それは怪鳥か、神鳥か【アキヤラボパ伝承録 第N章】
氷点下10℃の雪景色。
夏場はモロコシと小麦を植えている畑も今や、一面白に覆われている。分厚い雲の隙間から覗く陽光を青白く、今日も反射していた。
「今夜もひと雪きそうだな……さむっ」
身震いし、ふとヒゲが凍りついたことに気がついた男性。慌てて茶金色に固まったヒゲをなんとかほぐす。
ハゲが目立つような歳になって、奥様に褒めてもらえる唯一の場所なのだから。
いい感じに緩くほぐれると、男はやれやれとかじかんだ指を擦り合わせて白い息を吐きかけた。指に絡みついた綺麗な六角形の氷結晶が水滴となり、黒色の布コートを伝っ……途中で凍った。それくらい寒いのである。
ヒゲも何だか硬く感じ、触ってみるとやっぱり凍っていた。
-10℃は伊達ではなかったのである。
ヒゲ男はイラッとしたが、気するのをやめた。
そうだ、職場へ向かう途中だった。
ヒゲ男は毛皮ミトンを両手にはめて、気合を入れた。
今日こそはゴールドラッシュを、目指せ一攫千金。
手首に下げていた縄を再び持ち直す。そして前方を睨んで息を飲み、怒鳴った。
「ほら、さっさと歩け!」
雪に足を取られ、再び倒れた男たち。
彼らは皆この極寒で裸。
痩せ過ぎで肋骨が浮かんでおり、その肉体は明らかな栄養失調を呈していた。
肌はボロボロで、ところどころ皹と霜焼けで血が滲み、寒さに青黒くなった唇がささくれ立っていた。
髪も、元の艶やかな黒色は見る影もなく赤ちゃけて。
彼らは『先住民』と呼ばれ、奴隷狩りにあった存在である。
言語が話せない異教徒だからと、開拓者が奴隷化したのである。
女子供は本国へ、成人の男は労働力へ。
本国で購入された女子供は見世物小屋等に買われ、そこで儲けた資金で開業した人々が人を雇って新大陸を『開拓』する。そんな残忍で合理的な循環が出来上がってしまった。
ゴールドラッシュの夢を見る若人たちは、夢を見る代わりに低賃金で嫌な役割を負うことになったのである。
「……あ〜あ、こいつらときたら。さぼりやがって」
乗馬用の鞭をヒュンと振るうと、倒れていた一人が次の瞬間「ウッ」とうめき声をあげた。その背中へ無数に広がる赤黒い痕に新たなミミズ腫れが追加されていた。
倒れた奴隷たちは震える足を無理矢理立たせ、足を引きずりながら雪道を歩んでいった。
このヒゲ男もまた、借金返済を目指してこの場にいる。もう既に、奴隷への憐憫等は乗り越え、後は本国本社の指示に従い機械的に彼らを酷使していた。
新大陸の『黄金搜索』に加わり、現地に居残ったヒゲ男。目指すは金銀財宝。
頑張って借金を返済し、苦労ばかりかけるカミさんと故郷の母に楽をさせたい。
そのためならば、心をオーガにでもデーモンにでも売り渡そう。
「ほら、進めって言っているだろ!!」
彼らの向かう先は雪山中腹の洞窟であり、日々金銀の採掘をしている。
まだごくごく小規模な採掘場である。採掘量は一体今後どう伸びて行くか。
金埋蔵量次第では裕福層は難しくとも、中流階級の底辺には入れるだろうか。
気合を十分に入れ、太鼓っ腹を揺らしながら雪山中腹の洞窟へと向かった。
「おう、ガルド。やっと来たか」
「お前はいつも早いな、リーマス」
洞窟にもう一人。
こっちの男はガルドよりちょっとだけ年若い男。
金髪のガルドと違って派手な赤髪緑目で、ヒゲ無し、ハゲ無し。
白い歯に形の良い唇と、目の人相を差し引いてもナイスガイだった。
年若い男は下半身を皮革製で固めた上に、民族衣装のようなものを羽織っていた。編み込まれた藁へ動物の毛が縫い付けてあり、鳥の羽根で飾られた小洒落たデザインであった。
それはどこか愛情を感じられる作りで、明らかにガルドよりも暖かそうな格好だった。
そんな年若いリーマスという男へ、ガルドは顰めた顔をした。
「おいお前まだそんなの着ているのか」
「ん? 暖かいし、いい感じだよ。ガルドは着ないの?」
無邪気なベビーフェースでそう答えると、ガルドは益々顔を歪ませた。
「健全な清光教徒ならそんな野蛮人の服は着るなよ。汚れるぞ」
その言葉へキョトンとした顔をしたリーマスへ、ガルドはため息を吐いた。そして呟くように「あんま奴隷に入れ込みすぎるなよ」と毎度のように言い捨てると、奴隷を1人引っ張り奥へと降りて行った。
リーマスは、残った奴隷へ笑顔を向けた。
「えっと……[お、は、よ、う? ごはん、これ、あげ、る?] これでよかったかな?」
おぼつかない片言現地語で挨拶すると、背負い袋からコーンパンケーキと干し肉を一部見本のように取り出した。それを現地語で『食べ物』という単語を口にして、安心させるように食べて見せた。
その様を見てゴクリと喉を鳴らす奴隷たち。リーマスは苦笑しながら袋ごと全て渡した。
[おお、いつもありがとう……ありがとう]
グスグスと塩枯れた涙を流しながら束の間の食事をとる奴隷たち。哀れにも、彼らは昨日からご飯を抜かれていたのである。
どけちなガルドは彼らへ朝食なんてくれない。
夕食も、思い出した時に気まぐれに撒き散らす程度。しかも内容は、豚の餌がマシに思える様な腐りかけた野菜の皮やパンくず少し。
そして、こんな寒い日もセンスなく衣服も毛布も与えず寒空の下一晩軒晒しで、日中は寒い洞窟で働かせるのである。
明らかなブラック採掘場で労働基準法違反なのだが、奴隷なので文句の一つも言えないのである。体力のない者から餓死か、凍死か。
そんな過酷下でも、彼らは折れ曲がらず過ごした。
心にいつも、鳥神様がいるからである。
[あなたにもアキヤラボパの息吹がありますように!]
[我らの神鳥様もあなた様なら快く迎い入れるでしょう]
「う〜ん、相変わらず全部は理解できないや」
苦笑を浮かべたリーマスは、頭を掻きながらやれやれと肩をすくめた。そして、目をキラリとさせながらこう答えた。
[アキヤラボパの息吹を]
若者は未だ断片的にしか言葉が通じていない。だが、出身大陸の大学時代に考古学を専攻していただけあって、最近少しだけわかってきたことがあった。
その一つが現地語における挨拶。
『アキヤラボパの息吹』
これは、出身大陸の清光教でいうところの『神の御光』、つまりご加護にあたるらしい。挨拶の度にこう言い合うことで互いにご加護を授け合い、助け合い、この厳しい新大陸を現地の人々はたくましく生きていたのである。
ハーフと思しき短髪少年(後、少女と判明)に伺ったところ、どうやら一部の現地民部族においてはそういう神鳥が祀られているらしいことがわかった。
興味深いことに、その部族では本物の『アキヤラボパ』目撃証言とその羽根が残っているとのことだ(信用できるリーマスにしか今の所その事実は伝えていないこと)。
曰く、とある旧い部族の少年少女が決死の覚悟で雪山登山を行い神鳥『アキヤラボパ』を呼び、部族を破滅の未来から守護してもらったとのことだ。その後の歴史にも度々現れては人々を導き、時に破滅させ、伝説をいくつも作ったのだという。
ハーフの子はどうも、その少年少女(後の部族長夫妻)の直系の子孫にあたるとのこと。神鳥の羽根は代々受け継ぎ、今はとある場所へ隠している様だ。
尚、そのハーフの子はいつの間にかいなくなっていた。南へ送られたのか、本国へ見世物として連れて行かれたのか。彼にとっては寂しくて仕方がなかった。
彼(もとい彼女)の歌うような語り口は美しく、どこか惹かれていたのだろう。
今となっては身につけている彼(彼女)お手製の服しか残っていないが。
こういった旧時代のことを聞けただけでもリーマスは、ワクワクした。考古学者としてのリーマスからすれば、とても心の踊る、素晴らしい話だったのである。
もし仮にそんなすごい鳥がいるのならば、それは新発見だろう。
まして、鳥の神様。
大陸だったら異端視されそうだが、異教徒の、それも多神教の『神様』という存在へ彼は関心があったのである。
特に彼にとって興味深かったのが、知能があって人の言葉を解すること、コミュニティーを守って戦働きができること等。『アキヤラボパ』と呼ばれる神様が人間の持つ社会性を持っていることを示しているのだから。
考古学者の端くれを自負するリーマスは、本当なら現地の人々を隷属化せず新大陸案内人として一緒に冒険をしたかった。こんな窮屈で寒い洞窟へ縛りつけるよりも、素晴らしい発見があっただろうに、と。
だが彼は、経営側ではなく使われる側の人間だった。
決定権はなく、指示されるがままに動くしかない。
でなければ、本国の妹夫婦が借金で家庭崩壊してしまう。
何もできない自分が情けなく、失われる文化と人々が残念でならない。
彼は、そんな状況でも諦めず、実は合法的に逃げ出す機を見計らっていたりした。
特に、死亡届が出て仕舞えばいい。そうすれば、借金は自分にかけた保険金でチャラになるのだから。
そしてある日、それが叶った。叶ってしまった。
よく晴れ渡った日。
久々の晴天で、寒さの和らいだ日だった。
一面青空が広がり、黄橙色の優しい陽光が雪山を照らす。動物も少し動き出し、遠くの方にはヘラジカの群れがいた。
休憩時間、ぼんやり平和な光景を眺めていたリーマス。突如として、巨大な影が落ちた。
驚いて見上げると、雲……いや違う。
それは、もっと神々しい何かだった。
遠い空に一瞬だが、陽光で煌めきながら大空を翔ぶ『何か』を見た。まさか、ね。
昼食が終わり、再び洞窟に戻ろうとしたとところで地鳴りが聞こえた。
それに、心なしか揺れて……揺れが強い。
「一体何が……!?」
雪山の頂点から白い川が流れる。ドドドドドド……と音を立てて、周囲の森林や岩石を巻き込みながら、こちらへと近づいている。
それは、春先の雪山で大規模な雪崩が発生した瞬間だった。
避難をしようにも逃げ場がなく、周囲を見渡した。洞窟……いや、今からでは間に合わない。どうしよう。
リーマスはどうにもできず、固まってしまった。
だが雪崩はまってくれない。
着実に迫ってきていた。
[恩人を守れ!]
一方の奴隷たちは、いつも食べ物をわけ、人間としての扱いを当たり前に行うリーマスへと集った。
彼らは元より雪山になれている。当然、雪崩にも。
部族として生存するにはどうすればいいのか。それも知っている。
固まって、神に祈るしかできないリーマスの周囲を囲い、身を固めた。
彼は食べ物をくれた、水をくれた、事故から命を守ってくれた。あのひどい人の隙をかいくぐって、時には暖をとらせてくれた。
命には命を。
迫り来る雪から、恩人を守ろう。そして命でもって恩を返そう。
そうして彼らは雪に飲まれた。ゴーッと降りてきた雪に流され、一瞬で消えてしまった。
大空から虹色の羽根が1枚。
彼らを惜しむようにヒラリと舞い降りて、雪崩の中へ消えた。
[生きているか? 大丈夫か!]
目を覚ますと、一面銀世界。
ここはどこかと周囲を見ようとして、激痛にと他打ち回った。リーマスは右足を骨折していた。
心配そうに自分を見る奴隷。
いや、今なら束縛する縄も人間もいないから現地住民もとい、一般人(曰く、『アキヤラボパの民』とのこと)。
[いきて、だいじょうぶ、だれ、いきている?]
身振り手振りで自分の無事と、他の生存者を確認してもらう。すると、彼を含む、数名の奴隷が助かったことがわかった。図体の比較的良い奴隷が数名、人柱になってくれたおかげとのことだ(ひどい状態のご遺体があった)。
そして、同僚だったガルドは頭をぶつけたのか、血を流してあっという間に冷たくなってしまった様だった。多分だが、誰も彼をかばわなかったのだろう。
「ところでここってどこだろう?」
足を添え木で固定してしばらく。
近くの樹木から早速キャンプを作り出した『アキヤラボパの民』たち。手馴れた様子で火おこしまで行い、あっという間にお湯を作っていた。
そのうち2人が獲物を担いで帰って来た。うさぎ3羽……よく見つけ、捕らえたものである。
[うさぎ、捌く、任せろ]
(少しばかりマシになってきた)片言でコミュニケーションをとり、近くの雪で洗い流しながら臓物を取り除いていった。肉は今日明日の夕飯、毛皮は暖をとるため。役立たずではいられない。
臓物をまとめて捨てようとしていたところ、アキヤラボパの民たちは首を振って集めだした。
「食べられないのに何に使うの?」
唖然と見ていると、背後から突如返事が返ってきた。
「腸は引き伸ばして紐に、腱は針に、骨は弓矢やナイフの代用品として作るのです。2日で出来ますよ」
振り返ると、雪景色。
「我々アキヤラボパの民は、命をすべて、余すところなく使うのです。それがアキヤラボパ様の宿る自然の恵みへの感謝を表しているのです」
そして、いつの間にかそこにはハーフの短髪少女。
いや、それだけではない。
まさか……
「外界の民よ、ようこそ『アキヤラボパの里』へ」
『人の子らよ、よく参った』
リーマスは息を飲んだ。
そこには見覚えある赤褐色の肌をした短髪少女と、雄大な鳥。
鳥は太陽のように七色に輝き、鋭い翼と嘴を持つ、見たこともない種。
そうか、そうなのか。
リーマスは納得した。
あの夫婦の子孫と、おそらく『アキヤラボパ』。だから、伝承は実話だったのだと。
そのことが嬉しくなり、目を輝かせ、神鳥を見上げた。
全てを見ていた神鳥は、鳴いた。
『人の子らよ。其方らのため、この少女は己が命を吾に差し出した』
その言葉を聞き、愕然とする人々。
リーマスもまた、ショックで唖然とした。
『さて、吾は少女を気に入った。彼奴ら夫妻と同じ輝きに満ちた命だ。亡くすのが惜しいと思えた』
じっと鋭い目が睨む。
『少女の代わりになっても良いと名乗る者はいるか? あるいは、少女の半分を担ってくれる者は』
その言葉へ誰かが答えた。赤髪の青年である。
短髪の少女へ寄り添うように立ち、神々しい鳥を見上げた。
「俺の命を彼女の代わりに使ってくれ!」
そして、新緑に似た緑目を輝かせてこう続けた。
「だが、死ぬ前に君のことを教えてくれ! 死ぬ前に遺したい、君の、神様の伝承を!」
青年の言葉に呵々と笑い声を上げると、鳥は舞い上がった。
そして、青年と少女は永遠に姿を消したのだった。
オフィスを休み、コーヒーを飲みながらまったり過ごす日。今日は雪のため休日。外出しようにも、視界が悪すぎて無理だった。
こんな日は、コーヒーかホットチョコレートを暖炉の前でまったり囲むのがいい。温かなブランケットを膝上にでも置いて。
そうだ、これにコーンブレッドとナッツを温めれば完璧。
しんしんと雪が降り積もり中、ゆったりまったりしていた。
そこへ、褐色肌に黒髪な子供たちが駆け込んできた。
[ねえ、これ読んで?]
[おねがい!]
上目遣いで、ご本を抱えて、小さな兄妹がおねだりしてきた。
コーヒーカップを下ろし、「いいですよ」と穏やかに答えた褐色肌男性。派手な赤髪を撫で上げ、理知的な新緑色の目をきらめかして。
そして、子供達へ彼は一つの物語を囁いた。
新大陸には、伝説がある。
かつて、海を隔てた遠い国から侵略者がやってきた。
人の姿をした、もっと酷い『何か』である。
あっという間に民の命や尊厳を奪い、民を人ではないものにしてしまった。
侵略者の中にはだが、人である者いた。
彼は民のことを知りたがり、民の言葉を覚え、衣服を着て、民とかまどを囲った。
ある日、とある夫妻の子孫が守護神の鳥を呼んだ。伝承に従い、雪山を駆け上がり、己が命をかけて。
アキヤラボパは、だから応えた。
『其方の命、吾がもらう』
そして、その子孫へ人は寄り添うと、囚われた民を救った後いなくなってしまった。
お読みいただきありがとうございました!
アキヤラボパへ関心持っていただけたら、ぜひアカシック・テンプレート様と伊賀海栗様の作品もお読みいただければと思います^^ お2人の作品も面白いですよ〜
ブクマ・評価・感想・誤字脱字報告等、いただければ幸いです。
さて、ここから完全蛇足です。
正直言います、読んだらおそらく気分悪くなるでしょう。私も書いた後、載せることを躊躇しました。そのため本日までずるずる決断が延びてしまったのです。ですが、もう一度作品を読み返して必要だと判断しました。
このままではあっさり塩ラーメンだ、豚骨ラーメンのような深みが足りない、と。
とりあえず読めば、本編だけでは伝わらなかったであろうタイトルの意味が以下で判明すると思われます。そして、冒頭の人物をあえて出した意味も。謎フラグ回収できます。
怖いもの見たさにでも、よろしければ
できれば読了後何か感想頂ければ(恐々土下座する神無月)
雪山雪崩事故から、5年後。
アキヤラボパは飛び立った。まるで泣いているような声を上げて、空高く、どこまでも。
彼のいた場所には2人の遺体。
1人は褐色短髪の女性。
ぱっちりした快活な丸いお目目も今は硬く閉ざされ、健康的に色づく頬も今や土気色だった。彼女の凜とした声はもう物語を紡ぐことができず、陽気に踊る手足もダランと力が永遠に入らない。
もう1人は紅髪緑目の男性。
かつては人懐っこい笑みを浮かべていた顔もひたすら穏やかで、もう二度と大口を開けて笑わない。彼女へ甘く語りかけた口は閉ざされ、力強く抱き締め、大地を駆ける腕脚も二度と動かない。
彼らは雪山に閉ざされたこの地を終の家とし、あの雪崩のあった日からここで暮らした。夫婦として、健康的に。
いつ自分たちを贄として食べてもいいと、アキヤラボパへ宣言した上で。
それを見届けたアキヤラボパは、彼らの命は結局奪わなかった。
いや、最初から奪えるはずもなかった。
アキヤラボパは彼らの気性を好いたのである。300年前のお気に入り夫婦の子孫というだけではなく、彼らが好きだったのだ。
だから、危害を加えるどころか可能ならばずっと一緒に暮らしていたかった。
だが結局、彼らはアキヤラボパを置いて逝ってしまった。
彼らが亡くなったのは、病によるものだった。
原因は不明。人里へ向かうことも困難な雪山では治療ができなかったのである。
アキヤラボパも物理的な要素から守ることは可能でも、残酷な大自然の摂理から守ることはできなかったのである。
日々衰弱していく2人を見ているのは辛かったが、彼らを拐っていったアキヤラボパは最期の瞬間まで彼らの元を離れなかった。離れられなかった。孤高の神鳥にとって、この家が予想以上に居心地よく暖かかったからである。
吾をこんな気持ちにさせて、どうしてくれよう。
だからせめてもと、2人が亡くなった後アキヤラボパは2人から1つだけ奪っていった。
それは、唯一病から生還できた彼らの1人息子。
眠った男児を背に括り、神鳥は遠い遠い空へと向かった。果たして彼は、どこへ向かうのか。
雪山雪崩事故から1年後。
ガルドとリーマスの訃報を受け、両家は悲しみに包まれた。
借金は返済できたが、代わりに愛する人を亡くしたのである。
しかも、雪崩で亡くなったのはこの2人だけ……後の人たちは、この日当番ではなかったからである。
葬儀で「ゴメンなさい」と遺体の入っていない棺桶を共同墓地へと埋めて。祈りを捧げる神父の声を聴いて。教会のベルの音へ到頭涙がこらえられず、誰かが「うっ」と声を詰まらせた。
そして、つられるようにしてむせび泣く声が静かな墓地へ響いた。
そうした中、唖然と色を無くし立ち尽くす少女が1人。
父ガルドを亡くした、彼の娘である。
優しかった父親。
少しハゲとヒゲ、ついでにビール腹が目立ち、あまりカッコ良いとは言えない見た目。出発前には結構邪険な扱いをして、寂しそうな顔で船に乗っていたのが最後の記憶である。
彼は金細工の職人としての仕事は繊細で、あの野太い指からあんな細工品が出来上がるのかとよく職場へ行っていた。幼少期は大好きで、ヒーローだった父親。
だが友人だった会計が勝手に財産を持ち出したことで納品が間に合わなくなり、税金が払いきれず、借金をこさえることになった。その頃は飲酒量が増え、真っ赤な顔でアルコール濡れになって泣きわめき、正直かっこ悪かった。
そして新大陸の噂を酒場で聞きつけ、応募が受かり、船に乗って旅立っていった。新大陸へと。
彼女にはそれが、まるで昨日のような気がしていた。
そう、彼女は未だ父の訃報を信じられていないのである。
「どうして、どうして……あなたがどうして」
墓石へと蹲るよう泣き止まない母親。
そういえば父親を避けるようになったのは、こうして母が父のいないところで泣いていたからだった。今更ながら思い出した少女。
きっと父親は死んでなんかいない。どうせどこかでお酒を飲んで、また金細工をするんだと騒いでいるのだろう。
そして泣いている母の前へひょっこり帰ってくるのだろう。いつものように。
そうだ、きっとそのはずだ。
「よしっ」
6歳の少女は決意した。迎えに行こうと。
そうして勝手に船へと侵入し、新大陸へと向かった。
だがこの時、彼女は知らなかった。自然界の厳しさというものを。
神様の理不尽を。
彼女の不法搭乗した船は奴隷目的の交易船。慈しむ人々を連れ去る者を許す神は、大陸はいなかった。純粋に時期が悪かったというのもあるのかもしれない。
だからなのか、船旅は予想以上に長く、少女は2年の歳月を海上で過ごすことになった。
決して順調な旅路ではなかったということである。
道中嵐に遭い、先ずは碇が流された。
これで、船は流されやすくなった。ただでさえ荒れた海は船に容赦せず、大波に揺られ、横転し、流されていった。
そして、やっと陸が見えてきたら、今度は巨大な影が迫った。
七色をした巨大な『何か』である。
それが特攻した直後、船のマストは粉々に裂かれたのであった。
今度こそもうだめだった。
まともな操縦がかなわず、座礁し、上陸すらできずに海の藻屑と成り果てた。
そうした中、少女は運よく生存した。
偶然現地民に助けられたのである。
その日彼らがカヌーで漁をしていたこと、子供だったこと、そして、神鳥信仰者として神鳥に導かれた(と勘違いした)ことが幸いしたのである。
その先で、彼女はその地を知ることになった。
開拓者たちの横暴を。
己が父の所業を。
そして、怪鳥であり神鳥である『アキヤラボパ』の存在を。
神鳥の起こした雪崩により開放されて自由を得た民はずっと、助けてくれた男女を心配し、いつの日か信仰対象の一つとしていた。神鳥が数年前に連れてきた子供もいたことが大きかったのかもしれない。
そこで彼女は父親の死を知ってしまったのであった。
雪山雪崩事故から10年。
最初は報復目的でとある3歳下の現地民男児と探していたのだが、やがて困難に巻き込まれ、助け合い、いつの間にか夫婦となっていた。彼女は復讐そっちのけで幸せな夫婦生活を送り、いつの間にか現地民に混じって暮らしていた。
奇しくも、父親とは真逆に。
子供が生まれたことを本国母へ報告した。
すると、その1年後、本国から母を含む複数人(というか職人)が新大陸へとやってきた。長年消息がつかめず、心配していたのである。それが突然結婚通り越して子供と来た。それも、彼らにとってみれば野蛮な『異教徒』との間の。
一時は夫部族の間で大乱闘が起こり、和解するのに数年を要した。
また、その間も奴隷と貴金属目的で本国からやって来た人々。開拓を止めず、とある怪鳥の突撃や特攻で天変地異が起こり、「大地の怒りだ」と騒ぎ立てる等、大波乱であった。
色々あったが少女は最期にはいい人生だったとつぶやいていたという。日記にも彼女はそう、記していた。
享年78歳。孫たちに惜しまれ穏やかに息を引き取ったと言われている。
だが、一つだけ最期まで彼女には心残りがあった様だった。
記録によると、彼女はアキヤラボパを最期まで見ることが叶わなかった様なのである。
子供たちは何度も会い、どころか無償同然で助けてもらっていたという神鳥。夫も5歳になるまで育ててくれたと後日話していた神鳥。
何故、何故自分だけ……お父様のせいなのか?
雪山雪崩事故から数世紀後。
ガルドの娘の残した日記帳は今日、博物館の重要文化財として展示されていた。貸し出し式であり、所有者は彼女の子孫たちとなっている。
だから、所有者権限で持ち出すのは可能といえば可能だった。
「許してやればいいのに、なんでそう素直じゃなかったの?」
褐色肌以外は彼女のよく似た金髪青目の少女。
紆余曲折あって神鳥から助力を受け、その対価として彼の希望した先祖の日記を約束通り届けに来たのである。そして現在、そのついでに呆れた様子でアキヤラボパへと問いかけてみた。
すこぶる不機嫌そうに、神鳥は答えた。
『吾は確かにあの子供の父君を奪ったのである。そんな吾を、怪鳥である吾の姿を、彼奴は見たいとは思わぬだろうに』
どこか拗ねたような声で(後半を)小さくつぶやいた神鳥。
ため息をついた孫娘。
「もうまったく、気に入った人が亡くなってショックで100年近く引きこもっていたアッキイ様も悪いし、その後お気に入り夫婦の子孫が心配で周囲の影響に気を配れなかったのも悪かっただろうけど、しょうがないじゃん。
大体積もりすぎた雪がちょびっと羽ばたいただけで雪崩になるって、誰が想像できるよ?」
雪崩の真相は、なんて事はない、アキヤラボパが失敗した結果である。
お気に入り夫婦の子孫が突然雪山を駆けて、助けを求めて来たのである。奇しくもあの少年少女のように、「自分の命を対価にしていいから、部族の皆を助けて」などと、命を粗末にする言い方をして。
吾は別に、そんなつもりないのに……
実は肉食ではない(そもそも喫食不要である)神鳥は、頼られれば喜んで助けてやるのである。特に、一本筋の通った小さき者がジタバタ健気に頑張って生きる様を見ると、思わず抱きしめてやりたくなる(やった結果はお察し)
だから、久々頼ってきた孫を見て、彼は驚くと同時に喜んでバタバタやってしまった。
巨体で鋭利な体を持った神鳥は羽ばたき一つで天候を雨から晴れへと変えられる。それくらい影響力が大きいことを完全に忘れて。
結果、あの雪山雪崩事故が起こり、ガルドを含む数名は大自然の犠牲となった。
尚、当時の事を調査したのは何を隠そう、ガルドの娘。
そう、アキヤラボパを恨んで報復するため調査していたら、まさかの事実に行き着いたのであった。復讐そっちのけで結婚したのもそれが原因ではないかと、推測されている。
そうして現在、彼女の子孫にグサグサと心に痛いことを言われるアキヤラボパ。案外ガルドの娘は地味に復讐できてしまったのかもしれない。
『吾は帰る』
不機嫌そうに鳴きながら今日も雪空へ舞い上がったアキヤラボパ。大事そうに日記を咥えて、空を見つめ、遠い遠い空へと飛んで行く。ついでに雪雲を吹っ飛ばして。
そして、向かう先はただ一つ。
かつての雪山のあった場所、夫婦の眠る方角。
「まったく、何年経っても変わらないのですね」
しょうがないと肩をすくめ、苦笑しながら立ち去っていく少女。息は白く、寒そうである。
やはり、雪雲を神鳥が吹っ飛ばしても太陽が顔を出しても、寒いものは寒い。
早く帰ってコーヒーでも飲むか。
今頃は兄がホットココアかコーヒーでもしばきながら、子供らにご本でも読んでいる頃だろうか。
そういえば雪の中を歩いて行くというのに、あんまり心配していなかった兄。少しばかりイラッとした。
暖かい暖炉をいつも占拠しやがって。
ああでも今回ばかりは代わりに煩い連中の対処は任せたし、トントンか。
きっと博物館から明日は苦情でも殺到するかもしれない。子孫だからと強引に『アキヤラボパの民』に関する重要文化財を持ち去り、挙句、空の彼方、雪山へと永遠に消えてしまったのだから。
けれど、あるべきものはあるべき場所へ、である。
飾られているより、あの神鳥様の心を癒してくれる方がいい。
その方がきっと、あの日記の主も喜ぶだろう。
自然の理に逆らえず厄災を呼ぶ怪鳥となり、一方で人々を何年にも渡って慈しんで守ってきたあの神様。
ご縁があれば、いつの日かきっとまた会えるのだろう。
私の子孫も彼と出会って何か要求するのかもしれない。
でもそれは、神のみぞ知る所。
ふと空を見上げると、七色の羽1枚。青空に照らされ、煌きながら降りてきた。
微笑を浮かべ、それを受け取る少女は思った。
帰ったら兄と一緒にあの神様の金属細工でも作るか、と。