76話 「好き」とキスと「大好き」
「もしもし桜希、今いい?」
「うんうん。今暇だから。嬉しい」
「……嬉しい?」
「いやちょうど今、明日葉にラインを送ろうと思ってたとこだから。あなたの、声が聞きたくて。一日会えなかっただけで、めっちゃ辛い」
「いきなり何?」
「別に……それより、試合は圧勝だったんでしょ」
「うん。桜希がいなくても、問題なかったみたい」
「寂しいこと言わないでよ」
「みんなはね。わたしは、そうじゃなかったみたい」
「みんな……わたし?」
「わたしは全然ダメだった。打撃も守備も、やっぱり、いつも隣にいる人がいないから」
「そう……まあ大丈夫だよ。これからは私、ずっといるし」
「あっそ……で、そっちはどうだった? ってお葬式の感想なんて聞くものじゃないよね」
「そんな話すことはないけど……強いて言えば、しばらく会ってなかった従姉妹とけんかしたぐらい」
「なにそれ?」
「会ってないうちに従姉妹に子供が二人できてて、で、“ホント子育て大変、高校生は気楽でいいね”なんてこと言われたから」
「ああそれはむかつくかも」
「あと、“野球ばっかやってないで、彼氏でも作ったら”てきなことも。だから、“余計なお世話だ”って言ってやった」
「……珍しい。桜希がそんな、反撃するなんて」
「向こうもそう思ってたんだと思う。中一ぐらいまでの私しか知らないから」
「それでその後どうなったの?」
「別になんもない。ただ、謝ろうとは思ってる」
「ふーん」
「あ、そうだ。あと、あの小説、読んだよ」
「あ、ああ……あれね。ど、どうだった?」
「面白かったよ。あと、勇気づけられた」
「……どういう意味?」
「うーん、なんていうかわかんないけど。私の境遇に合ってるというか」
「桜希の……境遇……」
明日葉はしばらく押し黙った後、言う。電波のせいか、それとも声量自体のせいか、聞き取りづらかった。
「あ、あのさ!」
明日葉の声量が急に上がり、思わずスマホを耳から遠ざけた。
「び、びっくりした……! 急に大声ださないでよ」
「ご、ごめん……あの時のことなんだけど……」
「あの時?」
そこで母親の私を呼ぶ声が聞こえた。なんという間の悪さだろう。
「ごめん、お母さんが呼んでるから」
「そ、そっか。じゃあ……またあとでかけていい? 何時ごろなら――」
「ごめん、ちょっと今日は、電話無理」
「えっ?」
「じゃあね」
「う、うん、じゃあ……」
「明日葉」
「な、なに……?」
「待っててね」
プツリと電話を切った。スマホの画面に向いていた顔を上げ、じっと目の前を見つめた。
明日葉からの着信は、私が連絡しようと思ったまさにその瞬間にやってきた。その声を聞いて、ようやく、決心がついた。
◇◇◇◇
「さっちゃん、また来てね」
約一日の鳥取での日々を終え、自宅へと帰る時がやってきた。私たちを見送ろうと、おばあちゃんたちが玄関先に出てきている。
「うん」
「全国に行ったら絶対応援に行くから。頑張って。直ちゃんも」
弟の直希は「うん」と、無愛想に返事をした。私は「あ、そうだ」と言って、従姉妹の夕子ちゃんの元へ行き、
「ごめんなさい」
と頭を下げた。夕子ちゃんは一瞬、驚いたように目を見開き、
「こっちこそ、なんか変なこと言っちゃって」
「いや、私が夕子ちゃんの言葉を変な方にとっちゃって……私最近上手くいってなかったから、ちょっと強く当たっちゃった」
もう一度、私は頭を下げた。
「いや、そんな頭下げないでよ。みんなの前で……」
「あの、夕子ちゃん。大人の大変さなんて、私にはわかんないけど、頑張ってね。私も、私なりに頑張るから」
「うん……」
どっちが大変とかはわかんないけど、私たちが似た人生を送らないのは確かだと思う。
◇◇◇◇
帰りの道中は、窓の外の風景をぼんやりと眺め、イヤホンから流れ出る音楽に耳を澄ませていた。
最初はそれなりに歓談していた家族たちも、疲れから母が眠ったことで車内は静かになった。弟も耳にイヤホンを突っ込み、口を無防備に空けて寝ている。
父は黙々と運転をしている。私は父の眠気覚ましに話に付き合ってあげてたけど、やがて話題も尽きたのか、話しかけてくることもなくなった。
夜おそくまで本読んでいたから眠たいはずなのに、私は全然眠くなかった。ずっと心臓が、うるさいくらいに鼓動している。
耳に入ってくる曲が凄く、心に響く。これまでの人生、何気なく聴いていた恋愛を歌った曲たちが、近頃は、なんだか意味が変わって聞こえてくる。
思えば、“恋”なんて知らなかった。恋愛の曲も、ドラマも、映画も、漫画も、小説も、私からは遠い世界だった。いつ私はそんな世界に行くのだろうと思っていたけど、やっと足を踏み入れた。ただ辿り着いた世界は、みんなのとは、普通のとは違った。初めての恋が、おんなじ性別を持つ人だなんて、想像もできなかった。
風景の色彩が、自然豊かな緑や茶色から、人工的な色に変わっていく。高速を降りると、私の街が見えてきた。
街中に入って、進むスピードは遅くなる。さっきまでは無かった交差点でのストップとゴーを繰り返し、ようやく、自宅へと帰り着く。時刻は六時ごろ。
母と弟も目を覚ました。ドアを開け、外の空気を吸い、縮みきった体を伸ばし、一日分の荷物を下ろす。
「夕飯、どこで食べる?」
母と父が相談していた。私はその間に入っていった。
「ごめん、私用事あるから、ちょっと出てくる」
「え? ご飯はどうするの?」
「私はコンビニ弁当でもなんでもいいから、食べてきていいよ」
母は娘の突然の宣言に、あきれたような顔をしたが、
「それって大事な用事?」
「うん」
「何時ぐらいに終わるの?」
「んー、たぶん……八時ぐらい」
「わかった。食べ行くのは止めるから。適当になんか作っとくから、早く帰って来なさいよ」
「わかった。ありがとう、お母さん」
八時ぐらいと言ったのは、もちろん適当だ。でもそんなことはどうでもいい。明日葉に会いに行く。
適当に財布とスマホと必要なものだけバッグに詰めた。そして再び外に出て、自転車の鍵を開け、思いっきり体重を込めてペダルをこぎ出した。
◇◇◇◇
ひたすらペダルを回す。家から明日葉の家は、十数キロぐらいだと思う。これぐらいの距離を自転車でこぐ経験はないので、どれぐらいかかるのか見当もつかない。それでも、勝手に足が進む。気持ちがたぎる。
「はぁ……はぁ」
ずっと向かい風だった。途中には坂道もあったけど、止まらず、進み続けた。そして、明日葉の家の近くへと辿り着いた。
時刻は七時頃、喉がからからだった。さすがにこんな状態で会うわけにいかないと思い、近くのコンビニで水を買い、喉を潤した。息も整え、明日葉の家の前に立った。
スマホを取り出し、明日葉を呼び出した。
「今日は電話だめだったんじゃなかったの?」
開口一番に、明日葉はそう言った。
「うん。だから、直接会いに来た」
「は?」
「今、明日葉んちの真ん前にいる」
「ホントに?」
「ホント」
電話越しにドタバタという大きな足音が聞こえてきた。階段を降りる音だろうか。ちょっとして、玄関の戸がガチャッと開き、明日葉が顔をのぞかせた。
「いつこっちに帰ってきたの?」
「六時ぐらい」
「……自転車で来たの?」
「うん。一時間ぐらいだった」
「何しに来たの?」
「明日葉に会いたくて」
矢継ぎ早に質問を浴びせる明日葉は、意図を図りかねるのか、眉をひそめたままだった。
「なんなの……意味分かんない」
私は明日葉に歩み寄り、その体を抱きしめた。
「好き」
密着した体は、急速に熱を帯びる。
「意味分かんない……」
分かんないなら……私は抱擁を解き、明日葉の唇へ自分の唇を重ねた。
「明日葉のことが好き。ずっと一緒にいたい。他の人に取られたくない。恋人同士しかしないようなことしたい。特別に、なりたい」
思ってもいなかった言葉たちがたくさん出てくる。でも、気づいていなかっただけで、私はずっとこう思っていたんだ。明日葉は、
「……な、なんでそんなこと――」
顔を紅潮させた明日葉は、うつむきながら、
「……そういうの、わたしが言おうって、今日決めたのに……」
「えっ?」
「なんで、先に言うの、バカ……!」
なんで、怒られているのかわからなかったが、明日葉の怒った顔は徐々に和らいでいき、
「でも嬉しい……わたしも好き。桜希のこと」
言い切った明日葉は笑顔だった。けど、瞳には光るモノが見えた。
「泣いてる?」
「泣いてない!」
とは言うものの完全に明日葉は泣いている。ホント、怒ったり泣いたり、忙しい。
私は明日葉の涙を指で拭った。そして見つめ合って、もう一回キスをした。
◇◇◇◇
「あの時からずっと苦しかった」
「あの時って……?」
「ほら、あのわたしの誕生日」
あの日、別れ際に明日葉が私にキスをした日。
「なんであんなことしてすぐ逃げたのさ。意味分かんなくて、私もずっと苦しかった」
「だって桜希が、プレゼントくれて凄く嬉しくかった。だから桜希への想いをずっと心の中に置いとくのはやめようって、告白しようと思ったんだけど。でも、なかなか全然言えなかった」
あんまり住宅街でこういう話をしたくなかったから、私たちは近所の公園に場所を変えていた。
「でも帰りの電車が迫っていたから、もう勢いでああしたんだけど、でも桜希の顔には困惑しかなかったから、怖くなって、逃げた。
それからずっと、桜希のわたしへの態度がよそよそしくなったから、ああ、わたしのせいで関係を壊しちゃったんだって思って。やっぱり好きになっちゃいけなかったんだって、ずっと苦しかった」
「……なんというか、確かにいきなりキスされたのはびっくりしたんだけど。でもそれで、気づけたっていうか、私も明日葉のこと本気で好きだってわかったから。どうやって接していいかわかんなくて」
ぐちゃぐちゃに絡まってしまった糸がほどけていって、心が軽くなっていく感じがする。
「そっか。それで、でも、最近の桜希の態度がなんか意味深だったから。今日の夕方の電話もだけど……だから、もう一回ちゃんと、告白しようと思ってたのに。なんで先に言うの、もう」
明日葉は不満げな視線をぶつけてきたが、本気で私を責める気がないのは明らかだった。
「だって、明日葉が最初に言ってきたんだから。今度は私からって思ったから。でもやっぱり、あれはひどいと思う。キスして。好きって言って、すぐ逃げるなんて」
「ごめん」
「許さない。罰として、ずっと私と一緒にいて」
「……わかった」
春の生暖かい風が、私たちの間を横切っていく。辺りはもう暗いけど、公園の電灯の明るさで、明日葉の顔ははっきりと見える。
「さて。そろそろ帰らないと」
私が自転車に手を掛けると、明日葉は、
「もう帰っちゃうの?」
「うん。お腹減ったし」
「うちで食べていく?」
「ありがたいけど、お母さんがご飯作って待ってて、八時ぐらいに帰るって言っちゃったから」
スマホを見ると、もう七時十五分だ。全力で帰っても、たぶん八時には間に合わない。
「そっか。じゃあね。また明日」
明日葉が言ったので、私も「バイバイ」って返そうとしたとき、私のお腹から、
「ぐぅー」
という空腹を告げる音が、周囲にこだました。事態を理解した私は、一瞬にして羞恥に苛まれた。明日葉は一瞬、びっくりしていたけど、すぐに腹を抱えて大笑いし始めた。
「笑わないでよ」
「だって……そんな、そんな大きい腹の音聞いたことなかったから……ぷぷっ」
「もう」
「ていうか、そんな腹減った状態で、よく自転車漕いできたわね。電車乗れば良かったのに」
「夢中だったから、空腹はあんまり気になんなかった。途中で電車に乗れば良かったには気づいたけど、でも、なんとなく自分の足でここまで行きたかったから」
私たちは再び、明日葉の自宅の前へと戻った。明日葉は「ちょっと待ってて」と言うと、家から、栄養補給食を持ってきた。
「とりあえず、これでも食べたら」
「ありがと」
お腹が減っていたせいか、凄くおいしく感じた。私が無我夢中で食す様子を見ていた明日葉は、
「……気をつけて帰ってよ。暗くなったし、調子に乗ってとばして帰ったらダメよ」
「なんなの急にお母さんみたいに」
「だって、せっかく、こ、恋人になったのに……いなくなったらイヤだもん」
しおらしく言う姿が、めっちゃ可愛かった。そうだ、私たちは恋人になったんだ。
「じゃあ、帰るね」
「バイバイ。また明日、絶対ね」
「うん」
手を振って、私たちは別れた。帰り道、明日葉の言いつけどおり、なるべくスピードは出したくなかったけど、自然と足が軽くなって早く動いてしまうのを抑えることができなかった。
◇◇◇◇
翌日の朝、案の定あんまり眠れなかったけど、全然眠気は感じなかった。
「どうしたの? なんか今日、テンション高くない?」
「そうかなー?」
乃愛に指摘されるほどには、私のテンションは高かったのかもしれない。ずっと気分が高揚したまま、朝の登校を終えた。
「おはよー」
「おはよう」
教室のドアを開けると、やっぱり明日葉はそこにいる。自らの席で、静かに文庫本を読んでいる。朝のおきまりの光景も、今日はなんだか違って見えた。
「今日は何読んでるの?」
「ミステリー」
「ふーん」
こういうやりとりも。いつもとおんなじだ。そして、それっきり明日葉が何にも言わないのも、前までと同じ。
「ちょっと待ってよ。これじゃ、前までとおんなじじゃん」
「別にいいでしょ」
「だって、せっかく……付き合うことになったのに」
後半の言葉は、クラスのみんなに聞こえないよう小声で言った。さすがに交際をおおっぴらにするつもりはない。
「……じゃあ、耳貸して」
明日葉は言った。なんだろうと、耳を明日葉の方に寄せると、
「大好き」
って言われた。耳元でそんなことを囁かれ、平静ではいられなかったけど、私も明日葉の耳元に口を寄せ、
「私も」
って言ってやった。明日葉の耳は真っ赤になっていたけど、たぶん、私のもおんなじぐらい赤い。だって、こんなにも体が熱いんだもの。
冷静に考えれば、朝から私たち、教室の片隅でなにをやっているのだろうと思う。明日葉が言う。
「ホントバカだ。わたしたち」
そうして、私たちの新しい日々が始まった。




