Issue#7 ◇騙したな、このヤロー◆
◇ ◇ ◇
「うーん……」
齊藤龍也の朝は遅い。今は夏休みだからなおさらである。
外はすっかり日が傾き、窓からは西日が差し込んでいた。いくらなんでも遅すぎる。
「めんて……」
無理もない。彼は『ヴァルグリンド・オンライン』の世界で、キャラクタークリエイトも終了しないまま、ただひたすら、透明な床に向かって、12時間以上も<銃>を撃ち続けていたのだから。いくら彼が高校生で元気を持て余しているとはいえ、一度集中力が切れてしまったらこうなる。
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【公式】ヴァルグリンド・オンライン @Valgrind_Online 9時間前
不具合が確認されましたため、ただいまより緊急メンテナンスを行います。
終了時刻は未定です。
プレイヤーの皆さまにご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。
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彼の集中力が切れてしまった原因は言わずもがな。彼のせいで始まった緊急メンテである。
元々の腹づもりではもう1時間くらいはプレイしようと考えていたのだけれど、運営の手により強制ログアウトさせられたため、レトロゲーをはじめる余裕もなくリアルの布団に倒れ込むこととなった。横になった状態でVRゲームはプレイするものなので、正確にはゴーグルを外すだけであるが。
「はらへった……」
龍也はまだだるそうな顔でがさごそ起き出し、キッチンにあった適当なものを頬張る。昨晩から何も食べていないのだから、そりゃあお腹が空くだろう。齊藤家の夕食はもうすぐだが、それまで保たない。
むしゃむしゃしながら、まだメンテが続くようなら別のゲームでもやろうかななどと考えているところに、ちょうどSNSの通知が入った。
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【公式】ヴァルグリンド・オンライン @Valgrind_Online 現在
本日午前9:30から行っております緊急メンテナンスの終了をお知らせします。
ただいまより、通常通りのプレイが可能です。
プレイヤーの皆さまにご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。
補償内容については追ってお知らせいたします。
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「お」
復旧したのか。それなら晩飯前に一度インして、アカウントの状態を確認しよう。たぶん、キャラクタークリエイトの途中でメンテナンスに入ったはずだ。どういう処理がなされているのか気になる。
そう考えた龍也は自室に戻り、ゴーグルを被り直す。やっと意識もしゃきっとしてきた。
「起動――ヴァルグリンド・オンライン」
そう唱えた少年の意識は、仮想世界に吸い込まれていった。
◆ ◆ ◆
桃子は激怒を続けていた。
必ず、かの邪知暴虐のプレイヤーに灸を据えねばならぬと固く決意した。
結局、新入りの桃子ですら、昼休憩を許されたのは僅かな時間。対応がほぼ終わり、サーバー側でテストをしていた夕方の10分ほどにいったんログアウトし、ゼリー飲料をちゅるちゅるとするのが精いっぱいであった。
健康で文化的な生活を返せ。
もう少しマシなものを食べさせろ。
そんな思いを胸に、「●▲しょうねん」(編注:●はイモムシの絵文字、▲はオウムの絵文字)氏を待ち構える桃子。ログインしてきたら、すぐにお説教に訪れる準備はできている。一応GMとして出て行くのだから、それ相応の装備もした。大丈夫のはずだ。
そうこうしているうちに、彼のログインとともに鳴るように仕掛けておいたアラートが、てぃろんと鳴った。サーバー解放からわずか5分。早い。やる気まんまんの様子だ。
桃子は、彼のいる空間に転移した。
光が弾けて、中から黒いスーツ姿の女性が出現する。桃子だった。ファンタジーさの欠片もないが、GMはこれくらい目立った方がやりやすいという、河北の思想に則ってデザインされたものである。
彼女の視界内で目を丸くしているのは、髪を短く丸刈りにし、黄色い目がいたずらっぽく光る、
身長120cmほどの少年であった。くりくりとした目が揺れ動き、桃子の様子をひたすら観察する。
この子が、あのバグを引き起こした「むしとりしょうねん」?
こんなにかわいらしいのに?
桃子の脳がバグる。現実の、眼前のバーチャルな光景を、うまく飲み込めない。
「えーっと……」
「おねーちゃん? なあに?」
ほら。
こんなにかわいらしい声で、こんなにかわいらしい仕草で。
この子が、あんなに恐ろしいバグを引き起こしたはずがない。
きっと、お兄さんの端末を借りているとかそんなところだろう。
桃子は、しょうねんに近付き、目線の高さを合わせるためしゃがみ込む。
「おねえさんに、お話聞かせてくれる?」
とことこと数歩歩み寄って、しょうねんは元気いっぱいに答える。
「うん!」
「ありがとう。君はどうやってここに来たのかな?」
「どうやって? うーん……?」
とことこと、さらに数歩歩み寄って――
◇ ◇ ◇
バグを見るためだったら、なんでもやる。
自他ともに認めるむしとりしょうねんは、ログインした数秒後に光の粒子とともに現れたGMらしき女性アバター(ファンタジー世界でスーツを着る職業なんて他にあってたまるか)を見るや、こう考えた。
彼女に、ダメージは通るのか?
こっそり<鑑定>をしたところ、HPゲージは存在する。だったらそれが減らせるのか確かめたくなるのがゲーマーってものだろう。幸い、固定ダメージを与えることが可能な<銃>の装備は継続されている様子。固定ダメージは発射炎の部分にしか判定がないので、どうにか懐に入り込み、銃口を押しつける必要があるが。
むしとりしょうねんは、やってきたGMを観察する。身のこなしは素人。こちらのアバターがあまりに小柄なところにやや動揺がみられる。
……これなら、騙せるのでは?
少年は、そう判断した。
幼い子どもを装って近付き、背中に銃を押し当て、ダメージを通す。
床と違って動くので、さすがに削りきるのは無理だろうが――でも、面白いことになりそうだ。
むしとりしょうねん の ふいうち!
こうか は いまひとつ の ようだ……
桃子のGMアバターの頭上に、「1」という文字が躍る。
ガッツポーズをしながら、いったん飛び退くむしとりしょうねん。はじめての被ダメージの感触に不快感を覚えた桃子。
視線がぶつかり合う。
「……ん?」
桃子の目が、少年の持つ<銃>に吸い寄せられる。フリーズしていた思考が、だんだん戻ってくる。
「……へ?」
今、私、このプレイヤーに攻撃された?
「GMさん、だよなあ?」
現実を認識した刹那、目の前のプレイヤーから――むしとりしょうねんから、煽るような文句が飛んでくる。
桃子はキレた。
やっぱりこのプレイヤー、生かしておいたらダメだ。
衝動のままに、あるいは挑発に乗せられるがままに、彼女はGM専用装備を取り出した。
「騙したな、このヤロー!」
「運営さんがそんな言葉づかいしていいんですかー?」
「うるせー!!!!!!!!!」