2 舌戦
夕食後、食卓にて。
部屋には黄雲、巽、そして卓へ突っ伏している火眼金睛の男三人水入らず。まことにむさ苦しいことこの上ないわけだが。
「十銭、二十銭、一気に飛んで五十銭……あー幸せ」
「ああん旦那さま、そこはダメダメあっはーん、と。うーん、この小説いまいちだな……」
「…………」
黄雲は銭を数えてご満悦。巽は秘蔵の官能小説を音読していて、火眼は卓に顔を伏せたまま。各々思い思いに時間を過ごしていた。
そんな中、火眼は不意に目を見開いた。ぱっちりと開いた炎の瞳が捉える先は、ご満悦の守銭奴で。しかし黄雲は銭に夢中、火眼が見ているなどとはまったく気づかぬ様子。
実は火眼はずっと起きていた。夕食の最中、ただでさえ狭い食卓の一角を占拠し、子ども達に邪険にされ、頭をはたかれしばかれどつかれようとも反応を見せず。ただひたすらにこの機を待っていた。
黄雲と話ができる、この機会を。ちなみに火眼、黒ずくめはどうでもいい。
さて、火眼は口を開く。
「おい、おい守銭奴」
「あ?」
突然の呼びかけに、幸せ満面だった黄雲はだらけきった表情のまま応じた。「守銭奴」という呼び名に応じる者は、いまこの場に彼しかいないわけで。黄雲は声の主の方を向き、やにわに怪訝な顔色を浮かべた。
「……なんだ、お前起きてたのか?」
「うん」
「いやんダメよ旦那さまー、いやーんうっふーん。しかし若旦那は恥ずかしがる彼女の衣をゆっくりと……」
「クソニンジャうるさい」
変態黒ずくめはともかく。黄雲は急に話しかけてきた火眼へ、じとっと鬱陶しげな視線を送る。至福のひと時を妨げられた恨みがこもった視線。火眼はいささかも動じることなく口を開いた。
「金をよこせ」
「………………」
突然の発言。
あまりのことに黄雲だけでなく、卑猥な描写を音読していた巽までもが押し黙る。
黄雲との会話の機会を虎視眈々と待っていた火眼だが、その目的はすなわち金。かの一世一代のクソ守銭奴から金銭を巻き上げることこそ、本日の火眼の悲願であった。
そして沈黙は続く。この眠ってばかりで物欲とは縁のなさそうな元物の怪が放つ、突然の要求。火眼はじっと黄雲を見ているし、巽は書物から目を離し、三白眼で同じく黄雲をチラリと伺っている。
二人の視線の先で黄雲は。
「…………」
無言で目を血走らせている。しかし手元の銭は寸刻の間にかき集め、さっさと財布代わりの麻袋へしまい込むのであった。
「ふっざけんな!」
そして放った第一声がこれである。黄雲、怒り心頭で立ち上がった。
「いきなり金をよこせとは! いったい何の義理があって僕がお前に金を恵んでやらにゃならんのだ!」
不快だ、僕は部屋へ戻る! と黄雲が踵を返しかけたときだった。
「義理ならある」
火眼は冷静に、かつ有無を言わせぬ声音で呼び止めた。
「おまえ、以前おれをつかっておんなどもから金もうけをしただろう」
ピタリ。去りかける黄雲の足が止まった。
確かに先日、そんなこともあった。この守銭奴は端正な容姿の火眼を利用して、勝手に彼をこの清流堂のご神体に祀り上げ、街の乙女連中から銭を巻き上げようとしたのだ。
「あの商売は、おれがいなければなりたたなかったはず。だからおれにも分け前があっていいはずだ」
「な、なにを……!」
火眼はなにも、黄雲から無体に金を巻き上げたいわけではない。己の存在が彼の金儲けに深くかかわっていることをしかと承知していて、そのことによる当然の権利を主張しているに過ぎない。
果たして黄雲は、痛いところを突かれて苦渋の表情でこちらを振り返る。
「んなっ、今更そんなことを言われてもだなぁ……!」
「今更もへったくれもない。おれを商売道具にしたぶん、それなりのとりぶんを要求する」
「おーおー、意外と弁が立つなコイツ」
黄雲の窮地をニヤニヤと眺めながら、巽は他人事の様相。火眼はまっすぐ黄雲を見つめ、視線だけで「金よこせ」と訴えかけているが。
守銭奴はいかにも大事そうに麻袋を抱きしめて。
「断固拒否だ!」
などと往生際が悪い。さらに質の悪いことに、なにか思い浮かんだのか。ニヤリといつもの悪どい笑み。
「大体だなー、お前今頃になってそんなことを言ってももう遅い! 僕がお前を商売に使う前にそういう商談をするならばともかく、もはや終わったことじゃないか。あの時の無償労働は黙認したものと僕は見做しているからな!」
「うっわー、お前最悪だなー。意地きたなー」
「ばーかクソニンジャ! 誉め言葉をありがとうよ!」
さすがの悪徳守銭奴。相手の同意がなかったことを黙認とすり替える姑息ぶり。
これには火眼の整った眉も微かに歪む。
開き直りのクソ守銭奴は、ふんぞり返って得意満面だ。この黄雲、客に対しては値段に見合った適正な商品なり活動なりで応じるが、身内に対する扱いは鬼畜のそれである。見目麗しいと見れば勝手に商材扱い、もちろん報酬なんてクソくらえである。
「ならばこのあいだの拉麺も、おれがつくり方をおしえたはずだが……」
「お前も二郎殿の拉麺食っただろうが! あれでチャラだチャラ!」
「ちゃら……」
「うわぁ……」
あまりにもむごい。巽すら眉をひそめる滅茶苦茶な論理に、火眼は。
「……わかった」
静かに目を閉じながら、諦めたような是認。クソ野郎の顔に勝ち誇ったような笑みが浮かぶ。
「はっはっは、分かればよろしい! ならば今後とも僕の商いのため、ぜひとも搾取されてくれたまえ!」
「うっわー、えげつなー」
途端に上機嫌な黄雲だが、火眼は諦めたわけではない。
「それはことわる」
炎の瞳を再び開き、暖色に彩られた瞳を冷ややかに黄雲へ向け、続ける。
「おまえがそういう態度ならば、おれはもうこれから協力しない」
「あっそ」
火眼の言葉に、黄雲も冷ややかに応じる。守銭奴の胸中ではいましもビシバシ算盤が弾かれていた。女性向けの商売ならば、火眼でなくとも二郎神がいると。それに火眼だって、日がな一日ずっと眠っていて起きないではないか。ならば彼が寝ている間だけ商売に利用すればよいことで。
「言っておくが、おれが寝ているあいだに商売などとはかんがえないことだ」
「うっ」
そんな黄雲の考えなど、火眼はすでに見透かしている。
「なんだかんだで儲けがでれば、おまえはおれが起きるまで商売をつづけるだろう。ぜったいに」
「う……!」
図星。黄雲が適当な口八丁を講じる前に、火眼はさらに畳みかける。
「そして、おれが使えないとなると、おまえは神将そのいちをあてにするだろう。しかし無報酬でただ働きなど、さすがにしのびない。おまえの商売の方針は、おれからそのいちへつたえておく」
「ん、んなっ!」
火眼は無表情でつらつらと、守銭奴の心をえぐりにかかる。要は、二郎神を黄雲の商売に関わらせないようにするということだ。この絶世の美丈夫を封じれば、黄雲の今後の商売に暗雲が立ち込めることはまず間違いない。
黄雲が「でも二郎殿は物欲とかあんま無いし……」と反論しようものなら。
「じゃあ神将そのにへつたえておく。拉麺の一件で、そのにはおまえに敵愾心をもっているとおれはみている。きっとそのいちがおまえの商売にかかわることはないだろう」
「ぐ、ぐぬぬ……!」
「そして神将そのいちだけではない。そのにはもちろんのこと、おまえの師匠にもこのことはつたえておく」
「ひ、卑怯だぞ! 師匠に告げ口か貴様!」
「笑止」
どの口が卑怯などと言うのか、まあともかく。
火眼は冷ややかな口調で、黄雲へ選択を迫る。
「えらべ守銭奴。このあいだのご神体さわぎと、拉麺の儲けの取り分をおれによこすか。それとも神将どもとおまえの師匠、このさき商売に有益そうなやつらを使えなくなるか。さあ」
「なっ、なななな……!」
選択肢は二つ。火眼の要求通り、以前彼に協力してもらった分の儲けを、彼に分け与えるか。
それとも儲けの分配を拒否して、美男美女をダシにした商売を諦めるか。
どちらが得かなんて、考えるまでもない。黄雲にとって、今後の商売の方法が限定されることほど惨めなことはない。
「わ、分かった! 分かったよちくしょう!」
守銭奴は膝をついた。敗北したのだ。
敗者はやけくその挙動で麻袋に手を突っ込み、卓上に銭を叩きつける。
「ほら持ってけよ! ご神体のときと拉麺のときの取り分だ!」
火眼金睛の勝利である。
「すげえなコイツ……黄雲のやつから金を巻き上げやがった……!」
一部始終を見ていた巽も、目を丸くしている。しかし。
「たりない。あのときの儲けはたしか……」
「お、お前! 普段寝てばっかのくせによく見てんな!」
黄雲の稼ぎを正確に指摘して、火眼はきちんと適正な分け前を手に入れるのであった。
炎の瞳がわずかに満足げな色を浮かべたところで。
「……ったく、なんだって急に金をほしがるんだ?」
黄雲は疑問を呈した。金をせしめられた悔しさもさることながら、当然黄雲は合点がいかない。常日頃寝てばかりの火眼金睛が、どうしていきなり金など要求したのか。
「確かに」と巽も腕組みして頷いている。
火眼は手の中の銭を見つめながら、ぼそりとつぶやいた。
「弁償……」
「弁償?」
その一言では、なんのことやら二人にはさっぱり分からない。黄雲と巽はきょとんと互いを見合わせて、さらに問う。
「何か壊したのか?」
「じつは……」
火眼は訥々と語り始めた。彼がどこか申し訳なさそうに話すのは、昼間、子どもたちの鞠を壊してしまった一部始終。
珍しく火眼は無表情を崩し、面目なさそうな様子だ。それをじっと眺めながら、黄雲は顛末を聴き終えた。
「なるほどな。それで鞠を買い直す金を弁償したいと」
黄雲は納得の表情。「その通り」と言うように、火眼はゆっくり首肯して見せる。そんな彼へ、黄雲は眉間に寄っていたしわを緩めながら。
「まったく。それならそうと、最初から言えばいいじゃないか。回りくどく妙な舌戦なんか仕掛けないでさ」
「お前……」
情味のある口調で、守銭奴は火眼へ語り掛ける。しかし。
「じゃあはじめから弁償する金をくれといえば、おまえはくれたのか?」
「ハッ! んなわけあるか、条件付きで暴利を貪るわバーカ!」
「やっぱり……」
守銭奴はどこまでいっても守銭奴である。火眼、さすがに無表情に戻る。
「あーれー、旦那さまー。あっはんうっふーん」
巽は既に飽きていた。興味は再び官能小説へ。
そんなクソニンジャは放置して、黄雲は火眼へさらに問う。
「じゃあお前、その金で鞠を買いに行くのか?」
「もちろん」
「買い物できるのかよ?」
「…………」
火眼は押し黙った。普段はずっと寝てばかり、たまに起きたと思えば、拉麺を作ったり鞠つきに混じって鞠を破壊する、齢五百歳のこの少年。
しばしの逡巡の後に口にした答えは。
「たぶんだいじょうぶ」
「たぶん……」
自信満々に、しかし頼りない言葉。黄雲、呆れ顔もひとしおだ。
そして火眼のまぶたは眠たげに、重く重く閉じていく。
「くわしくはあしたかんがえる。きょうはもうねる……」
いろいろしゃべってつかれた。
火眼は一瞬のうちに眠りに落ちて、卓の上に突っ伏し、安らかな寝息を立て始める。
「きゃあ、旦那さま。まるで馬並み」
「おいクソニンジャ、そこらへんにしとけよ」
際どい描写の音読をピシャリと戒めて、黄雲は火眼の寝姿に眼差しを向けた。
安穏たる寝入りっぷりに、黄雲。
「……大丈夫か、こいつ?」
少々不安を感じなくもない、少年であった。




