Issue#14 ◆じーえむこーる
◆ ◆ ◆
画面端に表示している時計が夜の22時30分を過ぎた。
緊急メンテのせいで後回しになっていた通常のルーチン業務をひーこら言いながらこなし、ようやくそろそろ退社しても許されるかなーと桃子が思い始めた頃。
ぴろんと音を立て、彼女の視界に通知が割り込んでくる。うへえと声を漏らしてバーチャルデスクに突っ伏してしまう桃子。それもそのはず――今日の通常業務を始める前、特別に設定しておいた効果音が、早くも鳴ったのである。
ゲーム全体に影響を――例えば緊急メンテとかをもたらす重大な問題が起きる前にこの音が鳴ったこと自体は、喜ぶべきことなのかもしれないが。
「じーえむこーる……」
『ヴァルグリンド・オンライン』では、GMコールを行うことができる。ゲーム内でハラスメントや詐欺など緊急を要する事態が発生した場合、メニューからこれを行うと、内容に応じて専用AI(ベース部分はNPCを転用)かカスタマーサポート人員が対応するものだ。
夜間は原則AI対応のみですという注意書きがあったりもする。実は夜も開発班は仕事をしていたりするのだけれど、そっちのマンパワーを削るわけにもいかないので。
と、ここまでが原則論。
客商売は原則やテンプレ対応ばかりじゃあやっていられないのだと、桃子はようやくわかってきた。
このぴろんという音は、その筆頭にして今朝の緊急メンテの――桃子の残業の元凶・プレイヤーネーム「むしとりしょうねん」からのGMコール専用に割り当てたものだった。
バーチャルなはずなのに胃のあたりに鈍痛を覚えながら(臓器までシミュレートしているアバターは外科手術練習用のハイエンドなものくらいである)、桃子はひとまず上司にエスカレーションする。ひとりで突っ走って痛い目に遭ったのも記憶に新しい。報連相は社会人の基本である。
「河北さん」
メンテ対応によって新機能実装が滞っており、この時間まで残っていた河北を呼び出す。
「どうしました、佐谷さん?」
「奴です」
GMコールの情報を河北に投げながら、桃子はすごい顔をして言う。
「むしとりしょうねんです……!」
怪獣でも現れたのかなってほどに、諦観と反感の籠もった声だった。
# # #
<GMコール>
プレイヤー名:むしとりしょうねん
用件:移動不可能になった
場所:《はじまりの街・スプリータ》
詳細:
壁に阻まれて移動不能になりました。たすけてください。
# # #
「詳細な現在地は取得しましたか?」
「あ、まだです」
「じゃあこちらでしますね……えー……」
桃子は、ただでさえ忙しいだろう河北の手を煩わせることを申し訳なく思った。今度からは自分でやろうと誓う。
「出ました。あー……」
地図上にピンを立てた状態で、河北は情報を桃子と共有する。彼は見た瞬間何が起こっているのかを察したらしく、眉間にしわを寄せ、おでこのあたりを掻いている。
「噴水広場……?」
「Z座標を見てください」
2Dの地図では、高さまで判断することはできない。注釈部分の数字のひとつと、噴水広場部分の床の高さを見比べ、桃子は混乱した。
「埋まってるんですか?」
プレイヤーが床の当たり判定を突き抜けるようなバグは、デバッグ段階でも見つかっていなかったはずだが。どうやったんだあの悪魔と呟く桃子に、河北が訂正を加える。
「いえ、この座標自体は正常です」
「床より下なのに?」
「街の詳細な配置モデルを見れば分かるのですが――」
河北の操作により、桃子の手元に《はじまりの街・スプリータ》のミニチュアモデルが湧き出てくる。
「噴水のところ、えー、ここですね。小部屋があるでしょう?」
石畳の床の下の小さい四角い空間が、河北の操作によって赤い光で満たされる。
「むしとりしょうねん氏のいる座標は、ここです」
「知らなかった……」
「無理もありません。マップに作ってあるだけで、クエストは解禁していませんし」
この小部屋の中に収められたアイテムは、《スプリータ》の存在そのものに関わるかなり大がかりなストーリークエストで解禁される予定であった。実装しなければいけないものが山積みで、まだ当分凍結しておいてよいはずだった。なんなら河北自身、彼の座標を確認するまで存在を忘れていたくらいだ。
「じゃあ、あのプレイヤー、やっぱり……」
「なんとかして入ったはいいけれど、出られなくなったというところでしょうかね」
河北は続けて、ワールド観測ツールをアクティブにする。彼の手によって開発され、《フギン》と名のつけられたそれは、ゲーム世界の任意の場所の現状を自由に表示できるものである。
まずは上空から、スプリータの様子を観察する。噴水付近は普段とほとんど変わらず、縁にはひとりのプレイヤーが腰掛けていた。
「いつも通りですね」
同じ視点を共有している桃子がひとりごとのように言うと、河北はそれを否定した。
「いえ――噴水の水が減っています」
「あ、ほんとだ……」
床を抜けたのではなく、ある程度正攻法で結界だけ突破されたか――そうだとして、水はどうやって抜いたのか――河北の頭脳が考察を始める。
「何か影響あるんですか?」
「噴水の水が減ることで、扉が見えるような仕様になっています」
水位検知器の実装にそこそこ手間取った記憶が蘇ってきた。
「それ自体は問題ないんですね」
「水を抜く手段もやや不審ではありますが、それ以上の謎があります」
噴水の中まで視点が動いていき、透明な壁の奥で謎の踊りをするしょうねんアバターを捉える。GM仕様なので、明るさも自動で補正がかかっているし、透明な壁も見え方が補正されて「ここに壁がありますよ」と分かるようになっている。
「壁がありますね」
「壁があるんですよ」
ふたりとも、壁の向こうのアバターは見なかったことにして話を進める。会話がぎこちなくなっているのはむしとりしょうねんのせいだ。
「壊せるんですか?」
「壊せないはず、なんですけどねえ……」
今朝のグラズフロプト騒動を受けて、河北は全ての「あまり壊してほしくないオブジェクト」の設定を洗っていた。とはいっても、自動での耐久値回復がきちんと機能しているかの確認だけだが。
理想を言えば「一定値以下になったら自動回復」ではあるのだが、ゲーム世界中のあらゆるオブジェクトの耐久値を常に監視していたら開発初期に不都合が生じたのでこの形にしていた。
折衷案として、「10分に一度監視、体力が減っていた場合のみ全回復」を設定してある。10分で耐久値を全部削りきれるとは考えにくいのだが……
「どうしましょう、河北さん」
「とりあえず、行くしかなさそうですね」
広げていたコンソールをてきぱきと片付け、メガネをくいっとかけ直し、立ち上がった河北は、スプリータへのポータルを作る。
「――ちょうど、コーディングにも飽きてきた頃でしたし」




