Issue#1 ◇バグ技見つけて大混乱◆
新連載!VRもの!はじまります!!!
「89、90、91……」
少年が引き金を引くたび、発射された弾が半透明の床に弾かれる硬質な音が一定のリズムを刻む。果たしてその情熱はどこから来るのか、彼は一心に床の向こうに透ける大陸を見据え、引き金を引き続ける。
「92、93、94……」
床に押し付けるように構えられた銃から出るマズルフラッシュのエフェクトが、ぴか、ぴか、と彼の顔を照らす。
「95、96、97……」
少年のカウントと共に、白い「1」という数字が、床から現れては消える。
そう――ダメージが通っているのだ。
「98、99……」
この世界は、ゲームの世界。
優れたVR技術により造られた、"現実よりもリアルな"ファンタジーの世界。
しかし、そこがゲームの世界である以上――結局、世界を形作るのは、ポリゴンとシェーダーとエフェクトとメタデータとアタリハンテイ。
そう。
たとえ、開発者が「何があっても壊されない」ように、DEFとMNDの値を99999999に設定していようとも。
武器種<銃>の発射炎エフェクトに設定された固定ダメージは、はるか天空高く神の領域に設置されたキャラメイクエリアの透明な床の耐久値を、じわりじわりと蝕んでいく。
「だぁああああ!! これで5万じゃ!!!!」
かれこれ半日ほどをこの作業に費やしていた少年は、ひときわ気合を込めて床を見据えると、もう一度だけ引き金を引いた。
発射音がし、銃の先端から光が溢れ――弾丸が床に弾かれる音は、しなかった。
恐ろしく効率の悪い方法で49999ダメージを蓄積されていた床の一部がはらりと崩れ去り、その穴から、先ほどよりもはっきりと地面が見えるようになる。
「崩れる時の効果音設定されてないのか。バグじゃんやったぜ」
自分で狙ってバグらせておきながら白々しいセリフを口にしながら、少年は銃をそのへんに置き、ぱんぱんと手を払いながら背筋を伸ばす。
VR空間の中とはいえ、ずっとおんなじ体勢でいるのはつらかった様子。
「ひとまず第一段階は突破で、と。やー、こんなに時間かかるとは」
ぶつくさつぶやきながら少年はメニューを操作し、液体の入った瓶を手の中に呼び出す。
「キャラメイク中でも課金アイテムの性能確認ができるのは助かる仕様だな」
武器や課金アイテムの性能を確認しながら自分のビルドを決めていこうという開発側のやさしい心づかいだったが、この少年にとっては付け入る隙にしかならなかった様子。
「落ち始める前に飲まないと意味ないなんて、どうやって使うんだか」
彼の手の中にあるのは、課金によって手に入れることも可能な「落下ポーション」。検証によれば、使用してから10分以内に限り落下ダメージを無効化するのだけれど、地面に足がついた状態で服用しないとダメらしい。
ぐいっとポーションを呷り、すうと息を吐く。
「それじゃあ、行きますか」
床に空けた穴からひょいっと身を翻し、少年の身が自由落下を始める。
地球よりやや小さめに設定された重力加速度に沿った物理演算が、徐々に彼の身を加速させる。
「待ってろよ、ミッドガルドに蔓延るバグども――」
少年は不敵に笑い、この世界での"むしとりしょうねん"の冒険の始まりを高らかに告げた。
「俺が全部、見つけてやる!!」
――――――――――
System Message:
プレイヤー【 undefined 】により、
《試練の街・グラズフロプト》の転移門がアンロックされました!
System Message:
これ以降、お近くの転移門から自由に転移が可能となります。
System Message:
それでは、引き続き『ヴァルグリンド・オンライン』の世界をお楽しみください。
――――――――――
金曜日、朝9時。
株式会社シミューリ社員・佐谷桃子は、始業時間きっかりに業務スペースにログインした。
同社のVRMMOゲーム、『ヴァルグリンド・オンライン』の神界――アースガルドに設置された、開発・運営用スペースに彼女の仕事用アバターが出現し、上司への挨拶を済ませると自席を呼び出す。
ログインしたらまず、ミッドガルドの様子をざっと確認するのが、ここのところの彼女のルーティンである。
コーディングやゲームデザインについての深い知識は不要な監視業務が、新卒1年目で経験の浅い彼女に割り当てられた主な仕事であった。モンスターの討伐数やアイテムの取引量、最前線攻略組の様子などを確認し、何かおかしなところがあったらすぐに上司に報告するのだ。
いつもと同じように眼前にディスプレイを2枚呼び出し、片方ではゲーム内の状況を、もう片方ではゲーム外のSNSの書き込みの確認をはじめた、次の瞬間。
何かが、いつもと違うことに気付く。
――――――――――
おしるこはヴァルグリにいます @osshiruko-ko- 10分前
ヴァルグリ新エリア開放ってマジ??
Progediy @progediy 18分前
誰だよあんなところまで行ったのwwwチートか?
ヴァルグリ最速攻略 @Valgrind_gameplus 27分前
何者かの手によって《試練の街・グラズフロプト》の転移門が解放されました!
現在攻略班でマッピング中です。
協力してくれる方、データ提供していただける方はDMください!
――――――――――
「……え?」
たらーりと、冷や汗が垂れたような感覚。桃子のアバターには冷や汗機能は実装されていないので、無論気のせいである。
朝一番でまだスイッチの入り切っていなかった桃子の脳がフル稼働を始め、その単語に関する知識を引っ張り出す。
グラズフロプト。
『ヴァルグリンド・オンライン』の第1シーズン・人界ミッドガルド編。その終盤でプレイヤーたちが辿り着き、第2シーズンである神界アースガルド編に向けた準備を行い、最終試練を受ける土地。
間違っても、ローンチ3ヶ月でプレイヤーが到達できる場所ではない。周囲のエネミーの実装だってまだ済んでいなかったはずだ。
なにかが、おかしい。
ワールドチャットのログを見て、確かにグラズフロプトの転移門がアンロックされてしまっていることを確認した桃子は、慌てて直属の上司を呼び出す。
画面の手前にふぉんっと半透明の顔が浮かび上がると同時に、桃子は半分泣きながら叫ぶ。
「河北さん!!!!」
「……おはようございます、佐谷さん」
VR空間では必要ないのにわざわざ四角いメガネをかけ、スーツもびしっと着こなした男性が、バーチャルキーボードを猛烈な勢いで叩きながら佐谷と目を合わせる。
「やばいです!」
「佐谷さん、もう少し論理的な説明を――」
「とにかくやばいんです!!!」
なんだかんだで仕事のできる桃子は、自分の確認したデータを適当にピックアップして佐谷に送りつける。
「なんですか、朝から……」
そのデータを一瞥した瞬間、キーボードを叩く手が止まり、形のいい眉が歪む。
「はい?」
「書いてある通りです!! グラズフロプトが!!! プレイヤーがもういっぱい入ってます!!!」
「……は?」
桃子の知る限り、業務中は滅多に止まることのない河北のキータッチが、完全にストップした。
呆然とした眼、ぱくぱくと開いて閉じてを繰り返す口。
「かーわーきーたーさん!!!!」
ほとんど全力で桃子が叫ぶと、ようやく河北が再起動した。
「失礼、取り乱しました」
「室長ってあんな風に取り乱すんですね」
他人が呆然としているのを見て少しだけ落ち着いた桃子の言葉を、聞こえなかったかのようにスルーする。
「なんらかのバグが発生して、グラズフロプトがアンロックされてしまった。そういうことでよろしいですか?」
「はい、おそらく……」
このやり取りの間にも桃子はログを捜そうとしているが、なにせプレイヤー名が【Undefined】すなわち未定義なのである。辿りようがない。
「誰が、どうやって…………いえ、それより先にやらなくてはいけないことがありますね」
表情を曇らせ、ひとつため息をついた佐谷が、空間内でジェスチャーを組み合わせ、妙にポップなフォントで「緊急メンテナンス」と書かれた赤いボタンを呼び出す。
「佐谷さん、ありがとうございました。全社にアナウンスしないといけませんので、いったん切ります」
「は、はい」
しゅうん、と河北の顔が消え、すぐにまた出現する。
今度は全社員のバーチャルデスクに割り込む緊急モードだ。
「開発室から、全社にアナウンスです――」
赤いボタンに手をかけて、河北は告げる。
「『ヴァルグリンド・オンライン』は、ただ今より、緊急メンテナンスに入ります」
宣言してボタンを押し込んだ瞬間、ブー、ブーという警告音が鳴り響き、赤い光がフロア全体を照らす。
「何事です?」
「え? 河北くん?」
運営フロアから漏れ聞こえる驚いた様子の声に、河北は今必要な指示を飛ばす。
「後ほど説明しますから! 今はとにかくメンテ導入をお願いします、東さん」
「はい……」
「強制ログアウト進捗、どれくらいまで行きましたー?」
「30%くらいです!」
途端にばたばたとし始めた運営フロア。
せっかくの金曜日なのに、今日は残業かな――桃子は、深くため息をついた。




