3 太華一番!
「ところで二郎殿。あなた料理はできるんです?」
那吒が脱走してからしばらくして。
ふと黄雲は二郎真君へ尋ねてみる。まさか飲食店を開くのに、料理ができないなんてことは……。
「うむ、今までしたことがない」
「…………」
できるできない以前の問題だった。黄雲の白眼視、ここに極まる。
「料理したこともないのに、よくも拉麺屋を開きたいなどと、たわけたことをほざけたものですね」
「うむ。生まれてこの方数千年、調理器具には触れたこともない」
「威張って言うことか!」
なぜか誇らしげな神将に、早くも全てを投げ出したい黄雲である。しかし、売上金の一部を協力料として徴収する契約をした以上、ここで見捨てるわけにもいかない。
「まずは料理の練習かぁ……」
青息吐息。拉麺屋開店までの道のりは、予想以上に長く険しいかもしれない。
ところが身の程知らずのこの神将。
「安心するが良い少年よ。この顕聖二郎真君、いまに空前絶後の素晴らしい拉麺を作ってご覧にいれよう!」
「料理したこともないのに?」
「勘でなんとか」
「勘!」
おっしゃりようは無謀そのもので。
しかも無駄に行動が早い。真君は厨に置いていた食材を目ざとく見つけ出し、食卓の上にドドンと乗っけたかと思うと。
「なればさっそく調理開始といこう!」
「え!? 今から料理するんです!?」
「無論だ。少年、手出し無用に願う。いざっ!」
二郎神は意気揚々腕まくり。閉じていた額の第三眼も開いてやる気満々、さっそく料理にかかった。
さて、卓の上に並べられているのは、白菜人参をはじめとする各種野菜に、細々とした調味料。
そしてたまたま買い置いていた、麺。
「さて、まずは野菜を切ろう」
言いつつ二郎真君は白菜を手に取り、まな板の上に乗せる。
太華の一般的なまな板は、木製でどっしりとした円筒形のものが主流。この清流堂のまな板も例に漏れず、使い古されて黒ずんだ円筒形だった。
さて、そのまな板に乗せた白菜を。
「まずは真二つに」
「ちょちょちょちょ! 何しようとしてんだあんたは!!」
刃物を手に白菜を切ろうとする真君を、黄雲は慌てて引き止めた。
二郎真君の手にある逸品。刃物は刃物でも。
「ちょっとそれ! 三尖刀!」
それは三尖両刃の大刀で。つまるところ武器である。
黄雲の指摘に真君は、「それが?」とでも言いたげな顔をしている。
しかし冗談ではない。数多の妖怪魔性の血肉をぶった斬っていそうな得物で調理した白菜なぞ、正直口にしたくないし食べたくない。
ところがどっこい。
「あ」
さっくり。
油断していた真君の手元が狂って、三尖刀の刃先は白菜へ向けて真っ逆さま。
そしてスッパリと。
鋭すぎる刃に白菜は両断され、それどころか。
「すまん少年、まな板が……」
「なんという斬れ味!!」
分厚いまな板まで真っ二つ。
「…………」
あまりのことに、二人ともしばしの無言。
「……まな板がなくともさしたる問題ではない。続けよう」
「続けるんすか!」
かくして料理は続くよどこまでも。
さすがに普通の包丁に持ち替えて。二郎真君はぷるぷる震える危なっかしい手つきで、不器用に野菜を刻み終え。
「かまどに火を入れよう」
自信満々にかまどへ向かうが。
「…………」
はじめての料理に挑むこの神将、かまどの勝手がいまいち分からない。しばらく黙して考えている様子だったが。
「少年……着火は三昧真火で良いか?」
「やっ、やめろ! やめてください!」
仙氣を高めながらの神将の問いに、応える黄雲は全力の拒否だ。
三昧真火とは。
「そんなもんで着火してみてくださいよ! このボロ道廟はおろか、四方百里が消し炭ですよ!」
大体そういう威力の仙術だ。決して消えない火炎であたりを延々焼き尽くすという、情け容赦ない威力の大技。
「フッ……冗談だ」
「あんたが言うと冗談に聞こえないんですよ!」
さて、話はかまどの火入れに戻る。黄雲は火打ち石を持ち出そうとしたのだが。
「そうだ。いいことを思いついた」
二郎神、そう言うなりおもむろに部屋を出て行った。
しばらくして戻ってきた彼の肩には、見覚えのあるものが担がれている。
「着火は彼に頼もう」
「火眼金睛……」
「すぴー……」
かなり雑に土間へ降ろされたそれは、今日も今日とて惰眠を貪る火眼金睛。
二郎神はそんな彼をかまどの前に座らせて。
「ていっ」
氣をこめた手刀を後頭部へお見舞い。すると。
「けほっ」
火眼は咳払い。その息遣いは炎と化してかまどの中へ。
ぼわっとつつがなく着火。
「ふふん」
「なにドヤ顔してるんですか」
パチパチはぜるかまどの火に、美丈夫得意顔。
さて、無事に着火も済んだところで料理再開だ。
「麺を茹で、その間に野菜を炒める!」
「あーあー、初心者なんだから順番に一個ずつ処理していけばいいのに……!」
黄雲の小姑のような茶々など気にもとめず、二郎神は左右のかまどにそれぞれ寸胴と鉄鍋をくべた。ぐつぐつとお湯の湧く寸胴の隣で、美丈夫は鉄鍋を煽り野菜を炒める。
が。
「あっ」
ポロッとお約束のように地面へ落ちる野菜。
さらに寸胴へ麺を投入すれば。
「しまった」
やはり吹きこぼれる鍋。
そして仕上げに湯を作れば。
「ちょ、ちょっと二郎殿! どれがどの調味料か分かって入れてます?」
「無論適当だ」
「やめろ!」
そんなこんなで至高の一杯は完成した。
「さあ黄雲少年。ご賞味あれ!」
「うわぁ……」
黄雲は目の前に差し出された丼を、絶望の面持ちで見下ろした。
盛り付けられた野菜は焦げ。
麺は明らかに伸びていて。
湯からは得体のしれない臭気が湧き上がる。
食えるのか、と一瞬疑問が心に浮き上がるが、調理過程は一通り見ている。食べられないような物は入っていなかったはずだ。はずだが不思議と食欲がわかない。
「……い、いただきます」
意を決して、黄雲は箸を取った。そして一口。
「…………」
「どうだ、少年」
二郎真君が真剣に見つめる中。
黄雲は静かに咀嚼を終え飲みくだし、厳かに言葉を紡ぐ。
「……僕は実際に食べたことはないんですが」
そんな前置きをして、黄雲はごく冷静に評を述べる。
「おそらくですけど、排泄物ってきっとこういう味なんだな。そういう味です」
「排泄物」
「簡単に申し上げると、クソみたいな出来」
淡々と感想を語る黄雲だが、その目は死んでいる。
さてその食べ心地は。まず鼻をつく臭気、一口食べるや口腔に広がる肥溜めの如き臭み。味覚よりも痛覚を刺激する味。悪い意味での空前絶後、まさにクソ。
「クソみたいな……出来……」
最低の品評に、二郎真君もどこか呆然とした様子。
そんな彼へ追い打ちをかけるように。
「おい火眼、これ食ってみろ」
黄雲は丼を持ってしゃがみこみ、寝ている火眼へ狙いを定め。よだれを垂らし半開きの口に、容赦なくクソ拉麺を突っ込んだ。
「むぐっ」
もぐもぐ、ごっくん、むくり。
咀嚼、嚥下、のち起床。やけにはっきり目を覚ました火眼へ、黄雲は問う。
「おい火眼。味はどうだ?」
「…………」
普段無表情の火眼の顔に、苦悶の色が浮かんでいる。股関を踏まれたとき以上の沈痛な面持ち。そしてやっとのことで吐き出した感想は。
「凝縮された地獄……」
「だそうですよ」
「…………」
排泄物だの地獄だの。
二人からの酷評に、神将は持っていたおたまをぽろりと落とした。
「そんな、そこまで……!」
「信じられぬなら、ご自分で食べてみればよろしい」
「あ、ああ……!」
焦った様子で、二郎真君は黄雲から丼を受け取る。
見た目こそ醜悪だが。臭いこそ劣悪だが。
──味は、味はきっと……!
信じて真君、ぱくりと一口。そして。
「うまいじゃないか!」
「えっ」
とても同じものを食べたとは思えぬ感想だった。美丈夫はほくほくと美味しそうに、クソ地獄のような味わいの拉麺をつるつる楽しんでいる。
「確かにドブに捨てられた吐瀉物のような味だが……いや、これはこれで味わい深い。ほら見ろ完食だ」
「う、嘘だろ……!?」
あっという間に凝縮された地獄を平らげた真君に、黄雲と火眼は顔を見合わせる。互いに隠しきれない困惑の色。
「まさかこれが……」
「味音痴というやつか……!」
道士黄雲と火眼金睛、初めて意見の合った瞬間である。
「二郎真君!」
黄雲は挙手して呼びかける。これは諌めねばならない、いや止めねばならぬ。この味覚障害神将、拉麺屋を開くどころではない。
「あなたの味覚は常軌を逸している! かような味音痴では、店を開くなど言語道断!」
「しかし黄雲少年」
「ええいだまらっしゃいだまらっしゃい!」
真君の反論を許さず、黄雲は全力で彼の夢を壊しにかかる。
真君の作る料理が美味であったなら一儲けの商機到来であったものを、現実は非情にもゲロマズで。こんな料理を客に提供すれば儲けるどころではなく最悪食中毒、そして賠償問題に発展してしまうこと間違いない。
儲けにならぬと判断するやいなや、黄雲、にべもなく出店阻止に走る。
「こんなゲロマズ拉麺! 一体誰が好き好んで食べると言うんですか!」
「私」
「笑止! こんな太華で一番まずい麺、うちの敷地を使って売り出すこと断固反対です!」
「なんと……」
全力拒否。拉麺道の夢を全否定された真君の面持ちは、悲痛そのもので。
「そんな……私は拉麺を通して皆に宇宙を、天地を味わってもらいたいだけなのだが……!」
「ったく、なんでそんなに拉麺に固執するんですか。面倒臭い」
本音をぽろりと漏らす黄雲に、「なぜかな」と小さく呟いて、二郎真君。
「何故だろう……私が二郎真君であるがゆえの使命感を感じるのだ。本当に何故だろう」
黄雲の問いに、神将は心底ふしぎそうな面持ち。
真君の心中に突如間欠泉の如く湧き上がる拉麺への思い。それは当人にも不可思議なもののようで。
しかし黄雲にはそんなものどうでもいい。
「なんのこっちゃ……。ま、とにかく諦めてくださいよ。あなたには飲食店なんてどだい無理です」
「そこをなんとか! お慈悲を少年!」
「いーやーでーすー!」
出店を諦めきれない拉麺神。銭になりそうにないと見るやすげなく突っぱねる冷血守銭奴。
二人のやりとりを見ていた炎の瞳の持ち主は、ふとぽつりと呟いた。
「……さっきの地獄麺は、だれかにおそわったのか?」
「?」
火眼の質問に、二人は言い合いをやめる。答えるのは二郎真君。
「いや。先刻食べた拉麺の製法を、勘を頼りに再現してみたまで」
全く再現できていなかったわけだが。
二郎真君の答えに、火眼は眠そうな目でしばし考えていたかと思うと。
「なら、ちゃんと人にならったわけじゃないんだな。だったら簡単だ」
そう言うとおもむろに立ち上がり、包丁を手に取った。
「いまからおれが作ってやる。よくみておけ」
「は、はい?」
「なんと?」
それはあまりにも予想外の提案で。
突然のことにポカンと呆ける黄雲と二郎神の目の前で、火眼は余っていた野菜を刻み始める。
その手つきは危なげなく、軽やかかつ丁寧で。
「包丁をにぎるほうと逆の手は、かるくにぎるように」
「ほ、ほう」
二郎神へ指南を挟みつつ、火眼は手慣れた様子、効率の良い段取りで拉麺を完成へ導いていく。
火氣を使って鉄鍋を煽り、野菜はシャキシャキの食感を残し。麺は絶妙のゆで加減を見計らい、ざるを翻し華麗な湯切り。
最後は繊細な味付けの湯の調理。わざわざ調味料の配合をきちんと二郎真君へ一から十まで懇切丁寧に説明し。
「できた」
どん、と二人分の拉麺が卓へ並べられる。
適度に盛られた野菜は典雅な雰囲気をかもし、琥珀色に透き通った湯からは上品な香り。そしてその中をたゆたう黄金色の麺はつやつや輝いていて。
「…………」
神将と守銭奴、顔を見合わせ、半信半疑で麺を一口。
「こっ、これは……!」
喉と鼻を突き抜ける香ばしさ。野菜はしゃっきり絶妙な旨さ、湯に浸して頂けばまた別の味わい。そして麺の口当たりの良さ、コシ、のどごし。口いっぱいに広がる極楽浄土。
全てが完成し尽くされたその一杯は、宮廷料理とまごうばかりの出来であった。
「うそだろ……こっちはこっちで別の意味で衝撃的……!」
ほんの十日ほど前には雪蓮を狙い破壊三昧を尽くし、その後はとことん寝てばかり。
そんな炎の物の怪の意外な特技に、黄雲は感動よりも戦慄した。
「なんだ、なんなんだ一体……!? 贋作前の記憶のなせるワザか……!?」
「よくわからんができた」
わなわなしている黄雲へ返す火眼の言葉は、あんまりにも素っ気ない。
ともかく。
「うまい! うますぎる!」
神将と守銭奴は夢中で拉麺を味わった。夢心地で食し、あっという間に二人は完食。
つゆのひとしずくすら残らぬ食いっぷり。あっぱれな一杯であった。
「どうだった」
「お、お見それしました……」
縮こまる黄雲と二郎真君の様子に、火眼、無表情ながらもどこか誇らしげだ。
と、火眼は美丈夫を呼ばう。
「おい、神将そのいち」
「きみの中で私はそういう呼称だったのか」
「そのいちよ。料理のしかたはおぼえたか?」
じっと見つめる炎の瞳に、二郎真君は深く深く頷いて。
「ああ、きみの一挙手一投足、この三眼にてしかと記憶させて頂いた!」
「ほんとかよ……」
黄雲の疑いの目。それに答えるかのように二郎真君は。
「ならば見よ、我が渾身の一杯! 本日二回目!」
再びの腕まくり。そして。
此度の彼の動きは見違えるよう。火眼の動きを寸分違わずまねて、まったく同じ拉麺を作り上げた。
そして食卓に並ぶ拉麺、二人分。
「さあっ、ご賞味あれっ!」
「ええ、僕もう満腹……」
「さあっ!」
「うへぇ……」
気圧されるように黄雲渋々再び箸を取り、再び麺を口へ運ぶ。見た目こそ火眼の絶品拉麺と同じだが。
「……うまい!」
驚嘆すべき出来だった。見た目だけでなく味も、完璧に再現されている。
「あー、満腹だったのになぁ僕……」
「うん、この味」
黄雲と火眼は卓に二人並んで拉麺を夢中で堪能し。かくて二人分の丼はすっからかん。
「あー、えーと……」
二郎真君の二度目の拉麺を完食してしまい、黄雲は食べ過ぎの腹をさすりながら観念したようにぽつりと告げる。
「その……この味なら十分売り物として武器になるでしょう。いいですよ、店。手伝っても」
「黄雲少年……!」
ついに鉄壁の守銭奴、陥落。
黄雲という牙城を突破して、念願叶った二郎真君だが。
「しかし、これでは炎の少年の味を複製しただけ……なるべくなら私なりの個性を出したいのだが……」
「あなたが独自色を出すとマズいんですよ、色んな意味で! お願いですから自粛なさってください!」
「むぅ……」
欲を出しかける神将を牽制して。
ともかく拉麺道、やっとこさ走り出す。
「恩に着るぞ、炎の少年!」
希望に満ち溢れた眼差しで、二郎真君は火眼へ礼を述べる。
「すぴー……」
当の本人は丼に顔を突っ込み寝入っていて、聞こえちゃいないが。
さて紆余曲折を経て、彼らは拉麺屋開店に向け動き出す。
「じゃ、明日はさっそく材料や食器なんかを買い付けに行きましょう。あとここの片付けお願いします」
「心得た!」
ちゃっかり天仙に厨の始末まで押し付けたところで、今日はここまで。
さて二郎真君の拉麺道は一体どこへ行き着きますことやら、乞うご期待。




