其の三
1
「誰にも言うなよ、時ちゃんだから見せるんだからな」
念を押す寛治に頷いて見せると、彼はそっと箱を開けた。
「!」
最初は、リスだと思った。色や大きさでそう見えたから。しかし違うと気づいたのもすぐだった。
箱の縁に手をかけて、そっと顔を出したそれは、見たこともない…生き物にも見えない、不思議な姿形をしていた。
「…」
言葉を無くす時三の目の前で、寛治はそれに話しかける。
「こいつは時ちゃんで、オレの親友なんだ」
手のひらにそれを乗せて、時三に見せてきた。
「大丈夫。時ちゃんは信頼できんだ」
笑いながら話しかける寛治を、時三は不思議な気持ちで見つめる。
「寛ちゃん、これはなにさ?」
それが寛治を見上げている。それから、時三を振り返る。
「この間、山で拾ったんだ」
土から生えていた、という。物珍しくて引っこ抜くと、慌てて逃げたので追いかけて捕まえたのだ、と。
「生まれたばっかりだって言うから、オレが世話すんだ」
時三を見つめたまま、口をパクパクしている珍妙なそれ。わけがわからず寛治を見ると、寛治も時三を見ていた。
「なに?」
「時ちゃん、質問されてるぞ」
「え?」
首を傾げている土塊。時三も同じく困惑のまま、寛治を見て首を振った。
「わかんないよ、なんにも聞こえないよ」
「え?」
2人してそれを見ると、やがて手を打って寛治に何かを言ったらしかった。
「拾ったオレしか声が聞こえないって」
「へぇ」
すまなそうにする土塊が妙に可愛くて、時三は笑った。
「寛ちゃん、すごいもん見つけたねぇ、可愛いねぇ」
時三の言葉に寛治も笑う。
「だろう?時ちゃんならそう言ってくれるって信じてた」
「名前をつけたらどうだい?世話するなら、呼ぶ名前は大事だ」
「そうだなぁ!カッコイイ名前をつけてやりたいな」
少年らしい発想だ。寛治の言葉にそれが嬉しそうに笑った。
でも土塊が動いて喋るなんて聞いたことないから、やっぱり内緒なんだ。
寛治は手の中のそれを見て呟く。困ったような顔で口をパクパクしたが、時三にはやはりその声は聞こえなかった。
「寛治とはよく遊びまして、二人きりの時は必ず、あの小さなハニワを連れてきていました」
晴尼笑という呼び方と漢字を教えて貰ったのもその時だったと記憶している。
「何か意味もあったのでしょうが、子供だったので深くは思いませんでしたな。ああそうなんだ、と。それまではアレとかソレとか呼んでおりましたから、ようやく腰が落ち着いた気がしました」
田中が笑う。カズイが小さく挙手して田中に質問をした。
「名前を付けなかったんですか?」
「寛治は考えとったようですが、どうもしっくりこないと零してましたな」
雷切丸、正宗、石川五右衛門、明智小五郎…いくつか上げた名前は、確かにとてもカッコよかったが。キョトン顔のハニさんを見ると苦笑いが出てしまった。
「そうですね」
でしょう、田中が笑う。カズイがふと思いついてまた質問をする。
「寛治さんはその後、ハニワをどうしたんですか?」
「大事にしておりました」
「えっと…?」
学徒動員が現実味を帯びてきた頃。山で負った怪我が元で、寛治は破傷風を患って亡くなった。14歳だった。
「…」
言葉をなくすカズイ達の前で、田中はひっそりと笑う。
「1人じゃ寂しかろう、ハニワの友だちを連れてきてやりたかったと言ってました」
「そうでしたか…。寛治さんには田中さんがいたから、毎日とても楽しかったんでしょうね」
波多野の穏やかな言葉に、田中も頷く。
「村の大人たちには相変わらず内緒でしたから。知っているのは寛治と私くらい。ひとりぼっちのハニワが哀れに思えたようです」
田中の言葉に、ハニさんが大きく首を横に振る。そして口をパクパクさせながら、身振り手振りで何かを伝えているようだったが、田中には伝わらず…目を細められただけだった。
「実は寛治の頼みで、亡くなる前日に、あのハニワを預かりました」
「!」
「元気になるまで、相手をしてやってくれという事でしたが…。預かった翌日の晩、寛治が息を引き取った頃合いだったのでしょうな…」
寛治のハニワは、空洞のはずの目から涙を流していたという。
「寛治の家の方向を見つめながら、ポロポロポロポロ…。そして消えました」
「!」
「消えた、んですか」
アヤノの声が細い。
「はい。すうっと」
思わずハニさんを見ると、目が合った。
田中が慌てて言葉を足す。
「先生、誤解しないで欲しいのは」
「はい」
「あのハニワのせいで寛治は死んだんじゃあない」
頷くカズイを見て、田中が続ける。
「ハニワがいて寛治は最後までしあわせそうでしたな。今思い出しても、なんとも不思議な存在でしたが、寛治はハニワを大事にしとりましたし、ハニワも寛治に大切なことを教えていたようでした」
「ハニワさんはどんなことを寛治さんに話してたんでしょうか?」
チカコの物怖じしない問いかけに、田中は笑いながら首を振る。
「話してはくれませんでしたな。でも、ハニワの友だちを探しに行った、という辺りが、答えかもしれません。それまでの寛治は、深く相手を思いやるということはしない子供でしたから」
懐かしそうに笑う田中に、波多野がほほ笑みかける。
「ハニワが来たことで、寛治さんはとてもいい影響を受けたんですね」
「そう思います。悪ガキではありませんでしたが、一人息子で甘やかされていた部分はありましたからな」
今で言うマザコンですわ、その言葉に、みんながクスリと笑う。
そんな面々を見て、田中は微笑んだ。
「私が知るのはそんなところです。先生の兄上が神様だと言っていたのなら、ハニワは福の神なのでしょう」
田中の言葉に喜ぶハニさんが、クルクルとその場で回転する。
カズイはそれを見て、深く頷いた。
2
アトリエにしている二間続きの離れは、昔々は寺に勤めていた下男のための場所だったらしい。今の紅梅寺に下男は長らくおらず、祖父が住職をするようになってからは、地方から勤めに出てきた若い僧や、本山から修行に来た僧の宿坊でもあった。
祖父の性格もあったおかげか、リフォームはもちろん、細やかな修繕も施されて来たその離れは。雨漏りもせず、風通しもよく、定期的に畳が新しくされていたため、非常に快適であり、思春期の頃のマコトは多くの時間をそこで過ごしていた。
何も無かったそこに少しずつ私物を持ち込み、勉強をし、絵を描き、寝泊まりもするようになり、出かけてから帰る場所がそこだと家族に認識される頃には、もう本宅にマコトの部屋はなくなっていた。
なので、日本画を志したときにそこをアトリエにしたのは、自然な流れだった。
小さな玄関をあがってすぐの一間は板張りで、そこに大きな文机と座椅子、様々な顔料、画材、筆、硯がきちんと整理された上で収納されている棚があり、あとはトイレと洗面所が申し訳程度に備え付けられている。
奥は畳の部屋で、床にまぁるい照明が置かれている以外には何も無い。洋服や寝具なども、やはり整理されて押し入れに隠されていた。
何も置いてない広々とした文机の上を、先ほどからハニさんが動き回る。時折マコトを見上げて楽しげに笑い、また口を開け閉めしていた。
「そうか」
そう返事して面白そうに話の続きを促す。身振り手振りで、今日あった出来事を伝えてくるおかげで、マコトはだいぶ多くのことを知った。
ハニさんが熱心に話すのは、主にアヤノの仕事ぶりだ。あと、カズイが困惑した出来事を少々。特にカズイがリュックからハニさんを取り出した時のリアクションには、マコトも声を立てて笑った。
仕事から帰宅したカズイは、ハニさんを片手にアトリエへやってきた。ハニさんがカズイと共にいることはアヤノから連絡が来ていたので把握はしていたが。「兄ちゃん、しっかり監督しててよ」と釘を刺されてしまった。
そんなカズイから、昔、同じようなハニワを拾った少年の話を聞かされ、マコトは大いに驚いた。自分の時と似通っている点も多く興味もあったが、当事者が既に亡き人であると聞いて、ガクッとなる。存命ならば、ハニさん話に花も咲いただろう。が、仕方ない。救いは、その少年がハニワと幸せな時を過ごせた事だ。
実のところ、マコトはハニさんが何者であってもいいと思っている。世の中の多くの人々の常識に沿わない存在ではあるけども、マコトにとっては何ら支障もなく、弊害にもならない。『そういうもの』はいつも傍にあったからだ。というのも。
マコトは自然界の言葉が聞こえる体質だから。
花の囁きや、鳥の噂話、風の吐息、木々のあくび、林の笑い声、森や川の意世間話…数を数えればキリがないほど、彼らは人間のそばでお喋りをしている。
雨が降れば、花は喜び、虫たちは慌てふためく声がする。台風の時は、遠くの空から地上に生きる生物たちに向かって、行くぞ行くぞと呼びかけがある。それを受けて鳥や猫が四方へ散らばっていく。植物たちはと言うと、一生懸命に根を張って備えていた。地震が起きる前は、地面の唸り声が頭に響く。あまりの大きさにうずくまってしまうほどだった。
子供の頃は、それが普通のことだと思っていた。特に公言もしていなかったが、家族でも友人でも、同じような感覚の人間がいないと知ってからは、自分の秘密の特技ということにしている。それでも、何でもない時に不用意な発言をしてしまうこともしばしばあり…、少しばかり変わった感性の子供だと周囲から見られていたおかげか、深く追求されることも無く今に至るわけだ。
それはそれでマコトにとっては好都合であった。なにしろ、説明し難いこの性質を一人ひとりに説いて回るマメさを持ち合わせてはいない。自分一人が理解し、振り回されなければ済むのだと気づいた頃には、高校も卒業する頃だった。
人好きもするし懐かれる事も多かったのは、マコトのざっくばらんな性格による所だろう。一定の距離感を保てば、無難な人間関係は構築できた。それでも人の中にいることは疲れる。幼い頃から触れ合ってきた自然の声や言葉が薄い環境は息が詰まる。定期的に自然の多い場所に足が向くのは、里帰りにも似た習慣だった。このアトリエも、木々に囲まれた所にひっそりと建っているのだが、やはり足りないと感じてしまう。
自然界の彼らの声は、とても大きく、それでいて静かで、気品があり、温かい。…それを知らない人間は可哀想だ。こんなにも心地が良いのに。
ハニさんとはそんな豊かな山でであったのだ。
山寺の尼僧の言う「神様」というのは、あまり重要には思わない。
山寺の生垣の端でポッコリ頭を出したハニさんは、そういうモノの仲間だろうと思っているし、もしかしたら彼らが生み出したモノかもしれない。
違ったとしても別に構わないのだ。
ハニさんが楽しめるならばなんだっていい。だって、自然界の彼らも常に楽しいことを探しているのだから。
「うん?」
ハニさんの問いかけにマコトは笑う。
「いや、楽しそうで何よりだと思っただけ」
ハニさんはうん!と大きく体を前に振る。それから、点滅しているスマホを手で示した。
「ああ、アヤノからのメールだ」
2、3日に一度の頻度で、アヤノからメールが来る。何気ない当たり障りのない内容のことばかりだ。が、今日のメールは少しばかり違った内容だった。
「…」
メールが気になるのか、マコトの手をパシパシと打つ。メール画面をハニさんに見えるようにしてやるが、ハニさんは困ったふうに頭を捻ってしまった。字か読めないのだった。
「天気も良さそうだから、明日は出かけませんか?って書いてある。…ふむ。ハニさんも一緒に、だとさ」
マコトがそう言うと。ハニさんの顔がぱあああっとなった。
「嬉しそうだな」
笑うマコトに何度も頷いてみせるハニさんだったが、ハッとしたように動きを止めると、真剣な顔付きでマコトを指さし…首を振る。
「まぁ…そうだな。デートは俺から誘わなきゃだよなぁ…」
尚も何かを言うハニさんにマコトは頭を掻く。
「説教すんなよ、分かったって」
苦笑いで済まそうとするマコトにハニさんがため息をついた。が、ややもすると、気を取り直したようにガッツポーズを取り、胸を張る。
「お、頼もしいな。じゃあ明日はよろしくな」
そう言って右手を差し出すと。ハニさんもひょろ長い腕を出して、しっかりと握手を交わした。