Issue#5 ◆オフィスもゲームの中にあります
サブタイトルに「◇」が入っている場合はプレイヤー側、「◆」が入っている場合は運営側の視点からのお話、ということにします。
首尾よくむしとりしょうねんが《グラズフロプト》に降り立ち、大混乱を生んだ少し後。
緊急メンテナンスを告知し、プレイヤーたちの強制ログアウト作業を終えた『ヴァルグリンド・オンライン』運営チームは、顔を突き合わせた緊急会議に入っていた。
……突き合わせるといっても、アバターどうしがVR空間内で会議室に集まるだけなのだが。それでもバーチャル通話よりは色々と伝わりやすい。
「……えー、本日朝に生じた深刻なトラブルにより、『ヴァルグリ』を緊急メンテナンスといたしました」
『ヴァルグリンド・オンライン』開発室長の河北が、角ばった眼鏡をくいっと直しながら話し始める。
開発の人間なのになんで運用のことにも口を出しているのかというと、単純に人手が足りないのと、この河北という人間が非常に有能だからである。『ヴァルグリ』の半分は彼のコーディングでできている。作った人間は細部まで知っているはずだから、結局運用保守の方にも駆り出されるのである。哀れ。
「発見者の佐谷さん、説明を」
朝からどたばたして疲れていた桃子に、キラーパスが飛んでくる。
河北は自身がなまじ優秀だから、こういうところであらかじめ話を通しておくという発想がない。心構えくらいさせておいてくれたって……彼女は慌てながらも説明を始める。
「え、あ。はい! 本日午前8時23分に何者かにより、《試練の街・グラズフロプト》の転移門がアクティベートされました。えー……」
続いて何を話せばいいか迷っているところに、河北からの誘導。
「緊急メンテに入ったのは?」
こういうところはやっぱり優秀なんだから、もうちょっと人の気持ちを察せるようになってほしい。
上司に対して不遜ではあるが、桃子はそう思いながら話を進める。
「9時10分ですね。異常感知AIは正常に稼働していましたが、検知範囲に指定されておらず、アラートは上がってきませんでした」
「AIリソースも限られているので、と範囲を狭めていたのが裏目に出てしまいましたね」
「その後、9時すぎに業務を開始した私が、SNSの投稿から異常を把握、河北さんにエスカレーションし、河北さんの権限で緊急メンテイン、というのがここまでの大まかな流れになります」
「ありがとうございました」
「何者かにより、というのは? 街のアクティベートはワールドチャットにキャラ名が残る仕様でしょう」
勝気な印象のポニーテールの女性が、質問を飛ばす。
「それがですね、東さん。【Undefined】だったんですよ」
「……どういうこと?」
河北が『ヴァルグリ』の半分を創ったのなら、残り半分の半分――25%は彼女が創ったといってもよい。
主にグラフィックまわりを担当していたが、河北の次にヴァルグリを把握しているのがこの女性・東である。
「なんらかの手段でデータベースに攻撃を加えて名前部分のデータを削除したか、あるいはキャラクター登録前になんらかの手段でグラズフロプトへ……そうか」
「何か思いついた?」
「映像ログを残していないのが残念です。正確な裏取りはできませんので」
「ワールド全体を映像で記録してたらストレージ代だけで会社が吹っ飛んじゃうもん。……で?」
「おそらく、彼ないし彼女は――『落ちてきた』んです。グラズフロプトまで」
「はあ?」
東をはじめ、その場にいた全員が首を傾げた。
# # #
キャラクター名が【Undefined】すなわち未定義のキャラがフィールドを出歩くのは、ふつう、あり得ない。
キャラメイクの完了とともに、VAXURアカウントと紐づいた形で、キャラクター名、アバターデータなどはサーバーのデータベースに保存される。課金チケット――キャラ名変更チケットを使用しない限りここを編集する手段はないし、編集したところで【Undefined】にはなり得ない。
すなわち、これが意味するところは。
キャラメイク完了前の何者かが、グラズフロプトに到達した可能性が高いということだ。
では、到達する手段はあるのか?
なくはないかもしれない、というのが、河北の見解であった。
『ヴァルグリンド・オンライン』のストーリーにおいて、プレイヤーたちは、神によって産み出された肉体に異界の魂の一部を取り込ませた、神族の尖兵という設定がある。これはもちろんプレイヤー側にはまだ明かされておらず、第2シーズンのアースガルド編で明らかになる予定だが。
ストーリーに忠実にしたい――そういう思いから、キャラクターメイキング(ストーリー的には「魂を取り込ませる作業」)は、神界アースガルドと人界ミッドガルドの狭間で行う必要があった。当然神界は天上にあるものだから、空高いところで行うことになるのは自然な帰結だった。床を透けるようにして、これからプレイヤーの行き交うフィールドを遥か高くから眺められるようにするのも、わくわくを高めるよい演出だった。
プレイヤーキャラクターは、肉体を創られ、異界の智恵を取り込み、来たるべき神界での戦いに備え、まずは人界に送られて冒険を送りながら強くなる。そういう設定がある。
では、どこの上空にするべきか?
虹の橋に置こうぜみたいな案もあったのだけれど、結局は「第2シーズンに移行するためのカギとなる街」として設置されたグラズフロプトの上空に決定された。
神界編がはじまり、天上から地上を見下ろしたプレイヤーたちが目にしたのは、かつて自分が創られた時の景色――いい感じにエモくない? そんなノリで開発は進んでいた。
そう、この話の中で重要なのは、ただ一点。
グラズフロプトの上空に、キャラクターメイキングエリアはある。
何らかの手段をもって――例えばキャラメイクエリアの床を突き破って――落ちてくれば、キャラメイクが完了していないプレイヤーがグラズフロプトに辿り着くことは可能である、かもしれない。
河北が語ったのは、以上の内容であった。
# # #
「筋が通らない話ではない、と? あんたが語るならそうなんでしょうけど……」
「せめて仕事中は河北と呼んでください……」
「そこ気にするところ? 河北さんはもっと気を回さないといけないところがあるんじゃない?」
「回してますよ! どうしたらどうやったか分かるか――最低でも、実行犯はどの人か分かるかを考えています」
このふたり――河北と東は、仲が悪いようでなんだかんだ仲がいい。どっちも名字に方位が入っているのが関係しているのだろうか。
「あっそ」
「……新規ログイン者で、緊急メンテ開始のタイミングでキャラメイクを終了していなかったキャラをリストアップしました。キャラと呼んでよいのかも微妙ですが」
会議出席者の眼前に、10行程度の表が出現する。
「この中に犯人がいるってこと?」
「おそらくは」
「ふむ……」
全員がリストの内容を把握するのに集中してしまい、バーチャル会議室は沈黙に包まれる。
しばらく経って、東が、ぽつりと。
「わかんないわね」
だんだん沈黙が重苦しくなっていき、謎の妖怪に化かされているような感覚を覚え始めた頃――
桃子が、声を上げた。
「あの――これなんですけど!」
「これじゃ分かりませんよ、佐谷さん」
「一番上の人です。絵文字使ってる人。<銃>を装備していますよね。あれって確か、固定ダメージが――」
「それです!!!」
河北が食い気味に返事をして、ぐぐっと体を乗り出す。
「それだ! きっとそれです佐谷さん! えーと……少々お待ちくださいね、皆さん」
すっきりした表情を浮かべた四角メガネの男は、猛烈な勢いでバーチャルキーボードを叩き始める。
周囲はもう、置いていかれて、何がなにやら。多少なりとも分かっていそうな桃子に詳しい説明を求めようとしたところで――
「お待たせしました、皆さん」
河北が立ち上がった。
「佐谷さんのご指摘の通り、武器種<銃>は、特別なスキルを必要とせず、オブジェクトに対して固定ダメージ――防御力に影響されずにダメージを与えることが可能です。こうやって」
いつの間にか手に握っていた銃をテーブルに押しつけ、引き金を引くと、「1」と白い数字が浮かんで消える。
「では、これをこの方が5万回続けたとしたらどうなるでしょう?」
今度は「50k」と書かれた球体のオブジェクトを取り出し、床に転がす。
「このゲームには、厳密な意味での破壊不能オブジェクトはありません。全てのオブジェクトは、耐久値が0になれば消滅します」
彼が手元のバーチャルキーボードのEnterキーを押し込むと、安っぽい爆発音とともに球体が弾け、床に50k――50000の固定ダメージを与える。
無機質なオフィスの床が1ブロックだけはらりと崩れ去り、合間からは青空と雲が見えた。
会議出席者は、唖然として言葉も出ない。そんなのあり?
一番早く再起動したのは、東であった。
「……これ、壊せたんだ?」
「そりゃあ、ゲームの中ですからね。なんだってできますよ」