10話 意地っ張り
「いくよー」
そう私に呼びかけたのが、千庄高校女子野球部のエース、三年生の永井光先輩だ。
グラウンドの脇、ブルペンに私たちはいた。投球練習場であるここは、土が高く積み重ねられ、こんもりとしたマウンドが設置してある。
私の視線の先、光先輩はマウンドにいる。先輩は投球モーションに移り、糸を引くようなストレートを投げ込んでくる。
バシン、という音が鳴り、捕手のミットにボールが吸い込まれる。左打席に立っていた私は、どうしようもなく見送った。
その後も変化球を交えながら、光先輩は投球を続けた。コントロールの利いた素晴らしい球ばかりだった。
「どうだった?」
十球ほど投げ込んだ後、先輩はマウンドを降りて、こちらに向かってきた。
「ええと……いい球ばっかりでした」
遠慮がちにそう答えるしかなかった。
練習中に急に呼び止められた私は、光先輩の投手練習の感想を求められているのだった。
とりあえず丸腰で打席に立って、じっくりボールを観察してみたけど、なんと言えばいいのかわからなかった。
「うーん、なんか漠然としてるなあ」
大きい二つの目が、わずかに細められる。光先輩は、非常に人目を惹く魅力的な容姿をしていた。
目鼻立ちがはっきりとしていて、イケメンともかわいいともとれる中性的な容姿。ショートカットの黒髪が、健康そうでみずみずしい肌をきれいに縁取っている。
「先輩、もう終わりですか?」
捕手を勤めていた二年生の弓削日菜子先輩が、こちらにやってきた。
「うん、今日はもう投げないから。休憩していいよ」
光先輩に告げられ、日菜子先輩は休憩をしにいった。
「なんか、なんでもいいから、もっとこうした方がいいとか。なんかアドバイスちょうだい」
「なんで私に聞くんです? 私ピッチャーほとんどやったことないし、できるアドバイスなんてないですよ」
「だって、最後の大会も近づいてきたわけだし。やれることは全部やっておきたいし。だから、桜希ちゃんの率直な意見が聞きたいの」
光先輩の言うとおり、夏の県大会は刻々と近づいていた。今は六月、私たちが目指すところまではあと一ヶ月である。先輩が焦燥を感じるのも無理はない。
それに、今は梅雨の時期である。毎日毎日、ボールを使った満足のいく練習ができているわけではない。ここ数日はあまり雨が降ってはいないものの、明日だってそうだとは限らない。
大会まであと何回の練習ができるのだろう。光先輩の言い分はとてもわかる。とくに三年生にとっては、なおさらだ。
「そう。藁にもすがりたいってことで」
「……私は藁ってことですか」
「もう、そうじゃないって。で、どうなの、あたしの球は?」
「えっと……大丈夫だと思います。私にだって打てるかわからないです。これはホントです」
「そっか。桜希ちゃんがそういうなら安心だ」
光先輩は歯を見せて笑った。
結構、強引な人だと思った。ピッチャーっていうポジションは、これぐらい我が強いほうが向いているのかもしれない。
光先輩は、県内でも最強クラスの投手だった。この部の命運は、この人が握っていると言っても過言ではなかった。
先輩は「昔話だけど」と言って、話しだした。
「あたしのわがままにつき合わせてしまった陽子のためにも、頑張らないといけないからね。陽子もあたしも別の高校から推薦貰ってたんだけど、あたしがこの高校で一緒に全国目指そうって、陽子を誘ったわけ。まだ一回も全国行けてないから」
光先輩と陽子先輩は、中学時代、地元のある女子軟式野球チームに所属していた。そのチームは結構強くて、この部には、先輩たちの他にも出身者が多くいる。うちの強さの源には、そういった事情もあった。
「なんかそういうのいいですね」
「青桜希ちゃんもそういう感じじゃないの?」
「私は、そんなかっこいい理由じゃないです。はい……」
私がこの高校に入学したのは、乃愛に付いてきただけだ。
「なんにせよ、運命の巡り合わせで同じチームになったわけだし、頑張りましょ」
光先輩は言った。その瞳が心強くて、私は、心の底から「はい!」と答えられた。
◇◇◇◇
練習の最後のメニューは、ベースランニングだった。ランナー、アウトカウントなどを事前に想定し、場面に則した走塁を行う。
ランナー一塁での盗塁、ランナー三塁でのタッチアップなどの場面を終え、最後は遊び心のある、リレーをすることになった。
「じゃあ最後は、二チームに分かれて、リレーをしたいと思います。いつもどおり、足の速さが同じぐらいの人とグーとパーでわかれてください。負けたら罰ゲームね」
陽子先輩が言うと、皆が、自分の組む相手を探し出す。
チームを組み、全員がベースランニング一周ずつを走り終えるのがどっちが早いかを競う。私と同じぐらいの速さの人といえば、一人しか思い浮かばない。
私が行くまでもなく、明日葉はこちらにやってきた。明日葉が言うには、「あんたと組めば、同じチームにならないで済む」らしい。
「グーとパーで、わかれましょ」
私たちは三回ぐらい同じ手を出し続けて、なかなか決まらなかった。
「もういい、わたしはパーでいくから」
というわけで私がグー、明日葉がパーのチームとなった。グーのチームは本塁からスタート、パーは二塁からスタートする。私はグーチームのアンカーをつとめることになった。
リレーは白熱した。中盤ぐらいまではかなり接戦で、抜きつ抜かれつの大熱戦だった。
ところが終盤、徐々に差がつき始めた。私のチームが優位をとった。リードを保ったまま、私の番がやってくる。二塁の相手チームに目をやる。あっちのアンカーは明日葉だった。
一周を終えてきた前のランナーとタッチし、走り出す。明日葉よりは早いタイミングでのスタートだった。
全力で走る。一塁、二塁、三塁と回ってホームに帰ってくる。アンカーは最後、マウンドに置いてあるボールを取らなければならない。先に取ったチームの勝利である。
本塁を蹴り、マウンドに向かった瞬間、明日葉の姿が視界に入った。
思ったより接戦だった。とにかく走った。最後はボールに飛び込むような形で、私の右手は、わずかに明日葉より早くボールを手中におさめた。
「く、くそ」
悔しがる明日葉だったけど、私は負けた感じしかしなかった。
「というわけで、負けたチームは、あそこのネットまで往復ダッシュね」
陽子先輩が、グラウンド奥に高く張られたネットを指さす。あそこまでの距離は百メートルはある。
負けチームは、「えー」と不満をもらしながらも走り出す。座って息を整えていた明日葉も、それに続いていった。
私は座ったまま動けなかった。そこに、陽子先輩がやってきた。
「負けてたね、青見ちゃん」
「はい……」
スタートは私のほうがいくらか早かったはずなのに、ゴールはほぼ同時だった。間違いなく明日葉に私は負けていた。
「あの子をショートじゃなくて、他のポジションで使うべきなんじゃないか。そんな話を先生としたことがあってさ。だから私はあの子に聞いてみた。ポジションコンバートする気はないかって」
全力を果たした影響で、私の息は絶え絶えだった。驚きの言葉を上げる余裕もなかった。
「そしたらあの子は、ショートしかやらない、って言ってた。ショートにこだわりがあるのか、あなたにこだわっているのかはわからないけど」
罰ゲームのメンバーが続々と帰ってくる。リレーの最後に全力疾走をしたはずなのに、明日葉は、罰ゲームでも決して手を抜かずに一番早く走っていた。
「たとえば、関長さんをショートにして、あなたにはサードとか、他のポジションに移ってもらうっていうのはどう?」
なかなか答えづらい質問だった。
「……少なくとも、あっちは納得しないと思います。私が“引いた”ってなれば、絶対怒ると思います。それに、私もそれは、嫌……です」
先輩は「はぁ」と大きなため息をついた。
「変なの。意地っ張り、二人とも」
「……すいません」
意地を張っている私、それは今まで見たことない、私の知らない私だった。
「わかんないわ。あなたたちのことは、全然」
先輩の言葉で会話は終わる。その表情から、先輩の考えていることをはかり知ることは出来なかった。




