Issue#9 ◇ふえるむしとりしょうねん◆
◇ ◇ ◇
むしとりしょうねんは、実はちょっとだけ困惑していた。
そりゃそうだ。はじめたばかりのMMOで目の前にGMが現れて、ちょっとちょっかいを出したら消えてしまったのだ。イレギュラーなことが起こったくせに、対応を途中で投げ出されてしまったような、そんな気分になる。
鬼の居ぬ間のなんとやら。とりあえず、二度目のキャラクリを先に進めることにした。
彼はアバターを今度は高身長にして、子どもと大人が同時に歩くみたいな奇妙な状態を作る。なお、ふたつのアバターは同一座標にいなければならないはずなので、常にお互いがお互いにめり込むような形で振動している。
「増殖バグだあ……」
常人が陥ったら間違いなく発狂する状態だが(目も耳も4つあるし、口も2つあるのだ)、幾多のバグを乗り越え、16体のアバターを同時に操ったこともある彼にとってはこんなの序の口にすぎない。体の感触を確かめるように、ふんふんとスキップであたりを一周する。
「スキルも二重に取れるのかな」
「取れてしまうかもしれませんね」
むしとりしょうねんが楽しくなってきたところに、闖入者が現れる。
角張ったメガネ。首元まできちんとボタンの留められたシャツ。シワひとつないスーツ。後者ふたつはVR空間だから当然ではあるが、それでも、この男の個性を存分に強調していた。
「はじめまして、むしとりしょうねん様。『ヴァルグリンド・オンライン』運営・株式会社シミューリの河北と申します」
「これはどうも。むしとりしょうねんです」
重なりそうで重ならない2つのアバターが同時に頭を下げる光景を見て、河北は頭痛がしてきた。
VRゲームの開発中に開発者自身がデバッグを行うことはよくあることだが、ダイブ中に増殖バグが発生すると最悪なのだ。ログアウトするまで、二重の視界、聴覚、触覚に襲われることになる。河北はあの感覚が大嫌いだった。
そして――そんな状態でも何事もないようにアバターを操作できるプレイヤーがいることにめまいを覚えた。
ちなみに桃子は河北の後ろからおそるおそる現場を覗いている、そんな状況だ。
「さっそくですが、ただ今、お客様のアカウントにはバグが発生してしまっておりまして」
運営側の人間に「バグ」呼ばわりされたことで、一気にぱあっと表情が明るくなるむしとりしょうねん。わかりやすい。
「つきましては、その修正を行わせていただきます」
「……あの?」
普通は素直に頷くところだが、あいにくこの少年は普通ではない。
「これ、俺が嫌って言ったら……」
「はい、行わせていただきました」
ほんの少しだけ口角を上げて、河北が宣言する。
さんざん出し抜かれてきた恨みをちょっとでも晴らせて嬉しいのだ。
「強制かよ!」
「ゲームデータの整合性の担保は私どもの仕事でして」
「そーですか」
小柄なアバターだけになって、少し動きやすくなった少年がぶーたれる。
そんな様子を見なかったことにして、河北はやるべきことをやる。ただでさえバグ対応で今日のタスクがほとんどできていないのだ。この件もちゃちゃっと終わらせる必要がある。
「加えて、先ほどは我が社の佐谷が大変失礼をいたしました。佐谷さん」
「すみませんでした……」
おそるおそるといった雰囲気で河北の横に出てきた佐谷が頭を下げる。
「私からも。申し訳ありませんでした」
ばきゅん。
ふたりとも下を向くや否や<銃>を取り出したむしとりしょうねんが、河北のアバターにヘッドショットを決めていた。
ゆっくりと顔を上げた河北が、話を続ける。
「ただ――このように、GMに向かって攻撃行動を取るのは控えていただけると助かります」
「やっぱり?」
「ダメージは通らないようになっていますが、びっくりするものはびっくりしますので。お互いにとってよくありません」
「その割には全然表情変わってないけど、GMさん」
「同僚にも『表情が読めない』と評判でして」
「そっかあ」
むしとりしょうねんは、河北を挑発しつつバグの糸口を探ろうとするが、なかなかそううまくはいかず。
河北の目の前で発生させてもすぐに修正されてしまいそうだという感覚もある。
「それと、もう一点だけよろしいですか?」
「はあ……」
「《グラズフロプト》の転移門をアクティベートしたのは、むしとりしょうねん様ですよね?」
少年は思案する。
隠せるか?
隠したところで、意味はあるか? ログを漁って、もう裏が取れているんじゃないか?
規約を読む感じ、最悪でもBANだろうし――そうしたらまた別のゲームでバグを探しに行けばいいだけだ。彼にとって、このゲームに固執する意味はない。パインがわざわざ薦めてきたから、本腰を入れてやろうとしているだけだ。
どんな形でログを保全しているのか聞き出せれば上々。最終的に、彼はそう判断した。
「どうせ録画とかからバレてるんでしょう。言い逃れはしませんよ」
「録画があったら楽でしたよ! 最初わたしがどれだけ苦労したか……」
「佐谷さん」
「あっ」
トラウマを刺激されて、桃子は内部情報を叫んでしまった。うっかりさんであった。
「佐谷が失礼しました」
「いいっすよ別に」
全部の録画データが保全されているほど冗長ではないということが分かっただけで、むしとりしょうねんとしてはガッツポーズである。奇妙なバグは、映像で見ないとよく理解できないことも多い。それだけ、修正がかかるまで時間があるということだ。
「それでですね、お願いがあるのですが……」
むしとりしょうねんの眉が、ぴくりと上がる。
「むしとりしょうねん、と名乗っておられるのはそういうことなのでしょう。バグを探すなとは言いません。見つけるなとも言いません。ただ――もし発見されまして、それがあのように重大なものだったら。GMコールからご一報いただけますと幸いです」
もちろん、バグを出さない努力はする。それでも、どうしても生まれてしまうのがバグというものだ。
さすがに何度も緊急メンテ沙汰になるのはシャレにならない。一部プレイヤーのみロールバックとかはタスク量もバカにならないのだ。ダメもとで、河北は頭を下げることにした。
「……検討しますよ」
「どうかよろしくお願いいたします」
これについては押し問答するだけ無駄である。空間に道を開き、顔を真っ赤にして伏せている桃子を先に行くよう促し、河北は運営フロアに帰っていく。
河北とむしとりしょうねん――タスクに追われる天才プログラマと、バグを追いかける天才ゲーマーのはじめての邂逅は、このような形で幕を閉じた。
そして。
いよいよ、むしとりしょうねんのミッドガルドでの物語が始まる。
この上なくリアルに造られた世界で、彼はたくさんのバグを追い求めていくことになる。
◇ ◇ ◇
「あ、もしもしパイン? やーっとキャラクリ終わった」
「遅かったなあ、今迎えに行くから待ってて」
「水でもいじってるわ」
彼は、《はじまりの街・スプリータ》のリスポーン地点にある噴水を観察し始めた。