8話 テストで勝負
今日も練習が終わり、自転車小屋までの道のりを歩く。夜に近づき、一日中、雲がかかっていてどんよりとしていた空は、暗黒に染まりかけている。
高校に入学してから、だいぶ月日が経つ。最近はいろいろと楽しい。でも、そんな私に怪しい影が忍び寄る。
「明日からテスト期間で部活は一週間お休みとなります、決して赤点を取ることのないよう、しっかり勉学に取り組みましょう」
練習終わりのミーティング、芹沢先生の言葉である。
私は頭の方にはまったく自信がない。おそらく、学年でも下の方から数えた方が早い。なにせ必死こいて勉強して、ギリギリ入試を突破できたのだ。もちろん学校内では胸張れるほどの成績ではない。
ちなみに乃愛はとても頭が良い。学年でもトップクラスだと思う。そもそも、中学校の成績的にはもう少し偏差値の高い学校に行けたはずだけど、女子野球部が強いという理由でこの学校に進学を決めた。
「部活が休みなのがなあ」
ため息混じりに私は言う。フラストレーションのたまる一週間になりそうだった。
「ちょっと」
「わっ」
いつのまにか、私の横に明日葉がいた。
「今度の中間テスト、わたしと勝負しない?」
明日葉がいきなりそう言った。私は「えー」と困惑していたら、
「いいね、受けてたとうよ桜希」
なぜか乃愛がそう答えた。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。なんで乃愛が答えるのよ」
「いいじゃん、面白そうだし」
「どうなの?」
明日葉は乃愛の言葉にいっさい耳を貸さず、私を見ていた。そもそも向こうの頭の出来の方があんまりわからない。授業中の感じだと悪くはなさそうだけど。勝負として成立するかどうか不明である。
「じゃあ、負けたら罰ゲームってのはどう? 敗者は勝者の言うことを一つ聞かないといけない」
そんな条件をつけてくる時点で、あっちはそれなりに自信があるはずだ。断りたかったけど、
「わかったわかった。勝負受ければいいんでしょ」
目的はわからない。だけど、私は断れなかった。あっちからなにかを要求してくることなんて滅多にないから。
「そう、じゃあ、約束成立ってことで。罰ゲーム、覚悟しててよね」
◇◇◇◇
翌日の朝、私と乃愛は一緒に登校する。
学校に着くと、自転車を置き、自分たちの教室までの道を歩く。校舎には、まだまだ生徒たちの姿は少ない。ひっそりとした雰囲気が流れていて、声がよく通った。
昨日の夜、冷静に考えてみたけど、まだまだ煮え切らない思いもある。
「罰ゲームってなにさせられるのかな」
いくら頑張っても限界はある。たぶん、負ける可能性はかなり高い。そうなってくると、罰ゲームというものの存在が気になってくる。
「野球部をやめろ、とか言われたらどうしよう」
「それはないと思うけど。ていうか、桜希は罰の当て、あるの?」
「いや、まだだけど。明日葉って頭いいのかな」
「同じぐらいだよ、桜希と」
私たち、一年五組の教室は二回にある。ガラガラとドアを開けると、問題の人物は、いつもどおり既に登校していた。
「勉強してる」
明日葉は机に教科書を広げ、なにやら熱心にルーズリーフに書き込んでいた。
「おはよう」
電車通学の明日葉は、基本的には私たちより登校が早い。私が教室に入ると、いつも明日葉はおとなしく本を読んでいる。
「……おはよう」
「頑張ってるね」
明日葉が今、取り組んでいるのは数学だった。目の前の私に気を止めず、ルーズリーフになにやら数式を書き連ねている。
「そんなに私に勝ちたい?」
明日葉は動かしていた右手を止める。
「……ちょっとだけ」
「ふーん」
「ていうか、いつまでいんのよ。あんたがそこにいると集中できないんだけど」
「ごめんごめん」
立ち去ろうと思ったけど、私は振り返って言う。
「罰ゲームってなにさせる気?」
「考えてない」
なにか罰ゲームの魂胆があるような感じには見えなかった。あるのは、私への対抗意識だけなのかな。
席に戻る。明日葉の様子を見て、腹がくくれてきた。とりあえず数学の教科書を机に取り出す。やれることはすべてやろうと思った。
◇◇◇◇
私は頑張った。乃愛にも手伝ってもらい、万全の対策を講じた。そして、中間テストの日を迎えた。
手応えはある。努力の成果が出たのか、テスト中に手が止まることがあんまりなかった。
テストが終わって一週間ほどたち、すべての教科の答案が返却された。いよいよお互いの点数を発表する時が来た。
実際、点数は良い。テストが返却される度に、私は思わず笑みをこぼしてしまうほどだった。これなら勝てる、そう思っていたのに、
「ま、負けた……」
昼休み、クラスメートたちがガヤガヤと動きだし、机に弁当を広げ出す。
私と明日葉、それと乃愛は教室の後方にいた。互いにテスト用紙を見せ合い、その都度、乃愛に点数を計算してもらった。
「というわけで、明日葉ちゃんの勝利!」
「ふーん、まあ当然よね」
結局のところ、20点差で私が負けた。差がついたのは国語だけで、それ以外の教科はほぼ一緒だった。
「自信あったのに」
これがすべての教科で惨敗したとかなら、いさぎよく割り切れたのに。途中まではかなり接戦だっただけに、かなり悔しい。
「ねえ、罰ゲームはどうなるの?」
「ああ、それね。考えてなかった。それより、桜希はわたしより馬鹿だってことが証明されたわけだから、今後わたしに偉そうな顔しないでよね」
明日葉はいつになく饒舌で、気分は良さそうに見えた。
「じゃあ、わたしは食堂行くから。じゃあね、お馬鹿な桜希さん」
「うー」
そんな言葉を残し、明日葉は教室を出ていった。私と乃愛は、ぽつんとその場に取り残される。
「うーん、思ったより接戦だったね。頑張った成果だよ」
乃愛が言った。ちなみに乃愛の点数は、言うのが気後れするほど高かった。
「それって、明日葉が圧勝するって思ってたってこと?」
「そう。もっと差がつくと思ってた」
「私と明日葉は同じぐらいの頭とか言ってたじゃない……あっちが勝つってわかってたくせに、私に勝負を焚きつけたってこと?」
「だって、明日葉ちゃんの嬉しそうな顔が見たかったから」
乃愛は笑う。
「それより、もし勝ったら罰ゲーム、どうするつもりだったの?」
「……恥ずかしいからあんま言いたくないけど、明日葉にもっと、“桜希”って呼んで、って……」
「それ、罰ゲームなの?」
◇◇◇◇
テストが終わり、ここ数日は部活も再開されていた。テスト勉強で凝り固まっていた体も、だいぶ元の状態に戻ってきた。
さっさとテストのことは忘れて、部活を頑張ろうと思っていたけど、
「あれ、“わたしにテストで負けた桜希”じゃない」
「そんな長い名前じゃないんだけど」
練習前、ユニフォーム姿の明日葉が皮肉めいた、たいそうご機嫌そうな口調で言ってきた。
「ていうか、そんなに偉ぶるほどの差じゃないでしょ。20点差って」
「20点差だろうと、1点差だろうと、桜希の負け」
明日葉は、いつになく饒舌だった。
「そんなに私に勝ってうれしい?」
聞いてはみたものの、どうせ「別に」とか「そんなわけないでしょ」とか、そういうのが返ってくると思っていた。ところが、
「うん」
嬉しさを隠しきれないように、少しハニカむ明日葉はとても可愛かった。私は、負けたこととかどうでもよくなって、なにも言えなくなってしまうのだった。