3話 仲悪いの?
カキーン――グラウンドに快音が響き、私の打った打球がぐんぐん伸びていく。ライト後方まで飛んだボールは、深めに守っていた守備の頭を越えていった。
女子野球部は、基本的に平日は毎日練習がある。入部してから二週間ほどが経ち、授業を終え放課後は部活、という流れにも、だいぶ体が慣れてきたと思う。
「ナイスバッティング!」という声があちらこちらから聞こえる。今は打撃練習の真っ最中だ。打撃投手が投げてくる球を打ち返していく。
投手の前には、身長大のネットが立てられている、バッティングは二カ所で行われており、その二つの間にもネットが置かれている。
打撃投手がボールを投じてくる。ギリギリまで引きつけて、打つ。打球はセンター辺りまで飛んでいった。
この打撃練習中は、内野から外野の後方までグラウンド全体に部員たちが守備に就いている。
気持ち的にはその上を越えるような打球を打ちたい。だけど、打ちやすい球をただ気持ちよく打つだけじゃなくて、センターからレフト――左打ちの私にとっての逆方向を意識して取り組む。
「ありがとうございました」
予定の回数を終え、ヘルメットを取り礼をする。
「おつかれさまです。青見さん」
私に声を掛けてきたのは、女子野球部の顧問の芹沢真子先生だ。年齢はおそらく二十歳後半ぐらいで、世間一般には美人と認定されるような女性である。
一応、芹沢先生には野球経験があるらしい。けど、部員たちの自主性に任せる、という方針を持っているらしく、練習にあまり口を出してこない。いつも、授業終わりそのままみたいな格好で、女子野球部の活動を眺めている。
「やっぱり良いスイングしてますね」
「いえ、そんな。まだまだです」
「本当、そうですよね。先生」
近くで聞き耳を立てていたのか、陽子先輩が話に入ってきた。
「青見ちゃんは、中学三年間、シニアのクラブで男子に混ざってずっとレギュラーだったんですから。これぐらいやれて当然ですよ」
と、先輩は語調を上げて言った。それに対して、先生は冷ややかに返す。
「なんで陽子さんが誇らしげに言ってるんですか?」
「私の自慢の後輩ですから」
二人は仲が良さそうだった。生徒と教師という枠組みから外れて、友達同士のような会話をしていた。
たぶん、二人が人間的にとても優れていて、お互いが信頼しあっているからこその距離感なのだろう。
「まあ、ホント、青見さんがうちに来てくれてよかったですね」
「そうですね」
先生と先輩は私を見た。その視線がこそばゆい。
「それじゃあ陽子さん。私はちょっと抜けますから、あとはよろしくお願いします」
先生はそう言って、グラウンドから出て行った。
「良い先生でしょ」
「はい」
芹沢先生とはこれまでも何回か会話したことがある。物腰が柔らかく落ち着いた雰囲気で、とても好印象だった。
「あんまり口を出してこないけど、ちゃんと私たちのこと見ててくれてるからね。いろいろと相談に乗ってくれるし、部活のことももちろん、勉強、恋愛、人間関係、どんな悩みも聞いてくれるから」
「へえ」
「あ、そうそう、そういえば青見ちゃん。あの子、関長さんと仲悪いの?」
「えっ!?」
びっくりした。その名を、先輩との会話で聞くと思わなかった。
「ぜ、全然、なにもないです」
「そっか。だったらいいんだけど、なんか噂で聞いたからさ」
三年生の先輩がそのことを知っているってことは、噂はもっと広く広がっているのかもしれない。
「ま、本当のことはしらないけど。なにがあっても、私は青見ちゃんの味方だからね」
「……」
たぶん、これはよくない。私、ではなく関長さんにとって、あんな噂が一人歩きすることは、非常にまずいと思った。
◇◇◇◇
バッティングを終えた私は、守備に回る。実際の守備位置で言うとレフト辺りを守る。
現在バッティングを行っているのは、一年生が多い。乃愛や関長さんもその中に入っている。
しばらく守っていると、関長さんの番が来た。二つある打席のうち、右側に入る。その小さな体格のせいか、関長さんが持ったバットは普通のより長く見える。
関長さんのスイングは見かけによらずダイナミックだった。オーソドックスな構えから足を高く上げ、ボールを呼び込む。一気に全身力を解放させる力強いスイング、ボールを真心で捉える。
痛烈な打球がちょうどこちらに飛んできた。ジャンプして、なんとかそれを捕る。グラブに入ってきた瞬間、結構な衝撃を感じた。
二球目、関長さんは続いても、シャープなバッティングを見せる。打ったボールは、ライトの方へ鋭く飛んでいった。
二つとも鋭い打球で、実際の試合ではヒットであろう当たりだった。スイングは、小さな選手にありがちな当てにいくものではなく、しっかりと振り切っていて、力強さを感じさせるものだった。
ボールをミートする能力も大したものだった。バットは確実にボールを捉えていく。その後も、右へ左へヒット性の打球を放っていった。
「ふむ……」
私を除いた今年の一年生の中では、乃愛と関長さん、二人が群を抜いて実力があると思う。夏の大会までにはレギュラーになってもまったくおかしくない。
あとはポジションの兼ね合いだけで、外野の乃愛はそこも問題ない。ただ、ショートの関長さんの場合は、私とのポジション争いがある。
もしかしたら負けるかも。近頃そう思う。
関長さんの打撃練習は終わった。最後は内角の球を思いっきり引っ張り、レフト線に大きくかっ飛ばしていた。試合だったら、確実に長打の打球だった。
◇◇◇◇
バッティング練習が終わり、しばしの休憩タイムが取られた。すぐそこ、目の前を関長さんが歩いていた。思い切って声をかけた。
「関長さん」
彼女は、私の声に振り向く。
「なんか用?」
とても嫌そうな顔をしていたし、返答にもツンとしたものがあったけれど、とりあえず無視されなくてほっとした。
「私たちのこと、みんなの噂になってるよ。あの二人が仲悪いんじゃないかって」
「……」
「別に私のこと嫌いでもいいからさ、みんなの前では、普通に喋ってよ」
関長さんは私に背を向けたままそれを聞いていたが、やがて、
「話はそれだけ?」
そう言って、どっかへ行こうとした。
「ちょ、ちょっと待ってよ……うわっ!」
慌てて追おうとしたとき、地面に転がっていたボールに気づかなかった。私は、思いっきりそれを踏んづけ、バランスを崩し、お尻を強く地面に叩きつけた。
「いったぁ……」
「大丈夫?」
関長さんが駆け寄ってきて、なんと、手を差し伸ばしてくれた。その手の力を借り、立ち上がる。
「こんな感じでいい?」
「う、うん。ありがとう……」
彼女の手が目の前に現れたときは、正直うれしかった。私の心は単純だった。
「あ、あと、私のドジを笑うような笑顔を見せてくれると、もっと仲良く見えるかも」
「こ、こんな感じ……?」
関長さんはぎこちなく笑って見せた。元の顔がいいからか、恥じらう感じも相まってとても可愛く見えた。
「ていうか、調子に乗んな。いつまで握ってんの!」
しばらく私たちの手は握り合ったままだけど、向こうは急に我に返った感じに、思いっきり振り払った。ノリツッコミみたいで、おかしかった。
「で、もう行っていい?」
「待って」
この場を逃してはいけない気がした。言いたいことは全部言っておこうと思った。
「どうして私のこと嫌いなの?」
関長さんは、大きく瞳を揺らした。
「前に言ったでしょ。あんたのせいじゃないって」
「でも、それじゃ、私はどうしたらいいの」
「別に、どうもしなくていい。わたしはあんたが嫌い。それでいいでしょ」
「嫌だよ、そんなの」
「なんで、ほっとけばいいでしょ、わたしのことなんて」
「だって私は……あなたのこと嫌いじゃないもの」
関長さんは小さく「っ……」という言葉にならない言葉を漏らした。
なにか言いたげだったが、なにも言わず去っていく。私には、これ以上彼女を引き留める言葉がなかった。
わからなかった。彼女の真意も、私が何をしたいのかも、何もかもがわからなかった。