7 問答
「ねえ! ねえ黄雲くんってば!」
「ちょ、ちょっ! なにするんです!」
ぐらぐらブンブン。黄雲は雪蓮に後ろから肩を掴まれ、ひたすらに揺さぶられていた。
というのも雪蓮、目前の展開に危機感を覚えていたからだ。遥がなにやら危ない。ならば兄貴分の黄雲が助けに行くべきだ。ところが当の黄雲は、様子を伺うだけで特段手助けに入る風もなく。
雪蓮は彼を急き立てるため、地味に肩の痛点へ親指を押し当てつつ黄雲を揺さぶっていた。
「痛い痛い痛い! なんかめっちゃ肩痛いんですけど!」
「点穴!」
「点穴じゃなくて! あ、ちょっ……」
勢いあまった。
「ぐふっ!」
黄雲、目の前の壁に思いっきり額を強打。
そしてぐったり。
黄雲は白目をむき、どしゃりと崩折れた。当然下手人の雪蓮は。
「ひ、ひええ! ごめんなさい、やりすぎちゃった!」
真っ青な顔で大慌て。彼の側へしゃがみこむが、ヒクヒクと痙攣していて、とても無事とは言えない状態だ。呼びかけても反応しないので、意識が無いことは確かである。
「ど、どうしよう! どうしましょう!」
あわあわあわ。
殺ってしまった箱入り娘。彼女の焦燥もさることながら、はてさて本題は屋台の前の御一行。
どうしよう、本当にどうしよう。
さて、青ヒゲオカマの突き出した交換条件に、火眼らの選ぶ答えとは──。
「さあ! そのコをアタシに差し出すの? それとも鞠は諦めるの? さあどっちかしら!」
「…………」
青ヒゲの瞳は爛々と輝いている。欲望にきらめいている。
火眼は黙って遥を見下ろした。ちょうど彼も、不安げな視線でこちらを見上げたところ。
火眼は口を開く。
「とうとい犠牲か……」
「お、おいふざけんな! このクソ野郎!」
「いままでありがとうな、遥。お前に貸した銭の総額、一生忘れないぜ」
「再見、遥! あなたの犠牲で、一人分のご飯の取り分が増えるわ!」
「いやだーっ! そんな餞別の言葉いらねーっ! おれはよそんちの養い子になんかならねえからなーっ!」
火眼のつぶやきに逍と遊も便乗して、感動の別れを演じるが。当然遥としては不本意極まりない。
そんなお約束のようなやりとりを交わした後、火眼はふっと軽く息を吐いて、無表情で青ヒゲへ向き直った。
「……というのは冗談として。本人が望まぬ以上、こいつをおまえのところへやるわけにはいかない」
「なら、鞠は諦めるということね?」
「ああ。日をあらためて、優良店で買うとする」
火眼、今日鞠を買うことは諦めた。遥の身柄を賭けてまでムキになることでもない。少々面倒だが、先の台詞の通り、日を改めて趙ばあちゃんの店で買えばいい。
「寝坊助! お、お前……!」
遥は身の安全を保障されて、初めて友情の眼差しを火眼へ向けた。残りの二人といえば「ちぇー、つまんねーの」と、さらなる一悶着を期待していた様子。性悪なものである。
「それじゃあもうかえる。さらばだ、あおひげ」
火眼はあくび混じりにそう言って、踵を返した。遥がそれにいち早く続き、逍と遊も一拍遅れて後ろを向く。
「ねえ、ちょっと待ちなよ」
今にも立ち去りそうな一同へ、青ヒゲは気だるげな声を投げかけた。振り返る四人──の中の遥へ、青ヒゲは言葉を続ける。
「ねえねえ、本当にいいのあなた? うちへ来れば、なんてったって……」
オカマ、タメにタメて曰く。
「肉、食べ放題……よ?」
ピタリ。
遥の動きが止まった。そして口角からはタラリとよだれ。
「た、食べ放題!? マジでマジでマジで!?」
食いついた。物凄い勢いで食いついた。一体どこからその金が? なんて疑問は一切抱かない。
なんてったって清流堂の三人の子ども達、朝昼晩の三食に、動物性タンパク質を食べたことがなく。普段は黄雲から支給されるお小遣いを手に市場へ繰り出し、肉や魚、玉子の小吃を買い食いして成長期の荒波をやり過ごしている。
成長に必要な分の栄養素は恙無く摂取できているものの、三食精進物はさすがに物足りないと思っていたところ。
「青ヒゲ、朝も昼も夜も、肉食べ放題なのか!?」
「当然よ! おやつにだって羊肉つけちゃう」
「うっわー! すっげー! 夢みたい!」
遥、先ほどまでの青い表情はどこへやら。とたんに血色が良くなったかと思うと、青ヒゲのもとへ駆けていく。
「お、おい! 遥!」
逍が引き止めるのも聞かずに、遥は青ヒゲの傍らへたどり着いた。そしてこちらを振り返り。
「みんな! いままでありがとうな! 達者で過ごせよ!」
少年、肉に釣られる。その様に、かつての仲間たちは。
「みごとなてのひらかえしぶり……」
「ほんっとゲンキンなんだから!」
火眼は感心したような口ぶりで、遊はぷりぷりと怒った様子。
「ふふん、いいコね! 素直なコはアタシ大好きよ!」
「うん、ぼくここんちの子になる!」
「おほほほほ!」
オカマは満足そうに笑声を上げた。しかし。
肉に飢えている成長期は、遥だけではない。
「おれも! おれも青ヒゲんちの子になるー!」
「あたしもあたしもー! あたしにも肉食わせんかいコラーっ!」
「お、おい……」
勇んで飛び出す残りの二人。肉食べ放題。そのためならば青ヒゲの養い子になるなど何のその。
しかし当の青ヒゲの審美眼は、立候補者二人を許さない。
「不合格! あんたは腰回りの骨格がなってない! そしてあんたは論外も論外、女のコはおとといきやがれ!」
「きびしーっ!」
一蹴。恐ろしい剣幕で逍と遊を追い返し、青ヒゲはフフンと鼻を鳴らす。
「さあ、そこのカワイイ顔のモヤシ! 商談は成立したわ! この鞠、超弩級の格安価格で売ってあげようじゃない!」
「…………」
火眼は無言で青ヒゲを見つめている。ぶっちゃけこの展開についていけていない。まさかあれだけ嫌がっていた遥が、あっさりあちら側へ着くとは思わなかった。
「……まあいいか。本人の意思だし」
しばしの逡巡を経て、火眼は納得することにした。考え事をしたせいか、なんだかまた眠くなったようだ。
短い付き合いだったが、ここで遥とは今生の別れ。炎の少年は銭を握りしめ、青ヒゲのもとへ歩みを進める。
「たりるか?」
「ええ、結構結構」
銭を見せて、青ヒゲの満足顔を確認し。
子ども一人と幾ばくかの銭を引き換えに、鞠を得るおつかいもこれにて終焉。
……とはいかなかった。
「はぁ……これでアタシの悲願も達成されるってもんね!」
銭を受け取る直前。青ヒゲは夢みる乙女の表情で頰を赤らめた。
「大げさだなー。ま、これからよろしく頼むよ、父ちゃん!」
へへ、と遥がわんぱくな仕草で鼻の下を指でこする。が。
「……父ちゃん?」
その呼びかけが、気に入らなかった。青ヒゲはぐりんと首を回し、なんとなしに不気味な挙動で遥を見下ろす。
ただならぬ様子に、遥。
「あ、えーと……一応あんたんとこの子どもになるわけだし、父ちゃん扱いが妥当かなって……」
「父ちゃん?」
繰り返される疑問の声。妙に感情がこもってないのが空恐ろしい。
しばしあたりに奇妙な沈黙を漂わせて、青ヒゲはぶるぶると髭を震わせながら大声でこう主張した。
「アタシはあなたの父親になるんじゃないわ! 恋人よ!」
恋人よ!
叫びはやけにはっきりと辺りに響いた。残響しばらく、後には静寂。
閑古鳥鳴く、市場の外れの侘しさよ。一陣、季節外れの北風が吹いた。
「残念だわ! アタシの話をよく聞いていなかったようね!」
「あ…………」
遥、思い出してまた顔が青くなる。
肉に釣られてしまったとはいえ、かのオカマの真の目的を見誤るとは不覚である。
そう、青ヒゲの悲願とは。見込みある少年を自宅で養い、将来自身の恋人たりえるよう育成すること。
「いい? あなたにはさっきも言ったように、肉食べ放題、贅沢し放題でいい思いをさせてあげる。そう、アタシの管理下でね!」
青ヒゲの瞳は邪悪に輝く。
「とにかく肉を食べさせて! 筋肉つくよう糖質制限、十年後にはアタシ好みのいい男! そして食べごろになったなら!」
「なったなら!?」
青ヒゲ、問われて曰く。
「かくかくしかじか、ずっこんばっこんオッスオッス!」
「!!」
子どもが聞くには大変刺激の強い内容である。
遊は顔を赤らめて、逍は逆に真っ青になり。遥は誰より一番血の気が引いている。
「おぅ……」
さすがの火眼の眠気もさっぱり覚めた。
「どう! アタシの夢いっぱいの未来予想図! 素敵でしょ素敵でしょ!」
素敵だと思える要素がどこにもない。皆一様に黙り込んで、はしゃいでいるのは青ヒゲのみ。
実はこの青ヒゲ。数十年前は良識ある普通の男色家だった。ところが内気な性格が災いし、ただただ相手を待ちぼうけ。街で好みの男を見かけても、声をかけることすらできなかった。
そして恋人を待つこと幾年月。兼ね備えていた良識は長い年月の中ですっかり枯れ果ててしまい、いまや凝り固まった欲望がこの男を支配していた。
語弊のないよう申し上げておく。当然、男色家が全てこうというわけではない。大多数は良識に則って愛を育んでいることだろうし、その気が無い者を無理矢理襲うこともないだろう。
そう、彼の性癖が悪いのではない。世の中には男色家が数多いながら、彼好みの好漢が現れなかった不遇が悪いのである。しかし自分から話しかけに行く度胸は、実は無い。
ゆえに操縦しやすい無垢な子どものうちから教育し、理想の恋人へ仕立て上げるという、歪んだ目的を抱くようになってしまったのだ。
しかしそんな裏事情など、火眼たちは知ったこっちゃない。
「やだ! おれやっぱ清流堂に残る!」
「そうね! その方がいいわ!」
「聞いてるだけで痔になりそうだぜ!」
子ども達も満場一致で遥の帰還を歓迎している。
しかし許さないのは青ヒゲだ。せっかく理想の恋人を養成する好機なのに、どうして逃がせよう。
「ダメ! いまさら無かったことになんてなんないわよ! あんたはアタシのモノ! けってーい!」
「勝手に決定すんな! こんなもん破談だ破談!」
「あら、今さら反故になんてできないわよ! もう取引は終わっちゃってんだから!」
「……いや、まだまにあう」
遥と青ヒゲの言い合いに、火眼は口を挟んだ。その手には、まだ銭が握られている。
「まだおれはおまえに銭をわたしていない。すなわち、とりひきはまだ完了していないということだ」
「まっ! 屁理屈ね!」
青ヒゲ、素早く銭を奪い取ろうとするが。火眼は俊敏にひょいと後ずさる。銭はいまだに彼の掌中。
そして子ども達をかばいつつ、火眼は冷静に言い放つ。
「わるいが、このはなしはなかったことにしてほしい」
「火眼!」
「火眼にいちゃん!」
「火眼大人!」
普段は寝てばかりのごくつぶしの背中が、今日はやけに輝いて見えるので。子ども達は初めて火眼へ尊敬の眼差しを送っている。名前を呼んだのも初めてだ。
しかし青ヒゲは承知しない。濃い顔立ちへ、見る間に血の気が昇っていく。
「こ、小生意気なモヤシだこと! いい? アンタ取引を一度了承してんのよ! やっぱり買いませーん、なんてことが許されると思ってんの!?」
「だから金のうけわたしまえだから、問題ないと……」
「聞けないわ聞けないわそんなこと!!」
交渉決裂。
オカマの胸中の天秤は、商売の道理よりも欲望の方へ傾いていた。そして青ヒゲの暴走は次なる段階へ。
青ヒゲは屋台からのしのしとこちらへ歩み寄り。六尺五寸、迫力の巨体が逆光を背に、四人を見下ろした。
「分かったわ……そんなに屁理屈ばかり言うんなら……」
青ヒゲ、胸筋をひくつかせながら告げる。
「アタシが力尽くで教えてあげる! 一度した約束は、覆らないってことをね!!」
「!!」
突如、筋骨隆々の腕が空を切る。とっさに左へ避けた火眼の右頬を、青ヒゲの拳が鋭くかすめていった。
「くっ!」
火眼が体勢を整えている一瞬の間だった。青ヒゲはかなりの巨漢で、いかにも鈍重そうな見た目だったのだが。
「逃がさないわよっ!」
「ひいい!」
まったく予想外の電光石火。青ヒゲはおそろしい速度で瞬時に遥の前に回り込み、太い二つの腕で彼を抱擁にかかる。
「遥!」
すぐそばにいた遊が悲鳴を上げる。逍が弟分をかばいに走った。遥は腰が抜けてへたり込んでしまって。
「させるか!」
火眼は足に氣を集中させる。足裏、『神行の紋様』の刺青に氣が満ちる。道術を発動し、先の青ヒゲを上回る速度で遥の元へ向かった。
間髪入れず。火の氣を右手から発し、燃え上がる炎を身の丈程度の棒状に制御。炎は凝固して朱塗りの棍棒に変じる。そして。
「むうっ!?」
棍で青ヒゲの腕を強かに打ち、払う。後ろへよろける青ヒゲ。
「遥! 大丈夫か!」
「逍……遊……!」
あわやのところで救われた遥の元へ、兄妹分の二人が駆け寄った。そんな三人へ、火眼、視線は青ヒゲへ向けたまま。
「おまえたち、さっさとにげろ」
「でも、火眼にいちゃん……!」
「いいから!」
棍を構えながら、火眼は強い口調で退却を促す。それでもまだ迷っている彼らへ、炎の少年は、目の前の難敵を見据えつつ。
「安心しろ……!」
火氣をたぎらせて、続く言葉は不敵に、不穏に響く。
「あとかたもなく、けしずみにしてやる……!」
結局燃やすんかい。




