Issue#8 ◆プレイヤーを殴ってはいけません◇
「うるせー!!!!!!!!!」
人畜無害そうな見た目と仕草のむしとりしょうねんにまんまと騙された桃子。
実害は一切なかったのだけれど(1ダメージしか入っていない)、一応立場的に上のはずの自分が踊らされたというだけで我慢ならなかった様子で、取り出したGM専用装備をぐっと固く握りしめる。
「何その槍?」
凄まじいプレッシャーを放つ槍に少年が視点を合わせて<鑑定>するも、浮かび上がったウィンドウにはハテナマークしか表示されなかった。
それもそのはず――このGM専用武器の名は、『グングニル』。北欧神話の主神・オーディンの持つ槍の名を取ったそれは、紛れもなく作中最強の武器である。そもそもGMなのだから武器を装備するまでもなく色々できるのだけれど、それはそれ、これはこれ。「かっこよさは必要です」とは担当者の弁だ。
ネーミングが透けてしまうとワールドシナリオの展開がほぼ読めてしまうので、これに関しては高レベルの<鑑定>でも何も見えないよう設定済みである。
「なんでもいいでしょこんにゃろー!!!!!」
そんな最強武器で、プレイ開始1日のニュービーに殴りかかったらどうなるか。
当然、穂先が触れた瞬間に爆発四散する。比喩じゃなく。ATKとDEFの値に差がありすぎて、一瞬で肉体が崩壊する。
桃子は、新入りだが、優秀な人間であった。
怒りに支配された頭の片隅で、数瞬後に起こることをシミュレートするだけの余裕があった。
このまま槍を突き刺してしまうと、目の前のか弱いアバターは死んでしまうのではないか? そうすると何か不都合なことが起こるのではないか?
そう想像することができた。
だから、彼女は、不承不承ではあるが、槍を止めた。
寸止めになるように。少年には決して触れてしまわないように。それでいて、今感じている怒りは伝わるくらいの凄みをもって。
止めた、つもりだった。
きちんと止められたと思った。
瞬間――少年のアバターが、ポリゴン片になって散らばった。
「……へ?」
◇ ◇ ◇
まさか「キャラメイク中に死亡」を試せる機会が回ってくるとは、運がいい。
怒りのままに突き出されたにしてはやや勢いが弱かったので自分から一歩近付いたむしとりしょうねんは、そう思った。
アバターがポリゴン片になって飛び散り、視界に何も映らなくなり真っ黒な空間に漂っているような感じになるのは、VRゲーム死亡時あるあるである。少年も特に焦ったりしていない。
彼が気になっているのはこの後だ。ちゃんとリスポーンされるのか、永遠にこのままなのか、あるいは運営側から――今自分をキルしたことになっているはずのあのGMから何かしらの介入があるのか。
「お?」
視界が明るくなり始める。ゲーム開始時と同じような演出だ。きちんとリスポーンはさせてくれるらしい。
再び開くようになった眼前には、白を基調とした空間、そして槍を手に呆然としているスーツ姿の先ほどのGM。
「野蛮なGMさんどすなあ」
「エセ京都弁やめましょうか?」
「ちっ」
仕事をしているということは、リアルの体に近いアバターなのだろうか。
現在のむしとりしょうねんよりはだいぶ高いが、大人にしては小柄な体。健全な男子高校生だったら、大きな胸に視線が吸い取られていそうなところだが、あいにくむしとりしょうねんに対してはバグのことしか頭にないので無効であった。赤い眼が忌々しげに彼を睨んでいる。
息を大きく吸って、桃子が改めてお説教をしようとしたその時――空間に、声が響く。
「ようこそ!『ヴァルグリンド・オンライン』の世界へ!」
光の波紋がほわんほわんと揺れ、世界への新たな来訪者を歓迎する。
「お?」
「……ん?」
この場にいるふたりの人間の反応は、正反対であった。
むしとりしょうねんが向けたのは、キラキラするまなざし。何か新しいバグへと繋がっているのではないかという、そんな期待感。
桃子が向けたのは、厄介事を予期してげんなりとした眼。自分のしでかしたことが更なる大きな問題を生んでしまったのではないかという、そんな危機感。
そのふたつは、いずれも的中する。
「まずはあなたのお名前を教えてください! 指定されない場合は、VAXUR側に登録されているお名前を使用します」
キャラクタークリエイトが、はじめから始まっている。むしとりしょうねんは既に名前とアバターとスキルの設定を終えているにも関わらず、だ。
その証拠に、彼の頭上には「●▲しょうねん」(※●と▲は絵文字)と書かれたネームタグがふよふよと浮いている。さすがに<銃>は装備解除されているが。
つまり、これが何を意味するかというと――
「ドラゴンで」
「ようこそ、bug parrotさん! では続いて――」
また、新たなバグの足がかりになるということだ。
すぐに何が起こったか気付いた桃子は、もう、何も考えたくなくなった。
◆ ◆ ◆
とはいえ、仕事は仕事。社会人である以上、自分の責任は果たさなければならない。
新人が、自分の手に負えないトラブルに当たったらどうすればよいか? 上司に報告するしかない。
桃子は半分泣きながら、運営フロアに転移する。
遷移中に聞こえた「あ、逃げた」なんて声は無視だ無視。そもそもあいつが悪いのに。
「う゛ぇぇえん、せ゛ん゛ぱ゛い゛!!」
自席に戻ってきた桃子は、およそ乙女の上げてはいけない声を上げながら、河北を呼び出す。
「終わりま……佐谷さん? ど、どうしました?」
ふだん表情をほとんど変えない河北の眼が、一瞬見開かれる。
あんなに勇ましく出陣していった彼女がこうまでやり込められるとは。何があった?
「またバグです……私が殺したから……」
「殺したあ?」
桃子はなんとか説明を試みようとするが、泣きっぱなしなのでもう何がなんだか分からない。
やむを得ず、河北は動画ログを閲覧することとした。GMが直接お客様対応をする場合は、トラブル防止のためにも全てのシーンを録画しているのだ。……これはまた別ベクトルの感じがするが。
低身長アバターが桃子に近付き、不意打ちを決め、桃子にやられ、リスポーンして、ユーザーネームを重複登録する。
「……なるほど」
桃子の処分をどうするかなどはともかく、早急に対応が必要だと判断した。GMへの加害行為については後で規約を見直さないといけないが、それは後ででよい。
彼がキャラクリエリアにいる間に、直接コンタクトをとって、彼のプレイヤーデータを修正するのが一番手間がかからない。街に降りてしまってからでは彼のデータをデータベースから掘り出すのがだいぶ手間だ。
とすると――急ぐ必要がありそうだ。
「私も行きます」
「え……?」
「最初からこうするべきでしたね、私のミスです。佐谷さん、ご迷惑をおかけしました」
てきぱきとコンソールを畳み、メガネのずれを直して、河北は言った。
「行きましょう」