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1話 ドラフト一位

「集合ー!」


「はい!」


 夕日が射し込み始めていたグラウンドに、溌剌とした声が飛ぶ。ここは千庄高校の第三グラウンド、女子硬式野球部がいつも活動している場所。


「これからシートノックをしていきます」


 部員たちの前で話し始めたのが部の主将――吉川よしかわ陽子ようこ先輩である。円を作るように並んだ部員たちは、真剣な表情でキャプテンの言葉に耳を傾けている。


 人数は三十人ぐらいで、学校指定のトレーニングウェア姿の新入部員が一部いる以外は、ほとんどのメンバーが練習用のユニフォーム姿だ。


 私、青見あおみ桜希さきはこの高校へ入学したばっかりの一年生。


 今日は一応部活の仮入部期間に当たり、女子野球部に入部希望の一年生は今日から本格的に練習に参加している。


 心機一転にユニフォームは新調したばっかで、先輩たちのと比べると断然真っ白。中学の時使っていた黒色のキャップを被り、長い黒髪を後ろで一本に纏めるのが、ずっと変わらない私のスタイルだ。


「一年生の経験者は希望のポジションに就いてね、どれぐらいやれるか見てみたいから。未経験の子はちょっとお手伝いしてもらうから」


「はい!」


 部員達が駆け足でグラウンドに散っていく。


 ノックとはいわゆる守備練習のこと。私は二塁ベース近くの、慣れ親しんだポジションへと走っていった。


 ショート、私は小学校の時からずっとこのポジションを守ってきた。ショートは日本語で遊撃手ゆうげきしゅと言う。キャッチャーと共に守備の要とされるポジションである。 


 ポジションに着いてみると、ショートの位置には私ともう一人しかいなかった。同じクラスの関長せきなが明日葉あすはさんと私だけ。

 

 最初はボール回しだった。各ベースに内野の選手が集まり、ボールが本塁から一塁、二塁、三塁と送られていき、再び本塁へと戻っていく。これを数回繰り返したと思うと、次は反対回りにボールを繋いでいく。


 私は二塁ベースでボール回しに参加した。そして本格的にノックは始まった。

 

「サード!」


 ノッカーである主将が、サードへボールを打つ。サードは打球を捕球し、すぐに一塁へ送球する。


 次はショートの番。


「ショート!」


「お願いします!」


 お腹から声を出す。主将ノッカーがバットでボールを叩く。強めのゴロが私の右側――三遊間へと飛んだ。


 すばやく打球に回り込む。逆シングル――ボールに対し半身はんみのままグラブを差し出す。ボールが地面にぶつかり、跳ねた瞬間をグラブで捕らえる。


 すぐに右手に持ち替える。下半身で作ったタメを一気に解放する。上半身の回転で、右腕を思いっきり振る。右手を勢いよく離れていったボールは、ノーバウンドで一塁へたどり着いた。


「ナイスプレー!」


 主将が大きな声で言った。少し遅れて、ほかの部員たちも各々に声を発した。


 次は関長さんの番だった。


 彼女とは同じクラスだけど、これまでにしゃべったことはない。なんというか、全身から、話しかけんなオーラを発している。


 ちょっと幼げな顔立ちは、非常に愛らしい造形をしている。首の真ん中ぐらいで切り揃えられたショートカットもよく似合っている。ただその視線は、猛獣を思わされるほどにはするどい。


 カキーンと、金属音が鳴る。

 

 彼女への打球は私の時のと似たような、三遊間への当たり。関長さんは、その小さな体を一気に加速させる。右側に来たボールに対して、あっという間に追いつく。その動きは、小動物のように俊敏だった。

 

 捕った後も完璧だった。無駄のない動きから送球されたボールは、ワンバウンドして一塁へ到達する。


 凄い上手だと思った。


 その身のこなしと躍動感、十分なスキルを持っていることと、それを磨くために修練を重ねてきたことは、その動きを見れば十分にわかった。


 ◇◇◇◇

 

 数十分後、ノックは終わった。ひさしぶりの野球はめちゃくちゃ楽しかった。これで今日の練習は終わりで、あとはグラウンド整備や後かたづけを行うだけだった。


「おつかれ、青見ちゃん」


 そこで主将、吉川陽子先輩に声を掛けられた。肩口で綺麗に切り揃えられている上品な黒髪、きれいに配置された顔の造形、大人の女性、といった雰囲気の先輩だった。

 

「おつかれさまです」


「どうだった練習は?」


「楽しかったです」


「そう、良かった」


 先輩は160cm中盤ぐらいの身長で、まあまあ背が高い。170ある私よりは当然低いけど。


「いきなりだけど、あなたはショートのレギュラー確定してるからね」


 先輩は、出し抜けに言った。


「実は前のレギュラーは私だったんだけど、あなたが入ってくるから、サードに移ったの。あなたはうちの“ドラフト一位”だから、それなりの待遇を、ってことで」


 クールな印象の涼しげな先輩の目が、私の姿をしっかりと捉えていた。


「あんまり、入ったばかりの子に期待ばっか押しつけちゃいけないってわかってるけど、全国に行くにはあなたの力が必要なの」


 そこで言葉が一回止まった。私の返答を待っているかのようだった。


「……期待に応えれるかはわからないですけど……がんばります、キャプテン」


「ありがとう。こっちもできるだけサポートするから、なんでも相談に乗るからね。あと……“陽子先輩”って呼んでくれたら、嬉しいな」

 

 少し恥ずかしげに先輩は言う。


「わかりました。陽子先輩」


 私が言うと、陽子先輩は嬉しそうに目を細めた。そして私を見つめると、


「……青見ちゃんのこと、写真とかで見て美人だって知ってたけど、近くで見ると、もっと綺麗だね」


「えっ、いや、そんな……」


 先輩はそれだけ言って、足早と去っていった。なんだかむずかゆい。


「ん」


 その時、私の後ろに誰かが立っているのに気づいた。関長さんだった。仏頂面で、なにも言わず、ただこっちを見ている。


 なにかこちらから言うべきかと思い、恐る恐る声をかけてみる。


「あの……これからよろしくね」


 その時、やっと言葉が返ってきた。


「わたしは、あんたなんかと仲良くする気ないから」


 視線が鋭かった。言葉が力強かった。


「えっ……」


「二度と、わたしに話しかけないで」


 彼女はくるりと背を向け、あっという間に遠ざかっていく。どんどん背中が小さくなっていく。私はしばらく、呆然として動けなかった。


◇◇◇◇


 辺りはすでに薄暗くなっており、夜が世界を覆い始めていた。


 ユニフォームから紺色の制服に着替えた私は、帰宅の途についた。まだ通い慣れていない道を自転車で進む。


「なにそれ、びっくりだね」


 そう言ったのは、末広すえひろ乃愛のあ。私のクラスメイトで、同じく女子野球部に入部した少女である。


 真ん中で綺麗に分けられているセミロングの黒髪、おでこをはっきりと人目に晒したスタイルとぱっちりとした瞳。その容姿の与える印象通り、明るく社交的な性格をしている。人見知りなんて言葉とは無縁で、友達も多い。


 乃愛とは小学校、中学校と一緒で家も近い。これからも毎日のように一緒に登下校することになると思う。


「でしょ。もう怖くて」


 私は今日の“あの出来事”を話した。ずっと心に引っかかってて、ようやくここで打ち明けることが出来た。


「桜希がなにかやっちゃったんじゃないの? 心当たりない?」


 頭を横に何回も振る。とはいえ、あんまり記憶力には自信ない。絶対に“NO”とは言えない。


 交差点に差し掛かる。歩行者信号は赤で、ペダルをこぐのを止める。


「乃愛は、関長さんと話したことあるの?」


「うん、ちょっとだけ。入学して二日目ぐらいかな。話しかけてすぐに逃げられちゃってさ。わたしが桜希のお仲間だってバレてたのかも。それで、こっちがなにもしていないとしたらさあ――」


 乃愛は人差し指を上に立て話し出した。


「あっちがなんか勘違いしている。それか、勝手に恨みを募らせたか。まあ理由がなんにしろ、いきなりそんなこと言ってくるなんて、いい度胸してる。面白い子だなあ」


 確かに、どんな理由があろうと私にはあんなことはできない。でも、


「面白がらないでよ」


 そんな、私の切実なお願いを無視し、乃愛は少し愉快そうに言う。


「興味出てきた。ちょっと仕掛けてみよっか」


「ちょっと、何する気?」


「直接本人に聞いてみる。なんでそんなこと言ったかって」


「ええっ……ちょっと怖くない?」


「でも、このままじゃ嫌でしょ。クラスメイトでチームメイトなのに、ぎくしゃくしたままじゃ」


「まあ……」


 それはそうだけど。


「決まりね。とりあえず、最初の作戦は明日の朝一番ね」


「なんで、朝からやる必要が?」


「なんでって、警戒されてないときにやるのがいいでしょ。朝、寝ぼけまなこで登校中、そこをとっつかまえてわけもわからない内に尋問しちゃうのが効果的でしょ」


 乃愛はなぜかとても楽しげだった。


 再び、自転車をこぎ始める。話に夢中になっていた私たちは、信号が青になっているのに気づいていなかった。


 私はため息をついた。得体の知れない少女と、好奇心旺盛な友人。充実したスタートを切れたはずの私の高校生活は、二人の存在によって、おかしな方向に進んでいくことになる。

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