7 寝起きの眠り姫、襲撃される
「清流道人が弟子、名を黄雲と申します」
目の前で貴人に対する礼を取る少年に、亮州知府・崔伯世は困惑の表情で向き合っている。
「そ、その……清流殿は、来てくださらんのか」
困惑の眼差しは、黄雲少年を連れて来た二人の部下へ向かう。使いを終えた男たちは、かくかくしかじか、清流の不在と、代理として弟子を連れて来たことを知府へ告げた。
「そうか……清流殿はご不在か。弟子殿、わざわざご苦労であった。気を付けてお帰りくだされ」
「ちょちょちょ、ちょい待ち知府殿!」
猫をかぶったような礼節をかなぐり捨てて、思わず黄雲は知府へ詰め寄った。
「何だ? もう用なら済んだだろう……」
「あの! 僕! 代わりにやりますんで! 師匠の代わりに!」
必死の黄雲。途端に冷たい対応の知府に慌てつつ、ちらりと使いの男たちを見る。一瞬だったが、「話が違うじゃないか」と問い詰めるような視線が、使いたちを射抜いた。咎めるようなその目に、一人は面目なさそう顔を伏せ、一人は肩をすくめて見せる。
さて、ここで引き下がれない黄雲、知府の目の前に回り込み、何とか説得を試みた。
「知府殿! ご令嬢が昏睡状態なんでしょう!? 医者でも治せなかったんでしょう!? 街一番の道術使いである我が師は留守、他に頼る宛てはおありですか! ぶっちゃけ清流堂以外の道士なんて、ご存知の通りモグリばっかですよ!?」
「むぅ……」
「僕は確かに、見た目通りの子どもですが! 師よりひと通り、いやそこそこの道術の手ほどきは受けております! その辺のモグリよりはずっときっと、お役に立ちましょうぞ!」
「むむぅ……」
黄雲、渾身のゴリ押し口八丁。甲斐あって、知府は心動かされている様子だ。
「ま、まあ清流殿の弟子ならば、下手は致すまい。よろしく頼む……」
「お任せあれ!」
説得完了! すなわち商談成立、黄雲は嬉々とした表情で胸を張った。
「では報酬のお話を」
「いや……お主……気が早い……」
強引に話を進めようとする少年に、知府は困り顔。
その話は後で、と知府、まずは娘の部屋へ彼を通すのであった。
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雪蓮が意識を失っていたことは、黄雲にとって幸いだった。先ほど懸念していたように、顔を合わせると面倒だ。
その雪蓮。昼間、興味津々の光で輝いていた瞳は閉じられ、まるで別人のように青ざめた肌の色、浅い呼吸でこんこんと眠っている。
そう、別人のようだ。数人の医者に囲まれ、寝台で眠っている彼女を見ながら黄雲は思った。
病人然とした姿もそうなのだが、万象の『氣』を読み取ることに長けた道士の感覚からすると、昼間に感じた少女の氣とは、全く別なものを感じる。暖かな春の日差しのようだった氣質は、今は氷室に置いた金属のように冷え切っていた。
まるで中身が入れ替わったかのような、違和感。
「使いの者から話はあったかと思うが、見ての通りだ。娘が目を覚まさない。名を呼べど肩を揺すれど、心を鬼にして頰をつねれども、目を覚まさないのだ……」
「ふむ……」
「雪蓮……」
頷く黄雲。彼の目の前、寝台の傍らにしゃがみ込み、雪蓮の手を握っているのは、彼女の母親だろうか。真っ赤に腫らした目で、じっと雪蓮を見つめている。
「どうだ、何か手はあるか?」
「うーむ……」
唸りながら、黄雲は寝台に近付いた。
「ちょいと失礼」
母親の隣に陣取ると、黄雲は近くの医者に、少女を床から起こすよう頼み込んだ。
突然割り込んできた見知らぬ少年に、母親はキッと眉を釣り上げる。
「何者です! うちの娘に勝手なことしないで!」
「ま、まあお前……」
噛みつくように鋭く言う妻を、知府がなんとか宥めすかす。そんなやりとりを気にも留めず、黄雲は腰帯に挟んだ木剣を抜きつつ、寝台の枕元に回った。
そんな彼へ胡乱げな視線を飛ばしつつ、側にいた医者が雪蓮の身を起こす。上半身が起こされ、黄雲の位置からはその背中がよく見える。
黄雲の眼差しは、少女の背筋をなぞった。氣の流れが、視える。
氣の流れが鳩尾あたりで滞っているのだろう。これは医者では分からない。しかし、こんなところに氣の滞留が起きるのは珍しい。
(妙だな。お嬢さんとやらの氣質が変わっていることと、関係あるのかな?)
ともかく、このまま氣を滞らせているのはまずい。
氣は万物に宿り、形作り、それがそれであることを成すもの。このまま放置していれば、魂魄に穢れを生じ、身体が崩れ精神が崩れ、雪蓮は雪蓮でなくなってしまうだろう。
治療は簡単だ。
「発氣開勁!」
呪文を唱えて氣を高め、木剣の柄で背中、ちょうど鳩尾の後ろに当たる部位を軽く突くだけ。
はっ、と息を吸い、少女はぱっちりと目を開いた。
「雪蓮!」
「おお!」
目を覚ました我が子を、母は抱きしめ、父はその肩を抱いて喜んだ。
「私……えっと」
「心配したわ、雪蓮。あなた急に倒れて、ずっと目を覚まさなかったのよ……」
涙目の母に、雪蓮の涙腺も少し緩んだようだ。わずかに震える声で、「ご心配をおかけしました」と、母の胸に頭を埋める。
そしてその後ろ。黄雲はこそこそと部屋の出口を目指す。
無事に仕事を遂げたからには、余計な面倒が起きる前にさっさと退散だ。どうせ部屋の外で待ってれば、そのうち知府も出てくるだろう。部屋を出た理由を聞かれても、「親子のふれあいを邪魔したくなかったのです」とか殊勝なこと言っとけば、多分どうにかなる。多分。
しかし、思う通りにはいかぬもので。
「あ、あなた! そこの道服のあなた!」
寝起きとは思えないはっきりした発音で、雪蓮の声がこちらを向いている。
振り返れば、ばっちり視線がかち合った。
「やっぱりあな……」
スパーン。
少女が言い切る前に、その口には黄色い札が貼り付けられる。その札、書き記された文字は『箝口』。
「ん、んむっ……」
「おおーっと、病み上がりですからねー。口から氣が逃げて行かないようにしばらく封じておきましょう」
口からでたらめである。危ないところだった。
「ほ、ほう。口から氣が出て行かないようになぁ……なるほど」
知府や医者たちはしきりに感心している。門外漢ばかりで大変楽である。
「で、では。此度の報酬を……」
少年が揉み手でへりくだりつつ切り出した時だった。
屋敷の北側、庭園のあるあたりだろうか。
岩を崩すような、轟音。
みしり、と屋敷の梁がきしんで、埃が落ちる。
「何だ、今のは……」
皆が訝しんだ、その時。
今度はより近く、より大きく、けたたましい音と地揺れ。
突如、室内北側の壁が崩れ落ちる。
「な、何なんだ一体!?」
「知府殿! お嬢さんと奥様を連れてお早く!」
「お父さま!」
瓦礫が崩れ煙が舞う中、慌てふためきつつ、皆が部屋の戸口まで駆け出した。
「これは……」
煙がおさまり、現れたのは。
高く高く、昇った月、そして。
「よこせ! その娘を喰わせろ!」
壁の隙間からこちらを覗き込む、巨大な三つ目。
「物の怪……!」
誰ともなしにつぶやいた。
まさしくそれは物の怪。
山に棲む、怪異。




