Issue#11 ◇噴水の水ぜんぶ抜く
◇ ◇ ◇
角砂糖は、どうやら無限に溶けるようだった。そして無限に甘くなる。
200個で合成甘味料の塊を口に放り込まれるのと同じくらいまで甘くなったのでそこで打ち切ろうとしたが、むしとりしょうねんが「256までは試すぞ」と言い出したのでそういうことになった。古のゲームのバグをずっと探しているとこういう思考になる。
「ここまでにしとくか」
角砂糖256個が溶け込んだ、現実ではありえないコーヒーを味見して、むしとりしょうねんは言う。
「そんなに単純な実装はしてないってことだね」
向かいの席で液体を舐めたパインは、甘さに顔をしかめながら考察を述べる。
「ちぇー」
「レトロゲーのやりすぎだよ。だから200で止めようって言ったのに」
「まあいいよ」
苦みが消え失せ甘さの権化になった真っ黒い液体を、むしとりしょうねんはぐぐっと飲み干す。
「……よく平気だね?」
「甘ければ甘いほど脳にはいいし」
「太るよ」
「まあそれはそれで」
ゲームにハマりこんでしまって気付いたら食事を抜いていることもあるくらいだ。リアルの龍也は割と痩せ型である。
ま、VR空間でいくら甘味を摂ったところで、現実の体に栄養素が送り込まれるわけじゃないんだけれど。
「さて」
空になったマグカップを置き、むしとりしょうねんは席から立ち上がる。お会計は注文した瞬間にゲーム内通貨での支払いが済んでいるので大丈夫だ。
「武具屋的なところ、あるよな? 連れてってくれ」
「はいはい」
今度は何を始めようっていうのか。むしとりしょうねんがどんなことをしでかすのか、パインはわくわくしながら喫茶店を後にした。
◇ ◇ ◇
わくわく感を重視して製作されたため実際に商品が陳列されている武具屋を、むしとりしょうねんは物色する。広い店内に棚がたくさん並んでおり、剣のコーナー、槍のコーナーといった具合に分けられている。中世ヨーロッパっぽい世界観なのに物流が発展しすぎているとか在庫管理どうなってんのとかそんな無粋なことは聞いてはならない。ゲームとしていい感じならそれでいいのだ。
「これでいいか」
むしとりしょうねんは、大盾コーナーの中から最も大きなもの――一般的なタワーシールドを選んだ。生じゃない方の八ッ橋みたいな形のやつだ。かなりの高さで、120cmほどしかない彼は頭から足先まで隠れてしまいそうだ。
「持てるのか?」
「別にこれ持って戦うわけじゃないからな」
アイテム・装備は、実体化させていない状態ならポーチの中で一定数までは自由に持ち運べる。重量ペナルティも、装備時だけらしい。
「じゃあ何するんだ……?」
「それは後でのお楽しみってことで」
はあ、とため息をついたパインに、追撃が入る。
「なあパイン」
「ん?」
「金貸してくれ」
金属をふんだんに使ったタワーシールドは、クエストのひとつもこなしていない初心者には高価すぎた。
せっかく先行している友人がいるのだから、頼ってしまえ――むしとりしょうねんは、そういう奴であった。
「返せよ?」
「いつかな」
むしとりしょうねんは、こうしてタワーシールドをてにいれた。
◇ ◇ ◇
大盾の購入手続きを済ませ、ポーチに収納したむしとりしょうねんは、初期スポーン地点の噴水広場に戻ってきた。なんだかんだでパインもついてきている。自分が攻略を進めるより、むしとりしょうねんが何をやらかすかに興味があるらしい。
「もう真っ暗だな」
ゲーム内の時間は現実と連動している。
ログインしたときにはまだ夕暮れ時だったが、話し込んで盾を買っているうちにすっかり空は暗くなっている。街中は火がゆらめいていたりランプがあったり魔法の灯りがあったりして華やかだけれど。
濡れた服はすぐに戻せるとわかったためか今度は上裸にならずに、むしとりしょうねんはざぶざぶと噴水に踏み込んでいく。パインは横でジト目で見ている。
「何する気?」
「噴水の水抜けるかなって」
「はあ?」
むしとりしょうねんは、メニューをしゅうぉんと呼び出し、先ほど購入したタワーシールドを呼び出した。と思ったらすぐに装備を解除した。
「え?」
「今のは練習。の前に検証するの忘れてたわ」
パインの指摘に返事をしたのかあるいは独り言交じりなのか、とにかく呟くと、<銃>を装備し、手に現れたピストルを噴水の中に突っ込む。
リアルでこんなことをしたらアホであるが、あいにくここはゲームの世界。
そう――装備解除すれば、付着した水は消えるのだ。
ピストルを上向きにして持ち上げ、発射口部分に水が溜まっていることを確認し、むしとりしょうねんは<銃>を装備解除する。
手の水滴を軽く払ってから再び<銃>を呼び出すと――むしとりしょうねんの手の中には、乾いた状態の銃が現れた。かがり火の光が反射し、黒い仕上げの銃身が鈍く光っている。
「よし」
また<銃>を戻すと、むしとりしょうねんは、噴水の水面下5cmくらいのところに左手を差し入れる。
右手でメニュー操作をして――呼び出すのは、もちろん先ほど手に入れた<タワーシールド>。
「おっも!」
左手の先に光が収束し、盾が現れた。瞬間――金属装備の重さに、内側に入り込んだ水の重さが加わり、むしとりしょうねんは立っていられなくなって膝をつく。
「何してんの?」
「こっからだから」
最初は浮かせた状態でやってみようと思っていたようだが、深さを見誤ったようだ。
噴水の底に沈んでしまった大盾になんとか左手が届いており、顔もギリギリで水面から出ている。身長低くしなければもうちょっと楽だったななんて思いながら、むしとりしょうねんは手探りで<タワーシールド>の装備を解除する。早くも、だいぶこのゲームのメニュー操作に慣れてきていた。
光が弾けて大盾が消える。
瞬間――少年の目の前の一部分だけ、水位が3cmほど下がる。波が広がる。外から見ているパインからは分かっていないが、むしとりしょうねんは、自分のもくろみがうまくいきそうなことを理解した。
左手の位置をそのままにして、少年は右手でメニューをいじりまくる。
盾を装備し、
すぐに装備を解除し、
盾を装備し、
またすぐに装備を解除し、
装備し、
解除し、
装備し、
解除し、
装、
解、
装、
解、
「いや何してんの??」
ひたすら装備音と装備解除音を聞かされ続けたパインが問う頃には、むしとりしょうねんの行動の影響が見て分かる程度になっていた。
「よく見てみろ」
パインは気付く。
彼のアバターの顔が、さっきより上に――違う。
水位が、下がっていることに。
そう。
盾に接していた部分――正確には、盾によって掬われる形になった部分(∀←こんな感じを連想されたい)の水は、環境ではなく「濡れた」扱いされ、装備を解除するたびにどこかへ消えていたのだ。
これを早いペース――噴水から水が湧き出るより早いペースで行えば、理論上、溜まった水はどんどん減っていく。そう。今むしとりしょうねんのやっているように。
「いや、ほんとに何してんの?」
本当に、どこからこういう発想が出てくるのか――いつものことながら、パインは呆れた。
「噴水の水ぜんぶ抜こうと思って。あ、そうだ」
そして。彼の隣でゲームをしていると、こうやって引っ張り込まれるのだ。
「なんかいい容器っぽいの持ってない? 手伝ってくれ」




