7 捕物
時刻は丑の刻。いったん帰宅したスケベ忍軍はそれぞれ、家族が寝入ったのを確認して再び街へ参集していた。
役所へ忍び込むは、少数精鋭。巽が選りすぐった数人のみで、その中には役所の構造に詳しい子堅もいる。
残りの者は街の西にある空き地に待機させていた。役所にて目的を遂げた後、さっそく街へ散って覗きを働く算段である。
さて精鋭達、首尾は上々。
役所の周囲には確かに見張りの警吏がのしのしと見回っていたが、死角は必ずどこかにあるはずだ。なければ作る、それが忍びの道というもの。
童貞ばかり数十人といえど、中には一芸に秀でた者もいる。精鋭の中には動物の鳴きまねが得意な者が同行していた。
暗がりに隠れつつ、一番見張りが手薄な場所の周囲で石を投げ物音を立て、「何奴!」と訝しみ近付いてきた警吏の近くで。
「にゃ~お」
「なんだ猫か……」
そんな風にして警備の間隙を無理矢理作り、「ねこねこにゃーん」と猫好きの警吏が油断している合間に。
『よし、今だ!』
『いくぞ!』
声は立てずに視線のやり取りだけで意思を交わし、音もなく塀を越え、スケベ忍軍は役所の敷地内へ忍び込んだ。
そして子堅の提供した情報に従い、裏口の位置までひっそり移動して。
「よし、鍵開け完了!」
巽が熟練の技で鍵を開け、建物の中へ易々と忍び込むのであった。
役所の中はしんと静まり返っている。子堅によれば、夜の役所には当直の役人がいるらしいが、さすがに深夜とあって寝入っているようだ。大胆不敵にも当直室のすぐ側まで足を運んだ巽が、役人のものらしい高いびきを確認。これ幸いとばかりに、一同は目当ての書類が眠る部屋へと直行した。
「ここか」
「ああ」
静かに扉を開くと、そこは棚と書類しかない部屋。綺麗に製本された分厚い書物もあれば、乱雑に積まれただけの紙の束もある。
新月の夜、明かりはほとんど無い。役所の回りに焚かれる篝火の橙色の光が、わずかに窓から入ってくるばかりだ。光は窓枠を少しだけ照らすのみ、部屋の中はほとんど闇である。
さて、そんな微光の中。子堅は用心しながら部屋の一角へ向かう。壁際に設けられた棚には、製本された書物の山。
「これだ」
子堅が言葉少なに巽へ示して見せる。ここに保管されているものが、戸籍。
巽はその場にいた一同を見回した。頭領が目元の表情だけで「よくやった」と労ったところで。
「ところでさぁ……俺と関節以外に、ちゃんと字が読めるやついんの?」
いまさらな問いを仲間へ投げかけた。返答はというと。
「むりっす」
「おれんち貧乏だったんで、そんなには……」
「字なんか知らなくても生きていけらい!」
「おいおいマジかよ……」
あてが外れた様子の巽だが、出立前に各々の学の程度を確認しなかったこのクソニンジャも、間抜けといえば間抜けである。
スケベ忍軍勧誘チラシを撒いた際、字が読めぬ者のため、子堅が通りすがりを装い「なになに?」などと音読してやっていたのだが。それがここで裏目に出てしまうとは。
「しゃーない、俺と関節で目を通すとしよう。他のやつらは見張りを頼む!」
「御意!」
「い、いや待てクソニンジャ! この量を暗記はやっぱり……!」
「ぃよっしやんぞ!」
「はぁ……」
かくして書物漁りが始まった。書物を開けば、亮州に住む者の氏名、住所、生年月日がびっしり記されている。
「そういや関節」
ひと際分厚い一冊を手に取りながら、巽が問う。
「ここの戸籍にはさ、ほんとにこの亮州に住む全員が載ってるのか?」
「基本的にはそうだが……」
少し言い淀み、子堅が続ける。
「さすがに全員というわけにはいかない。例えばよそから流れてきた浮浪者や、みなしごなんかは把握しきれていないだろうな」
「ふぅん……」
そんなやりとりの後、本格的に戸籍の通読が始まった。
子堅は最初こそ躍起になって一文字一文字脳髄に叩き込もうと必死であったが、何しろ時間は深夜。普段は寝ている時間である。
半刻も経たないうちに、子堅はこっくりこっくり舟をこぎはじめた。
彼だけではない。見張りに任命したはずのその他スケベ忍軍も、立ったまま微睡んでいる。
「……ったく、しゃーねぇなあ」
巽はため息交じりにぼやいたが、特段起こしたりはしなかった。
廊下に人の気配はなく、建物の周囲の警吏も平常の巡回を続けたまま。なにか異変があれば本職のニンジャである彼が気付かぬはずがなく、昼間の疲れもあるだろうからと、仲間の居眠りを放っておくのだった。
なに、不測の事態があろうとも、逃げ切る自信は十分ある。
クソニンジャ、平常心のままつらつらと戸籍に目を通す。
目的を達するためには、別に一から十まで覚える必要はない。女性が多く住んでいる場所を割り出せばいいだけだ。全部覚えるなんて言ってみたのも、子堅の反応が面白かっただけのことで。
それよりも。
「いないな……」
東の空へ薄青がうっすら兆すまで書物を漁っていた巽は、小さくそうつぶやいた。三白眼、いつもの浮ついた気色は微塵もない。
結局頭領一人で目的を達し終えた一行は、巽に起こされ先導され、無事役所を脱出するのであった。
-----------------------------
「やあやあ、待たせたな諸君!」
「頭領……!」
黒ずくめの待機所と化した、城内西の空き地。夏草が生い茂る地面を踏みしめ、忍軍一同は息を潜めて待っていた。
夜明けは始まっているが、まだまだ夜の成分が濃い時間帯だ。当然近隣の人家からは音もなく、街は静寂に満ちている。
帰ってきた頭領と精鋭を、残るスケベ忍軍は期待の眼差しで出迎えた。
そして一同、頭領の三白眼がスケベ色に輝いているのを確かめて。早朝のご近所の迷惑にならぬよう、声を潜めて喜び合った。
「さすが頭領!」
「頭領さすが!」
「なになに、諸君らの働きのお陰だ! 一同大儀であるぞ、うはははは!」
さて、ひそひそ上機嫌のスケベ忍軍。さっそく精鋭達の持ち帰った情報を元に、覗きの計画が立てられる。
「聞け諸君。やはり西丁路には女人の住まいが多い。ちょうど俺たちがいまいるのも街の西側だ。このまま朝の着替えに勤しむ小姐を、じっくり鑑賞と洒落こもうぜ!」
「いいね!」
そんなときだった。
「と、頭領! あれ!」
突然、五男坊が興奮した様子で巽へ注意を促した。彼がそっと指さす先に。
「あれは……」
「女の子だ!」
彼らが集まっている空き地の、少し先。背の低い黒髪の少女が、東側の路地から淑やかな歩みで出てくるところ。
忍軍、さっと一斉に夏草へ身を伏せた。少女は彼らに気付かぬ様子で、水桶を持ったままこちらへ近づいてくる。どうやらこの空き地が、井戸か水路への通り道といった様子。
おそらくは、近隣の家の娘か下女だろう。薄暗闇の上、顔を伏しがちに歩いているので容姿はよく分からないが、まだ若そうなことは確かである。
夏草の下で、黒ずくめたちは好色な視線を交わし合った。
「どうする頭領?」
「どうする?」
「もちろん脱がす!」
クソニンジャ、即断即決。決めるが早いか。
さく、と少女の足が空き地の土を踏んだ瞬間に。
「かかったなお嬢さんっ!」
「いざすっぱだかーっ!」
少女めがけて四方八方から襲い掛かる黒ずくめ。その手には当然、棒手裏剣。
「!」
突然の襲撃に顔を上げた娘。その目に宿るは驚愕の色──ではなく。
「かかったのはてめえらだバーカ!」
娘の眉がクソ生意気に吊り上がった。無理矢理化粧した口元は小癪な笑みを浮かべ、そして黒髪のうなじの下、わずかにはみ出しているのは色素の薄い髪。
「げっ! あいつは……!」
巽、咄嗟に身を翻し後ろへ退く。その目前。
「全員埋まっちまえ!」
ボコリ。
空き地の土から腕が生える。土でできた腕が、数十本。それがそれぞれスケベ忍軍の一人ひとりを、捕らえられる位置に現れて。
「急急如律令!」
「うわわわわっ!」
呪文とともに一斉に。黒ずくめ共を掴み、土中へずるりと引きずり込んだ。
かくして空き地の地面のそこかしこへ、覆面生首が多数生える羽目となる。そのど真ん中で件の少女。
「はーっはっはっはっはっはー!」
高笑い。いやその声、少女とは到底思えぬクソ生意気な音声で。
「まんまとひっかりやがって、このドスケベ共!」
かぶっていた黒い仮髪と水桶をかなぐり捨てて、少女は正体を現した。
茶色い頭髪、生意気眉毛。いかにも性根のねじ曲がってそうな不敵な笑み。
女物の衣装ながらも間違いない。強欲銭ゲバ拝金主義、クソ道士の黄雲である。
「なっ……なっ……!」
女装守銭奴の登場に、巽、さすがにとっさに言葉が出ない。
女の子だと思っていたのに。スケベの好機だと思っていたのに。
それがよもや男、しかも知り合い。
巽、烈火の如く怒った。
「な……なにをしてんだよお前は!! ふっざけんな!!」
「その言葉そっくりそっちに返すわ。なんだお前、スケベ忍軍って」
怒る巽へ冷静に、黄雲は腕を組みつつ言い返す。
「ったく、お前のお陰でこっちは大迷惑だっつの! ま、ともかくお前らを退治したら師匠から報酬が出るんだ、大人しく僕の銭になれ!」
「おのれ、やはり銭が目的かっ!」
黄雲が現れた理由に納得の巽である。このクソ野郎の目の前に、銭を吊るされたんじゃあ仕方がない。ともかくこのガッカリな女装道士は屠らねばならぬ。
「お、おいクソニンジャ! どうするんだ!」
巽の背後からは焦った声。運良く黄雲の道術から逃れられた子堅と、その他諸々だ。現在巽の他、身動きできる戦力は二十名ほどか。
一対二十、この人数差。いかに黄雲が道術に秀でているとはいえ、皆で連携し、うまく隙をつけば十分勝てる相手だ。
そう算段を立てるスケベ忍軍だが、残念ながら彼らは敵戦力を見誤っていた。
「陰陽五行、はじけてまざれーっ!」
「なにっ!?」
童貞たちの後方から発せられる、まだあどけない少女の声。
「可憐に! 華麗に! アルパチカブトーっ!」
突如あたりに白光が輝いたかと思うと、背後の建物の屋根には白い影。
白い武闘着、白虎の面。その手の得物は狼牙棍。
「街にはびこる変態無比の乙女の敵よ! 極悪非道・猥褻三昧、許しがたいブタ野郎の皆々様! 今宵我が狼牙棍にて、天に替わっておしおきします!」
その雄姿。彼女こそ亮州の夜を駆ける正義の味方、白虎娘娘である。
「えいっ!」
白虎娘娘、狼牙棍とは逆側の手に持っていた何かを、空き地へ向かって投げつけた。スケベ忍軍の直上をまっすぐカッ飛んで、それは黄雲の手にパシンと収まる。一振りの、桃の木剣だ。
「さあて、変態黒ずくめども!」
黄雲、女装のまま木剣を前に構え。
「我らたった二人と言えど、かたや道術使い、かたや熟練の武芸者! そちらが何人で来ようとけちょんけちょんのぎったぎたにして、お上に突き出して換金してくれるわ! 行きますよお嬢さん!」
「はいっ、黄雲ちゃん!」
「ちゃんを付けるんじゃない!」
かたや仮装少女、かたや女装男子。ちぐはぐな二人が前後からスケベ忍軍を挟撃にかかる。
「さあっ! 残りのクソ共も一掃してやる!」
黄雲、すぅっと息を吸い氣を練り、得意の土行の術を念じ。
土の腕を周囲の地面からわんさか生やし、並みいる黒ずくめをわっさわっさと掴んでは投げ、掴んでは投げ。それはまるで雑草を駆逐するが如く。
「ひええっ!」
「お、お助け!」
そんな攻撃から危うく跳びすさった者も、ほっとするのもつかの間。
「そこな黒ずくめさん! お覚悟っ!」
「なんとっ!」
「ご褒美っ!」
背後から迫りくる白虎娘娘に、狼牙棍で尻を一突きされて悦びの悶絶。
前から後ろから、道術と武芸十八般が襲いかかる。
この突然の窮地に、子堅。
「お、おいどうするクソニンジャ! あのクソ道士はともかく、謎の女の子まで!」
「謎の女の子ねぇ……」
関節大納言、気付いていないようである。いましも童貞どもを狼牙棍で駆逐している白虎面の娘が、まさかおのれの妹であるなどとは。
そして当の彼女も気付いていなかった。
「巽さん! とその隣のモヤシっぽい人! いざ成敗っ!」
白虎娘娘こと雪蓮、知る由も無かった。巽の側に立っているモヤシ体形の覆面男が、自身の兄であるなどとは。
さて絶体絶命である。突如現れた二人組に、残ったスケベ忍軍はいまにも掃討されそうな有り様、しかし。
「おい諸君! まずは野郎の方を狙え! 野郎なら遠慮なくぶん殴れるだろ!」
巽は忍軍の意識を黄雲へ向ける。「む!」と頭領の言葉に、童貞たちの敵意は女装姿へ集中した。
「それにあの野郎、女装しちゃいるが女連れだぞ! 悔しくはないのか諸君!」
「悔しいです!!」
「めっちゃ悔しいです!!」
敵意爆発。
スケベ忍軍、雪蓮はさておいて、怒りのまま恨みのまま、黄雲めがけて殺到した。そして黄雲を取り囲み、飛び上がり、暗器を手に標的を狙う。
「なんのっ!」
四方から棒手裏剣が放たれる直前。黄雲は身を躍らせて地面へ飛び込んだ。瞬間、彼のいた場所の地面へ、剣山の如く突き刺さる棒手裏剣。地上に黄雲の姿は、ない。
地行術。黄雲は地中に潜行し、一点を目指す。木氣の強い、その一点を。
「そこだああああっ!」
「させるかあああっ!」
土中から飛び出し、巽を捕獲せんと掴みかかる黄雲だったが。クソニンジャ、数瞬前に危機を察知し、すでに地面へ棒手裏剣を放っていた。
瞬く間に桜の大木へ変化する棒手裏剣。伸び続ける幹、その枝に飛び移った巽の足の一寸下で、黄雲の手は虚しく宙を掴んだ。
「くそっ!」
「ははーん、バーカバーカ! おい、野郎ども!」
「オッス! 頭領!」
頭領の号令に合わせ、スケベ忍軍しゅしゅんと包囲。
囲まれる黄雲。そんな彼へ。
「黄雲ちゃん!」
包囲外の雪蓮が叫ぶ。しかし彼女とて相手がいないわけではなく。
「待て待て、そこな謎の女の子! ここは私が通さん!」
白虎娘娘の目前に、モヤシ体形の黒ずくめが立ちはだかる。
図らずも兄妹対決。運命的な組み合わせに、そうとは知らぬ雪蓮。
「どこの黒ずくめさんかは存じ上げませんが、その意気やよし! 白虎娘娘の名に懸けて、ぎったんぎったんにして差し上げます!」
「え、ちょっと、あの」
「いざ尋常に! 御首頂戴!」
「ちょっとー!」
首級を上げる気満々の台詞に、子堅、さっきの威勢はどこへやら。少女に尻を向け、退散の構え。しかし。
「お覚悟ーっ!」
「うわあああ! 待って! 殺される! 待って!」
街を騒がす悪漢を、正義の使者が許すはずなど断じてない。狼牙棍を振り上げ、目前の標的を屠らんと雪蓮、追い始める。夜明け前の薄暗闇の中、白虎の面は表情もなく不気味であった。
かくて兄妹、どたばたと、そしてほのぼのと。互いの正体も知らず、追いかけっこに興じるのである。
戦いは黄雲と雪蓮を分断し、二方面にて展開していた。
さて、互いを叩き潰さんとする巽と黄雲。巽は本格的に木行の道術を戦いに持ち込み始めていた。
「おらおらおらぁっ!」
桜の樹上から、無尽蔵に放つ棒手裏剣。地面に刺さり、発芽し、瞬く間に樹木へ、そして花盛りへ成長するそれを。
「させるかっつの、んのバカ!」
少年、印を結びつつ息を吐く。
黄雲は足下の土を通じて氣を桜の木立へ送り込んだ。氣を供給過多の状態にして枯らせしむるためだ。
果たして、せっかく満開になった桜の木はハラハラと花弁を散らし、幹も細く縮んで乾いていく。黄雲が初めてかのクソニンジャと戦ったときに用いた戦術だが。
「ところがどっこいだ!」
巽は木から木へ跳躍しつつ、棒手裏剣を乱射する。一本二本などとみみっちい数ではなく、一度の投擲で十数本。地面に刺さったそれらは一様に芽吹き、育ち、開花し。そして枯れることなく咲き乱れる。
「バカはお前だクソ守銭奴! 氣の量が多すぎて桜が枯れちまう? そんならさらに多くの棒手裏剣を放ち大樹と成し! 余分な氣を吸収して、逆に活用するまでよ! ありがとな、養分くん!」
「ちっ、対策されたか……!」
空き地は既に桜の森と化している。初夏、季節外れの夜明け前。薄桃色の花々は浮かれたように咲き誇り。そして。
「あ、土が脆くなってる!」
「みんなー! 抜けられるぞー!」
黄雲の流した氣を吸収しきったうえ、土地の養分まで吸い取ってしまったからか。桜の根本に埋まっていた生首忍軍が、ぼこりぼこりと痩せた土から這い上がる。
黄雲はそれを横目に、舌打ちをひとつした。せっかく体の自由を奪っていた黒ずくめのその他大勢が、戦局に介入したならば。
(ひとりひとりは大したことないクソでも、団結されると厄介……かくなる上は、短期決戦だ!)
少年道士はひときわ大きく息を吸う。肺の内に土行の氣を起こし、心身の経絡を伝って足を通じて地面へ奇跡を呼びかけた。
「色魔退散! 亮州の土よ、一切を呑み込め!」
そう、全て呑み込んでしまえばいい。桜の木も、スケベ忍軍も。
「あ、お嬢さん。適当に逃げてください」
「うん! 黄雲ちゃん!」
「だからちゃんを付けるなっつーの!」
申し訳程度に雪蓮へ注意を促して。黄雲、本格的に術を始動させた。
空き地の土が躍動し、地鳴りを上げ、波のように地形を変える。そして波濤が小舟を呑み込むように。
「げげっ! 木ごと俺らを生き埋めにする気かよ!」
桜の樹上に避難していた巽だが、足場にしている枝から伝わる、下方へ引き込む不可視の力。大地のうねりは、桜の木の根や幹をバキバキと破壊しながら地上の一切を呑み込む勢いだ。
「うわーっ、頭領ーっ!」
「沈んじまうよーっ!」
「み、みんな……!」
あっぷあっぷ。
まるで海で溺れるような様相で、スケベ忍軍一同は大地に翻弄されている。桜の花弁がはらり虚しく散りゆく中、現場はしっちゃかめっちゃかだ。
「お、おのれクソ守銭奴! 根こそぎ呑み込むとか卑怯だぞ!」
巽、流動する地面に浮かぶ木片の上を、器用に跳躍しながら難を避ける。
「るっさいわ! お前に言われたかないわド変態クソニンジャ!」
黄雲はさすがに術者、揺れ動く地面の上を事もなげに走り、逃げる巽へ迫った。
「いけーっ! 黄雲ちゃん! 成敗! 成敗!」
「ぐぇえ……」
場外で子堅をとっちめた雪蓮が声援を送る。
「さあ観念しろ!」
あと少しまで追い詰めて、黄雲はさらに両足へ氣を籠めた。脚絆の下に貼り付けておいた神行符が本領を発揮して、跳躍。
「しまっ……!」
黄雲、夜天に飛び上がり。
眼下には三白眼を見開く巽の姿。女装道士は頭上高く木剣を振りかぶった。
「報奨金ーーっ!」
欲に満ちた決め台詞。振り下ろされる木剣には、失神の呪法がこれでもかと籠められる。
が。
「すきありっ」
「あてっ」
巽、難なく木剣を避け、手刀を黄雲の延髄にお見舞いした。
「ぜ、ぜに……」
どしゃり。
そしてあまりにあっけなく、強欲銭ゲバ拝金主義は敗れ去る。急所に一撃食らって黄雲、女装のまま気絶である。
「こ、黄雲ちゃん!」
雪蓮、なりゆきに瞠目。しつつも守銭奴の敗因は分かる。
「なんてこと……! 道術では確かに黄雲ちゃんが圧倒していたけど、体術勝負では巽さんの方に分があったということね……!」
「ふーん」
雪蓮が解説を述べて、子堅が間延びした返答をしている間に。
黄雲の術は見る間に鎮まり、大地の変動は止まり、元の空き地に戻る。所々に、桜の幹やら枝やらが飛び出してはいるが。
「助かった……!」
「さすが頭領!」
「頭領さすが!」
残念なことに、黒ずくめ達は全員無事である。そんな彼らの真ん中で、巽。
「よっこらせ」
気絶している黄雲の両腕を掴み、「あらよっ」とどこからか取り出した縄で後ろ手にふん縛る。
「おーいせっちゃん。ちょっといいかい?」
しゃがみ込み、黄雲の身を起こしながら巽はいつもの調子で声を放った。
そして雪蓮と視線を合わせ、黄雲の喉元に棒手裏剣の尖端を突き付けて。
「ほれ、こいつ人質な!」
「ひっ、人質!?」
「おう人質!」
明るい調子で放言するは、とんでもない宣告で。
「こいつの命が惜しければ、いますぐその場で脱ぎなさい。もちろん全裸な!」
「えぇえ!?」
女装道士を人質に、要求するは箱入り娘の脱衣である。
雪蓮、とんでもない強要に、思い出すのは以前のこと。このクソニンジャに恥ずかしい日記を読破され、口止めのため全裸体になることを要求された、あの日のことを……。
しかし今回はあの時よりもさらにタチが悪い。なにせ巽一人だけでなく。
「やったぜ頭領!」
「全裸だ全裸! 女の子の全裸だぜ!」
「しかも自分から脱いでくれる!」
好色そうな黒ずくめが、総勢五十人も。衆人環視の中裸になるなんて、そんなこと。
「そ、そんな……そんなの無理……!」
「無理ってんならしゃーないわ。再見黄雲、来世でな」
「わわわーっ! 待って待って!」
躊躇なく黄雲の脳天に棒手裏剣をぶっさそうとするクソニンジャ。慌てて止める雪蓮を、三白眼はニヤリと見据える。
「ほほう。そんじゃせっちゃん、脱ぐんだな!」
「それは……」
言い淀む雪蓮。しかし白虎の面の奥では、その瞳に覚悟の色が宿っていた。
不意に風切り音。ブォン、と何か重量のあるものが、多数の黒ずくめの間を駆け抜けて、巽の真横の空気を切り裂いた。
一同の背後、桜の幹から鈍い音。投擲された狼牙棍が、ぐわんと音を立てて地面へ落ちる。
「服は脱ぎません。全裸なんてもってのほか!」
「ほう……」
「そして黄雲ちゃんも死なせません! 絶対に!」
雪蓮、立ち上がり拳を構える。
屈服する気など、毛頭も無かった。少女は闘う意志を見せつけつつじわじわと距離を詰める。
「……面白い。一人で俺たちスケベ忍軍を相手取るつもりか……!」
クソニンジャ、黄雲を掴んだまま立ち上がり。
「おい、誰かこいつをあそこの石畳の上に連れていけ! 絶対に土には触れさせるな!」
「へい、頭領!」
近くにいた黒ずくめへ黄雲の身柄を預ける。
小脇に抱えられて連行される女装少年へ。
「黄雲ちゃん……いいや、黄雲くん!」
いまさら呼称を改めつつ追いすがる雪蓮。しかし。
「おっと、奴のもとへ行かせはせんぞ! さあせっちゃん! 奴を救いたくば、俺たちスケベ忍軍を倒してからにしてもらおーか! 倒せるものならな!」
「むむむ……!」
立ちはだかるは巽率いるスケベ忍軍、総勢約五十名。
雪蓮、拳を構え。
巽、棒手裏剣を取り出し。
忍軍、固唾を飲んで機に備える。
一触即発、夜明け前。
東の空は、刻々と明るさを増していく。
黄雲の命と雪蓮の裸形を賭けた戦いが、今幕を開けようとしている──。
---------------------------------------
「はぁ……さすがに疲れた……」
燕山の奥深く。鬱蒼と生い茂る木々の中で、清流は身をかがめて呼吸を整えている。
その目の前には。夜明け前の空気の中、つやつやと血色の良い顔色の崔秀蓮。ひと汗かいた様子のさっぱり加減で、にっこり道人へ微笑んで見せる。
「あなた、結構やるのね! 素晴らしいわっ、私の太刀筋を読み切るなんてっ!」
「はは……」
秀蓮、誉めそやす。そんな彼女、頭からかぶっているのは虎の毛皮。額の白いその虎は、人食いだなんだと近隣を騒がせていた猛獣に相違なく。
清流は夜を徹して秀蓮を追い、ついに燕山の山中にて彼女と邂逅を果たした……のだが。
この決闘好きの武芸狂い、当然のように清流へ勝負を挑んだ。「私を連れ戻したくば腕ずくで来いっ!」と。
清流、妊婦相手に非常に困ったが、決闘に応じる。ただし自身からは攻撃しない。ただひたすらに秀蓮の偃月刀を避け、相手の体力が尽きるのを待つ戦法を取った。
策は功を奏したが、いかんせん秀蓮の体力、常人の倍どころか二乗の勢いで。
彼女の持久力が尽きるまで、昼過ぎからこの夜明けまでかかってしまった。さすがに半不老不死の清流道人も、どさりと地面へ腰を下ろす。
と、そこへ。
「あっ! 秀蓮さまっ!」
「いたぞ、秀蓮さまだ!」
「道士さまもいるぞー!」
獣道をかき分けて、こちらへやってきたのは崔家の下男たちだ。
疲労により言葉なく、ただ問いたげな視線を向ける清流へ、下男たち。
「あ、自分たち、第二十六次捜索隊です」
「お帰りが遅いので、お二人を探しに参りました」
「そうか……ご苦労……」
役目を果たした安堵感で、清流はやっと腰のひょうたんを取り、酒を煽った。五臓六腑にしみわたる。
ところがである。清流道人の苦難はまだ終わっていなかった。むしろこれからが本番だった。
「ところで、例の黒ずくめの破廉恥集団ですが」
「んぶふっ」
唐突な話題の切り替えに、清流、鼻から酒を逆流させる。
その話題はまずい。この、猪突猛進娘の前でその話題は。
「黒ずくめの破廉恥集団?」
当然のように秀蓮が食いついた。よせばいいのに下男たち。
「かくかくしかじか」
一から十まで全部秀蓮へ伝えきる。
街で覆面黒装束の集団が、女人の服を裂き暴れていることも。
その頭目が、清流堂の一員であることも。
「……ちょっと、ちょっとおっぱい道士! どういうこと!」
秀蓮、烈火の勢いで清流へ詰め寄った。黒衣の肩を引っ掴み、前へ後ろへがっくんがっくん。
「あ、あの、う、うちのクソニンジャが、もう、もうしわけなっ、でしに、まかせっ」
揺さぶられて清流、まともに発言できない。
しかし清流道人の申し開きなど、秀蓮にはどうでもいいことで。
「とにかく許せないわっ! その頭目とやらの根城はあなたの道廟ね、おっぱい道士!」
「そうだが、多分今日は帰ってこないと……」
「問答無用!」
清流の返答を待たず、秀蓮は彼女の黒衣の首根っこを引っ掴み。
「いまからあなたのお宅にお邪魔するわっ! その噂のクソニンジャとやらに、この私が正義の鉄槌を下してくれるっ! 紅箭!」
秀蓮が愛馬の名を呼ぶと。
あたりに馬のいななきが響き渡り、この高山をどうやって登ってきたのか、瞬く間に赤毛の馬が一頭現れた。
そして秀蓮は清流を掴んだまま、颯爽と馬の背に跨る。いやな予感を察した清流が言葉を上げる前に。
「はいやーっ! いけー紅箭っ! 咄、咄、とぉーつ!」
「あ、あいやぁっ、ゆれ、揺れる! 気持ちわるぅ……!」
かくして馬上の人となった秀蓮は、躊躇なく走り出す。清流道人を、半ば引きずるようにして。
地形の荒いこの山を、紅箭は跳躍と走行を繰り返し下っていく。赤い軌跡は、山を下りて崔家の屋敷……で止まらずに。
「しゅ、秀蓮!?」
「秀蓮さま!?」
庭園で彼女の下山を待っていた、両親含む屋敷の住人を一顧だにせず街へ抜け。
まっすぐ一路、南の清流堂へ。
「ええい許せん乙女の敵め! この私の刃の錆にしてくれるっ!」
「うっぷ……」
街の西側で、それぞれ妹と弟子が窮地に陥っているなど、知る由もなく。




