7 繁盛、繁盛、大繁盛(※挿絵付き)
「歓迎光臨!」
日の暮れかけた街並みに、元気な声が響く。
清流堂の門前にて、健気に客寄せをする美少女が一人。
緑なす黒髪をさらりとなびかせ、菜単表を手に行きかう人へ呼びかける彼女。
身に纏うは、北方民族の装束である旗袍……を、女性の体の線にピッタリ沿うように、蠱惑的かつ魅力的に改造したもの。
美少女は丈の短い真紅の旗袍に身を包み、少し恥ずかしそうな視線を客へ投げかけている。
「おいしい拉麺はいかがでしょー! 絶品拉麺だぞっ!」
「かわいい!」
「美しい!」
「麗しい!」
はたして仕事帰りの男ども、羊肉にたかる餓狼のように寄ってきた。
疲れた心に空っぽの胃袋。ボロ道廟の前に現れた彼女は、まさに砂漠に湧く泉のよう。
「さあさあ皆様、おいしい拉麺はこちらだよーっ!」
「かわいい! 拉麺!」
「すごーい! かーわいー!」
疲れ切った男性客、語彙力も乏しく参集し、美少女看板娘に導かれるまま列をなす。
この美少女が実は男、しかも少年神・那吒であるとはつゆ知らず。
そして列の先頭は拉麺屋へ吸い込まれ。
「へいらっしゃい! お代は先払いだよ! 一杯にじゅっせ……なに? 菜単の値段と違う? チッ、十五銭!」
まず守銭奴の洗礼を受けてから。
「はいお待ち、激辛拉麺一丁!」
やっとたどり着く至高の一杯。つるりと麺を味わえば。
「うんまああああいっ!」
「うめえ、うめえなあこれ!」
「わーい! おーいしー!」
「からっ! うまっ!」
風味絶佳。材料は野菜ばかりなれども、その旨味はまさしく絶品、天下無双の拉麺ここに。
さらに店の外では。
「わあ、さっきよりお客さん増えてるわね!」
「男の人がたくさんいるの!」
「おのれ、美丈夫拉麺は私のものよっ!」
乙女連合まで再集結しつつあった。
やがて行列には野郎と乙女が入り混じる。普段は活気を失う夕暮れの街並みは、わいわいと賑やかに華やいでいた。
「はいはい、順番! 順番だよーっ!」
我先にと行こうとする群衆を、美少女看板娘はにこやかになだめている。
しかし笑顔で列をさばきつつ、那吒の内心は穏やかではない。なぜに女装をして、なぜに好色な視線を向けられて、看板娘などせにゃならんのか。
己に問うが、答えなんて分かりきっている。
(くっ……これもお師匠さまに認められるため……!)
そう、すべては「きっと似合う」と背中を押してくれた師匠のため。敬愛してやまない師のために、この拉麺道という大舞台の上、那吒は美少女看板娘という大役を演じるのである。
(師匠、見ていてください! ボクは一皮むけて! 偉大な神将への階をどこまでも!)
ちなみに那吒、先ほど見えた太乙真人が二郎真君の化けた姿だと気付いていない。彼の頑張りもむなしく、本物の太乙真人は天界の洞府にて、何も知らずに過ごしている。
さてそんなこととはつゆ知らぬ、哀れな少年神。旗袍の裾をきわどく翻しながら、並みいる群衆へ声を張った。
「大丈夫っ! 拉麺もオレ……じゃないアタシも逃げないから、みんな安心してねっ!」
「うおおお!」
「純情可憐! 容貌美麗!」
「嗚呼、愛らしい娘さん! お名前を教えてくださいませぬか!」
「えっ」
歓声の中、唐突な質問。那吒の笑顔がひくりと引きつる。
名前。言わねばならぬのか。いや、これも試練。一皮むけて偉大な神将の階を以下省略。
那吒、意を決し答えて曰く。
「な……那っ吒ちゃんだよ~!」
少年神、ここに至ってやけくそである。群衆の反応は。
「那吒ちゃん!」
「那吒ちゃんかわいい!」
「嫁に来てくれ!」
街を揺るがさんばかりの野太い声援。この反応に、那吒の胸中はざわめいた。
(なんだ……なんだこの気持ち!)
女扱いは不本意ながらも、かわいいだの愛らしいだの誉めそやされて悪い気はしない。そんでもってなんだかちょっと気持ちいい。
ついに那吒ちゃん、吹っ切れた。
「みんな~! 拉麺食べてるー?」
「おおーっ!」
「明日も食べに来てくれるかなーっ?」
「いいともーっ!」
ついにこの美少女、心からの笑顔で客を手なずけ始めた。
そんな彼へ、思わぬ加勢が。
「こらクソアマ! 飲んだくれて寝てるヒマがあったら那吒殿を見習えっつの!」
「ええ、なんで私まで?」
「るっさいとっとと稼いで来い!」
弟子に蹴りだされ、同じく旗袍に身を包んだ清流道人まで門前に現れる。
黒い旗袍、はちきれんばかりの胸元。どよめく男衆。
清流は衆目を集めながら、かったるそうに売り文句を棒読みで述べ始めた。
「あー、拉麺、拉麺いかがかね。うまいらしいぞ」
「うおおおおおっ!」
巨乳道人の登場で、行列の総距離は倍増し。亮州中から人が集ってくるような有様で。
「よっしゃ、この分だと用意してた材料、すぐに無くなりそうだな! はっはっは儲かる儲かる!」
門からひょっこり顔を覗かせて、極悪守銭奴・黄雲は有頂天だ。そんな彼の背後から。
「あの! 黄雲くん!」
呼びかけるのは雪蓮お嬢さま。頰をむすっと膨らませ、彼女は見るからにご機嫌斜めだった。
「ねえ、なんで私だけ看板娘じゃないの!?」
箱入り娘は諦められなかった。看板娘という魅惑のお役目が。那吒や清流の盛況ぶりを見るにつけ、自分もああしてキャーキャー言われてみたいと憧れもひとしおである。
そんな彼女の抗議に、黄雲は「はあ?」と、いつもの不機嫌な表情でじろりと振り返り。
「何をバカなことを!」
と、蔑むような目線と口調で一笑に付した。次に彼が口にしたのは、有名な兵法書の一節。
「あなたねえ、『彼を知り己を知らば百戦危うからず』という言葉を知らないんですか!」
「と言いますと!」
雪蓮は問い返す。『彼を知り己を知らば』の意味は、姉のお陰でよくよく知っている。戦においては、彼我の情勢・状況を把握することが肝要だというこの教え。彼はどうして看板娘騒ぎに兵法なぞ持ち出したのか。
「いいですか、客が求めているのはすなわち美少女や美女! 決してあなたのような平々凡々な容姿のイモ娘ではないっ!」
「いもっ!?」
「ご自覚くださいお嬢さん、あなたの容姿は十人並み! とても看板娘などという大役は務まりませぬ!」
「んぶっ!」
『彼を知り己を知らば百戦危うからず』
彼とはこの場合男性客、己とは黄雲をはじめとする清流堂の一味のこと。客の需要はすなわち、腹を満たし可愛い女の子とお近づきになることで、ならば用意する手駒は二人でいい。つまり凡庸な容姿の雪蓮は必要ないということだ。
「僕はこの拉麺道という大舞台で、百戦百勝をおさめたい! ならばあなたの出番はまったくもって不要というもの! いや、むしろ蛇足!」
「蛇足!」
あんまりにもあんまりな言い草である。
雪蓮、うつむきわなわなと肩を震わせることしばし。
やがて少女は怒りの形相で、がばりと顔を上げた。
「うわーん! 黄雲くんのバカ! 血も涙もない極悪非道の冷血守銭奴!」
「はっはっは! お褒めに預かり光栄ですな! はっはっは!」
対する黄雲、売り言葉を褒め言葉として受け取る買い言葉。冷血守銭奴の憎らしさ、ここに極まれり。
「ま、ほんとのところを言うと、知府令嬢にそんな働き方をさせるわけにはいきませんし……」
最後にまともな理由を述べかける黄雲だったが。
「ひーんっ! 黄雲くんのバカバカバカ! ブタやろーっ!」
雪蓮、聞いちゃいない。
少女は癇癪を起こしながら、ドタバタと本堂の方へ去って行った。
「……ブタ野郎?」
良家のお嬢さまが発するには下劣すぎる捨て台詞に、さしもの強欲拝金主義も戸惑った様子。
走り去る雪蓮の背中は、黄昏の中、どんどん遠ざかっていって。それを見送る少年の生意気眉毛は、珍しく少し寂しげな色を浮かべていて。
しかしそんな表情も一瞬のこと。黄雲は再び守銭奴の顔に戻る。
「ったく! ブタだかなんだか知らんけど、相変わらずの世間知らずめ……!」
いまはそんなことを気にしている場合ではない。千載一遇の稼ぎ時、まさに今、商機到来!
「こうしちゃいられない! おい巽! 今すぐ市場へ買い付けに行ってくれ!」
「へ? なんで俺?」
その辺にいた巽を呼びつけ、背負子を渡し。
「どうせヒマだろ! さあさあさっさと行ってくる!」
「ヒマじゃねーし! 女の子ガン見すんので忙しいし!」
「旗袍姿の師匠をあれこれできる権利!」
「超絶ヒマ! 行ってきます!」
万年発情期もあっさり言いくるめ、守銭奴の野望は止まらない。
(もっと……もっとだ! もっともっと稼いでやる……!)
長蛇の列を目の前に、果てない野心はどこまでも。
そして日が沈んで夜が更けて。
「いらっしゃいませー!」
「拉麺はいかがかなー」
客足は途絶えず、看板娘達の声も街に響き続け。
「はいはいお会計はこちらこちら!」
うなるほどの銭をやりとりし。
「普通一丁、激辛一丁!」
二郎真君、微塵も疲れを見せず拉麺を作ること数百人分。
「おーい、材料買って帰ったぞー」
「追加の豆板醤をお持ちしたわ!」
「お姉さま!」
「あら雪蓮」
食材の搬入もひっきりなし。
「今日の夕飯は拉麺だってさ」
「おいしいね!」
「哥哥が活き活きしてるのがめちゃくちゃムカつくけど!」
おこぼれに預かる子ども達の見守る中。
「ありあとーしたーっ!」
夜半になってやっと、本日の営業これにて終了。
「またのご来店、お待ちしている!」
「へっへっへ、またのお越しを!」
店の外で最後の客を見送る、二郎神と黄雲。豆板醤を届けにきた秀蓮もすでに帰宅の後。
二人の背中を、雪蓮たち他の面子は本堂脇の庭木のあたりから、じとっと睨め付けている。
「結局看板娘、やらせてくれなかった……!」
「なあ、オレ達今日あんだけ働いて、報酬が拉麺一杯?」
「そのようだな……あー、酒飲みたい」
雪蓮は恨み節たらたらで。看板娘二人は旗袍姿のまま拉麺をつるつるしている。
そんな一同に目もくれず、黄雲は本日の売り上げをジャラジャラさせてご満悦だ。
「いやいや二郎殿! 素晴らしい売り上げですよ!」
「ああ! 私も多種多様な人々へ我が味を伝えることができて、かつてないほど充実した気分だ!」
「ははは、なんでもいいや! 明日もひとつ宜しくお願いしますよ!」
「うむ!」
二人のやりとりに。
「……オレ達、明日もやらされるのかな?」
「さあ……」
那吒と清流は疲労困憊の顔でげんなりと、青息吐息。
師匠の言葉に従って、ノリノリで看板娘を演じていた那吒であるが、終わってみればただ恥ずかしい過去が増えただけ。今となっては若干羞恥の赤面に苛まれている。
清流はせっかくの晩酌時間を奪われてしまった。また、弟子が調子に乗っているのを見ると、なぜだか非常に腹立たしい。
「むぅぅぅ……!」
雪蓮はいまだに根に持っている。
それぞれの胸中に去来するのは、黄雲への恨みつらみ。
──あの守銭奴、許してなるものか。
声には出さないが、いつしか皆の心は一つとなっていた。強制労働の恨み。看板娘の恨み。
そんな一同の心中を知ってか知らずか、黄雲、高笑いが止まらない。
「ははははは! よーし、この調子で明日も儲けに儲けて! 目指せ全国展開!」
「いいな! 全国展開!」
「さあさあご一同! 明朝より今日以上にキリキリ働いてもらいますよ! はっはっは!」
「ぐぬぬ……!」
調子づく黄雲に、ほんのり嬉しそうな二郎真君、そして怨念の塊たち。
そんな相関関係からひとり抜け出して。
庭木の上で覆面黒ずくめ。枝に腰かけ幹に背を預け、どこからか琵琶を取り出だし、盲いた法師よろしくベベンと弾く。諸行無常の音色が夜天に響き。
「さーて、驕れる者も久しからず……ってか?」
拉麺売って空前の大儲け。しかしてこの大繁盛、ひとへに風の前の塵に同じ……なのかどうなのか。
はたして盛者必衰の理は、この拉麺興亡記にも作用するのでありましょうか。その結末は、次回にて。




