捕食者の咆哮
大気が震えるほどの咆哮。
生物が本能的に恐怖するであろう雄叫びを、少年は真正面から受け止める。
その圧力は常人であれば意識を失いかねないものだ。だが少年はその程度では揺るがない。
正眼に構えた大剣、その先にいる獣を冷静に見つめる。
獣の体からは蒸気が吹き出している。全身に巡らせたエネルギーの熱量を感じる。
先に動いたのは獣だった。
その巨体からは想像もつかないようなスピードで、少年に肉薄する。
そしてその攻撃は恐ろしくシンプル、大顎を目一杯開き、突進の勢いそのままに少年に喰らいつこうとしてきた。
「いっ!?」
初めて近くで目にする大顎の中身、それを見て戦慄する。
大量に並んだ鋭い金属歯。
カミソリ以上の鋭さを持つそれ全てが、まるでチェーンソーのように回転していたのだ。
防御しようなんて考えなかった。
少年は横っ飛びで獣の牙から逃れる。
「あっぶな、なんだあれ!?」
慌てて体制を立て直し呟く。
あんなものを喰らってはひとたまりもない、噛みつかれでもしたら一瞬でミンチになりそうだ。
獣はゆっくりと方向転換しながら、その凶悪な牙を見せつけてくる。
次の瞬間には再度少年へと突撃した。今度は真っ直ぐ直線にではない、ジグザグとステップを交えながらの接近。
「っ! 速すぎだ」
あの巨体、あの重量でこの速度は反則だ。
土煙を上げながら一瞬で距離を詰めてくる獣。
大顎が開かれ、少年の命を刈り取ろうとしてくる。
少年は間近に迫る死の恐怖を気合いでねじ伏せ、先ほどのような横っ飛びではなく、最小の動きの足運びで回避する。
狙うはカウンター。
交差した獣の大顎を、下からの斬り上げる。
完璧なタイミングだった。
だが、少年の一撃は鋭い金属音と共に弾かれる。
「なっ!」
硬い。
先ほど削り取った肩の装甲よりも、この大顎は頑強だった。
バックステップで距離を取る。
獣を見つめれば、その無機質な相貌がニタリと笑ったような気がした。
「ムカつくな、おい」
次に仕掛けたのは少年だった。
左半身を前にした状態で大剣を下段に構え、獣に突貫する。
「おっらああ!!」
だが、今度は馬鹿正直に真正面からぶつかろうとはしなかった。
お互いの攻撃が届く距離に入る直前、少年は大地を削りながら大剣を振る。
削られた大地が礫となって獣を襲った。
こんなものが通じるなんて思っていない、だが目眩し程度の効果はあったようだ。
少年は這うような体制で大顎をかわし、攻撃を仕掛ける。
狙うは前脚、大顎への攻撃が効かないのならば、まず機動力を奪う。
だがその一撃は、獣が直前で回避行動をとったため装甲の一つを削り剥がして終わった。
すかさず獣が反撃してくる。
少年が潜り込んだそこは、獣の殺傷範囲内、鋭い噛みつきが少年を襲う。
「ぐっ!!」
必死にかわす少年。
獣の噛みつきはさながらボクシングのジャブのように、細かく、素早く連続で行われる。
だがこの恐ろしい連続攻撃は、一度でも喰らったらアウトだ。
ステップで回避し、大剣でその一撃を逸らしながら寸前でかわしていく。
大顎が閉じられる音と、金属の回転音がすぐ横を通り過ぎるたびに冷や汗が流れる。
しかし、
(かわせる!)
ギリギリだが、確実に獣の大顎を回避できている。
(隙を見て、この大剣を叩き込む! あと少し、あと少しで!!)
そう思ってしまった瞬間。
獣の前脚が、少年を襲った。
「がっ…………!」
完全に油断していた、大顎の脅威に目を奪われ、獣の武器がそれだけではないということを完全に忘れてしまっていた。
鋭い爪が少年の脇腹をかすめる。
鋭い痛みのせいで、頭の中が真っ白になり、一瞬動きが止まる。
動きの止まった少年を、大顎を開いた捕食者が襲いかかった。
「ぐ、くそお!」
大剣を自身と獣の間に挟み込む。
獣の大顎が大剣に喰らい付いた。
回転する金属歯が火花を散らす。どうやら、あの凶悪な牙でもこの大剣を噛み砕くことはできないようだ。
だが、ジリ貧。
喰らい付いた獣は獲物を離さない。
大剣をへし折ることはできなくとも、それを両手に持った少年をその重量で押し潰しにかかる。
「ぐっぐぐぐぐ!!!」
全身に力を込め対抗するが、徐々に押し込まれる。
力を入れる度に決して少なくない血が地面に落ちる。
(このままじゃ!!)
絶対絶命のピンチ。
自分を殺す死神を間近に感じながら、少年の目に入ったのは、
獣の脚元に転がる、金属の装甲。
「っ!!」
すぐさまとった少年の行動は、ほぼ無意識によるものだった。
自身の生命線である大剣を手放し、地面に転がる。
そしてそのまま先ほど削った獣の脚の装甲を拾い上げると、獣の前脚にしがみついた。
「おらああ!!」
掴んだ装甲を振りかぶり、振り下ろす。
それはあまりに原始的な攻撃だった。
装甲が剥がれ、歯車が剥き出しとなった獣の前脚に向かって、手にした装甲を叩きつける。
自分の体にしがみつかれた獣は少年を引き剥がそうとするが、その巨大な顎は絶妙に届かない。
獣は少年を振り払おうと暴れる。
少年の体が激しく揺さぶられる。
「離されて……たまるか!!」
その光景はとても洗練された戦いとは言えなかった。野蛮で、見苦しい、泥臭い戦い。
必死でしがみつきながら、何度も、何度も装甲を叩きつける。その衝撃で少年の手の肉が裂け、爪が剥がれても止まらなかった。
獣は抵抗し続け、その度に脇腹の傷から激痛が走り、血が流れる。
失血で飛びそうになる意識を、舌を思い切り噛むことで繋ぎ止める。
(諦めんな、諦めんな!! こんな痛みに負けてたまるか!! イオナを救うんだろうがっ!!)
全身全霊、渾身の一撃。
そして、獣の前脚は完全に破壊された。
「やっとか…………」
獣が口からこぼした大剣を拾う。
脚を一つ潰したのだ、獣はもうまともに動けない。
だが、獣は闘争心を失っていなかった。
こちらを睨みつけ、低い唸り声を上げる。大顎が届く間合いに入った瞬間に喰らいつこうと、残った3本の脚で立ち上がる。
少年の体もボロボロだった。
全身が血で染まり、奇妙に体が震えている。
視界がぼやける、立っているだけで限界だ。
こんな状態で獣に近づけば返り討ちにされる。それが少年にはよくわかっていた。
だからこそ、近づかない。
「これで終わりだ」
大剣を上段に構える。
「……マウント・ギア」
少年の短い囁きと共に、大剣の歯車が高速で回転し始めた。
大剣のパーツがばらけ、組み上がり、膨れ上がる。
変形を何度も何度も繰り返し、やがてーー
山をも両断しかねないほど、巨大な剣が出来上がった。
さしもの獣も、その冗談みたいな光景を見て唖然とする。
そして、巨大な剣が振り下ろされる。
「ぶっっっっっ壊れろ!!!!!」
獣はなすすべもなく、その剣に飲み込まれた。