3 出立、そして面倒くさい弟子
翌日。
「外出したい?」
突然の申し出に、清流道人は寝起き顔に驚きを浮かべている。黒い瞳が見つめる先には、火眼金睛。
珍しく早起きして道人の部屋を訪れた火眼は、こくりと頷いて見せた。
「かいものにいきたい」
「買い物……」
酒壺が雑多に転がる部屋。昨晩の深酒の名残でけだるげな清流は、しゃっきりしない声音で「ふぅむ」と曖昧に唸った。
この炎の化身が清流堂へ身を寄せてから、ひと月ほどになるだろうか。ともかく稀有なことである。朝早く彼が目覚めることも、清流の部屋を訪ねてくることも。
そして何より、外出したいなどと言い出すとは。
「買い物か……なにか欲しいものがあるのか?」
清流は当然、そう尋ねるほかない。この睡眠だけで満足していそうなグータラが、一体なにを買おうとしているのか。さすがの飲んだくれも若干興味をそそられる。
そして火眼も、彼女へ答えるは昨日の一部始終。
「じつは……」
かくかくしかじかと伝えるのは、鞠を壊してしまった経緯だ。
聞き終えた清流は「なるほどなぁ」と、呆れているやら、そのくせどこか楽しげな表情。
そんな彼女へ、火眼は。
「おれは、清流堂からでてはだめだろうか」
いつになく神妙な様子で清流に問う。
目の前で立ち尽くしている白髪の少年に、清流は自身の黒髪をわしわしかきむしりつつ、少々ぞんざいに言葉を放った。
「……別にお前に関しては、外出を禁じているつもりはないぞ。出掛けたければ出掛けるといい」
「そうだったのか」
「そうだぞ」
そう、清流は特段外出禁止令など出していない。むしろ積極的に街へ踏み出すべきだと思っているくらいだ。しかし。
「ただ、心配だな。お前はまだ目覚めたばかり、現代の常識に疎いところもあるかもしれん」
「じょうしき」
「そう、常識だ。いいかい火眼。街中でもし人とぶつかってしまったら、まずどうする?」
清流の質問に、火眼は少しだけ思案して。
「とりあえずもやす」
「おっと……」
物騒な回答。さすがの清流も頭を抱えている。別に二日酔いで頭が痛いわけではない。
「いいかい火眼。人は燃やしてはいけない」
「そうなのか」
「……うーむ、少し心配だな」
至極当たり前のことを言い聞かせて、清流は困り顔で再び後ろ頭をかきむしる。このまま彼を外出させたなら、火事の一件や二件起きてしまいそうだ。最悪焼死体が出るかもしれない。
外出はさせてやりたい。しかし火付けはさせたくない。となるとお目付け役がほしいところ。ならば彼女が街へ付いていけばいいだけなのだが、清流、それはなんとも煩わしい。なるべくなら部屋で酒を飲んで過ごしていたいという自堕落さ加減。
そんな清流の懊悩を察してか。部屋の戸がぐわらと開き、ひょこひょこと顔を出したるは子どもたち。
助力を買って出たのは、逍、遥、遊の三人組で。
「心配ご無用、清流先生!」
「おれたちがこいつの面倒見てやるよ!」
「だからお駄賃はずんでね!」
「お前たち……」
三人の子ども達は愛くるしく笑いながら申し出る。そんな彼らに、清流、そして火眼の目も丸くなり。
清流道人は戸口へ歩み寄ると、子ども達の目線に合わせしゃがみ込み、にっと破顔一笑して見せる。
「よし、ならばお前たちに頼むとしようか。もちろん駄賃も奮発しよう」
「やったぁ!」
どうやら動機はお駄賃目当て。多少不純な目的ながらも、清流は彼らに火眼の面倒を託すのであった。
清流が黒衣の懐から取り出した駄賃に、子ども達は歓声を上げてはしゃいでいる。
一方の火眼といえば。
「…………?」
成り行きに、いまだにぽかんと呆けた様子。
子ども三人はそんな彼を取り巻いて。
「おい、ぼさっとしてんなよお前!」
「んじゃ、そうと決まったらさっさと出掛けようぜ!」
「お駄賃いっぱいもらったし、豪遊よ豪遊!」
「お、おい……」
手を引っ張り尻を蹴り、早く早くと急き立てて部屋の外へ連れて行ってしまった。
火眼が戸惑っていることなど、意にも介さずに。
「ふふ……いってらっしゃい、火眼」
戸口から出立を見送って、清流はふんわりと笑みを漏らす。
一行は賑やかな声音を残し、母屋の外へ、門の外へと走り去っていく。
やがて声は街へ遠のいていき、清流堂には朝の静けさが舞い戻る。そんな中、清流道人は柔らかい笑みのまま。
「巽」
「へい」
彼女は突然、自室の梁の上に潜む黒ずくめを呼ばわった。呼ばれて飛び出てクソニンジャ、梁に足を引っかけぶら下がり、清流の乳の谷間が見えやすい位置に即参上。
「棒手裏剣を私に」
「お安い御用で」
清流の要望に、ニンジャは懐から数本、愛用の棒手裏剣を取り出し、手渡した。清流道人、受け取るや否や。
「ふんっ!」
勢いよく、自室の窓をがらりと全開。そして間髪入れずにその手から放つ、棒手裏剣。
暗器は標的まで一直線。ダララッと地面に次々刺さり、最後の一本が掠めるのは。
「ひぃっ!」
慌てて逃げようとしていた弟子・黄雲の首筋で。
棒手裏剣は黄雲の皮膚の上辺を少しだけ裂いた。出血はなく、二、三日で治るくらいの、擦過傷とも言えない傷だ。しかししばらくヒリヒリすること請け合いの、嫌がらせのような傷のつけ方。
「いったぁ……!」
師の性悪ぶりがにじむ所業に、黄雲、恨みがましい視線を彼女へ向けた。
そんな眼差しをにっこり笑顔で受けながら、清流は窓辺に寄りかかる。
彼女は気付いていた。火眼が部屋を訪れると同時に、この弟子が窓の脇でこっそり様子を伺っていたことに。そんな弟子へ、清流は口を開く。
「まったく。お前も本当にへそ曲がりだな。そんなところでコソコソ聞かずともいいじゃないか」
「べ、別に盗み聞きしてたわけじゃ……」
「心配なら着いて行ってやったらどうだ?」
「は?」
清流の発した「心配」という一言に、黄雲はいかにも冷たげな声音を吐き出した。
「心配? 誰が誰の心配をするですって?」
「お前、火眼が心配なんだろう」
「僕が! あのクソ寝坊助の心配を! こいつぁ傑作だ!」
はっはっは!
黄雲はいつものクソ生意気さ加減で笑い出す。部屋の窓から、巽などはうんざりした様子でそれを眺めているが。
「どうして僕があいつの心配をしなきゃならないんです。一銭の得にもなりゃしないのに!」
「あーあー、そうだな、お前はそういう奴だよな」
清流は弟子の主張を「仕方がないな」とでも言いたげな様子で、うんうんと肯定してやっている。本当に仕方がない弟子だ。「守銭奴」という立場に安息を見出している、哀れな少年なのだ。清流はこの偏屈な性分に仕上がった弟子を、正すでもなく諭すでもなく、性格を矯正するのが面倒くさいのでとりあえず見守っている。
しかし師匠にはお見通しだった。黄雲が火眼の様子を案じて盗み聞きをしたことは、まず間違いない。偏屈な弟子だが、その性根の正体は彼女が一番よく知っている。
ともかくこの面倒な性分の弟子には、言い訳を与えてやった方が良さそうだ。火眼と子ども達を見守るための、適当な言い訳を。
「ならば黄雲、師からの頼みだ。あいつらが街でヘマをやらかさぬよう、様子を見ていてほしいのだが……」
「だーかーらー、僕は一銭の得にもならないことは……!」
「報酬は弾むぞ」
「お師匠さま!」
ちょろいものである。金をちらつかせるだけでこの弟子、不遜な態度を改めて最上級の拝師の礼を捧げるのであった。
「ほれ、額はこれでいいか」
「むむ、もう一声!」
「よし、ならば二割増しだ。よければ三回まわってワンと吠えなさい」
「ワン! ワンワン!」
「よし、上出来だぞ我が弟子……いや我が犬よ」
「ワン!」
犬と化した黄雲。どこかの知府令嬢が見たらガッカリしそうな光景だが、はてさて。
「よし、ならば黄雲。できれば彼らの様子はこっそり物陰から伺ってほしい。何しろ火眼は初めての買い物だ。お前が手伝えば事は楽に済むだろうが、それでは面白くない」
「御意」
「うむ、素直で結構」
鼻薬の効果はてきめんで、黄雲、やたらと従順に師匠の言いつけを聞いている。
「では師匠、僕は外出の準備をして参ります。すぐに支度を整えますゆえ!」
黄雲は殊勝な弟子の顔でキラキラと目を輝かせ、さっさと自室へ引っ込んでいった。この分だとすぐに支度を終えて戻ってきそうである。
「まったく……素直じゃない弟子だな」
黄雲がどたばたと去っていく足音を聞きながら、清流は疲れた様子で黒髪をわしわし搔きむしった。まったく、「金」「報酬」という言い訳を作ってやらないと、素直に善行に励めない、面倒くさい年頃の弟子である。
(おや?)
清流はふと気付く。去っていく足音が、二人分。
弟子の靴音に重なっているのは、パタパタと少し軽めの、女の子らしい足音だ。戸口の脇から去っていくその気配。どうやらその人物も今までこっそり会話を聞いていたようだが、清流は足音がするまで全く気付かなかった。
清流に感知できぬ『氣』を持つ人物は、この道廟には一人しかいない。
(やれやれ、やたらと盗み聞きの多い日だな)
清流道人は呆れのため息を吐いた。少女の足音は、どうやら弟子の部屋へ向かっているようで。
「清流先生」
「なんだ巽」
残された清流とクソニンジャ。巽は真剣な声音で清流へ語り掛けた。
「先生、俺もチンチンできるぜ」
「服を着なさい」
「ワン」
哀れな犬二号、覆面一丁。一瞥すらしてもらえず。




