2 守銭奴攻略戦
清流堂、食卓と厨のある部屋。
清流道人と黄雲の師弟二人は、ごく真剣な表情で食卓の上を見つめている。
卓の上にちょこんと座っているのは、三つの尻尾を持つ、子狐の三尾だ。
三尾は目を閉じ、一見眠っているかのような様子。そんな愛らしい子狐へ。
「あー、もしもしー。聞こえておられるか?」
清流が呼びかける。ただし、三尾に話しかけているわけではない。
ふと三尾が目を開く。その瞳は金色の光を宿し、怪しく爛々と輝いていた。が、師弟に驚きはない。さらに三尾の口が動き、低くしわがれた声を発そうとも驚かない。
「清流に……黄雲か」
三尾の口を通じて語りかけてくるのは、玄智真人の声。
この三尾、師である玄智真人を継ぐための修行を積んでいる最中で、その魂魄は玄智とつながっている。そんなわけでこの子狐を通じて、清流と黄雲はいつでも天究山の玄智と連絡を取り合うことができるのだ。「便利なもんっすね」とは黄雲の言。
「玄智師匠、清流にございます」
「うむ、息災そうで何より。して、今日は何用かな?」
「実は……」
こうして玄智真人へ連絡を取ったのはほかでもない。数日前、雪蓮の姉・秀蓮が語ったことを警戒するためだ。
かくかくしかじか。
「ふむ、都の第二太子か……」
「ええ。雪蓮の伯父のこともあります……警戒するにしても、なるべくならもっと情報がほしい」
とにかく情報がほしかった。遠く王都の宮廷に、この霊薬にまつわる厄介事の元凶がいるにせよいないにせよ、少しでも事情が分からないことにはどうしようもない。師弟は現状報告も兼ねて、天究山の玄智真人へ助言を請う。
「そうだなぁ……」
「何かうまい手は思いつきませんか、師爺?」
「うむ、ならば……」
弟子と孫弟子の頼みに、玄智真人は三尾の口を借りてこう持ちかけた。
「山の生き物……鳥や虫に協力してもらうのはどうだ?」
「鳥や虫?」
「うむ。彼らに王都の偵察を頼むのだ」
空を飛べる生き物に皇城を周遊してもらいつつ、情報収集。集まった情報を玄智が集約し、それを師弟へ伝えるという一計だ。
「ふむ、それは良いお考えだ。鳥や虫ならば、そうそう怪しまれますまい。さっそくお願いできますか」
「無論だ。では、また情報が集まり次第伝えよう」
「師匠、かたじけない」
「うむ」
通信が終わり。三尾の目から金色の光が掻き消えて、元のつぶらな黒い瞳に戻る。そして子狐はくぁっとあくび。
「ふきゅうっ」
三尾は卓からぴょんと飛び下りて、尻尾をふりふり戸口から出て行った。きっと庭で遊んでいる子ども達に混ざりたいのだろう。
そんな三尾はさておき、黄雲と清流は顔を見合わせた。
「さて、都の事情はわが師に任せるとして」
「僕らは今まで通りお嬢さんの護衛と……」
「霊薬が何たるかを、見極めねばだな」
己が役割を確認したところで。
「はぁ……」
二人の面持ちに、げんなりとした影が宿る。
なにせ雪蓮に巣食う霊薬、謎をふりまくばかりでとんと手がかりのひとつすらない。天界からやってきた神将ですら、その詳細への言及を頑なに避けるのだ。
天界の至宝、太源の血肉。この世界の根源から生まれ出でし霊薬なる神秘の塊に、たった二人で挑まねばならない。げんなりも至極当然だった。
しかしうかうかもしていられない。現状雪蓮は三食よく食べ昼寝もするし、健康な上に元気ハツラツなこと申し分ない。しかしその氣はどんどん鋭い金行に染まっていく。
とどまるところを知らぬ変質。しかもこのお気楽お嬢さまが一体何に変えられようとしているのか、全く分からぬ五里霧中。ともかく霊薬は祓わねばならない。
「黄雲。今まで通り、雪蓮の氣の診察はお前に任せる。師匠の術の副作用で、私にはやはり彼女の氣がまったく視えぬ」
「ったく、しょうがないですね」
火眼金睛との戦いの後、清流道人は金氣を感じる知覚を封じられており、雪蓮の氣が視えない。以降黄雲が彼女の代わりに、雪蓮の氣を観察し続けている。
しかし黄雲には自信が無かった。毎晩師の部屋で少女と相対し、手を取っては氣脈を確認する日々。だが黄雲は道士としてまだまだ未熟、師匠のような経験があるわけでもなく、そしてなにより。
(クソッ、養生の術も使わなきゃなんないのに集中できるかっつの!)
彼の中の思春期が邪魔をする。
普段から雪蓮の前で養生の術を使い、素知らぬ顔で振る舞っているとはいえ。
夜毎に薄暗い部屋で気になるあの娘の手に触れるこの行事は、黄雲にとってはある種の拷問であった。
なるべくなら、師匠と同じく氣を視ることに長けた燕陽翁に、役目を代わってほしかった。さりとてそれもはばかられる。おそらく土地神自身は頼めば役目を引き受けてくれるだろうが、きっとあのお嬢さんが気にするからだ。「なんで?」と。
「…………」
「どうした、黄雲?」
「なんでも……」
憮然とした面持ちでツンとそっぽを向く弟子。清流もそれ以上には追求せず。
と、そんなところへ。
「ただいま!!」
バン! と盛大に扉を開けて現れたのは。
「お帰りなさい、二郎殿に那吒殿」
「おう、いま帰ったぜ」
「帰ってこなくてもよかったんですけどね」
街へ散策に出ていた二郎真君と那吒である。都の事情を探るのにも霊薬の解明をするのにも、非協力的なこの神将たち。普段はぶらぶらと街で遊んでいてまったく役に立たぬので、この頃は彼らに対する黄雲の扱いもぞんざいである。
しかし今日の二郎真君は一味違う。涼やかな目元は熱意をはらみ、少々鼻息も荒い。
「聞いてくれお二方」
帰宅早々、二郎真君は二人へ決意を告げる。
「私は拉麺屋を開こうと思う!!」
部屋の空気を震わせて。クソ真面目にもほどがある語調と表情で、二郎真君はごくごく真剣に宣言した。
「…………」
黄雲に清流道人、そして那吒。場に居合わせた三人は沈黙している。
師弟二人はきょとんと。そして那吒はげんなりと。
いち早く静寂を破ったのは、清流道人だった。
「なるほど。黄雲、良きに計らって差し上げなさい」
「えっ、ちょっ、師匠?」
「私は所用があるので失礼する。さらばっ」
「待てコラ! おいクソアマ!」
面倒事の気配を察するや、全てを弟子に押し付けて。清流は足早に部屋から脱出するのであった。
残された黄雲。背後からは二郎真君の熱い眼差し。那吒の冷ややかな目。
「黄雲少年。店を開きたい我らへ、何卒御指南、御鞭撻の程たまわりたく」
「『我ら』ってオレまで勝手に複数形にまとめられたけどよ。兄いは本気なんだ。頼むよ黄雲」
「ええ……?」
二郎神の本気の程なんて、目を見れば分かる。かの崔秀蓮女史もかくやと言わんばかりの燃え上がりぶり。だのに表情はいつもの通りの涼やか真面目。
そんな面倒くさい同僚を、那吒だって誰かに押し付けたい。だからここでうまいこと黄雲に責任転嫁して、この拉麺地獄から抜け出したいところだ。
さて、この守銭奴の返答はというと。
「いいですよ」
さっきまであんなに嫌そうな顔をしていたのに、あっさりと首肯。
真君はパッと顔に喜色を浮かべ、那吒は我が意を得たはずなのに「マジかよ!」と瞠目している。
そんな彼らへ。
「いいんじゃないですか、拉麺屋。最近街でも増えてきてますしね」
「さすが稀代の守銭奴……素晴らしい度量!」
「ははは、お褒めに預かり光栄です。ま、僕は黙って見守ってますんで、どうぞご勝手に」
「……ん? ちょい待ちちょい待ち黄雲!」
守銭奴の言い様に違和感を覚えた那吒が、部屋を出ようとする黄雲の前に慌てて回り込む。
今の語り口。店を開きたい真君に対し、なんとも他人事のような口ぶりだ。
「おいおいおい、お前うまいこと言って結局逃げるつもりだな」
「そうですけど?」
「ちょっとは悪びれろや!」
黄雲はけろりとした口調で続ける。
「店舗開店、大いに結構。僕は余計な口出しは致しませんので、土地の購入や隣近所への挨拶、内装工事や材料の調達に至るまでどうぞあなた方のお好きになさるがいい」
「うむ、腕が鳴るな那吒!」
「待って! いきなり世間に投げ出さないでくれ! 右も左もわかんねえのに!」
「ほほう、ならばこの僕に協力を仰ぐと?」
「だからさっきからそう言ってんじゃねえか!」
「ほう、この僕に!」
再三確認の言葉を発しながら、黄雲は笑みは完全に拝金主義者のそれである。
ゲス極まりないその笑いに、那吒はハッと己の過ちに気付いた。この守銭奴に助力を請うということは。
「ならば出すもの出してもらいましょう! さあ銭を!」
「ぐぬっ!」
「土地の用意に挨拶回りの代行に? 工事や材料調達の依頼や値引き交渉、それに客引きビラ撒きその他諸々! いやこれはお高くつきますよお二方! ゲヘヘッ!」
「おのれこいつは! めっちゃイキイキしてやがんな腹立つわー!」
「そうだ黄雲少年」
自分たちの懐事情が窮地に陥っているのを、分かっているのかいないのか。二郎真君はふと思いついたように口をはさむ。
「店はこの清流堂を利用したい。住み慣れているし、使いやすかろう」
「お、おい兄い!」
「いいですよ。売上の十割を納めてもらえれば」
「十割か。うむ、それで結っこ……」
「バカバカバカ!! 兄いのバカ!!」
ごいん。
那吒はあまりの成り行きに、思わず二郎真君を殴りつける。もちろん乾坤圏で。
十割などという暴利ももちろんのこと、それを承諾しようとする二郎神にもうんざりである。
「バッカじゃねえの! 十割なんて売上全部持ってかれてんだぞ!? 利益がなくなっちまうじゃねえか!」
「那吒よ……愚かなり」
真君は必殺鈍器で殴られた後頭部をさすりさすり、眉一つ動かさず、諭すように語り掛ける。
「いいか。私が拉麺屋を開くのは営利目的ではない。感動したからだ。その感動を他者へも分け与えたいがため」
「感動?」
「うむ。先ほどのあの店……あそこには宇宙があった」
宇宙。拉麺から宇宙。
突然の話の広がりに、那吒も黄雲も白い目で彼を見守るしかない。
構わず拉麺神は語り続ける。
「私は見た。丼の中に広がる世界を……いや、それだけではない。かの店には店主と客のなす、社会そのものがあった」
厳しい店主の示す規則に、粛々と応じる大勢の客。それはまるで。
「そう、これを律令と言わずしてなんという。店主の敷いた律令の中で秩序を守り席に着き、そして世界を表すあの一杯……味の天地を味わい尽くす、まさに至福のひととき」
丼の中、麺という土台、湯という大海、そして野菜の須弥山。世界の縮図たるその一杯を、これまた人間社会の縮図たるあの店の中、律令に則り宇宙を感じつつ口に運ぶ。
「これぞ小宇宙……いや、大宇宙の神秘。ゆえに私も拉麺による天地創造を成してみたい。そして他者にもこの感動を味わってもらいたいのだ!」
「すげえ……全然わかんねえ!」
那吒は兄貴分の言い分にわなわなと戦慄した。まったくもって意味が分からない。
黄雲はというと、もはや理解を放棄している。が、営利目的ではないという部分だけはしっかり聞いていて。
「なるほど。二郎殿は拉麺道の普及のために店を開かれると」
「分かってくれたか少年!」
「ええ、そりゃもう存分に」
「うそつけ!」
この守銭奴、しれっとしたものである。そして黄雲、再び話を借地の件へ戻す。
「ともかく、ここの土地で店を開くんなら上納金売上十割ですよ」
「お、お前! ヤクザでもそんなえげつねえやり方しねえぞ!?」
「よいではないか那吒。私も利益を上げることが目的ではないわけだし……」
「け、けど兄い……!」
ぐぬぬ。那吒はこの状況に頭を悩ませる。
二郎真君が店をやるだのなんだのは、巻き込まれさえしなければ正直別にどうでもいい。しかし、あの守銭奴に一方的に得をさせてしまうのは何とも腹立たしい。
このクソ野郎に一矢報いる、いやむしろ矢衾にしてやれるような妙計はないものか。
少年神、懸命に考えて思いつく。
「そうだ! 兄い、売上を全部渡したら、材料費はどうなる? 営業するんなら、材料費をちゃんと確保しないとドン詰まりだぜ!」
「おお、那吒の言うこと至極もっとも」
「チッ!」
神将の御前で舌打ちの黄雲。まずは一矢。続いて矢衾。
手ごたえを感じた那吒、一気呵成とばかりに心底ふてぶてしい態度で続ける。
「大体黄雲お前よー。オレらにあのことを口止めする代わりに、色々便宜をはかってくれるんじゃなかったのかよ!」
「あのこと?」
「忘れんじゃねーぞ思春期!」
「!!」
思春期。忌まわしきその呼び名に、黄雲の肩はギクリと跳ねる。
そう、確かにかつてそういうやりとりが交わされた。思春期道士の秘めたる思いを黙っている代わりに、神将たちのため、下界生活での様々な便宜をはかると。
「そうだったな、黄雲少年。きみにはそういう約束をしていたはずだ」
「ぐ、ぐぬぬ……っ!」
形勢逆転。一転して窮地に立たされる守銭奴、ジリと後ろへ後ずさるも背水の陣。追い打ちをかけるように那吒は。
「言ーっちゃうぞー言っちゃうぞー」
ぱっちんぱっちん手を叩きながら囃し立て。
「せーっちゃんに言っちゃうぞー」
さらにそこへ二郎真君まで乗ってくる。
「ちょ、ちょっとやめ……!」
「言ーっちゃうぞー言っちゃうぞー、せーっちゃんに言っちゃうぞー」
子どものようなからかい方で、数千歳を超える神将達がしかける心理攻撃。効果は抜群で。
「やっ、やめろというに! ……って、あれ!?」
「気付いたか黄雲少年」
「あ、あんた! また僕の氣を!!」
さらに二郎神、さりげなく黄雲の養生の術を封じるという悪辣さ。
からかわれた思春期の顔は、あわれなまでの赤面に。
「ちょちょちょ! もうほんとにやめて! お願いだから!」
「やめろって何を? 術封じ? それともせっちゃんにあのことをバラ……」
「言うなーーっ!」
「すまんな少年。私とて材料費は確保したい。ゆえに! せっちゃんに言っちゃうぞ!」
「はい、べーんーぎー、べーんーぎー!」
「うわあああっ!! 後生ですから!! 後生ですから!!」
自尊心だとか年頃ゆえの繊細さだとか、あらゆるものを砕かれて。
強欲守銭奴、ついに膝を屈した。
「わ、分かりました……! 売上金の上納は八割でいいです……」
「アホか! まだ高いわ!」
「チッ!」
結局売上金は一割上納ということで落ち着き。
「ったく、仕方ありませんね! 材料費の値引き交渉やここの改装! 僕が一手に引き受けてあげますよ!」
「なんでそう上から目線なんだよ、思春期のくせに」
「やかましい!」
養生の術も元通りにしてもらい、ひと心地ついたところで。
「しかし、少年にばかり面倒をかけるわけにもいかんな」
二郎真君は敗将へ情けをかける。美丈夫は慈悲に満ちた眼差しで、不機嫌な面持ちの黄雲を見下ろした。
「礼と言ってはなんだが、ひとつきみの望みを叶えてしんぜよう」
「望み?」
「言っとくけど金以外だぞ」
「チッ……!」
那吒が刺した釘に本日三度目の舌打ちをして、黄雲はしばし思案に暮れる。
金や銭のこと以外、となるとなかなか願望なんて出てこないものだ。
ふと黄雲の脳裏によぎったのは、この神将達が登場する前にさいなまれていた懊悩だった。
「ちょうどいい。二郎殿にしかできない頼み事がありまして……」
「ほう?」
黄雲は周囲を警戒し、部屋近辺の氣をしっかり確認してから真君へ耳打ちする。
「なるほど。それは私にしかできぬこと」
「ええ、だから頼みましたよ」
「おいおい、オレにも聞かせてくれよーっ」
一人だけ蚊帳の外な那吒に「後で教えてやる」と二郎真君。
「しかし私も開店準備で忙しい。落ち着いてからでどうか」
「仕方ありませんね……」
と、そんなこんなで交渉を終え。
「さあ、走り出したな拉麺道!」
「できたら一人で勝手に走っててほしかったんだけどな……」
二郎真君の拉麺道はこの日が起点。やる気満々の神将に、げんなり顔の協力者二人。
いや。
「んじゃ、兄いの面倒は黄雲が見てくれるってことで!」
「ええっ、ちょっと那吒殿!」
「再見!」
那吒は足下の二輪をブルルンと回し、ちゃっかり窓から空へ逃げていく。少年神の姿は、あっという間に青空のただ一点と化して消えた。
「ちょっと! 置いてかないで那吒殿! 一人にしないで!」
「よし黄雲少年! まず最初は何をしよう、材料の買い付けか店の建設か!」
「クソーッ、あの女顔め!! 今に見ていろ!!」
拉麺道に邁進することよりも、那吒への復讐を誓う黄雲であった。




