第4話 夢の1ページ
6月になりました。
暑いし、雨は多いし、祝日もない。碌でもない月です。
ふかふかとした布団の心地よい感触が身体に染み渡る。敷き布団と掛け布団にサンドされているだけだが、まるで包み込まれているかのような抱擁力さえも伝わってくるほどだ。
さらにあまりにも自然すぎて全く何も感じていなかったが、意識すれば枕の高さも絶妙だ。それはオレのための特注品であるかのように錯覚させてしまうほどである。
オレは今眠っているようだが、目を覚ましたらそこが実は天国だった、と言われても何も驚かないだろう。
だからこそオレは目を開けようとはしなかった。開けたらこの幸福が終わってしまうのではないか、そんな不安に駆られてしまったからだ。
しかく、天国の呼びかけは触覚だけに留まらない。
さらにその天国に重厚感を増すよう、チュンチュンと小鳥の囀る声が聞こえてくる。布団の中に包まれるオレにはこの上ないチョイスの音楽だ。
加えて追い打ちをかけるように、コーヒーのいい香りが鼻腔をくすぐる。何にも例えがたいフルコースに、すっかりオレの五感は虜にされていた。
そしてオレは、この目を開けたら視覚にはどのような料理が与えられるのかと考えてしまった。考え始めれば、もうそれを止めることはできない。数秒の後、オレは天国が終わってしまうかもしれないなどという思考はあっさりと捨て、ただデザート欲しさに目をうっすらと開けた。
「あっ、おはよーっ! ねえミオ! チヅルが起きたよ!」
大きな声が響く。その声の主は5歳くらいの見た目だろうか。いかにも元気そうな女の子だ。
さらにもう一人、見た目は20歳ほどの女性が居るようだ。この二人がオレのベッドの右側に座っていた。
そしてオレを加えた3人が居る部屋は、一言で言えばログハウスが最も近しい表現だろう。奥にはびっしりと本の詰められた本棚も見える。ベッドの左側には東に向いた小窓があった。朝陽が差し込む絶妙な配置だろう。
オレの頭の横には丸い小さなテーブルも置かれており、鼻腔を刺激したであろうコーヒーはそこに置かれていた。実に美味しそうだ。
「あたし言ってくるー!」
「おいリン、静かにしろ」
女性の言葉など全く耳に届いていないようで、少女は悪びれる素振りは見せずに無邪気に扉を開けて外へ飛び出していった。
「すまないな、騒々しくて。あれでもお前が寝てる間は結構心配してたんだ。大目に見てやってくれないか」
「いや、いいよ。それよりここは?」
「私の部屋だ。こっちの方が近かったからな。それにしても過労とはな。お前も少しは休め。魔力にも響くぞ」
妙に違和感のある会話だったように感じたが、その違和感の正体は全く分からない。
この女性・ミオの言う通り、あまり疲労を溜めてしまうと魔法が上手く扱えなくなるどころか、魔力で保つ寿命にも影響が出かねない。ミオの心配も至極当然のものだ。
「しかしな。お前ほどの魔女が過労で倒れるなんて、シュールな話もほどほどにしてくれ」
「そんな大した魔女じゃない」
「そうか。もうすっかり元気になったようだな」
フッと笑ったミオは、テーブルの上のコーヒーを手に取って口へ運んだ。その姿はなかなかサマになっている。それくらいの容姿になるように魔力を使ったという影響も少なからずあるだろうが、見た目の年齢変化でもなければ大幅には変えられない。
そうなるとやはり生まれ持った美貌のおかげだろう。もちろん母親が、受精卵の段階から遺伝子に多少手を加えることも出来るが、それはミオの意思には関係しないので、この際無視するべきだ。
「淹れようか」
別にそんなつもりで見ていた訳では無いのだが、じっと見ていたことをそう捉えられたらしい。ここで「見惚れていただけだ」なんてことを言う度胸はオレにはないので、素直に頷くことにした。
それを見たミオは新しいカップを取り出すと、コーヒーの素となる粉末を入れていく。それから水を入れ、優しい火を手のひらで起こしてカップ毎温める。
それから軽く混ぜると、オレの好みを知るミオはミルクを少し入れて再び優しく混ぜてからテーブルの上に置いた。
そこまで見届けたオレは、手に耐熱魔法をかけながらコーヒーを口元へ運ぶ。
「うまいな」
「当たり前だ」
すました顔で言ったミオは、また一口のコーヒーを口に運んだ。それを見たオレもまたもう一度飲もうと思ったが、来客が扉を開いたので、それを断念してテーブルの上に置いた。
「チヅル、大丈夫か」
現れた女性はミオと同じくらいの年齢に見えたが、その言葉の調子はまるで長老のようだ。それもそのはず、そこに居たのはこの集落で一番の年を重ねたチエさんなのだから。
もうそれほど魔力が残っていないのだろう、身体の見た目の割に髪はかなり傷んでいる。もうそこまで若く見せる余力はないということだ。
「妾はもう長くない。見ての通りな」
突然己の寿命について語り出したチエさんだったが、それを指摘する言葉はオレからも、娘のミオからも出ることはない。
これがただの突然な雑談ではないと分かっているからだ。
「妾はお主が後継ぎに一番ふさわしいと思うとる。もうすぐ千年になるが、お主ほどの魔女は後にも先にも見たことがない。
故にな、お主にはその自覚を持ってもらいたいのじゃよ。皆を長生きさせる存在が、過労で早死したなどという土産話は聞きとうない。
だからな、お主は自分の身を大切にしろ。他人のことを気にかけるのがお主の良いところでもあるが、自分の身があってこそじゃ」
確かにその通りである。皆を幸せにするのがオレの役目になることだろう。
であれば、そのオレが早死にだなんて裏切り行為もいいところだ。お前が幸せでなくてどうする、と。
「ま、お前の謙虚さは私も好きだぞ」
「妾もじゃ」
クク、と女性が笑うと一気に空気が和やかになった。この抑揚の付け方は果たしてどうしたら身につくものなのだろうか。オレもその座についたらふと使えたりするのだろうか。
「それじゃ妾は戻るでな。ミオはもう少し居てやれ」
ミオは静かに頷いた。オレは正直もう大丈夫なのだが、無理をするなと言われた直後なので流石に甘えることにしておこう。
終始無言でいたオレを見て優しい笑みを浮かべたチエさんは、少しおぼつかない足取りで部屋をあとにした。
それを見届けたミオは、コーヒーを一口飲み、オレの方を見てフッと笑みを浮かべて口を開く。
「随分冷めたものだ」
無言でいたことをそのように捉えられたのだろうか。誤解なのだが、相手がチエさんだっただけにオレは少し動揺して言葉を探した。
「いや、単に気圧されただけだ。あの人にはかなわないって」
「コーヒーのことだぞ」
先の笑みの意味が分かったオレが思わず口を結ぶと、ミオもククッと小さく笑った。
ああ、やはり親子だな。
声に出して笑ってこそいないものの、心底楽しそうにしているミオは小さな火を生み出し、冷めたコーヒーを温め始めた。
見事にハメられたオレは、悔しさを紛らわそうとコーヒーカップを口に当てた。
「冷たいだろ」
「お前の態度がか?」
「なんだ、オウム返しか」
言い返したつもりだったのだが、ミオの一言にオレはグッと詰まってしまった。対してミオはご機嫌そうだ。
「うまい」
しかし、こいつは本当にコーヒーが好きなんだな。少しでも長生きしてたくさん飲みたいといったところか。やはりミオにしてもそれが“幸せ”であることに違いない。
何気なく幸せについて考えていると、突然ミオが立ち上がったので今度こそとオレは口を開いた。
「コーヒーの飲みすぎか?」
「退屈しのぎだ」
オレのからかいの言葉には全く反応を示さず、背を向けたままミオは少し分かりにくい答えを返してきた。
しかしミオが本棚に向いたところでオレはその真意を察した。当のミオはそんなオレの様子は気にかけずに本棚から二冊の本を持って再び席に戻る。
「お前も今日中私と話してたんじゃ、身体が持つまい」
「確かにな。休養のはずが、かえって疲れる」
憎まれ口を叩いたオレに、まるで可愛くて生意気な娘でも見るかのような眼差しを向けてくるミオ。もう、何をやっても勝てる気がしない。
さすがに本日の負けを悟ったオレは、戦線離脱をするべくテーブルに置かれた本を手に取った。
名 前:宮下 千弦 (みやした ちづる)
誕 生 日:7月28日
血 液 型:AB型
部 活 動:無所属
好きなこと:楽しいこと
苦手なこと:面倒なこと




