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ハニさんといっしょ  作者: 御堂
1/4

其の壱

1 

「カズイちゃん、そこにいる?」

 広くはないスタッフルームの奥。ロッカーの間にカーテンで仕切られた狭い更衣スペース。

  歯科医に支給されたブルーのスクラブを畳んで薄手のシャツを羽織ったところで、向こうから声をかけられた。

「今でるとこ」

 ロッカーに突っ込んであったリュックを引っ張り出して、カーテンを開けると、声の主がそっとスタッフルームに入ってきた気配がする。顔をあげれば、歯科衛生士の制服姿のアヤノが落ち着きなく指先を動かして、こちらを見ていた。

「おまたせ。使う?」

 顔を振ってカーテンのスペースを示すも、アヤノは小さく首を振って違くて、と呟く。

「…どうかした?」

「あの、さ…?今日、カズイちゃん家に行ってもいい?」

「?」

 アヤノとは幼稚園の頃からの付き合いだ。いわゆる幼なじみと言うやつで、今更自宅に遊びに来ることに断りを入れられるような間柄では無いのだが。1つ思い当たる節があって、チラッとアヤノの顔を伺うと。彼女の顔は思い詰めた表情ではあったが、頬はほのかにピンク色をしていて、よくよく見るとアイメイクを今日は割としっかりと施してあるように見えた。

 目が合う。

 思わず笑いかけると、アヤノは小さくむくれて肩を軽く叩いてきた。

「もう!分かってるくせに!」

「いやいや、今思い出した。兄ちゃんが帰ってきてるんだよね?」

「…そうなのっ。メールしたら今日の昼頃にはって書いてあって…」

「はぁ、そうなのか」

 そう言えば、うちの中の誰かがそんなことを言ってたような気がしないでもない。仕事にしか興味のない無頓着な兄の顔を思い浮かべて、カズイは頷いた。

「いいよ、一緒に帰ろう」

 その一言でようやく、アヤノが嬉しそうに笑みを浮かべた。

「速攻で診療室片付けてくる」

 スキップする勢いでスタッフルームを後にする背中を見送りながら、大きく息を吐き出す。首を回しながら近くにあったパイプ椅子を手繰り寄せて座り込むと、再びスタッフルームの扉が開いた。

「あれ、六本木先生まだいたの?」

 ブルーのドクターズスクラブを着た長身の歯科医が、こちらを見て少し大袈裟に言う。

「お疲れ様です、波多野センセイ」

「お疲れ様ですー」

 カーテンで仕切られた着替えスペースに入ることもせずに、自分のロッカーまで歩きながら脱ぎ始める波多野の癖は治りそうもない。

「西片さんと六本木先生、今夜はデートっすか?」

 ヘラヘラと笑いながらこっちを見る波多野に、何も言わずにフッと鼻を鳴らしてやると、いいなーいいなーなんて棒読みで呟く。

「六本木先生イケメンだもんなぁ。西片さん美人だし、すげー好みなんだけどなぁ…。なんで六本木先生ばっかりモテるんですかね?イケメンだけど女性だからかな」

「何言ってるかよく分からないけど…そういう波多野センセイこそ、昔からかなりモテましたよね」

「あ、そういうこと言う?僕が今、彼女募集中なのしってるでしょ?」

 音を立てながらロッカーを開けつつ、波多野は脱いだスクラブを足元に置いたカバンに突っ込んで、ジャケットを着込んだ。

「六本木先生、お姉さんいましたよね?クールな美女って噂の」

「…ああ…」

 すぐ上の姉の顔が頭に浮かぶ。クールな美女、なのかどうかは疑問だが。

「今度紹介してくださいよ。僕、美しい系の女性好きなの知ってますよね?」

「知らないけど」

「ええええ」

 結構あちこちて言ってるんだけどな、なんて呟く波多野を見上げていると、襟元を整えるところで目が合った。

「六本木先生」

「?」

「今度、僕とデートしません?」

「…寝言は寝て言ったら?」

「寝言って!」

 半笑いの波多野に向かって、早く帰れと手を振る。それなのに、それを無視して波多野はこちらに向き直った。

「まぁデートって言い方はなんですけど…。ちょっと今度、会ってもらいたいやつがいるんだよね」

「私に?」

「弁天町高校出身の六本木 十一(ろっぽんぎ かずい)って、先生のことでしょ?」

「そうだけど…。誰がいってるの?」

「ええと…」

 顔を上げて思い出す仕草をした所で、スタッフルームのドアが開いた。

「カズイちゃん、お待たせ!」

 勢いよく入ってきたアヤノが、波多野を見てわずかに仰け反る。

「ちょっと波多野先生、早くしないとデートに遅れますよ」

「なんだ、彼女いるじゃん」

「やだな西片さん、まだ口説いてるところって言ったでしょ」

 はにかむ波多野の背中をグイグイと押してスタッフルームから追い出そうとするアヤノが、良いから帰って!とトドメを刺す。

「あ、六本木先生。さっきの件はまた改めて」

 顔だけ覗かせた波多野に軽く手をあげると、そこでようやく彼は歯を見せて笑った。


 2

 カズイには、2人の兄と1人の姉がいる。

 全員が年子となる4兄妹で、近所では少しばかり有名な存在でもあった。


 長兄は万言(マコト)。30歳。

 定期的に日本中を歩き回り、山に篭もり、滝に打たれるなどの生活を送る日本画家。弟妹達に打ち明けていない不思議な能力があり、ソレがそうさせている面もあるのだが、基本的に常識が欠如気味なので、自由人の変人扱いをされている。涼し気な目元に、緩やかにうねる癖毛、通った鼻筋の男前だが、他人と深く交わろうとしない性分のためか、浮いた話が全くない。当たり障りなく、広く浅く、愛想よくの交友は一応できるため、人には好かれる。仕事だけはストイックで神経質。知名度も少しずつ出てきている。


 次兄は千王(チタカ)。29歳。

 六本木家の菩提寺であり、兄妹の生家でもある紅梅寺の僧侶。幼少時代から類を見ない美少年と言われていたのだが、今でも、菩薩のごとき美貌の僧侶と称えられる。4兄妹の良心というポジションで、何かと相談を受けたり、決断を促す役目が多いのだが。出家する前、とくに高校時代は金髪の長髪で毎夜派手に遊び歩き、喧嘩沙汰も頻繁、警察のお世話になることも。その頃を知る刑事とは現在も良い付き合いが続いている。すぐ下の妹・モモセとは何かと衝突が絶えない。


 兄妹の3番目は、長女の百世(モモセ)。28歳。

 次兄とよく似た相貌をもつ美貌の警視庁のキャリア組。警視庁に奉公していはるのだが、彼女の所属、役職、階級が何で、どのような事をしているかなどは家族でも把握している者がいない。多くの人は初見で、涼やかで清楚な美貌に目を奪われ、話していても非常に落ち着いた声音、柔らかな物腰に完璧な聖女の印象を受けるのだが。絶対に怒らせてはいけない人、敵に回すとダメな人のお手本。高校時代に荒れていた兄・チタカと顔なじみになった刑事に憧れ、同じ職に着くために当時のチタカを力技で更生させた。


 そして、4番目の十一(カズイ)。六本木家の次女。27歳。

  中性的な顔立ちと、名前のせいか、よく男性に間違われる。が、れっきとした女性。しかし170cmも身長があるので、あまり信じてもらえず、挙句の果てには、元男性だったらしいなどとあらぬ噂を立てられることもしばしば。本人はもう慣れたもので気にしてない。歯科医師となって3年目。近所の歯科医院に勤務している理由は、幼馴染みの西片アヤノ(ニシカタアヤノ)が衛生士として一緒に働きたいと泣いてゴネたせい。

 

 4人の両親は20年前に事故で他界している。彼らをここまで養育してきたのは、紅梅寺の副住職で、兄妹の叔父でもある千溪(せんけい)和尚だ。個性的な兄妹を立派な社会人として世に送り出したこの人も、かなりの変わり者。兄妹と血縁があるにもかかわらず、大きな顔に細い目、大きな鷲鼻と言う…まるで異なる男らしい顔立ちと風体であるのに、口調が女性的なのだ。千溪和尚が月に1度開催する講話会は、毎回満員御礼。オネエ言葉で仏の住む世界とこの世の真理を話すギャップがウケるらしく、どこから聴きつけたのか、雑誌やメディアにも取り上げられることも出てきた。近頃は、4兄妹を育て上げた実力を買われて、育児相談などもされている…。


 西片アヤノが六本木家と懇意になったのは、カズイと共に幼稚園に通い始た頃からだ。当時は兄妹の母親も存命で、おおらかな性格のアヤノの母親と、寺の嫁としてシャキシャキと動くカズイたちの母親が何故か意気投合して…と言うありきたりな経緯だ。

 当時のカズイといえば、今と比べてずんぐりとした幼児体型に、長兄とそっくりなまとまりにくい癖毛、団子鼻、スカスカのすきっ歯、そして引っ込み思案な性格が災いして、同じクラスの子供たちから 妖怪 という不名誉なアダ名を付けられていた。あからさまな暴力でのいじめはなかったものの、からかわれたりはやし立てられたりといった事は日常茶飯事で。

 対してアヤノはというと、その当時から周りから可愛いともてはやされる華やかな見た目をした美少女で、真っ当な正義感をも持っていたので、小さいながら、クラスのリーダーとして立ち回っているような子供だった。そういう立場もあり、またよくお互いの家を行き来する気のあった友達でもあったため、いじめられているカズイを助けたり庇ったり、時には喧嘩も辞さないなど、要するにアヤノはよく面倒を見てあげていたのである。

 年齢が上がるにつれ、アヤノの美少女っぷりはますます磨きがかかっていくのだが、カズイも 妖怪 から普通の子供になり、高校に上がる頃には背も伸びて涼し気な目元とスっとした鼻筋、綺麗に並んだ歯列をもつ性別不詳の美しい人となっていた。まるでおとぎ話のように。頭の癖毛は相変わらずうねってはいたが、それがますます中性的な魅力を引き立てていたようで、通学途中によく、女子高生や女子中学生からラブレターを貰っていたのをアヤノは知っている。なぜなら、カズイが好意を向けられるのと同じだけ、アヤノは嫉妬を向けられていたからだった。

 

  アヤノが、六本木家長兄の万言(マコト)に片想いをしていることは、いつの頃からかカズイは知っていた。きっかけは知らないが、ずっと…恐らく20年以上は片想いをしているらしい。

  大学生の時、アヤノは思いきってマコトに告白をしたのだが(しかもカズイの目の前で)。日本画以外のことにはほとんど感情を揺らすことも無いマコトは、


「恋愛とか無理」


 とにべもなく一蹴した。

 普段は兄妹のすることにあまり関心を持つことはしないカズイなのだが、この時ばかりは、マコトの頭を思い切り叩いてやった。何が起きたか理解できずに頭を押さえて痛がるマコトを突き飛ばし、放心するアヤノの腕を引っ張って、その日は朝までカラオケボックスに行った事を覚えている。

 泣きながら一晩中、適当な歌を適当な調子で歌いまくったアヤノは、カラオケボックスから出る頃にはスッキリした顔でこう言い放った。

「それでも万言兄ちゃんが好きなんだよね。だから諦めない」

  強く逞しい。カズイは寝不足の頭でそんなことを思った。あんな日本画バカな兄よりも、もっとこの親友を幸せにしてくれる男はたくさんいそうなものなのに。実際問題、アヤノはよくモテていたのだ。実にもったいない。そして、自分の兄ながら本当にバカだとつくづく思ったものだった。

 とにかく恋愛にはとことん食指を動かさぬマコトに、遠慮なくアタックをするアヤノだが、少しずつそれはあらぬ方向に実を結びはじめ、あれから10年経った今では、六本木家の誰よりもマコトのスケジュールを把握するまでになった。日本中が彼のフィールドであるため、いつどこで何をしているのか六本木家では誰も知ろうとせず、また知らせようともしないマコトとの間を上手く取り持っているのがアヤノなのだった。


 3

  紅梅寺の門をくぐり、本殿の横を通り抜け、庫裏の裏手にある木造の住居が六本木家である。古い時代では住み込みの僧侶を何人も抱えていたとも言われているが、現在は祖父で住職の千海(せんかい)、叔父の千溪、長兄マコト、次兄のチタカ、そしてカズイが住んでいて、長女のモモセは一人暮らしだ。

  立て付けの悪くなってきた玄関の引戸を開けると、やかましい音に反応したのか、奥から作務衣姿の千溪が顔を出した。

「おかえりなさい、カズちん。あらっ!アヤノちゃんじゃないのぉ」

  破顔する千溪にアヤノが手を振る。千溪も同じように両手を胸の前で小さく振りながら、チョコチョコと廊下をすり足で向かってくると、玄関に立つアヤノの前まで来てから、2人で両手をパチンと合わせて笑った。

「センケイさん久しぶり」

「ホントよぉっ。半年ぶりじゃないの」

 アヤノと手を合わせたまま頬を膨らませる千溪を、カズイは苦笑いで眺める。それに気づいた千溪は、再びむくれた顔をした。

「叔父さん、兄ちゃん帰ってきた?」

「ええ、昼過ぎに泥だらけになって…」

 2人に上がるように示しながらも、泥んこは困るわぁと千溪がこぼす。

「なんでまた?泥んこ?」

「知らないわよ。また山の中に籠ってたとか言ってたけど」

「あの!ま、マコト兄ちゃんは今どこにいるの?!」

 半ば声をひっくり返しながら問いかけるアヤノをみて、千溪がニヤニヤと笑った。

「部屋にいるけど呼んでくるわ。みんなで晩ごはんにしましょ」

「呼ぶならあたしが…っ」

「辞めといた方がいいわ。たぶん今、全裸で下書きに取り掛かってるだろうし」

「全裸!?」

 顔を赤らめたアヤノの手を引いてカズイはリビングとして使われている、広い和室に入る。漆塗りの大きな座卓には濡れた布巾が置かれていて、たった今まで千溪が机を拭いていたのがうかがえた。

 布巾を手に取ったアヤノが、丁寧に拭き始める。それを横目に、カズイは冷えた麦茶の入ったポットから二人分の飲み物を注いで、アヤノと自分の前に置いた。

「ねぇ、さっき波多野先生と何を話してたの?」

「?」

 帰り際のスタッフルームでのやり取りの事らしい。

「んー…なんだっけ」

「例件はまた改めてって言ってたけど」

「ああ…」

 よく分からないけど、誰かと会って欲しいと言われた。端的に説明すると、大きな目を見開いたアヤノが身を乗り出してきた。

「え、なにそれ、男を紹介してくれるとか?」

「さあ?だって波多野だよ?」

「…カズイちゃんて、波多野先生には厳しいよね?」

「まぁ波多野だし」

 麦茶を飲みながら半笑いを浮かべるカズイをみて、アヤノがクスクスと笑う。

 実のところ、波多野の人となりがいまいちよくつかめずにいるカズイだ。人当たりもよく笑顔も多い男だが、そのくせ本音などを口にしないので、何を考えているのか分からない薄気味悪さを感じている。仕事の上では良き同僚ではあるのだが、勤務時間以外まで顔を突合せたくはない。

「あ、あとモモちゃんを紹介して、とか言ってたかな」

 それも冗談だと流したのだが、どこまでそうなのか分からない。前に1度、共通の知り合いとのデートをセッティングして欲しいなんて言われた時も、ハイハイと軽く流したら、しばらくの間、しつこくその後どうなったのかと進捗を聞いてきたりしてたのを思い出す。本気と冗談の声のトーンが変わらないのが厄介だとカズイは常々思っていた。

「え、お姉ちゃんを…?」

  アヤノが声を潜める。モモセの事をよく知らない人は、その容姿だけを見て、物静かで奥ゆかしい清楚な女だと思うらしい。実際は、腹をすせたライオンよりも恐ろしい女であるのだけど。

「美しい人が好みなのだそうです」

 麦茶のおかわりを注ぎながら話すカズイだが、アヤノは止めてあげてよ、と呟く。

「お姉ちゃんにはもっと相応しい人がいると思う」

 麦茶をすすりながらそう言った時だった。

「心配しなくてもモモちゃんは断るよ。むしろ波多野の身の安全が心配だけど」

「モモセがどうかしたのか?」

 スラッと障子を開けた人物にカズイが顔をあげる。

「チーちゃん」

 藍色の作務衣に、剃髪姿の次兄・チタカが、室内の二人を見て微かに微笑んだ。

「おかえり、カズイ。アヤちゃんもいらっしゃい」

「お邪魔してます、チタカ兄ちゃん」

 笑うアヤノとカズイを交互に見てから、チタカは座卓を回り込んでスっと端座する。その前に麦茶を差し出すと、カズイをみて軽く手を合わせ、唇を濡らす程度に口付けた。

「んで?うちの鬼姫がまた何かやらかしたのか?」

 鬼姫とは、モモセのことだ。カズイが首を振る。

「そうじゃなくて。うちの同僚がモモセの噂を聞いて会ってみたいってさ」

「物好きだな」

 端正な顔を僅かにゆがめるチタカ。そしてそのままアヤノを横目で見て、ふっと笑う。

「物好きはアヤちゃんもか」

「…それでもいいんですっ」

 ブレないなあと快活に笑いながら言うチタカにつられて、カズイも笑ってしまったが、アヤノは顔を赤くするばかりだ。

「そこまで兄貴を好きなら嫁に来ればいいのに」

「嫁!?」

「チーちゃん…適当すぎるよ」

 カズイがやんわりと割ってはいるが。

「楽はさせてやれないだろうけど」

 嘆息しつつ続けざまに言い放つチタカ。

 禿頭ではあるものの、麗人と呼ばれるだけあって、わずかに憂いの浮かんだ表情でさえ美しい。付き合いの浅い人ならば、彼の一つ一つの表情や仕草に魅入ってしまうものだが。

 アヤノはブルブルと首を横に振る。痺れるようなチタカの魅力なぞ、マコトへの20年を超える重たい片想いには適わないのだ。

「別に、楽がしたいとか養って欲しいとか思ってないしっ。わたしは自活できるだけの収入あるしそれに、それにさ。万言兄ちゃんがわたしをお嫁さんにしたいって気持ちが先ず欲しいっていうかっ。そういうの大事でしょ?な、なんならわたしが万言兄ちゃんを養ってもいいし、っていうかだったら万言兄ちゃんをわたしにくださいっていうかっ、幸せにするしって…」

「え、本気で結婚まで考えてくれてるの?」

 大袈裟に目を剥くチタカを真っ直ぐに見据え、アヤノは頷く。

「アノ兄貴だよ?」

 学生時代に浮世絵師・安藤広重の世界に入りたいと、顔に画集を乗せて眠るような変人。と、暗に含める言い方にも、アヤノは屈しない。

「本気よ。万言兄ちゃんしかみてないもん。1度フラれてるけど」

 手近にあった台布巾をクシャクシャと揉みしだきながら、きちんと肯定する。

「幼稚園の時からずっと大好き。日本画しか興味なくても、そんな所も大好きなの」

 常人なら直視することも躊躇われるチタカの相貌を真っ直ぐに見つめ、噛み締めるように気持ちも紡ぐアヤノだったが。

 麗しい見目の兄妹が二人揃って真顔で見てくるものだから、さらに顔が茹で上がっていく。やがてチタカがふふっと微笑んだ。

「幸せ者だなぁ兄貴は。心底羨ましい」

 そう言ってアヤノの背後に目をやる。カズイも同じように目を向けていたが、その目は笑ってはいなかった。嫌な予感がしてアヤノも勢いよく振り返る。

 そこには、浴衣に緩くうねる髪を無造作に結んだマコトが、アヤノを見下ろしているのだった。



 4

 なんならマコトを養うし幸せにもするとまくし立てるように話すアヤノは、血迷ってるわけでも、乱心したからでもない。湯気でも出るのではと思わせるくらいに首まで紅くしながら、真面目くさった顔つきで真剣に言葉を紡いでいた。マコトが、音も立てずに障子を開けたのはそんな時だった。

 最初から聞いていたのだろう。全てを聞き終えた彼はアヤノを見下ろしていた。

「ま、万言、兄ちゃ…」

 マコトが居ることと、自分が吐露した想いを聞かれていたことに、アヤノは青くなる。声が掠れ、酸素を求める金魚のようにパクパクと口を動かすだけだった。

「おかえり、兄貴」

 シレッと言いながら麦茶に口をつけるチタカに、カズイも「おかえりなさい、兄ちゃん」と慌てて続く。そんな弟と妹に、頭をガシガシと掻きながら「おう」と一言だけ応えたマコトは、アヤノに目を向けたままその場にストンと両膝をつく。

 真正面から向き合う形となったアヤノが身体を硬直させている。

 マコトは再びガシガシと頭を掻いてから、神妙な顔をしてアヤノを見つめる。それからおもむろに口を開いた。

「アヤノ」

「は、はいっ」

「…本気?俺と結婚してもいいってやつ」

「はいっ!」

「なら結婚するか?」

「兄ちゃん?」

「兄貴?」

 目を剥く美貌の弟と。普段の眠たげな眼差しを見開く末妹。ポカンとした表情の妹の幼馴染みをみて、マコトは顔を上げる。

「なんだよ」

「なんだよじゃない。軽すぎるよ兄ちゃん」

 ぼんやりとした気質のカズイが、珍しく非難がましい目付きと口調でいることに、マコトは面白そうに口角を上げる。

「軽いとか重いとかあるか?ってかカズがそんな顔するって久しぶりだな」

「兄ちゃん」

 ハハハッと笑うマコトに、尚もカズイが口を開きかけるが。それを止めたのはアヤノだった。

「あの、万言兄ちゃん…何かあった?」

 顔を紅く火照らせたまま、声を振り絞って問いかける姿がいじらしい。マコトは、そうそうと言いながら再びアヤノに向き直った。

「山に篭ってた時に見つけた寺でさ、珍しいもん見つけたんだよ」

 立派な造りの山門と丁寧に履き清められた境内。古く朽ちてきてはいるが、よく磨かれた本殿の柱や廊下。裏手にある小さな滝。自分の家も寺ではあるが、また違った風情と趣に、マコトは惚けたように立ち尽くしていたのだという。

 山篭りをしていたせいで、全身が汗と泥にまみれた不浄そのもののいで立ちだったマコトだが。そんな汚物を寛大に迎え入れ、風呂と食事と綺麗な衣服まで用意してくれたのは、その寺の尼僧だったそうだ。

「いやぁ良かった…。俺にとっちゃ天国だったな」

 うんうんと満足気にするマコトだが、チタカとカズイ、そしてアヤノは顔を見合わせている。話が全く繋がって来ないので、とりあえず聞くしかないのだった。

 そこは、人の話し声など滅多にしないその寺。山からの風に揺れる草木、それが奏でる音に継ぐ音。鳥の声、獣の声、早朝に訪れる一瞬の静寂、張り詰めた空気の冷たさ、深夜に見上げる降り注いで来るような星の世界…。

 マコトが好んで選ぶ自然、動植物の題材、モチーフには事欠かない夢のような空間である。創作意欲もとめどなく溢れ出て、興奮のあまり鼻血も何度か出し、その度に尼僧に心配をかけたらしい。

 そんな環境にひと月ばかり身を置かせてもらったマコト。創作活動の傍ら、できる範囲での手伝いもしたが、やはり恩返しは形として何かを贈りたいという画家ならではの欲は募るばかりで。

「んでスケッチをしてる時に、見つけたんだよ。これを」

 そう言いながら浴衣の袖から取り出したものを見て、チタカとカズイがつぶやく。

「…ハニワ…」

「ハニワだね」

 手のひらに収まる大きさのハニワだった。

 そっと優しく座卓に立たせてから、マコトは胡座に座り直す。

「ハニさんと言う名前らしい」

「…ハニさん…」

 戸惑うアヤノにうむ。と神妙に頷いたマコトは続ける。

「婆さんにきいたら…ああ、婆さんって尼さんだけど」

 尼僧が思ってたよりも高齢の女性だったことにこっそりと安堵するアヤノ。

「これ、神様らしい」

「…」

 チタカの顔面に美しく揃えられたパーツが徐々に歪む。カズイといえば感情の読めない顔つきで、ハニワを見つめるばかりだ。アヤノは、苦笑いを浮かべてマコトを振り返る。

「万言兄ちゃん、この…ハニさんはなんの神様なの?」

「知らん。興味ない」

「えぇ…」

歴史の教科書で見た事のあるハニワだ。とぼけた顔をしている。丸くくり抜かれた両目と口。ささやかに付け足されたひょろ長い鼻。ひょろひょろの両腕は頭上で大きな丸を作っていて、傍から見ると「大正解!」を表現して見える。愛嬌がある。邪悪さなど微塵も感じない。

 そんなハニワだ。歴史の教科書では、古墳時代の埋葬品であったらしいとか、住居跡から出土したもので、神様であるだとかは聞いたことがない。何らかの儀式にて使われたのであれば、神様として祀られていた可能性はなくも無いだろうけども。しかし、それ以前に、近所の子どもが粘土で作った代物である可能性も高い。それほどに、シンプルで無駄を排除した、単純な形の土人形だ。

アヤノはもう、何を話せばいいのかわからない。そしてマコトの言わんとしていることが相変わらず読めない。救いを求めるようにカズイを見ると、目が合った。カズイが小さく頷く。

「それで?持って帰ってきたの?」

「ああ、恩返しとかいいから、コイツを大事にしてやってくれとな」

「なるほど。それとアヤちゃんと結婚する理由はなんだよ」

 険しい顔で腕を組むチタカ。

マコトが懐のまま、真顔で言い放った。



「そのハニさんがな、結婚を勧めているんだよ」



 チタカが耳に手を当てている。

「悪い兄貴。もう1回言って」

「だから。ハニさんがアヤノと結婚しろと言ってんだよ」

「…」

 思わず天井を仰ぎみるチタカと、額に手を当てて呻くカズイ。

「その反応はまぁ理解を示してやるから、とりあえずこいつを見ろ。まず見ろ」

 ほら、と顎で座卓のハニワを示す。マコト以外の三人が目を向けると。

 先程まで両腕を真上にあげて大きな丸を作っていたポーズだったのが、片腕が腰に当てられ、もう片方はグッとサムズアップされている。心なしか、表情もとぼけた風から、にこやかに笑っている風になっていた。

「?!」

「な?」

マコトの言葉に、ハニワが動き始める。

両手を左右に広げ、胴体をウネウネをさせながら、口をパクパク動かし楽しそうに揺らいでいる。

「なに、これ」

カズイが身を乗り出して観察し始める横で、アヤノも目を見開いて見入っていた。チタカも硬直している。が、次の動作は早かった。

うねるハニワをむんずとつかみ、ひっくり返して見、後ろ姿、頭、顔面をつぶさに検め、両手で触感を確かめ首をひねった。ハニワはくすぐったいのか、身をよじるようにしていて、表情も笑っている風になる。

「兄貴、電池は?単三?それとも単一1個?」

「チタカくん、手荒に扱わないでやってくれよ」

マコトが苦笑しながら、チタカからハニワを取り上げる。

「電池じゃなくて、神様だから」

「…」

禿頭を抱え込んで唸るチタカ。

カズイがそっと指先をハニワに差し出すと、それに気づいたハニワは、両手でカズイの指先を掴んで上下に振る。どうやら挨拶しているらしい。アヤノが笑う。カズイも笑った。

「可愛い」

「うん!」

カズイにならって同じように人差し指をハニワにそっと近づける。ハニワは、またも同じように挨拶をして、ニコッと笑った(ように見えた)。

険しい顔のまま、チタカが妹たちを見ている。目線をあげると、「な?」という顔つきのマコトと目が合った。

「ウソついてないだろ?」

「信じるしかないのはわかった。超常現象だろ、要するに」

「チタカ〜、もっと柔らかく行こうぜ?」

「うるさい、俺は兄貴より常識が備わってるんだよ」

「それを言われると…」

ガリガリと頭を毟るマコト。ふと座卓のハニワを見ると、それは器用な動きでチタカの前ににじり寄っていた。

チタカがそれに気づくと、ハニワは両手をウネウネと動かしてから、それを顔にあてて口の端をクイッと持ち上げる仕草をする。

「俺に笑えってか」

苦笑を漏らすチタカに、ハニワはブンブンと頭を振り下ろす仕草をする。カズイが声を上げて笑った。

「チーちゃん、受け入れなよ」

「…はァ。…分かった」

降参、というように両手を小さくあげてハニワを見る。ハニワは、そんなチタカを不思議そうに見上げてから…グッとサムズアップして見せた。




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