6話 練習試合VS福知山済美③
お昼を過ぎ、春の陽気はますます強くなってきた。
福知山済美との練習試合二試合目は、昼食を挟んだあとに行われる。
この試合、千庄のスタメンに名を連ねたのは、一試合目に出場しなかったメンバーたちが中心で、私の名前はそこになかった。
「あ、私、サードコーチャーやります」
チームの攻撃時、一塁、三塁のすぐ横のファウルゾーンにいて、ランナーの判断の補助をする役目をランナーコーチとか、ランナーコーチャーという。
ランナーには場面場面で、先の塁を狙うか、やめるべきかと選択を迫られることがあり、その微妙な境界を判断して、ランナーに声、またはジェスチャーで指示を伝えるのがコーチャーの役目である。
試合が始まる。今度はあっちが先攻だった。一回の表はあっさりと終わり、一回裏、後攻、千庄の攻撃が始まった。
一番バッターが倒れ、二番の打順がやってくる。小振りな体に対して、少し長めに見えるバット、二番バッターはショート、関長さんだった。
ネクストバッターサークルには次の打者、乃愛の姿も見える。素振りをしながら、打席の関長さんを見守る乃愛は、三番ライト、クリーンナップでの出場だった。
「プレイ!」
関長さんは、打席内ではあまり動かず、どっしりと構えている。
初球、ピッチャーが右腕を振り下ろす。ボールが投手の管理下から離れ、空中を裂いて進んでいく。対し関長さんも高く前の足を上げ、ボールを懐に呼び込む。
十二分にボールを引きつけた関長さんは、ドンピシャのタイミングでバットを振るった。甲高い金属音が響いた。
ライナー性の打球がセンター前へ綺麗に飛んでいく。お手本のようなバッティングだった。
ボールがセンターから内野に戻ってくる。関長さんは一瞬、二塁を狙うような動きを見せたが、一塁へ戻った。
「ナイスバッティング!」
次は乃愛の番、右打席に立つと、地面をスパイクで削って足場を作る。
乃愛のバッティングフォームには、釣りをしているときのような、リラックス感がある。足を平行に構え、バットを肩よりも低い位置に置く。
乃愛は際どいボールに手を出さず、冷静にボールを見極めていき、ワンストライクスリーボールの六球目、勝負は決した。
鋭く横に曲がる変化球を捉えた。打球はレフト前に落ちる。一塁ランナーの関長さんは、二塁まで一瞬でたどり着く。
そのままそこでストップ――と、思ったら、
「え!?」
ぎょっとした。
関長さんは少しの躊躇も無く、三塁に向かってきた。引き返すようなそぶりは微塵もない。
既にレフトはボールを拾っている。普通に送球されれば余裕でアウトのタイミングで、これじゃあ、みすみすアウトに行くようなものに思えた。
けれど、私の予想以上に関長さんの足はとても速かった。それに、油断をしていたのかレフトの送球は緩かった。
スライディング、足から滑り込んだ彼女は、相手のタッチより早くベースにたどり着いた。
「セーフ!」
土埃が舞う。関長さんはすぐ立ち上がり、服に付いた土を払った。
「ナ、ナイスラン」
私はタッチをしようと手を差し出してみたけど、私の手は、関長さんの手に強く叩かれた。
「っ、ちょっと」
「なによ」
「今の無理する場面じゃないでしょ。次三番なのに」
「ふん」
関長さんは、私のことを関せずのようにそっぽを向いた。
相手のピッチャーが次に投じたボールは、ワンバウンドしてキャッチャーが弾いた。
ホームから少し離れた場所にボールが転がる。関長さんはホームに突っ込む。慌ててボールを拾った捕手と競争になる。
きわどいタイミングになったが、タッチの差で関長さんの伸ばした右手の方が早かった。
千庄に先制点となる一点が入る。間違いなく、関長さんの足で取った一点だった。
◇◇◇◇
関長さんが一回にホームを踏んでからは、試合に動きはなかった。
試合は五回の裏に差し掛かっていた。千庄の面々がポジションに着く。試合に出てないメンバーはベンチの前に立ち、声を出し仲間を盛り立てる。
二試合目の先発は、二年生の佐伯奈桜先輩だった。四回までの投球は、ランナーを出しながらも、粘り強い投球で無失点に抑えていた。
ところがこの回、奈桜先輩はツーアウトから、ヒットとフォアボールでピンチを作る。
「奈桜、落ち着いて!」
ピンチを迎え、こっちのベンチからの声が盛んになっていく。向こうのベンチも活気づいていく。
右打席には、相手の三番バッターがどっしりと構える。奈桜先輩がセットポジションに入り、白球を投じる。
試合の流れを決めそうな対決は、ワンストライク、スリーボールと投手不利のカウントとなる。
さすが三番と言うべきか、際どいボールをなかなか振ってくれない。
五球目、奈桜先輩が投じた球は甘かった。打ちごろの直球、バッターは待ってましたとばかりに振ってくる。快音と鋭い当たりが投手の横を襲う。
奈桜先輩が差し出したグローブが、ボールと衝突する。捕球は叶わなかったものの、打球の勢いが完全に死ぬ。
ショートとピッチャーの間に落ちるポトリと落ちたボールは、弱々しく転がり始めた。
反応したのは関長さんだった。ボールの急激な方向転換にも、いち早く対応する。運動の向きを変え、ボールへ一目散に駆け出す。
関長さんは一気にボールとの距離を詰め、捕球する。体の勢いを殺さず、そのまま前方に体を投げ出したままに、手首の力――スナップだけでボールを送る。わずかな差で送球が一塁に着く方が早く、スリーアウトとなった。
「ナイスプレー!」
関長さんは送球後、地面に身を投げ出した。
もし、体を投げ出すことも躊躇していたら、また、暴投を恐れ送球の体勢をきちんと作っていたら、アウトを取れなかった。
いち早くボールを一塁に送るという最大のテーマに、体、心、彼女のすべてが凄さが詰まったプレーだった。
ベンチに戻ってきた彼女は、部員たちの拍手とハイタッチの嵐を受ける。関長さんは、表情を変えず、次の打席の準備をしはじめる。私はその輪に入ることができなかった。
さっきの関長さんのプレーを、私は再現できるのだろうか。
一打席目に続いて、二打席目にはレフト線を破る二塁打を放った彼女は、まちがいなく今日の試合の主役で、私の脳裏にそのプレーたちは、しっかりと焼き付いている。
小学生のころ、同じチームでプレーしていた一個上の女の子に言われたことがある。
「桜希のプレーはさ、上手なんだけど、なんというか、見ていて面白くないんだよね」
「どういうこと?」
「なんというか、気持ちが乗ってないっていうかさ」
当時の私には意味のわからない話だったけど、今だったらわかるような気がする。私にないものを、彼女は持っている。
六回表の攻撃は、二番、関長さんからだった。私は、コーチャーボックスから彼女の三打席目を見守った。
相手の右投手が良いコースにボールを放ってくる。関長さんはそれをファウルで逃げる。右へ左へ、ファウルゾーンへ打球が飛んでいく。
一球一球、私は呼吸を忘れるぐらい、じっと集中して打席を見つめていた。そして十球目、ついに根負けしたのか、投手は四球目のボール球を投げた。
「ボールフォア」
一打席目、二打席目と、積極果敢に打ちにいき結果を残したと思えば、今度は球数を多く投げさせての粘り勝ちを見せる。
はつらつとして、躍動感のあるプレーに、なにかをやってくれそうなワクワク感。私は目が離せないでいた。
そんな、私が不確かな感情に満たされているとき、事件が起きた。
ベンチの芹沢先生がサインを出す。関長さんへの指示は盗塁だった。
関長さんは、大きめにリードを取る。ピッチャーがセットポジションから、牽制を入れた。関長さんは余裕を持って帰塁した。
三番、乃愛の打席、初球のことだった。ピッチャーがセットポジションから、軽く足を上げる。関長さんが低い姿勢のまま地面を蹴る。スタートを切る。
それらは、ほぼ同時に行われたように見えた。完璧なスタートだった。
真っ直ぐに進んでいったボールは、バッターにスルーされ、キャッチャーのミットに収まる。キャッチャーはすぐさまボールを右手に持ち替え、送球する。ここまでは普通のプレーだった。
二塁ベース上にたどり着くはずのボールは、若干、一塁方向に逸れた。
さらに、それを取るべき人がいなかった。相手のショートが二塁に入るのが若干、遅れたのだ。
二つの“若干のずれ”は、予想だにしなかった事を引き起こした。
ボールは、関長さんの足に当たった。二塁へのスライディングを敢行していた右足と、無防備にぶつかった。人間の体と正面衝突をしたボールが、力無く転がる。
関長さんは、足を押さえてうずくまった。