3 勇者アルディーンの戦い3
オフィスの裏へ回り込む。
玲亜さんは音を立てずに窓のガラスを円状にくりぬき、開錠して、得意そうに親指を立てる。
さすがクラス『大盗賊』。
彼女の感知スキルを頼りに慎重に進んでいく。
元カジノだけあり、セキュリティーは厳重であった。社内には大切な個人情報や取引先情報がある。だから僕は、そのセキュリティーシステムを自社用に改良を加え、継続して利用していた。
それなのに宍井は容易く侵入できた。
今となれば、そのセキュリティーが仇となっている。
通路には、網の目のように赤外線が張り巡らされている。
これに接触すると、警報がなる仕組みだ。
宍井に僕達の動きを悟られる訳にはいかない。
天井を開き、通気口からの移動を試みる。
人ひとりがギリギリ通れる程度の狭い通路。管と管の切れ間から光の線が差し込んでいる程度で、ほとんど見えない。
そんなジメジメした狭い場所を、ほふく前進で進むしかない。
慣れない動作だけに、なかなか前に進めない。
制限時間は刻一刻と過ぎているのだ。
残り時間を思うと、苛立ちを覚える。
何かがそばを走り、ビクリとした。
「ははは、ネズミだ」
「よくそんなに速く進めるね」
「むしろ暗闇の方が移動しやすい」
僕の先を行く伶亜さんは、何とも余裕な仕草で首だけこちらを向けてそう答える。
移動すること20分弱。
「この先に奴がいる」
玲亜さんはナイフで軽く切れ込みを入れ、そこからまぶしい光が通気口内に差し込む。
僕は切れ込みから外界を覗いた。
そこはコロシアムだった場所。
宍井和也がいる。
宍井は黒い衣をまとい、杖を片手に持ち、虚空に絵を描いている。それが次々と具現化していく。
ひょっとして僕との決戦のフィールドを作っているのだろうか。
中央には巨大なルーレット。
丸いタイルが道のように続き、ところどころに看板が立ててある。
看板には何やら文字が書かれてある。
その文字に視線をやった瞬間、僕は思わず声を漏らしそうになった。急いで手で口をおさえる。
書かれてある文字は、次の通りだ。
『明日は期末試験。もう嫌だ。死のう』
『試験は赤点だった。あぁ、鬱だ。死のう』
『彼女にふられた。もう駄目だ。死のう』
『先生に怒られた。心が折れた。死のう』
コロシアムの端には、大きなのぼりが立ってある。
伶亜さんはそれを指さした。
「あそこに物凄い邪念の根源を感じる。おそらくこのフィールドの名なり総称だ。なんて書いてあるのか分からない。読んでくれないか?」
それには黒い墨で、おどろおどろしくこう書いてあった。
『病んだ人生ゲーム。トラウマ編』
その時だった。
宍井が天井を見て叫んだ。
「誰だ!」
――マズイ! 見つかったのか!?
「誠司さん、落ち着いて。あたいらじゃない。もう一人、この部屋にやってきた」
コロシアムの中央に円柱状の光源が吹き上がり、その中から人が現れた。
長い緑色の髪、白い仮面をした女だった。
「和也君。頑張っているみたいだね」
「あぁ、君か」
「やるじゃない。あいつら結構強いのよ。梶田君の軍団だってあっさりとやっつけちゃったし、それに、この前はね……」
「あぁ、知っている。
有名な話だ。
まさか君が負けるなんてね」
「負けたんじゃない! あんな奴に負けてない! たまたま油断して……」
「驚いたよ。君にも感情という概念があったのかい?」
「……」
「神とて所詮ただステータスがデタラメに高いというだけで、人であることは変わらない。この世界は特記事項がすべて。
俺の特記事項は無敵だ。
まぁ確かに、正面からぶつかれば俺に勝機はないが、別に正々堂々と戦う必要などない。要は相手を如何に出し抜くかだ。
……ただ……
残念なことに一匹のハエを逃してしまった。そいつには俺の『溶かす』が通用しない。だったらもう一つの特記事項、『ルール』で消すしかない」
――逃したハエ。
それは僕のことだろう。
やはり奴は僕を軽視していなかった。
こうやって念入りに罠を張り巡らせていた。
その名は、病んだ人生ゲーム……
仮面の女は宍井に、
「へぇ、そうなんだ。『ルール』まで出しちゃう? でも乗ってくるかな? 私だったら面倒だから、ゲームなんてすっ飛ばして、敵の首をはねちゃうけど」
「それは大丈夫。
俺には人質がある。
俺の調べた情報によると、誠司のプロファイルには『裏切らない』とある。
なんとも隙だらけで間抜けな信念だ。
だが、これをとことん利用させてもらう。
この人生ゲームの絶対ルールに、もし誠司がゴールをすれば、人質はすべて解放する。ただし参加拒否をすれば、人質を即座に溶かす、と記しておいた」
「へぇ、なるほど。やるじゃん。
便利だね。その『ルール』って能力。まるでいつでも作れる特記事項みたいだ。やりたい放題じゃん。いいなぁ。すごいねぇ~」
くっ!
なんてことだ。
最悪の予想は当たっていた。
まさしく奴は、自由自在にルールをコントロールできる。
どうやら相当やばい敵を相手にしているようだ。
特記事項が好き勝手に作成できるなんて無敵じゃないか。
だが宍井の反応は意外だった。
仮面の女が賞賛したと同時に、顔を曇らせた。
それ以降、何一つ答えようとしない。
黙々と作業の続きをやり始めた。
やはり、それ相応の弱点があるということか。
女は天井を向いた。
その仕草は、まるでこちらに視線を合わせてくるかのようだ。
そして声を発した。
「それよか、その誠司とかいうハエ君、案外近くにいるのかもよ。もう一匹のハエと仲良くつるんじゃって」
――!?
伶亜さんは僕の腕をとって耳元でささやいた。
「あぁ。どうやらあの女にはばれている」
まずい。
「落ち着いて。誠司さん。動かない方がいい」
それはどういう意味だ?
「あの女、あたいよりも高い感知スキルがあるのかもしれない。でも、どういう訳か、気付いていない振りをしている」
仮面の女は、まるで僕の顔をマジマジと覗き込むように、こちらを向いたまましゃべりだした。
「あちら側の神様は消えちゃったし、もう飽きちゃった。あっさり負けちゃうなんてだらしないなぁ~。あの時はあんなに強かったのに……
まぁ、強いくせしてくだらない神様ごっこなんてしているから、簡単に寝首をかかれたんだろうけどね。
てことだから、和也君。あとは適当に楽しんでよ。じゃぁね」
それだけ言うと、女は姿を消した。
――あちら側の神様ってなんだ?
刹那、異変が起こった。
僕の腰にある小さなカバンが勝手に開き、その中からペンとメモ用紙がでてくる。
えっ、何が起こっているのだ?
物体がふわふわと浮遊している。
まるでポルターガイスト現象のようだ。
あまりの出来事に驚くが、狭すぎて身動きすら取れない。
メモ用紙は僕の目の前までやってくると、ピタリと宙で静止し、今度はペンで何やら書かれていく。
『アルディーン。
ここまで来てくれて助かった。
仲間は、みんな無事だ。
分かりにくい表現だと思うが、丁度、お前さんがいる世界の裏側にいる。そして、こちらからはアルディーンがよく見える。
みんなは、宍井和也の異能でスタン状態。そして『スリープ』で眠らされている。俺は魔法防御をある程度鍛えているから、奴の特記事項にある『動きを止めて闇に消し去り』という異能だけを食らっている状態だ。
体は鉛みてぇに重たいが、こうやって念波を使って、小さな物を動かすことくらいはできる』
ペンは浮遊したままだ。
僕に何かメッセージを書けということか?
ペンをとり、
『あなたは誰?』と書くと、ペンを離す。
『お前は光の勇者だろ? じゃぁ、俺はそれを加護する者だ』
この人は、先ほどの仮面の女が言っていた、僕たちの神……?
あの時、和也の情報をくれたのも、この人なのか?
ペンはまた動き出した。
『宍井のもう一つの特記事項『ルール』は絶対だ。奴が作っている人生ゲームだが、驚異的な力を持っている。
先ほどマリオネット化させたゴブリンで動作実験していたのを、俺は見ていた。
ゴブリンがルーレットを回して、入学式前日のコマまで行ったんだ。
そのコマの札にはこう書かれてあった。
『明日の入学式が恐ろしくなり、発狂死』
そして丁度10秒後、ゴブリンは泡を吹いて死んだ。
だからいくら宍井がさそってきても、その人生ゲームに参加しては駄目だ』
書かれている文言はかなり黒いが、その効果は絶大なのか。
『な~に。
案ずるな。
勝負は一瞬でつく。
もちろん俺達の勝利で終わる』
もしかして神には良い策があるのか?
『極めて簡単な策だ。
だが弱点はない。
だってアルディーンには正義の拳があるだろ? 俺が念波で宍井の動きを止めるから、その間にとどめをさしてくれ。
みんなが溶かされちまう前に、念波でそちらへ送ってやるから』
なるほど。その手があったか。
だが――
『あなたはどうなる?
あなたも裏側の世界にいるんだろ?』
『俺の心配はいらねぇ。なんたって俺は神だ』
この書き方……
おそらくこの人はただでは済まない。
そうとしか読み取れない。
もしかして、死ぬつもりなのでは?
僕は急いで返事を書いた。
『僕は奴の『ルール』にもう一つの意味を感じている。最強ゆえの弱点ってやつを。だから敢えて敵の挑発に乗ろうと思っている』
『……最強ゆえの弱点か。
なるほどな。
確かに制限はあるだろう。俺も手伝いたいが、スタン状態は解けねぇし、敵の第一特記事項が発動すれば、すぐに異次元送りだ……。だからすべてアルディーンに任せる。
俺のできることを伝えておく。
・念波で軽量な物を移動できる。
・誰か一人くらいなら、そちらの世界に飛ばしてスリープ状態を解いてやれる。
スタン状態のままだろうが、体が動かないだけでしゃべることはできる。知恵を借りることができるはずだ。もちろん全員飛ばすこともできるが、それをすると大幅に体力が消耗して、おそらく念波が使えなくなってしまうだろう。それは最後まで取っておいた方がいい』
誰かから知恵を借りることができるのか。
なら――
『しげるさんを戻して貰えないか?』
元探偵だし、知恵を借りるならもっとも適任者だ。
『しげる氏は、かなり遠くにいるし、なんというか太っているからエネルギーの消耗が激しい。別の者は駄目だろうか?』
一瞬だけ、メモ用紙に『一度そっちへ行くと、もうこちらへは戻れない。全員の転送ができなくなる』と見えたのだが、目の錯覚だったのか。
その文字は跡形もなく消えていた。
パートナーとして誰が一番適任なのだろうか。
加藤さんや甲斐さんは、情熱はあるがこういうバトルに関しては経験不足。
リアさんは、基本頑張ってくれない。
リーズは裏カジノに侵入した経緯がある。このメンバーの中で最も戦闘能力は高そうだが、何と言うかあまりにも無口過ぎる。参謀としてアイデアを借りたい場面では、今一つ力を発揮できない気がする。
くそう。
僕が変身した時に不思議といつも現れる、太陽の聖女エルカローネや悪魔風の少女、もしくは彷徨える月影ジークシュナイダーさえいてくれれば……
彼らはいったいどこにいるのだ……
無いものねだりをしていても仕方ない、か。
消去法でいくと……
聖華さん……か……
果たして彼女で大丈夫だろうか?
ここは誰も不要と返しておくか。
……いや。まてよ。
敵が誘ってきているのはゲーム。
かなり泥沼根拠ではあるが、聖華さんは無類のゲーム好きだ。
多種多様の人生ゲームをやりこんでいる。
彼女は、僕がとても想像もできなかった何かを見つけ出すことができるかもしれない。
メモ用紙にこう書いた。
『聖華さんをお願いします』