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5 鋼の屋台

 さて困った。意気揚々と街まで出かけたはいいが、財布を忘れちゃ意味がない。

 火眼達四人は途方に暮れていた。市場の入り口に子ども達と少年はひとかたまりに群れていて、少々通行の邪魔である。

 

「まいったな……」

「おーい、どうすんだよーっ」

「どうすんのー?」

「むぅ……」


 行き交う人々に避けられながら、火眼はしばし思案。そしてたどり着いた答えは、至極当たり前の選択肢。

 

「いったんひきかえそう」


 清流堂まで来た道を戻り、財布を携えて再びこの場所へ、ということだ。

 しかし、清流堂とこの市場と、それほど近い距離ではない。子どもの足、特に遊にとっては、行きの道のりだけでも少し疲れる距離だ。

 

「やだー、遊つかれた〜」

「そうだよ、いったん帰るなんて面倒臭いよ」


 遊は駄々をこねながらへたりこみ、逍も小憎たらしくぶーたれている。

 そんな反応に、火眼は再び考え込んだ。それなら子ども達にはこの場で待ってもらい、自身だけで清流堂へ戻ってはどうか。

 

「いや、だめだ。道がわからん……」


 残念なことに、火眼はこれが初めての外出。行きこそ街に詳しい子ども達のお陰で難なく目的地までたどり着けたものの、道筋はまったく覚えていない。歩いて来た街路はあちこち曲がりくねっていて、やたらと複雑な印象だった。一人で歩みだせば、まず間違いなく即迷子である。

 

「むむぅ……」


 さてさて、状況打開の選択肢はどんどん潰えていく。少し休憩してから清流堂へ戻るという手も無くはなかったが、それよりも火眼は「鞠を買う」という一大目的にこだわってしまった。

 

「ガキどもよ」

「なんだよ?」

「すまないが、金をかしてくれ」

「はぁあ!?」

「かならずかえすから」

「えええ!?」


 ついに火眼は、年端もいかない子ども達に金をせびった。

 逍、遥、遊の三人は、確かに金を持っている。行きがけに清流からもらった駄賃だ。火眼としては、この状況下、頼れるものは子ども達の持つ金しかない。

 当然クソガキ連中からは抗議の声。

 

「ふざけんなーっ! おれたちこの金で、いまから買い食いするんだーっ!」

「そうよそうよ! 肉系の小吃(シャオチー)いっぱい食べるんだから!」

「普段ずっと精進物しか食べさせてもらえないんだぞおれたち! 道士志望じゃねえのに!」


 やんややんや。餓鬼共、断固拒否の構え。

 

「だめか」

「だめーっ!」

「こまったな……」


 結局子ども達から金を借りられず、火眼は途方に暮れてしまった。

 一文無しの上、清流堂へ戻ることもできず、金を得ることもできず。

 ただ鞠を買いたいだけなのに、このままならなさ。

 二進(にっち)三進(さっち)もいかなくなり、火眼、ボリボリと白髪をかきむしった。炎の色の瞳は、再び眠たげな気配を帯びている。


「うう、ねむい……」


 はじめてのおつかい、ここに至ってもはやぐだぐだ。

 そんな一部始終を物陰から眺めて、意を決した者がここにひとりいた。

 

「ねえ、ねえ黄雲くん!」


 雪蓮は目の前の黄雲の背中を、指でちょんちょんとつつき呼びかける。

 

「なんですか、うっとうしい」


 黄雲が振り向いた。

 いくらなんでもそんな、苦虫を噛み潰したような顔をしなくても……と思いつつ、雪蓮は口を開く。

 

「いいの? 手助けしてあげなくて」

「手助け?」


 雪蓮の言葉に、黄雲は眉をひそめた。当然この守銭奴、ただ火眼達が露頭に迷う様を眺めているだけで、助けるつもりなど毛頭もなく。

 

「するわけないじゃないですか。あの状態のあいつらを手助けして、僕になんの得があるんです」

「やっぱり……」


 現在無一文の火眼からふんだくれるものが無いと見るや、黄雲の態度は冷淡である。

 しかしこんな返答も予想通り。雪蓮はこの守銭奴の性根をわきまえた上で、とんでもない提案を持ちかけた。

 

「ねえ、黄雲くん。あなた今、お金の持ち合わせはあるのよね」

「ありますけど……」

「それ、火眼さんへ差し上げてきたらどうかしら!」

「はァ!?」


 クソ道士、思わず素っ頓狂な声。

 

「な、ななな! なんてことを言うんですか! 絶対嫌です!」

「いいじゃない、ちょっとぐらいのお金なんて」

「ちょっとぐらいとはなんですか! 僕が汗水垂らして稼いだ銭を! だいたいそういうこと言うんなら、あなたが金を出せばいいでしょーに!」

「私、お財布忘れてきちゃってて……」

「バーカ! ほんっとバーカ!」

「ねえほら、いいじゃない少しくらい。地行術でバレないように、火眼さんの足元へ置いてくればいいんだし……」

「いーやーでーすー! 拒否! 断固拒否!」

 

 黄雲にしてみればとんでもない話だ。我が命も同然の銭を、なにゆえにやすやすと渡さねばならぬのか。どうしてこの世間知らずの箱入り娘は、そんな残酷極まりないことを言い出すのか。

 黄雲、思わず懐に腕を突っ込んで財布を握りしめる。

……と言っても。

 雪蓮としては、ほぼほぼ冗談のつもりだった。何かとそっけない態度のこの気になる少年を、少しからかってみたかっただけのこと。

 

「……なーんて、冗談冗談!」


 概ね予想通りの反応。揶揄のし甲斐があるというもの。

 

「えへへ。からかってごめんね、黄雲くん!」

 

 雪蓮は冗談の効力に満足し、努めて明るい声で呼びかけるのだが。

 

「…………」


 雪蓮の戯言(ざれごと)を本気にしたか黄雲、財布を手に握りしめたまま微動だにしない。冗談だと打ち明ける雪蓮の声も、耳に入っていない様子。

 

「あ、あの……黄雲くん?」

「…………」


 黄雲は不意にふらりと立ち上がった。手には財布を握りしめたまま。

 そのまま一、二歩雪蓮から距離を置くと。

 

「くっ!」


 なにやら苦渋の表情で背を向けて、ためらいなく地面へ飛び込んだ。

 

「!」


 まるで水面へ落ちるかのように。黄雲は地面へとぷんと沈み込み、土中へと消える。地行術だ。

 

「え、ええ!?」


 突然の道術に、雪蓮は度肝を抜かれる。

 なぜ、どうしていきなり地行術。もしや金銭を差し出したくないあまりの逃亡か。

 ところが黄雲の行動は、彼女の予想の斜め上を行く。

 いましも市場の入り口で、グダグダ最高潮の四人組の、その足元。地面の土が軽く盛り上がり、人の手がにょきりと生える。最初握りこぶしだったそのは、火眼の足元に何かを……チャリチャリと金属的な音の鳴る何かを置いて、見つからぬよう即座に地面へ引っ込んだ。

 そしてややあって。雪蓮の目前の地面が、ぼこりと盛り上がる。土の下からは再び黄雲が現れた。氣を使って土を払っているのか、髪や衣服についた土は流れるようにほろほろと地面へ落ちて行く。

 

「ほら、あなたの言う通りにしてきましたよ」


 憤懣やるかたなし。まさしくそんな態度でムッツリむくれつつ、黄雲はツンとそっぽを向いた。

 

「え、ええ!? 黄雲くん……!?」


 黄雲のなした一連の行い。

 あの、あの黄雲が、稀代の守銭奴が。文無しの火眼に、こっそり金を恵んでやるなんて。

 まさに驚天動地、青天の霹靂。明日の天気は槍か矛か、はたまた満天の火箭(かせん)だろうか。

 らしくない振る舞いに、雪蓮は感心とか見直すだとかの前に戦慄した。もしや凶事の前触れか。

 

「なんですか。おっしゃる通りにしてきたというに、なんだってそんな愕然とした面持ちをしていらっしゃる」

「だ、だって黄雲くん……黄雲くんが……」


 わなわな。雪蓮あまりのことに言葉が出てこない。

 そんな彼女へ、黄雲はあっさりと。

 

「ま、あいつの面倒を見る名目で、僕は師匠に手間賃をもらってますからね。いいでしょう、これくらいの手助け」

「黄雲くん……」


 なるほど、そういう論法かと雪蓮は納得しかけるが。

 

「で、あいつに恵んでやった分の金額は後であなたに請求しますんで」

「そうくる!?」


 やはり強欲守銭奴。抜け目がない。

 雪蓮のちょっとした冗談は、彼女のお小遣いを奪い去ってしまうのだった。

 はてさて。

 

「おや、これは……」


 火眼はふと、足元へ寝ぼけ(まなこ)を向けた。見れば金が置いてある。ちょうど、懐にあるはずだった金額分の銅銭だ。

 

「うわっ、銭だ!」

「ちょうど良く銭が置いてある!」


 火眼より一拍遅れて、同じく銭に気付いた子ども達。彼らの目の前で、火眼は金を拾い上げた。

 

「これは……」


 銭の周囲には、元の持ち主の氣がこびりついている。存分に陽光を浴びた、柔らかい土のような氣だ。

 

「まさか……あいつ……」


 火眼は少し驚きの面持ちで周囲を見回した。雑踏に紛れているのか隠れているのか、どこにも姿は見えないが、あの守銭奴の気配はこの周辺に、かすかに感じられる。

 

「よかったな、寝坊助!」

「これで鞠が買えるぞ!」

「あ、ああ……」


 何がなんだかわからないが、万事解決。子ども達は無邪気に笑って「こっち!」と、市場の奥へ火眼を引っ張った。

 

「…………」


 火眼は一瞬だけ、背後方面、土の氣の方を向いた。しかしすぐさま前を向き。

 

「いこうか」

「行こう行こう!」


 子ども達に手を取られつつ、はじめての買い物へ臨むのであった。

 

---------------------

 

 さて、亮州中央に位置するこの市場。

 新鮮野菜や肉を商う店はもちろんのこと、太華のあちこちから集まった行商人が露店を開き、珍しい宝石や古本、楽器など、種々様々なものが売られている。

 そんな中。地元密着型の屋台が一軒、昔からこの場所で商いを続けている。

 (ちょう)ばあちゃんのお店。地域の子ども達はその店を、愛着を持ってそう呼んでいる。商品は主に子ども向けの玩具だ。

 趙ばあちゃんは、とても優しいおばあちゃん。いつもニコニコ。店を訪れる子どもに、買う買わないに関わらず、必ず飴をひとつ渡してくれる。

 そんな可愛らしい趙ばあちゃん。みんな大好き趙ばあちゃん。

 

「ええ!? 趙ばあちゃんがギックリ腰でお休み!?」


 人混みに逍、遥、遊の甲高い声が響き渡った。

 趙ばあちゃんの屋台には、商品はおろか、ばあちゃんの姿までもが見当たらず。

 隣の屋台の店主から休業のわけを聞き知った子ども三人は、ガックリと肩を落とした。

 

「どうしよう……趙ばあちゃんお休みだってさ」

「ギックリ腰だなんて大変! 今度お見舞いしなくちゃだわ!」

「そうだなぁ、それはまた今度みんなで行くとしてさ。どうするよ、買い物?」


 年長の逍が困ったように肩をすくめてみせる。そんな彼へ火眼が問う。

 

「鞠を売っている店は、ここしかないのか?」

「うーん……」


 尋ねられて、逍は渋い表情を作った。口ごもる彼に代わり、遥が口を開く。

 

「いちおう、あと一軒おもちゃを売ってる店はあるんだよ」

「あるのか。じゃあそこに……」

「待って! あそこは鬼門よ!」

「鬼門とな」


 突然血相を変えて火眼を遮るは、最年少の遊。心なしかほか二人の表情も暗い。

 

「そう、鬼門中の鬼門……あそこは店主は一人だけれども、言うなりゃ魑魅魍魎、悪鬼満載の伏魔殿よ」

「伏魔殿」


 おもちゃ屋の割には、散々な言われようである。

 子ども達はどうも、この二軒目の店を忌避しているらしい。

 

「ねえねえ、今日は諦めて帰ろうよー」

「あんな店行くくらいなら、日を改めようよー」

「そうよそうよ! 今日は小吃(シャオチー)を食べて終わりにしましょう!」


 速攻帰りたがる。

 しかし、火眼は違う。帰りたくない。眠気をおしてここまで来た。目的を達せずに帰るのはなんとなく癪にさわるし、なにより後日またここまで来るのが面倒くさい。

 

「いいや、いこう」

「なぜに!」

「こんなに引き止めてるのに!」


 うへぇ、と子ども達はげんなり顔だ。

 火眼だって眠くて眠くてたまらないが、鞠を買うため、はじめてのおつかいを達成するために。

 そして。矜持を曲げて金を恵んでくれた、あいつのために。

 

「ガキども。案内をたのむ」


 火眼は炎の瞳でしっかり見据えつつ、頼み込む。


「くっそぉ、お前なかなか強情だな!」

「しゃーない、連れて行ってやるよ!」

「でも覚悟しなさい! 今から向かうのは、あの哥哥(がーが)をして難攻不落と言わしめた、堅城鉄壁の鋼の屋台よ!」

「どんな店だ」


 さて、一行は意気揚々と歩き出す。向かうは難攻不落の鋼の屋台。

 そんな彼らを後ろから見守る黄雲は。

 

「げっ、まさかあいつら……青ヒゲの店に……!?」

「青ヒゲ?」

「行きますよお嬢さん! 下手すると、せっかく僕が恵んだ金がパーになる!」


 色をなして雪蓮引き連れ、火眼達の後を追うのであった。

 

 

 

 賑やかな市場にも、中心部を離れれば閑散とした場所くらいある。

 件の店はそんな場所にあった。

 難攻不落の、鋼の屋台。

 屋台は別に、建材が鋼でできているわけではない。百万の兵士が守っているわけでもない。

 古びた木枠に商品棚を設け、竹馬や鳥かご、子ども用の(くつ)などが雑に陳列されている。もちろんその中には、鞠もある。

 そんな屋台の奥側に腰掛けて、閑古鳥が鳴くに任せるまま、頬杖をつき、退屈そうにあくびをしている男。彼が店主の青ヒゲである。

 袖の無い服から伸びる、たくましいふたつの(かいな)。また、開けっぴろげられた服の胸元からは、これまたたくましく鍛え上げられた大胸筋がのぞいている。いずれも腕毛、胸毛にもっさり彩られている。さらに言うと、無駄に色白である。

 そして青ヒゲの異名が指す通り、鼻の下にたくわえた口髭の下、その顎から頰にかけて、青々しいヒゲの剃り跡が残っている。

 大変にたくましく、男らしい印象の中年男だ。しかしその唇は異様に真っ赤で、まるで紅を引いたよう。しかもぬらぬら濡れたようにてかっている。

 

「あれが青ヒゲだ!」


 物陰から様子を伺いつつ、遥が声をひそめながら火眼へ指差した。

 そう、これが青ヒゲ。亮州中央市場へ店を構えていながら、地元の子ども達に愛されず。日がな一日閑古鳥。どうして儲けを確保しているのか、どうして店が潰れないのか。亮州七不思議の一つと化した謎の店、それが青ヒゲの屋台である。

 さて、この店がどうして子ども達に避けられているかというと。

 

「これがまた、話すと長くなるんだけどさぁ……」


 逍が年長者らしく、真面目に説明しようとする。が。

 

「あれがそうか」

「お、おいお前! 話を聞け話を!」


 火眼、無表情ながらも目的達成へ躍起になっている。

 逍の説明を鮮やかに聞き流し、つかつかと目前の謎の店へ。

 

「かいものがしたいんだが」


 火眼は屋台の前に立ち、じっと青ヒゲ店主へ視線を注ぐ。

 

「あら……お客さんかしら?」


 魁偉な容貌からは想像もつかない、女性のような言葉遣い。

 この第一声を聞いた者は皆、当然必ずこう思う。

 

 オカマかよ! ……と。


 しかし、五百年の眠りから覚めた火眼の中には、オカマという概念は無かった。目の前の男の異様さを、すんなり受け入れてしまう。

 

「この鞠をうってくれ。金ならもっている」


 商品の鞠を掴みつつ、どこか誇らしげにそう告げる火眼。

 そんな彼を、青ヒゲは値踏みするような目でじろりと見回した。

 そして真っ赤な唇を開き、ペロリと舌なめずり。

 

「へぇ……アタシの店で買い物だなんて、いい度胸ね」


 口髭を歪めて、不敵な笑み。

 いま、空前絶後のおつかいが、幕を開けようとしている──。

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