8 閉店ガラガラ!(※挿絵付き)
守銭奴の朝は早い。
黄雲は誰よりも遅くまで起きて銭を数えていたくせに、いの一番に目を覚まし。
「さーて、店の改修はこんなもんか!」
またしても土の道術を使い、店をまるきり作り変えていた。
面積はどどんと広がり、なんと二階席まで増築されている。ただしこの店、清流堂の中庭に作られているので、母屋の出入りには大変邪魔だ。
しかし儲けの方に目が向いている黄雲、そんなことは気にも留めない。
そしてもちろん、土だけで建物はできないので。
「また俺が木材作んのかよー……ふぁ~」
朝も早よから巽を動員。ニンジャ、あくび混じりに文句たらたらだが。
「バーカこのクソニンジャ! いいか、こうして店の収容人数を増やすことで! 女性客倍増しだぞコラ!」
「おらおらどんどん木材こさえるぞオラオラオラァ!」
やはり至極単純クソニンジャ。懐から棒手裏剣をズババと地面へ放ち、メキメキ育った桜の木を、道術でパカンと楽々木材へ加工。
そんなこんなで店を拡張し、さらには屋外席として卓や椅子も数十組、庭へ用意した。
「おお、黄雲少年! 一夜明けて見てみれば、なんと素晴らしい改築ぶり!」
「二郎殿!」
本堂からこの拉麺騒動の首謀者・二郎真君も現れて、惚れ惚れと店の威容に見入っている。
もはやこのボロ道廟、本堂や東西の母屋よりも、中庭にある拉麺屋の方が目立っている。一見して道廟とは思えない有様だ。
「お喜びください二郎殿。この黄雲、御覧のように店舗を改修してございます。これで、一度により多くの客へ拉麺をふるまえますぞ!」
「うむ、見事な仕事ぶり!」
二郎神は黄雲の手並みを簡潔に讃えて、ひょいと店の中へ入っていく。黄雲たちもその後に続いた。
増えた客席、その奥に広がる厨房。より調理しやすいように、調理台を広く、かまども新たに設えている。
「おお、かまどの数も増やしたのだな!」
「そりゃ当然! あなたには昨日以上に馬車馬のように働いてもらわねばなりませんので!」
「そうだな。なれば私は仕込みにかかるとしよう!」
「お願いしますよ、馬車馬真君殿! はっはっは!」
「おーい、せめてツッコんでいけー。神将のあんちゃーん」
二郎真君、黄雲の無礼な言い様にも気づかぬ様子で、ウキウキと調理にかかった。
そんな彼に背を向けて、黄雲と巽が店から出ると。
「げっ……」
「こ、黄雲……!」
門からこっそり出て行こうとする清流と那吒に鉢合わせ。看板娘二人は気まずそうな表情で。
「あ、あの……オレ達その、今日は用事が……!」
「逃げようたってそうはいきませんよ」
踵を返しかける二人の肩をがっしり掴み、黄雲はニタリと悪鬼のほほえみ。
「ごくつぶし神将とのんだくれ道人に、一体何の用事があるというのか!」
憎たらしい反語表現。の後。
「さあさあお二人、どうせお暇でしょう? 今日も看板娘として、お勤め果たして頂きますからね! 拉麺一杯で!」
「き、きさま……!」
はっはっは。
黄雲は昨日の旗袍を二人に押しつけ、腹立たしいほどの上機嫌で去っていく。
残された三人。巽に那吒に、清流道人。
「くっそぉ……! あいつムカつくな!」
「嗚呼、どうして我が弟子はあのように育ってしまったのか……」
「どうしても何も、あんたの薫陶の結果だよ!」
清流の詠嘆に那吒が噛みつき、その横で巽は、清流がこの場で着替え始めることに一抹の期待を抱いている。
さて、そんなところへ。
「おはようございます……」
元気のない挨拶がひょろりと飛んでくる。母屋からしょんぼり現れたのは、身分以外平々凡々少女の雪蓮だ。
雪蓮は、那吒と清流がそれぞれ腕に旗袍を抱えているのを見ると。
「はぁ……いいなぁ。看板娘……」
羨ましげ、というよりも妬みの視線。
珍しく心中を黒い感情に満たされているらしい知府令嬢は、はぁとため息を吐いた。
そんな彼女へ、那吒。
「羨ましいなら代わってやろうか?」
と持ち掛けるが、雪蓮はむすっと不機嫌に頬を膨らませる。
「ありがとうございます……。でも、私は看板娘やっちゃいけないって、黄雲くんが」
「やっちゃいけない? どうして?」
「容姿が凡庸だから、私が看板娘をやると蛇足になってしまうんだそーです! 足でまといだそーなんです!」
ぷいっ!
雪蓮はご機嫌ななめにそっぽを向いた。
「あいつ……そんな憎たらしいことを……」
雪蓮の返答に、那吒は怒る……というよりも呆れている。
彼女へそんな台詞を吐いたあの思春期の胸中を思うと、少々面白くはあるが。
さてさて。箱入り娘と美少女と飲んだくれが、守銭奴に対する悪感情にどよんと浸っている横で。
「ねーねー、清流先生。着替えないんすか? 何なら俺が脱がしましょうか! ねえねえねえ先生ってばー!」
ひとり気楽なニンジャである。巽はわくわくと、清流の生着替えをずっと待っていた。
そんないつも通りの変態に。
「はぁ……」
一同嘆息。
拉麺帝国と化した清流堂。守銭奴の暗黒支配の中で、変態黒ずくめだけがやたらと元気。
「つーか変態覆面、お前はさー。あいつに朝早くから起こされたり、木材作らされたり……こき使われて腹立たねえの?」
那吒の呆れ切った疑問に、巽は肩を竦めてみせる。
「確かに野郎にこき使われて、不快なもんは不快だがな。ま、あいつの天下も長くは保つまいよ。いかにこの店が繁盛しようとも、いずれは盛者必衰なり。俺はこの拉麺道が滅びるまで、せいぜい甘い汁を吸わせてもらうつもりだ」
変態の意外な見解に、一同は目をパチクリ。
そんなところへ。
「う、うーん……」
四人の背後の植え込みからうめき声が上がった。振り返ってみると。
「うぅ……凝縮された地獄……」
「あら、火眼さん!」
茂みに埋もれるようにして眠っているのは火眼金睛。
火眼は苦悶の表情で額に脂汗を浮かべ、なにやらうんうん唸っている。
「珍しいな火眼。うなされているとは」
「いつもは羨ましいくらいの安眠なのに」
そんな風な観察の眼差しの中。
火眼、がばりと飛び起きる。彼の目覚めの光景としては、大変貴重で珍しいものだ。
起きるなり炎の少年、わずかに震えつつぽつりと一言。
「……くそまずい夢だった……」
「どんな夢だよ?」
ともかくとてつもない悪夢だったようで、火眼の顔色は真っ青だ。
そしてふと、隣に立つ那吒に気付き。
「おい、神将そのに」
「そのにってなんだ!」
彼なりの呼称で那吒を呼ぶ。少しばかりいきり立つ那吒に構わず、火眼は二の句を継いだ。
「そのによ。おまえの相方・神将そのいちは、とんでもない味覚をもっているな」
「そのいち……兄いのことか?」
那吒の問いかけにこくりと頷き、火眼は続ける。
「きのうあいつのつくった拉麺を食わされた。あまりのまずさ、まさに凝縮された地獄」
「なんという比喩……」
「えっ、でも!」
火眼の感想に異を唱えたのは、雪蓮だ。彼女の舌には、昨日食べた拉麺の味がまざまざと蘇る。二郎真君の作る拉麺は、非の打ち所のない絶品だったはずだが。
「私も食べたけれど、二郎さまの拉麺はとってもおいしかったわ!」
雪蓮の反論に、火眼はけろりと答える。
「あれはおれが教えた味だ」
「うそ!?」
火眼の告白に、激震走る。
亮州中の人々を虜にしているあの拉麺の元祖がまさか、この寝てばかりいる少年だと誰が信じるだろう。
「最初にそのいちがつくった拉麺は、食べられたものではなかった。はっきりいって劇物だった」
火眼の語り口は淡々としていながらも、嘘偽りのない話ぶり。先ほどその味を夢に見ていただけあって、異様なまでの実感がこもっている。
「おどろいたことにそのいちは、その劇物をうまそうにたべてしまった。あいつはとんでもない味音痴だ」
いつも無表情な彼の顔だが、いまこの時ばかりはその面持ち、どこか慄いた様子で凍りついている。
「しかし拉麺屋をやりたいというので、おれが手本にあの拉麺をつくってやったのだ。あの味のままでは、さすがに客があわれ」
「え、ええ……!?」
火眼の言うことは、やはりにわかには信じられない。雪蓮に巽、清流ですら懐疑の面持ちを浮かべているが。
「いや……こいつの言うことはあながち嘘じゃねえと思うぜ。兄いが味音痴なのは、本当の話だ」
ひとり二郎真君と古い付き合いの那吒は、納得の顔で頷いた。
「なんというか……兄いは味覚だけじゃなく、なんにつけても全肯定したがる人柄でな。花鳥風月を愛でるが如く、道端のゴミやら馬糞やらを風流に思う感性の持ち主なんだ」
そう、二郎真君。那吒の言う通り、この世の中の一切をことごとく受け入れてしまう性質。
善悪、美醜、長短に関係なく。全てに対して興味を示し、世間一般的に蔑まれるものや軽んじられるものにも、余すところなく「是」を示してしまうのだ。
要は世の中に嫌いな物がないようなものである。
その性質は味覚に対してもそうで、人に美味と勧められれば、躊躇なく馬糞までも食いかねない。
「そう、兄いはそういう男。以前、試しに餃子の皮に砂利をぶち込んで食わせてみたんだが、普通に美味そうに食っててドン引きだぜ!」
「我らも那吒殿にドン引きだ」
少年神将の小粋なイタズラ話はともかくとして。
二郎神の信じられない味覚に、雪蓮と巽はやっと納得した様子。
「そうなのですね……二郎さまはそのようなおかしな味覚を……」
「つまり、何食っても美味いって言う御仁、ってこったな!」
しかし二郎真君の特殊な味覚が明らかになったところで、清流と那吒に課せられた看板娘の役割が外れるわけでもなく。
「あー、そんなことよりやだやだやだ! 看板娘なんてもうこりごりだーっ!」
那吒、頭を抱えて心底嫌そうな様子。そんな彼に巽がぽつり。
「んだよお前……昨日超楽しそうだったじゃん」
「るっさい! 終わってみたらすっげー恥ずかしい! ああっ、神将としての輝かしいオレの歴史にとんでもない汚点が!」
「那っ吒ちゃ~ん」
「やめろぶちまけるぞ!!」
ここぞとばかりに揶揄する巽に、那吒、赤面しつつの怒り心頭。
そんな彼へ、戦友の清流は。
「嫌ならおやめになればよろしいのでは? 那吒殿」
「清流道人……」
「私は躊躇なくバックれます。そして酒屋に入り浸る」
「おいおい、あの弟子にしてこの師匠ありだな!」
まったくもって互いに遠慮のない師弟である。
しかし那吒は、せっかく清流から逃亡を促されたのに。
「うーん……オレは……」
旗袍を抱え、迷っている。
「オレだってこんな役目、ほったらかして逃げ出したいさ。でも、お師匠さまが……!」
彼の心中に去来していたのは、昨日見えた師の言葉。「大丈夫、きっと似合う」というあの一言。
「すっげぇいやだけど……! オレ、やっぱりやらなきゃ……」
「お師匠さまって、昨日の白ヒゲじじいか?」
「ええ、そうそう。確か……」
心を決めようとする那吒のそばで、昨日師弟邂逅に居合わせた雪蓮と巽が顔を見合わせる。
「太乙真人さまだったかしら。あの二郎さまが化けてらっしゃった方」
「え?」
「あっ」
迂闊。
迂闊にも雪蓮、口を滑らせた。慌てて口を塞ぐも、時すでに遅し。
「なあ……いまなんつったよ……?」
わなわな。那吒の眉間に、拳に、怒りが滾る。
可愛らしい外見ながらも、怒髪天を衝く憤りぶり。当然だ。敬愛する師が、己を姦計にかけるための偽物だったのだから。
「あーあ、せっちゃん言っちまったーっ!」
巽が他人事のように見守る中。
那吒は乾坤圏をきつくきつく握りしめ、彼の仙氣は熱風となって周囲へ轟々と吹き荒れる。
「おいおいおい、答えろよ雪蓮!」
「あ、あわわ……!」
そんな神将の迫力に、雪蓮は気圧され、ひたすらたじたじで。
「ああ、えーと、その……!」
「こら雪蓮! ちゃんと説明しないと脳漿ぶちまけんぞ!」
「ひっ、ひーん! かくかくしかじかーっ!」」
脅し文句一発で箱入り娘は屈してしまった。
そうして洗いざらい暴露される、黄雲と二郎真君の悪しき企み。
聞き終えた那吒は、よりいっそう怒りでぷるぷるしている。そしてくわっと眼をかっ広げ。
「許すまじ極悪守銭奴にアホ兄い! いますぐ二人まとめて頭蓋かち割ってくれる!」
と、足下の二つの宝輪をぎゅるんと回し、店へ突っ込もうとするが。
「お待ちください、那吒殿」
清流がおもむろに少年神の服の裾を引っ張って、彼をくいっと引き止めた。
「ぎゃふんっ」
勢いつけていたところを急に掴まれて、那吒はかっくんと均衡を崩す。どしゃりと地面へ落ちる少年神。
「な! 何しやがんだこの年増!」
「貴殿の方が年上ですよ」
起き上がりつつなじる那吒の言葉へ冷静に返し、清流は店の方を見遣る。
その横顔には、底意地の悪い笑み。
「なりませんぞ那吒殿。乾坤圏で殴りつけるなど、下手をすればあなたが殺生の法度を破ることになる」
「げっ、そうだった。殺しちゃいけねーんだ!」
「そうでしょう。ならば別の方法で復讐を果たすまで。ちょうど私もあのバカ弟子に、折檻を加えたいと思っていたところ」
幸い私に名案がありますと、清流道人はにやりと口角をつりあげる。
「できればこの策を実行するのに、協力者がほしい。那吒殿はもちろん、巽、雪蓮。お前たちにも頼みたい」
何か企んでいる様子の清流に、まず巽。
「いやさー、清流先生の頼みとあらば引き受けたいところなんだけどさー」
少々もったいぶってクソニンジャ、下卑た笑みを浮かべ。
「人になにか頼む時はなんかあるでしょーよ! 俺は見返りがねえと動かねえから!」
などと変態、ふんぞり返る。
とはいえこの変態を動かす術なんて、この場にいる誰もが知っている。
「仕方がない、巽。後で尻をぶってやる」
「イヤッホーーゥイ!」
さて変態もあっさり攻略し。再び寝入った火眼は放っておくとして、清流は那吒にも漆黒の双眸を向けた。
「では那吒殿。貴殿にも我が策にご協力頂いてよろしいか」
「もちろんに決まってんだろ! あのクソ外道どもに一泡吹かせてやる!」
那吒の意思を確認して、清流の視線は雪蓮を捉えた。
「さあ雪蓮、きみはどうする。うちのバカ弟子にひどいことを言われたのだろう?」
「わ、私は……」
どうも二郎神と黄雲へ、復讐決行という話の流れ。
(やられたらやり返すなんて、そんな……)
憎しみを憎しみで応酬することに、心根の優しい雪蓮は躊躇いを覚えるのだが。
しかし同時に昨日の黄雲の言葉も思い出すのだ。容姿凡庸、看板娘にゃ役者不足とのあの言葉。
思い出すにつけ、むかむかイライラと胸の奥に怒りが滾る。同時に、ちょっとした寂しさも。
さてそれはともかく。
(確かにひどいことを言われたけれど……正直黄雲くんのどっかの関節逆に捻じ曲げたいくらいだけど……)
それでも復讐なんて。復讐なんて。
「どうする、雪蓮?」
「私は……──」
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「おや、黄雲少年。少しばかり材料が足りないようだ」
仕込み中の二郎真君が黄雲へ呼びかける。釣銭の支度をしていた強欲は。
「えー? しょうがないなぁ。まあ開店まで少し時間もありますし、僕が行ってきますよ」
足りないものを確かめて腰を上げ、店を出ててくてくと買い付けに向かう。
そんな様子を物陰から伺う、怪しげな数人組。黄雲が遠くへ去ったことを確認して、そのうち一人が店へと向かう。
「よう、兄い!」
「那吒か」
店内へ入ってきたのは少年神・那吒。わざとらしいくらいの輝く笑顔で那吒は厨房に近づいて。
「精が出るな、兄い! そんなに一生懸命に拉麺作りに励むたあ、オレぁ脱帽だよ!」
精一杯の棒読み。どこか不自然な振る舞いの同僚に、二郎真君は特に疑問を示す様子はない。応える声音は、いつもの通りの涼やかさ。
「ああ。お前が看板娘として働いてくれているお陰だ。礼を言う」
「いやいやいや、よしてくれよ。オレと兄いの仲じゃねえか、あっはっは!」
わざとらしく笑ってみせつつ、那吒の心中は怒り一色。
(何が礼を言うだ! テメエがお師匠さまに化けてそう仕向けたんじゃねえか!)
ともすれば笑顔が憤怒の形相に変わってしまいそうだ。那吒は燃え滾る恨みつらみを無理やり押し殺し、さらに続ける。
「実はさ、兄い! オレ、兄いの拉麺がもっと美味になるよう、新しい食材を持ってきたんだ!」
「ほう!」
新しい食材。那吒の言葉に、二郎神は強く興味を引かれた様子。
那吒、内心でニヤリとほくそ笑む。
(かかったなクソボケが!)
手ごたえを感じつつ、那吒は後ろ手に持っていたそれを二郎真君の前へ差し出した。
途端にあたりへ漂う刺激臭。それは。
「その名も、臭豆腐!」
「なんと! やたらに臭うな!」
ふんぷんとあたりに漂う悪臭。鼻腔の奥、粘膜を刺し貫かんばかりに臭うそれは、臭豆腐という食べ物だ。その名の通り非常にくさい。
「料理は味はもちろん、香りも大事な要素だからな! でもただ美味しそうな香りじゃだめだ、やはり客の印象に残すには、ちょっと衝撃的なくらいのにおいじゃねえと!」
「ほう、なるほど!」
那吒のもっともらしい台詞に、二郎神は納得した様子。そんな彼へ、那吒はさらに脇に置いていた袋を差し出した。
「ほら、この袋の中身は全部臭豆腐だ! ぜひ兄いの拉麺に使ってくれ!」
「那吒……!」
拉麺の神はほんのりと嬉しげで。しかし那吒はしめしめとほくそ笑み。
「んじゃ、オレは看板娘業務の支度してくらぁ! じゃあな!」
「ああ、恩に着るぞ那吒! お前の臭豆腐で、必ずや我が拉麺を天下一品にしてみせよう!」
臭豆腐を真君へ託すやいなや、那吒はそそくさと店から退散。そんな相棒の後ろ姿へ、二郎神は熱い視線を送っていたが、そこへ。
「おっじゃましまーっす!」
続いて現れる珍客。覆面黒ずくめのその男。木ノ枝巽、十七歳変態ニンジャ。
「やあやあ、ご精が出ますなあんちゃんよ!」
「うむ、黒ずくめ殿も昨日の買い出し、かたじけない」
「いいっていいって、そういう堅苦しいの! それよかさー」
巽、普段通りの気負いのなさ、軽薄さで自然体を演じつつ。
懐からおもむろに差し出す、藁の束。
「俺もこの店の味に貢献したいなって思ってさ。これ、俺の大好物なんだけど……」
「ほう、なにかな」
「納豆、っつーんだけどさ!」
取り出した藁の束を開いて見せると、先ほどの臭豆腐よりまろやかながらも、漂ってくるのはやはり異臭。
藁の中から顔を出したのは、小粒の豆の数々だ。しかし。
「黒ずくめ殿……この食品は傷んでいるのか? 糸を引いているが……」
そう。茶色い小粒の間には、白く細い糸が張っている。まるで腐っているかのようだ。
「あーあー、これこういう食べ物なんだよ! 食べても全然大丈夫だぜ!」
「ふむ、珍しい食べ物もあったものだ」
二郎真君は巽の説明に、好奇心まるだしの面持ちで頷いている。
そんな彼へ巽。
「あんちゃんよう。この納豆、ぜひ拉麺に使ってやってくれないか。絶対美味くなるから! ほれ、俺こんなに持ってっから遠慮なく!」
「おおっ」
忍び装束のどこへそんなに隠していたのか。巽はどっさりと卓の上に藁の束を置き、どやっと得意げにふんぞり返る。
「んじゃ、俺はこれにてドロンだぜ! あんちゃん、まあ頑張ってくれや!」
「ああ! かたじけないな、黒ずくめ殿!」
そして巽が出て行くのと入れ替わりに。
「おお、二郎殿。今日もはりきっておられるな」
「清流殿」
黒衣と乳を揺らしながら、清流道人が現れる。その手には酒……ではなく。
「これは私からの贈り物。酢にございます」
「ほほう、酢か!」
清流が持ち込んだのは、壺に入ったお酢。しかしただの酢ではない。
「これは私が趣味で仕込んだものでしてな。酸味をこれでもかときつくしております」
「おお……舌がどうにかなってしまいそうなすっぱさ」
その酢酸、ひとたび口にするや全身総毛立つほどの酸味。
さっそくなめてみた二郎真君も、「おお」と感嘆の声を上げつつ、口元は少々すっぱそうな歪み方だ。
しかしこの全肯定真君、そのすっぱさも一種のうまみと受け入れた様子。
「かたじけない、清流殿。我が拉麺にこの酢を加えたならば、きっと革命的な味へ変貌するだろう」
「はっはっは、喜んで頂けましたようで何より。なるべく大量に使われますと風味が増しますぞ」
「ああ、心得た!」
「では私はこれで」
清流はそそくさと踵を返し、店を出て行った。
さて、二郎真君の手元には、臭豆腐に納豆に、行き過ぎた酸味のお酢。
そしてそこへ現れたる真打は。
「おじゃまします!」
「雪蓮殿まで」
店の戸口からひょっこり顔を出す、世間知らずの箱入り娘。
雪蓮は厨房の二郎真君へ向かい、にっこりと満面の笑み。そして後ろ手に何かを隠しつつ、そっと客用の卓へ近づいて。
「今日もお店の準備、お疲れさまです!」
「なんの、これからが本番だ。労いの言葉、感謝する」
「うふふ。あの、ところで二郎さま……」
少女は言いながら、手に持っていたものを卓の上に差し出した。それは。
「こ、これは……!!」
数千年を生き、かつ表情の変化に乏しい神将・二郎真君。卓に置かれたソレを一目見るなり、その鉄面皮が驚愕に彩られる。
「これは! なんという形! なんというとげとげしさ!」
雪蓮が持ち込んだもの。それは。
「これは榴蓮果(ドリアン)といって、南方の珍しい果実です!」
その楕円形の果実。表皮は固い棘に覆われ、人に投げつければ凶器と化しそうな禍々しい形状。
「ていっ」
雪蓮が包丁を借りて真っ二つに果実を切ると。
「おおっ、なんというにおい!」
「すごひにほひへひょう」
臭豆腐や納豆とも違う、これまた危険な香り。腐敗臭のような、何だか分からない臭いが店内に満ちていく。雪蓮は鼻をつまみつつ得意げに二郎神へ告げる。
「ほへ、ひほーさはへさしはへはふ」
「いいのか! 今日は皆から色んなものを貰ってばかりだな!」
嬉しそうな神将に、雪蓮は「どうぞどうぞ」と榴蓮果を差し出した。この果物、種の周りについた果肉を食べるのだが。
「これは! なんと美味! なんという濃厚な甘みだ!」
においはともかく味は美味。さっそく食べてみた二郎真君、再び驚愕の顔色。
この榴蓮果。数日前、知府邸に旅の商人が置いていったものであるが、あまりに匂いがきつくて誰も食べられない。そこで昨日の豆板醤搬入の際に、秀蓮が雪蓮へ押し付けていったのだ。
(お姉さまがこの果物を置いていったときは、本当どうしたものかすっごく困ったけれど……)
雪蓮、鼻をつまみながらにこやかな表情で、心に浮かぶはドス黒い考え。
(良かったわ! 生まれて初めての復讐に役立つなんて……!)
さてそんな彼女、いや拉麺道被害者たちの思惑通り。
「さあ! 頂いた食材を活かして、新たな味を開拓せん!」
二郎真君は包丁をふるい、ズババと調理にかかる。
臭豆腐は華麗に刻まれ、納豆は粘り気豊かになるまで混ぜられて。
湯にはたっぷりのお酢。ついでに豆板醤をこれでもかとぶち込んで。そして。
「うむ、この形状。盛り付けに活かさねば!」
とげとげの表皮の榴蓮果。果実を野菜の上にちょこんと上品に添え、さらにその上に特徴的な表皮を盛りつければ。
「完成だ!」
「うわあ」
至高の一杯、ここに完成。異臭どころか、どどめ色の靄まで発生させる冒涜的な丼だ。しかもなぜか二人分。
そんな異形が卓に出されたところで。
「ちょっ、なんですかこの臭い!」
折よく買い付けから帰ってくる強欲守銭奴。
店内に立ち込める刺激臭に、黄雲は目を白黒させて二郎真君へ詰め寄った。
「な、なにをやってるんですか! 仕込みは!」
「うむ少年! 見てくれ、史上空前の拉麺がここに!」
「なんじゃこりゃあ!?」
黄雲瞠目。見下ろす丼の中は、赤くて黒くて茶色くて臭くて、何が何だか分からない。
「ちょっと二郎殿! 一体これは……!」
「うむ、我が生涯の中でも最上の出来」
「くそっ、悦に入ってやがって全然わからん! お嬢さん!」
自分の世界に入っている真君を諦め、黄雲はそばに立っていた雪蓮を振り返る。
「一体なにがあったんです! なんですかこれは! どうしてこんなことに!」
「私しーらないっ」
「お嬢さん!」
白々しくはぐらかす雪蓮に、黄雲、珍しくたじたじと及び腰。
さらにそこへ、雪蓮に加勢現る。
「おやおやこれは芳しい匂い」
「兄い、出来たみたいだな! 至高の一杯が!」
「ひっでえ臭いだなオイ!」
店先から店内をのぞき込む、清流、那吒、巽の三人。一同はつかつかと黄雲へ詰め寄って。
「やあやあ、極悪経営者殿。昨日はよくも拉麺一杯でこき使ってくれたな! しかもあんな恥ずかしい格好で!」
「まったく、業突く張りのバカ弟子め……」
じりじりと距離を詰める看板娘役たち。黄雲は後ろへじわじわ後退しつつ、はたと気付いた。
「わ、分かったぞ! この凄惨極まりない拉麺は、あなた達が二郎殿へ吹き込んだものか!」
「なんのことやら」
「それよりも! いまだ、やれ覆面野郎!」
前方を師匠と美少女に塞がれた黄雲、退路は後方のみ。そんな彼の背後に突如。
「おーしっ、捕まえたぜクソ野郎!」
「巽!」
巽が現れ、後ろから黄雲の両手をがっしり掴みしっかと拘束。
「や、やめろ! はなせ! 何をするつもりだ!」
「決まってんだろ!」
「試食会だ!」
試食会。かつてこれほどまでに絶望的な響きの言葉があっただろうか。
いま、黄雲の目の前には厳粛な表情の師、清流道人。その手に捧げ持たれているのは、かの凄惨拉麺で。
「嗚呼黄雲よ。お前がまだ幼い時分、こうして私が手ずから食べさせてやったものだな……」
「ばっ、やめろクソアマ! いい話風な演出やめろ!」
清流、丼に箸を突っ込み、麺と湯、そして数多具を絡ませてすくいあげ。
それをゆっくり愛弟子の口へ運んでいく。
「…………!」
黄雲、巽の腕から逃れようともがきつつ、口を真一文字に引き締めて絶対に開かぬ構え。
清流の箸は、ゆっくりゆっくり、黄雲の顔に近づいてきて……。
「と、まあ冗談だ」
不意に師匠は表情を緩め、弟子の口元から拉麺をひょいと離した。その様子に。
「ほっ……」
「おっと油断したなバカ弟子よ!」
「むぐっ!」
つい安堵の息を漏らしたことが、黄雲の運命を変えてしまった。わずかに開かれた口めがけ高速で突っ込まれるクソラーメン。
「…………」
守銭奴の口腔に広がる大宇宙。甘くてすっぱくて辛くて苦くてねばねばで。あとなんかとげとげしている。
そして鼻を突き抜ける刺激臭。臭いは鼻の粘膜を焼き尽くさんばかりの暴虐さ。
そこで黄雲の意識は事切れる。
「うーん……」
口からは泡を吹き、白目をむき。あまりの悪臭に鼻からドロリと血を垂らし。
強欲悪徳、暴君経営者黄雲。ここに散る。
まずは一人。
「えっ、死んじゃった!?」
「安心しろい雪蓮。氣脈は生きてるから単なる気絶だ」
「失神するほどのまずさ……」
口から麺を垂らしたまま死んでいる黄雲はとりあえず床に放置して。
「なんと……我が拉麺で少年が……!」
ことの成り行きに一番驚いているのは二郎神だ。
当然だ。自分の作った拉麺を食べて、人が失神したのだ。これに真君。
「まさか昇天するほど美味かったということか……!」
至極前向きな捉え方をしている。そんな彼へ。
「よーし兄い。そのまま口開けてアホ面さらしたままでいてくれ」
清流から丼を受け取り、淡々とした口調で那吒は距離を詰める。
「? 那吒……」
振り返った真君の顔面に。
「そぉいっ!」
躊躇なく叩きつけられる拉麺丼。
美丈夫の顔面に、凄惨拉麺容赦なく降り注ぎ。
「こ、これは……!」
否が応なくその味を口にして、さしもの二郎真君も。
「なんという大宇宙!」
拉麺の宇宙を感じながら仰向けにバタンと倒れ、
「…………」
丼を顔にかぶったまま事切れた。
なんでもかんでも全肯定真君といえども、逆らえなかったあまりのまずさ。もはや食品兵器である。
「へっ、オレをいいように使うからだ! ざまあみろ!」
悪逆非道の拉麺狂いを成敗し、那吒は勝ち誇った様子。
ともかくこれで復讐成れり。胸のすくような意趣返し。
巽は約束通り清流に丼で尻を叩かれていて、雪蓮は。
「やりすぎちゃったかなぁ……?」
死にかけの蛙のようにひくひくしている黄雲のそばにしゃがみ込み、なんとなく後味の悪さを感じている。
途中までは確かに楽しかったけれど、仕返しなんて彼女の性には合っていないのかもしれない。
悲喜こもごもの拉麺店経営録。しかしこれでは終わらない。
黄雲と二郎神へ拉麺を食わせているどたばたの間に、店内に闖入者あり。
「寝すぎて腹がへった……」
誰にも気づかれず卓にひっそり座るは、火眼金睛だ。半不老不死の贋作は食事が必要ないはずだが、まあ腹が減るときもあるらしい。
そんな彼の目の前に、凄惨拉麺の残りの一杯。寝ぼけていて臭いもよく分からず、見た目もあまり気にせず、火眼は箸を取りそれを口へ運ぶ。
「あっ、火眼! いつの間に……」
那吒が気付くも、時すでに遅し。
しばし寝ぼけまなこでもぐもぐと件の拉麺を咀嚼して、火眼が最初に覚えた感情。
それは怒り。こんなまずいもん食わせやがってという、怒り。
カッ。
「あ……」
ほとばしる閃光。火眼を中心に満ちる火の氣。
そして寸毫もせずに響き渡る轟音。
店が、弾け飛ぶ。
というわけで、火眼があまりのまずさに起こした爆発により、天界拉麺『清源』は跡形もなく消滅。
「…………」
崩れた土壁の中には、居合わせた阿呆どもが全員黒焦げでぽかんと放心している。
那吒も巽も清流も、もちろん雪蓮も。この爆発でよく無事だったものだ。
「うーん……」
そして大音声と衝撃に、気絶していた二人も目を覚ます。
黄雲と二郎真君、目を開けてみれば彼らが愛した店は木っ端微塵。
「………………」
あまりのことに呆けている二人。だったが。
「よし、黄雲少年」
二郎真君、おもむろに口を開き。
「次は餃子専門店『玉将』に挑戦だ!」
「二度とするかーーーーっ!!」
懲りないボケの神に、黄雲の遠吠えは亮州の空へ、高く高く響き渡るのであった。




