているんだ自分は?
「イオナね……元気になったら、お菓子いっぱい作って……妖精さんのところに行くんだ」
「……ああ」
「そしたらね……妖精さんと、お兄ちゃんといっぱい……いっぱい遊ぶんだ」
「……ああ!」
本当は、最初からわかっていたはずだ。
「イオナ……約束しようか」
「……約束?」
自分に何ができて、何をするべきなのか。
「お兄ちゃんがイオナを元気にしてあげるから、イオナは美味しいお菓子をいっぱい焼いてくれ」
「……うん」
彼女の小さな手を握りしめる。
「そして、あのお喋りな妖精さんに一緒に会いに行こう」
「うん!」
もう迷いなんてなかった。