70話 キスと「好き」
選抜大会の決勝、大阪桐葉と神戸海稜の試合は大熱戦となった。延長戦にまで突入した試合の結果は2-1、大阪桐葉が去年の春夏に続く全国優勝を果たした。甲子園で行われた大激戦に、興奮がなかなか収まってくれなかった。
「接戦とはなりましたが、やっぱり両チームの総合力には差があったと思います。まあ、姉は頑張ったと思います」
詩音璃の言う通りだ。沙音璃の投球は間違いなく、桐葉を支配していた。でも最後は力尽きた。あと少しの体力が残っていれば、あとほんの少しの運があれば、栄冠の行方は変わっていたかもしれない。だがしかし、野球の神様は桐葉にほほえんだ。桐葉の絶対王朝は続くのだ。
「でもまあ。桜希さんと明日葉さんは“私たち、凄くない?”とか思わないんですか。あの桐葉がヘロヘロのところをやっと攻略した人を、去年の夏、お二人だけで攻略したんですよ。しかもあのときの姉は体力充分だった」
確かにそれは事実かもしれない。けど、
「あのときの沙音璃は私たちのこと舐めてたし。それに今日の沙音璃相手じゃ、無理だと思う。やっぱあれは化け物だと思う」
「うん。上橋沙音璃は投球も体も、精神的にも去年の夏から進化してる。あれを倒さないと県大会すら突破できないんだから、わたしたちも進化しないと」
「謙虚ですね。私から見ると、あなたたちも大概、化け物ですし、去年の夏から姉以上に進化してますけどね」
試合終了からしばらくたった。この球場の外にも、試合の熱が残っている。球場を出て行く人たちは皆一様に興奮した様子で、足取り軽く甲子園を去っていく。祭りが終わった後の寂しさを感じる。
「さて、私はお邪魔でしょうから帰ります。今日はありがとうございました。お会いできてうれしかったですし、楽しかったです。あ、そうだ。連絡先、交換しませんか?」
「いいよ」
メッセージアプリの詩音璃のアイコンは、彼女と沙音璃と巻島さんの三人がユニフォーム姿で写った写真だった。三人とも笑顔でピースしていて、仲睦まじく体を寄せていた。今日の試合を踏まえると、なんとも言えない写真だった。
「じゃあというわけで、私は帰ります」
「待って」
踵を返そうとする詩音璃を、明日葉は呼び止めた。
「ずっと聞きたかったんだけど。あなた、今年から高校生でしょ。どこの高校なの?」
どうしてそこに思い至らなかったのだろう。詩音璃は沙音璃の一個下なのだから、今年から高校生だ。
問いを受けた詩音璃は、ニヤリと口角を上げた。
「何笑ってるの?」
「いえ、隠しといていつかお二人をびっくりさせようと思っていたんですけど、聞かれたならしょうがないです。私の進学先は、大阪桐葉です」
「えっ、ホント!?」
「嘘言うわけないです。だから海稜の応援席に行けなかったんです」
「なるほど……」
「もう聞きたいことはないですか? じゃあさようなら。また会いましょう。夏、待ってますから、姉を倒して、勝ち上がってきてくださいね」
今度こそ、詩音璃は背中を見せ、去って行った。私たちといえば、衝撃の事実を聞き、しばらく動けなかった。完全に詩音璃の姿が見えなくなってから、明日葉は言う。
「“待ってます”って、かなり傲慢な発言」
「どうして?」
「だってさ、“待ってます”って、仮にわたしたちが勝ち上がって桐葉と対戦することになったとき、自分がその場にいるのは確定、って言ってるのと同じよ。自分のレギュラーは確実って言いたいの、あの新入生は」
詩音璃は沙音璃に似てなくて、結構常識人な良い子だと思った。だけど、言葉の節々、発言の枝には自信家な部分や、プライドの高さが窺える。やっぱり彼女は、沙音璃の妹だ。
◇◇◇◇
予定通り、近くのショッピングモールに私たちは向かった。最初は熱くなった心を冷やそうと、飲み物とスイーツを口にしてみたけど、話す内容はさっきの試合のことばっかりだ。
その後はゲーセンで、リズムゲームをしたり、クレーンゲームをしてみたり。最後はエアホッケーで対決してみた。その最中、明日葉はパックをいったん止めて、
「ほらやっぱり。あんまり楽しくないでしょ」
「そんなことないよ」
「決勝を見せられた後に切り替えて遊びを楽しもうなんて、野球馬鹿のわたしたちには無理だって……隙あり!」
明日葉は急にパックを打ち込んできた。完全に隙を突かれた私は、パックがゴールに侵入するのを防げなかった。
「ちょっと今話し中でしょ」
「でも来て良かった。試合を見ていろいろ心揺さぶられることも、目指す高さっていうのも再確認できたし。夏は、絶対あそこに立ちたいと思った」
「うん、あんな試合を見せられたら、燃えるしか無いもんね」
「ホント来て良かった。ありがと、誘ってくれて」
「誘ってくれたのは沙音璃だよ」
「じゃあ、あいつにお礼を言っといて……それっ!」
またも不意打ちを仕掛けてきた明日葉だったけど、今度はちゃんと予測できていた。
「残念、同じ手は食らいません」
「ちぇっ」
「……なんだかんだで、結構楽しんでるじゃん」
「まあ、せっかく来たんだし、楽しまないとね」
それなりに明日葉も顔が楽しそうになってきたので、私もつられて気分が良くなってくる。しかし、私に一点、未だ果たせていない使命があった。それは、明日葉に誕生日プレゼントを渡すことだ。
◇◇◇◇
ショッピングモールをそれなりに堪能した私たちは、後は電車に乗って帰るだけ。ただ座って風景を眺めていれば地元へと帰り着く。私がプレゼントを渡すチャンスは、この間にしかない。ホントは行きの電車の中で渡そうと思っていたのだけど、なんだか明日葉が不機嫌そうだったから渡せなかった。
「今までの誕生日で一番、楽しかった」
「えっ?」
行きと同じように向かい掛けの席に座ってすぐ、明日葉は話し始めた。
「朝さ、あんまり誕生日が好きじゃなかったって、わたし言ってたでしょ。あれは、祝ってくれる人が家族しかいなかったから。友達いなかったから
だから……強がってはみたけど、桜希が自分の誕生日をこんなに想ってくれて、ホントは凄いうれしかった」
「……最初からそう言ってくれれば良かったのに」
これは絶好のタイミングだと思う。私は鞄からプレゼントを取り出し、明日葉の横に移動し、プレゼントを手渡した。
「これ、明日葉に上げる」
「これ……バッティンググローブ?」
「うん、誕生日プレゼント」
私の明日葉への誕生日プレゼント、それはバッティンググローブ。白色のやつ。昨日の夜、買いにいったやつで、ケースにちゃんと包装されている。そして、おんなじ白色のバッティンググローブがもう一つ。これは私の。
「私のも古くなってたから、おんなじの買ったんだ。ほら、これでお揃い」
明日葉は口を閉ざしたまま、プレゼントをじっと見つめたままだった。私は続けた。
「誕生日プレゼント、何にしようか迷ってさ。いろいろネットで調べてみたけど、どれも明日葉が喜ぶかわかんないのばっかだから。やっぱあなたには野球のやつがいいと思って。
それでこの前、破れてたから、明日葉のバッティンググローブ、これだ! と思って、昨日買いにいった。ちょうど良い、って言ったら変だけど」
「だから昨日、新しいの買ったか聞いてきたのね」
「そういうこと」
でも、明日葉の反応が薄いように見える。
「もしかして、お気に召さなかった?」
「確かに昨日の昼時点では新しいの買ってない、とは言ったけどさ。昨日の夜にわたしが買った可能性は考えなかったの?」
「えっもしかして……買っちゃった?」
「ううん、買ってない」
「なにもう! ひやひやさせないで」
「ごめんごめん」
そこで明日葉の表情はようやく和らいだ。静かな柔和な笑み、頬が赤くてリンゴみたい。この笑顔が見たかったんだ。
明日葉はプレゼントをじっと見つめた後、慈しむように抱きしめた。
「誕生日プレゼントとか、家族以外から貰ったことないから、なんて言ったらいいかわかんない。大切にする」
「大切にはしない方が……ボロボロになるまで使ってくれた方がうれしいけど」
「あっそうか! あはは」
声を上げて笑う明日葉は、あんまり見たこと無い。すっごい多幸感を感じるともに、急激に体から力が抜けてきた。
その後、プレゼントについてどこで買ったの? とか会話を続けたものの、やっと使命を果たすことができた私に、眠気が襲ってきた。
「ふわぁー、眠たくなってきた」
「いいよ、寝てて。わたしは起きてるから。絶対眠れない……ドキドキしてて」
「お言葉に甘えます」
私は明日葉の肩に頭を乗せる。肩から伝わる体温は、いつもより熱い気がした。
◇◇◇◇
「――あっ、着いた!?」
「いや、あと一駅」
どれぐらい寝ていたのだろう。薄目で見る窓の景色は、もう見覚えのあるものに変わっていた。明日葉の肩にずっと乗せていた頭を起こす。見ると、明日葉はイヤホンを耳につけ、なにかを聞いていた。
「なに聞いてんの?」
「波の音」
「な、なんで?」
「心を落ち着けたかった」
私が寝ぼけているうちに、学校や私の家の最寄り駅に着いた。明日葉はここから乗り換えなければいけない。この駅に自転車を停めている私は帰っても良いけど、明日葉が乗り換えるまで一緒に待つことにした。
夕暮れがすでに町の色を変えた中、二人でプラットフォームのベンチに座る。隣合わせで、手を繋いで座る。やっぱり、明日葉の体温が熱い。
「明日はもう四月。わたしたち、もう二年生だわ」
明日葉はずっと遠くに見える桜を見ながら言う。
「一年か、明日葉に急に因縁つけられたのも一年前、早いなあ」
「一年前の四月は、桜希とこんなに仲良くなれるなんて思いもしなかった。でもずっと、あなたのことを初めて知った小学生のときから、ずっと仲良くなりたいって、わたしは想ってた。あなたにとっては一年でも、わたしにとってはずっと前からの話」
声色がいつになくしっとりして、どこか艶っぽかった。さっきから明日葉が変だ。体温も熱いし、もしかして熱があるのではと、私は明日葉のおでこに手を伸ばそうとした。そしたら、明日葉は「ひゃっ」と素っ頓狂な声を出した。
「な、なにすんの!?」
「なにって、なんか明日葉が変だから、熱あるのかと思って。変な声出さないでよ。私が変なことしてるみたいじゃない」
「きゅ、急に顔を近づけるから……!」
とにかく、明日葉のおでこに手を当ててみた。なぜだか明日葉は瞳をギュッと強くつぶっていた。
「めっちゃ熱い。熱あるんじゃ……?」
「熱なんかない。平熱だから……」
「でも、なんか変だよ、さっきから」
「変……かもしれない。情緒不安定だし……だけど、わたしは正常だから。さっきまでも、今からも」
春休みの休日だけあってか、人の姿があんまり見えない。数少ない人たちは、すでに電車の到着を、列を作って待っている。しばらくして、駅員さんのアナウンスが響く。明日葉が乗るべき電車がまもなく到着するという。でも明日葉はまだ動かない。ずっと私の手を握ったままだ。
「並ばなくていいの?」
「人少ないし、余裕で座れるから別にいい。あと……わたしも、あなたにプレゼントがあるから」
「えっ、プレゼント?」
やがて列車が近づいていく姿が見えた。警笛が鳴る。ようやく明日葉は手を離し、立ち上がった。
「目、つぶって」
「う、うん……」
言われた通りにする。何も見えない、左手には明日葉の体温が残っている。耳には電車のブレーキ音がやかましい。
そのとき、私の唇が何かに触れた。反射的に目を開けると、明日葉の顔が近くにあって、息を感じれた。それは私の唇と明日葉の唇が触れた、キスだった。私の戸惑いの中、明日葉は顔を離した。
「好き」
周りがいろんな音で溢れているはずなのに、それしか聞こえなかった。でも、頭が真っ白でうまく脳が理解してくれない。明日葉の瞳は、真っ直ぐ私を見つめていた。
ふさわしい言葉を探す。でも明日葉は背を向け、駆け出した。電車が到着していて、明日葉はそれに乗り込み、私から背を向け座席に座る。追いかけたけど、ドアが閉まった。電車が発車すると、一瞬にして姿が見えなくなった。
呆然と立ち尽くしていた。風が吹いて、私の唇を撫でる。なぜだか、口元を手で隠した。ふらふらしながらも、さっきまで二人で座っていたベンチに腰掛ける。そこからずっと、辺りが真っ暗になるまで動けなかった。




