5話 練習試合VS福知山済美②
福知山済美高校との練習試合は、一点を争う緊迫したゲームとなった。千庄が初回、三回と一点ずつ奪い先行したものの、三回の裏の攻撃で相手も二点を奪い、同点となる。
その後は両チームの守り合いが続き、七回表、私たちの最後の攻撃となる。
「青見ちゃん、やっぱ凄いわ」
攻撃の始まる前、次の打席の準備をしていた私へと陽子先輩が声を掛ける。
「なんというか、出来過ぎって感じですね」
自分でもびっくりするくらいの結果をここまでは残せていた。
一打席目の三塁打を皮切りに、二打席目はセンター前へのシングルヒット、そして三打席目は左中間の間を破る二塁打を放った。
予想以上の結果に、なんだか心がそわそわしている。地に足が着いていない感じがする。
「こんな最初から大活躍しちゃうなんて」
「でも、不安だったんですけど、結果出て良かったです」
何で“でも”と言ったのかは自分でもわからないし、自分でも変な言葉使いだってわかっていた。先輩が私に注ぐ眩しすぎる視線がなんだか嫌で、予防線を張りたかった。
七回表の攻撃は八番からである。しかし、あっさりと初球を打ち上げ、一つ目のアウトを取られてしまう。
ただ九番がレフト前のヒットを放ち、ワンアウト一塁で四回目の私の打席がやってきた。
マウンドに向けた掲げたバット越しに、投手の姿を定める。
相手ピッチャーは、二番手に代わっていて今日の二回目の対戦となる。一人目の投手よりは体格が劣っていて、速球と言うよりは変化球主体の右ピッチャーだった。
体が浮いているみたいに、現実感が薄い。けどピッチャーの姿は鮮明に映る。全神経が腕を通り、バットへとつながっているような感覚に浸る。
体全体が、どんな投球でも来ても対応ができるように自動化されている感覚。でも、この打席、私がバットを振ることはなかった。ボールは、一球もストライクゾーンにやってこなかった。
「ボールフォア」
バットを置いて一塁に向かって歩き出す。ボール四つ、ストレートのフォアボールだった。
「ねえねえ」
一塁に着いたとき、相手のファーストに話しかけられた。
「君、一年なんだってね。凄いね」
とりあえず、「どうも」と返しておいた。
今さっきの打席は、すべての球がストライクゾーンを大きく外れていた。相手の二番手は、それまではあまり制球を乱すことはなかったから、勝負を避けられた部分はあったのかもしれない。
次の二番、美羽先輩は、ファーストへの弱いゴロだった。一塁手がアウト一個稼ぐ間に、一二塁のランナーはそれぞれ進塁する。
ツーアウト二塁三塁、勝ち越しへのラストチャンス、陽子先輩《主将》が満を持して打席に立つ。
三球、先輩はボールを見送った。この間、カーブでストライク一つとボール一つ、直球でのボールが一つ。ワンストライク、ツーボールのバッター有利のカウントとなる。
打席での先輩は、とても優雅だった。ゆったりした構えで、冷静にボールを選択していく。普段の先輩の雰囲気どおりの、落ち着いた打席だった。
四球目、失投を先輩は見逃さなかった。この打席で最初のスイングは、レフト前へとボールを運んでいった。
三塁ランナーが余裕の帰還をはたし、一点を勝ち越した。千庄ベンチは盛り上がりを迎える。
そんな中、しまったと思った。私は三塁へと留まったが、今の感じだと本塁に帰れたのかもしれない。少なくとも三塁コーチャーは進塁を指示してたけど、私は自己判断で止まってしまった。
その後、五番バッターが倒れ、七回表が終了した。
「ナイスバッティングです。先輩」
ベンチに帰り、私は陽子先輩とハイタッチを交わした。
「さっきの帰れたんじゃない?」
「すいません。ちょっと迷っちゃいました」
「……まあ、ちょっとぐらいミスがあった方が可愛いらしいし」
先輩は、少しイタズラそうな笑みを浮かべて言った。
「とにかく、打ててよかった。あなたのために絶対勝ちたいし。最後の守り、頑張りましょ」
「はい!」
◇◇◇◇
わずか一点のリードを守れるかという七回裏が始まる。
マウンド上には、三年生の永井光先輩が初回から立ち続ける。二失点の好投を見せている、押しも押されもせぬ千庄のエースである。
光先輩が投球練習を終える。日菜子先輩がマスクを脱ぎ。立ち上がる。
「最終回、三人で抑えましょう!」
「おー!!」
グラウンドに立つ千庄の選手たち、そしてベンチみんなが日菜子先輩の声に答える。
相手は、七番の右打者だ。
光先輩がキャッチャーのサインに頷く。バッターと正対したところから、投球モーションに入る。振りかぶらない、いわゆるノーワインドアップから放たれた直球は、まっすぐに打者に向かっていく。
「ストライク」
少し甘めのだった。コントロールのいい光先輩だけど、回を重ねるにつれ、細かい制球を失う投球が増えてきたような気がする。
一人目はピッチャーゴロに打ち取った。だが次の八番バッターに四球、そして九番にライト前ヒットを許してしまい、ワンアウト一、三塁の場面を迎える。
「光」
サードのキャプテンが声を掛けた。光先輩は手を小さく上げ、守備陣に向かって声を出す。
「打たせるよ!」
その言葉にみなが反応する。私も「はい!」と答えた。
次、初球を打ってきた一番だったが、セカンドへのフライに終わった。
ツーアウト、あと一つ。
光先輩がセットポジションから右足を上げる。打席には左バッター、二番打者だ。
腰を落とす。集中する。連続に響いていた少女たちの声が、一瞬止む。
光先輩が一球目を投じる。カーブ――ボールがふわりと一瞬舞い上がったと思えば、すぐにクルクルと曲がりながら落ちていく。
スプリットステップ――バットとボールが当たる瞬間にほんの小さくジャンプして、打球への一歩目の反応を格段に良くする。
低めまで落ちたボールにバットが合わさり、コツンと、湿った音が鳴る。低い打球が、私とサードの間に飛ぶ。
宙に浮いていた足が地面に降りた瞬間、すぐさま体が反応し、右に動く。黒色のグラウンドを小さく跳ねながら進む白球を、左手を伸ばし捉える。
右足が地面をつかむ。慣性を全部右足で受け止め、送球の体勢を作る。体のひねりによって生み出された送球は、ワンバウンドの後、一塁手のグラブに収まる。
それは、打者走者が一塁ベースを駆け抜けるのより早かった。
「アウト!」
◇◇◇◇
「ありがとうございました!」
ホーム付近に両チームが整列し、挨拶を交わす。それが終わってベンチに戻るとき、
「助かった。ありがとう」
そんな言葉と共に、私の肩を軽くポンと叩いたのは、光先輩だ。短めに切り揃えられている黒髪が、汗で鮮やかに光っている。
「いえ全然、先輩こそナイスピッチングでした」
結局、光先輩は七回二失点、間違いなく勝利の立役者だ。先輩は、私の言葉を否定するように手をヒラヒラと振った。
「最後、抜けるかと思ったのにさあ、よく取ったね」
「ホント、私がショートだったら抜けてたわ」
話に入ってきたのは陽子先輩である。
「私も抜けるかと思ったけど、青見ちゃんがすごい早く見えて、ホントかっこよかった」
「もう陽子、桜希ちゃんに惚れちゃってるじゃん」
「うん、大好きー」
らしからぬ浮ついた声色で言った陽子先輩は、私にぎゅっと体を押しつけ、背中に手を回してくる。拒否することもできず、私はされるがままだった。