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4 黒い嵐

「は?」


 返ってきた声が思いもかけず冷たかったので、雪蓮は面喰った。

 ここは亮州中央市場。行商人が露店を並べる街筋で、雪蓮は黄雲から冷淡な視線を送られている。

 今朝のすっぱだか事件。

 あれから気を取り直し、黄雲と雪蓮はいつものように街へ出ていた。そんな折の一幕。

 

「いま、なんと仰いました?」

「え、えーと……」


 雪蓮のちょっとした問いかけが、黄雲の機嫌を損ねてしまったらしい。

 生意気眉毛を不快そうに歪める少年道士に、雪蓮は勇気を出して再度質問を繰り返した。

 

「お、教えてほしいの……黄雲くんの生まれ年と、誕生日……」

「はァ?」


 黄雲の眉間のしわ、深まる。

 どうして誕生日を聞くくらいで、こんなにも不機嫌になるのか。

 しかし雪蓮には、どうしても彼から生年月日を聞きださねばならぬ事情があった。それも急を要する。

 なぜならば。

 

「おーい、お嬢ちゃん。まだ分からんのかい?」

「お、おじいさん!」

「?」


 突然、雪蓮の後ろから呼びかけるしわがれ声。

 片足を引きずるような歩き方で近寄ってきたのは、一人の老人だ。よれよれの道服にボサボサの白い蓬髪(ほうはつ)。薄いひげを顎に生やし、眼病でも患っているのか眼が白く濁っている。

 一見して胡散臭い老人に、黄雲。

 

「……なんですお嬢さん。あなたのお知り合いで?」

「え、えーと、あのー……」


 怪訝な顔を雪蓮へ向けた。そして雪蓮も、要領を得ない口ぶり。

 どう説明したものか戸惑う雪蓮に代わり。

 

「わしゃ流れの占い師じゃよ。ほれ」


 白髪の老人は持っていたものを黄雲へ掲げて見せる。占術に使う、算木(さんぎ)だ。

 

「いま限定一名様で占いの特別割引中でな。このお嬢さんが見事その限定一名の座を射止めたというわけだ」

「ほう」


 頷きながら黄雲、じとりと目前の老人を値踏みするように見回した。

 見るからに怪しい風体。若い頃にやんちゃでもしたのか、左の頬にうっすら傷跡が残っている。白濁した瞳はギョロギョロよく動いていた。

 おそらく世間知らずで警戒心のない雪蓮くらいしか、この占術師に引っかかる者がいなかったのだろう。あまりに胡散臭い。

 しかしそれはどうでもいい。黄雲は不機嫌な面持ちを少し緩め、雪蓮へ語り掛ける。

 

「なるほど、割引。それなら話は分かります」

「黄雲くん……!」

「ただですね!」


 黄雲、緩めていた態度を引き締め、強欲苛烈、守銭奴の顔。

 

「見てくださいよこのじーさんを! 道服! 道服着てるでしょーが道服! 商売敵ですよ商売敵!」


 主張しつつ、黄雲は己の黄色い道服をバンバン叩いて見せた。

 対して件の占いジジイ、あちこちシミだらけの白い道服に身を包んでいる。つまり黄雲と同じく道士ということで。

 そんな黄雲へ、雪蓮はおずおずと反論を述べる。

 

「で、でも! 黄雲くんは普段、護符を売ってるじゃない? 占いしてるところは見たことないし、商売道具がかぶってるわけじゃないと思うのだけれど……」

「関係ありません。商売敵は商売敵です。なんの占いかは知りませんが、あなた、僕の生年月日をこの胡散臭いじーさんへ教える気でしょう?」


 その胡散臭い老人の前でなんの遠慮もなく、黄雲は続ける。


「道士は己の出生に関わるものを、そう易々と他人へ(つまび)らかにしないものです。それも同業者へ! ねえじーさん!」

「初耳じゃぞ小僧」

「同意しろジジイ!」


 ともかく、黄雲に生年月日を教える気は微塵もないようで。

 雪蓮はしばらくむすっと頬を膨らませていたが、やがて諦めた。

 老人にしてもらうはずだった占いには、黄雲の誕生日が必要だったのだが。

 

「やれやれ、強情な小僧だの。どうする嬢ちゃん?」

「ごめんなさい、おじいさん。残念だけれど……」


 雪蓮は老人へ頭を下げた。占術師の老人は「気にせんでええぞ」としわだらけの顔をにかっとさせて、やはり片足を引きずりながら、街の雑踏へ消えていった。

 老人の背を見送った後。

 

「ったく、また胡散臭いのに引っかかって……で、僕の何を占おうとしてたんです?」

「うっ!!」


 黄雲の問いに、雪蓮は言葉を詰まらせる。

 少女、その質問には答えられない。とたんに顔が熱くなってくる気配。そんな彼女から背を向けて、黄雲は木剣をいじりつつ能天気な口調で嘯いた。

 

「ま、金運の心配なら無用ですよ。僕、運に頼らず自分の道は自分で切り拓きますから。はっはっはー!」


 かっこいいんだか、どうなんだか。

 大言壮語のようなものを吐き、黄雲は行きつけの焼餅(シャオビン)屋台目指して歩を進める。

 雪蓮は「待ってよ!」とその背に追いすがりながら、彼にばれないように九字を切った。

 

(何を占おうとしてたかなんて、言えるわけないわ……!)


 九字に助けられて、なんとか赤面は堪えるも。胸の内にはまだむずむずと、照れの感情がわだかまっている。

 

(相性占いなんてっ!)


------------------------------------


「でね。さっきのおじいさん、二十年前に膝に矢を受けてしまったらしくてね」

「ふーん」


 焼餅を買い終わり。黄雲と雪蓮は清流堂さして歩いていた。

 相性占いの件でしばらく気まずかった雪蓮だが、元々能天気で単純な質。買い物を挟めばいつもの調子に元通り。


「軍隊を引退した後いろんな仕事を転々として、占い師の仕事は最近始めたんだって」

「へぇ……」

「三日前からって言ってたかな?」

「いい加減なジジイですね」


 黄雲、若干呆れを含んだ言葉を吐く。雪蓮も雪蓮で、よくそんな占術初心者に占いを頼む気になったものだ。

 人に歴史あり、胡散臭いジジイもまた然り。あの頬の傷も、戦で負ったものかもしれない。

 しかし、二十年前とは。

 

「ふーん、昭国(しょうこく)との戦でねぇ……」


 雪蓮の話を聞きながら、黄雲は以前に師より聞いた事柄を思い出す。西の果て、楼安関のさらに西方。砂地と草地が入り乱れる国土を持つ昭国と、太華を支配する栄国の間で起こった領土争いのことを。

 当時の昭国の王・茅頭王(ぼうとうおう)はこの戦において、代名詞的な存在だった。王ながら猛将で、髪を振り乱しながら馬を駆り敵陣へ突入し、栄国の数多の将兵を亡き者にしたと言われている。

 その存在は、太華の民の間で長らく畏怖の対象となり。

 おかげで西から遠く離れ、戦火を免れたた亮州でも、子どもを叱る際の親の決まり文句は「茅頭王(ぼうとうおう)が来るぞ!」だ。

 余談だが、亮州には同様の脅し文句に、「汗血馬(かんけつば)大娘(たいじょう)が来るぞ!」などというものもある。誰のことかは割愛。

 とはいえ、戦が和睦に終わってから、もう二十年になる。

 当然黄雲も雪蓮も生まれる前のことだ。正直よく知らない。だから話もそこで終わる。

 

「ねえ黄雲くん。今日のお夕飯はなにかしら?」

「適当な菜っ葉を煮込んだやつですよ」

「わあ、おいしそう!」

「今の説明で、よくおいしそうだなどと思えたものですね」


 連れ立って歩く二人組。

 市場はガヤガヤ。日差しは少し暑いけれど、時折涼しい風が街路を抜けていく。亮州には水路が多いので、他の地域に比べて夏は過ごしやすかった。水際の柳の木は、穏やかに葉を揺らしている。

 平和である。そう、平和だった。

 しかし安寧は破られた。突如響き渡る、絹を裂くような悲鳴によって。

 

「きゃあああああ!!」

「!? 黄雲くん! いまの!」

「なんだなんだ!?」


 悲鳴は路地を曲がった先からだ。黄雲と雪蓮は弾かれるように駆けだした。

 

「どうしました!」

 

 路地の先へ。二人が駆けこむと。

 

「いやあああ! 見ないで!」

「う……うわうわうわ!!」


 黄雲のみ慌てて踵を返す。

 雪蓮は唖然茫然で、目の前の光景に眼を見開いた。

 

「なっ……なっ……!」


 そこには。服を裂かれ、身体の大部分が露出してしまった妙齢の女性。そして。

 

「飛んで火に入る夏の虫……いや可憐な蝶よ!」

「我らスケベ忍軍の餌食となるがいいっ!」


 女性と雪蓮の周囲を取り囲むように、十数人で群れを成す黒ずくめ。

 

「た……巽さんが……増えた!?」


 雪蓮、女性をかばいながら驚愕の面持ち。彼女らを取り囲む黒ずくめ、風体はまさにかのクソニンジャ・巽そのもので。

 思わず白虎鏡を懐から取り出そうとしたが、雪蓮、あっと気付く。白虎鏡、忘れてきちゃった!

 黄雲は元来た道を戻ってなりを潜めていて、まったく役に立たない。

 

「はっはっはー! やあやあせっちゃん、ご機嫌麗しゅう!」

「その声は……!」


 そして響き渡る浮かれた声音は誰あろう。

 

「巽さん!!」

「ご名答! 天才忍者・木ノ枝巽ここに見参!」


 自画自賛で登場、クソニンジャ。付近の建物の屋根に立ち、ニンジャはこれまでにないほど上機嫌だ。

 

「えーと、どの方が巽さんか、いまいちよくわかんないけど!」


 雪蓮、周りが黒ずくめばかりなので、どれが巽かいまいち判別できない。声の方を見てはみるが、屋根の上には数人ばかり覆面装束が固まっていて、もはや誰が誰だか。

 やっとのことで、雪蓮の視線は一番なじみ深い黒ずくめへ定まった。そして語気強く問う。

 

「この方にこんな辱めをしたのは、巽さん達なの!?」

「いかにも!」


 雪蓮の問いかけに、クソニンジャ、悪びれる風もない。

 

「聞いてくれせっちゃん! 俺は自分の手を汚さずに、すなわち雷公の鞭を受けずに、街ゆく女性の皆々様方を裸に剥く術を手に入れたのだ! そう、このスケベ忍軍によって!」

「す……すけべ忍軍?」

 

 巽の独白は、いまいち雪蓮には響かない。正直全然よく分かんない。雪蓮、小首をかしげる。

 そんな彼女へ巽、感慨深げに語りかけた。

 

「思えばせっちゃん……きみは女だてらになかなか手ごわい腕前でさ。いままで俺の棒手裏剣を完封してきたんだよな。守りが堅いっつーか、隙がないっつーか……」

「あ、あのぉ……」

「だが、そんな日々も今日で終わり……せっちゃん!」


 巽、視線だけで忍軍に指示を飛ばす。周囲の黒ずくめが少女へ詰め寄り、一様に懐から取り出すは棒手裏剣。

 

「この大人数ならば、さしものせっちゃんもかなうまい! さあさあ今日こそは、堅牢堅固な箱入り娘の、魅惑の裸体を御開帳! いざ尋常にすっぽんぽ……」

「ちょ、ちょっと待てお前!」


 ノリノリで口上を言い放つ巽を制したのは、彼のすぐそばに立っていた黒ずくめだ。

 モヤシ体形のその黒ずくめ、巽に詰め寄り小声で怒気を放つ。

 

「おい! お前、まさか妹を……!」

「関係ない。脱がす」

「お、おい! おまっ……」

「やれーい! スケベ忍軍!」

「オッス!! 頭領!!」


 ざざざっ。

 頭領巽の指令に忠実に、スケベ忍軍一糸乱れぬ足さばきを披露しつつ雪蓮へ詰め寄り、そして。

 

「お覚悟!」


 彼女めがけ、投げつけられる棒手裏剣。

 

「なんのっ!」


 雪蓮、瞬時に着ていた藤色の曲裾(きょくきょ)をばさりと剥ぎ取り、女性にふわりとかぶせ。

 内に着ていた白い武闘着姿で、手刀を繰り出し暗器を弾く。

 

「はいはいはいっ!」

「ぬぬ、手ごわい!」

「頭領!」

「おう、やはり効かぬか棒手裏剣! ならば!」


 ピュイッ。

 巽は屋根の上から口笛を吹く。応じて忍軍、少女を取り囲み肉弾戦の陣形。

 

「さあさ可憐なお嬢さん!」

「我らの破廉恥の拳法、受けてみるがいいっ!」

「まあっ!」


 びっ。

 雪蓮めがけて、四方八方から繰り出されるいやらし拳法。

 打つでもなく殴るでもなく。掴んで脱がす。ただそれだけの拳法。

 右に左に、はたまた前後に並みいる黒ずくめ。東西南北、さらには上空から繰り出されるいやらし拳。雪蓮、きわめて冷静に攻撃をかわし、いなし。

 

「はいっ! たぁっ!」

「あべしっ!」

「ひでぶっ!」


 隙をつき秘孔を突き。白打にて破廉恥の精鋭たちを、バッサバッサと一網打尽。

 かくしてこのおぼこ娘。人の世に巣食う不埒で醜い鬼どもを、すっきり一人で退治てしまった。それも徒手空拳で。

 

「わかっちゃいたが、やるな! せっちゃん!」

「ひぇえ……我が妹ながら末恐ろしい奴……!」


 さて満身創痍のスケベ忍軍。たった一人の娘にこてんぱん、それを悔しがる者もあり、はたまた喜ぶ者もあり。

 

「しゃーない、せっちゃんは諦めるぞ野郎ども!」

「えーっ、頭領!」

「もっと脱がしたいです!」

「もっと痛めつけられたいです!」

「ならん、ならんぞ皆の衆!」


 不服を並べ立てるスケベ忍軍へ、巽頭領、首を横に振る。

 

「いいか、ここが退き際。男子たるもの退き際を弁えることこそ肝要よ!」

「さすが頭領!」

「頭領さすが!」

「んじゃ、ここを離れて第二部隊に合流だ! ほんならせっちゃん、いざさらば!」

「ぐえっ!」

「ちょっと、巽さん!」


 巽は隣のモヤシ体形の首根っこを引っ掴み、屋根の上からぴょんこら退却、雪蓮とは逆方向へ逃げていった。

 彼女を取り囲んでいた黒ずくめたちも、ざざざと蜘蛛の子を散らすように散っていく。

 それはまるで、黒い嵐。

 路地を抜け塀を越え、スケベ忍軍はあっという間に姿を消す。

 後に残るは、ぽかんと呆けている雪蓮に、同じくきょとんとしている被害女性。

 そして。

 

「……黄雲くん?」


 雪蓮がふと、視線を路地の先へ向かわせると、そこには。

 

「…………」


 よっぽどあられもない姿の女性が恥ずかしかったのか。

 土中へ逆しまに埋まり、両の足だけ地表に出して黄雲、沈黙。

 

「黄雲くん……」


 視界をふさぐにしても、もっといい手は無かったのだろうか。

 喧騒の過ぎ去った街路に、季節外れの寂しい風が吹いた。

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