1 二郎真君、拉麺を食す
「ひまだな……」
「おう、そうだな……」
今日も平和な亮州城内。
二郎真君と那吒の神将二人は、暇を持て余していた。
天仙達がぶらぶら歩いているのは、いつもの繁華街……の、今まで入ったことのない裏路地。
表通りにいた時はあちこちから美麗な彼らへ視線が突き刺さったものだが、少し奥まった路地へ入れば静かなものである。
さてこの裏路地。
薄暗く、ゴミが多く、浮浪者がその辺で寝転がっていて。
うへ、と辟易する那吒とは対照的に、二郎真君の瞳の奥には、ワクワクと冒険心に逸る少年のような光が宿っていた。
「我らが使命は霊薬の監視。されど……」
二郎神は真面目な口調でつぶやく。
そう、彼らの任務は霊薬の監視。だからこんなところでぶらぶらしている場合ではない。
……と、思うなかれ。別に宿主である雪蓮を四六時中見張っている必要はないのだ。
「もし異変あらば、氣の変化を察すれば良いだけのこと」
「そうだな。オレらこの街の中くらいなら、瞬きの間にどこへでも行けるもんな」
「然り」
那吒の言葉に頷いて、二郎真君はなおも歩み続ける。
「ならば我ら、この余暇を利用して、下界の全てを味わい尽くさんで何とする。ああ見よ那吒、ここの路地はなんと趣深いことか。おお、このべちゃべちゃしたものは一体何であろう」
「どっかの酔っ払いのゲロだよ兄い」
そんなやりとりを繰り返しながら、二人は路地の突き当たりを右へ曲がる。と、その角の先には。
「おお……」
「なんだなんだ?」
突如この閑散とした区域に現れたのは、彼方から続く長蛇の列。そして列をなすは体格の良い巨漢ばかり。
筋骨たくましい好漢に、はたまたでっぷり太ましい肥満漢。
この謎の行列に、下界の諸事万物に興味津々の二郎神が、好奇心をくすぐられぬわけがなく。
「ほう、これは一体なんの催しだろう。みな容貌魁偉な豪傑とお見受けするが」
「どうでもいいよ。オレ帰ってじいさんと碁が打ちてえんだけど……」
瞳を爛々と光らせる二郎真君だが、相方の那吒は正直興味がない。最近土地神に碁を教えてもらって、ちょっとずつ知育されている少年神である。
しかし二郎真君に聞く耳はなく。そのまま列の最後尾へぴたりと並ぶ。
「…………兄い?」
「なんだ?」
「なに並んでんだ?」
「気になるからだが」
「………………」
答えたっきり、真君は前を見つめたままじっと列が進むのを待っている。かと思えば。
「帰りたいなら帰ってもいいぞ、那吒」
「え……?」
こちらを振り返って、あっけなく帰宅の許可を出す。
那吒、少々拍子抜けする思いだが。
(んじゃ帰るか……)
せっかく二郎真君が珍しく空気を読んで、帰ってもいいなどと言っているのだ。ここはさっさと帰るに限る。
だが。だがしかし。
(いや、待て! そういや兄いは一人で清流堂へ帰れないぞ……!)
そう。この二郎真君、特別方向音痴ではないのだが。
あまりに下界に対する興味が強すぎて、道端のありとあらゆるものに立ち止まったり付いて行ったりするので、なかなか目的地までたどり着かないのだ。下手すると永遠に城内をぐるぐるしている可能性だってあり得る。
しかもクソ真面目な性質ゆえ、下界人に溶け込みたいあまり仙氣まで身中へしまい込む始末。だから彼が迷子になったならば、清流堂の連中の手を借りねばならないわけだが。
『酒!』
『女!』
『迷子捜索料!』
(だめだ、あいつらの手を借りたらあれやこれやを法外に要求してくるに違いない……!)
まるで地獄の悪鬼のように酒だの金だのをせびる姿が、ありありと思い浮かぶ。
となると迷子にさせないためには、那吒は真君に付き合ってやらねばならない。
仕方なく可憐な神将は、美丈夫の後ろへちょこんと並ぶのだった。
そんな同僚へ構わず。
「もし、前の御仁」
「なんだいあんちゃん?」
二郎真君は目の前の剛の者へ話しかけた。剛の者、すぐ後ろが光り輝かんばかりの美丈夫と美少女で少々面食らったようだが。
「お伺い致すが、これは一体なんの行列でありましょう」
「知らずに並んでたのかいあんた?」
神々しさを掻き消す間抜けな質問に、剛の者はつい苦笑い。彼は人の良い笑顔で答えてくれた。
「こいつぁ拉麺目当ての行列さ。この辺じゃ隠れた名店って、有名なんだぜ」
「なんとっ! 隠れた名店!」
剛の者の告げる言葉に、真君の驚喜いかばかりか。相変わらず感情の起伏の少ない顔ながら、瞳の輝きぶりは明けの明星もかくやという有様で。
男は二人へ、列の前方をくいっと指で指し示す。その方向、列の先端はとある一軒のボロ屋へ続いていた。
「いやぁ、しかしあんたに食べられるかな。見た所かなり品の良いあんちゃんとお嬢ちゃんのようだが」
人の良い剛の者は興味津々の面持ちで、真君と那吒を見比べている。彼の言葉に「おい誰がお嬢ちゃんだ!」と那吒が金の腕輪を取り出しかけるが。
「これ、やめなさい那吒。それより貴殿。『食べられるか』というのは」
二郎真君は男の言葉の中、その部分がなんとも引っかかる。剛の者の視線は、どうもこちらを値踏みするような眼差しだ。
「へへっ、知らなきゃ知らない方が面白いかもな。順番が来るまで楽しみに待ってな!」
「…………」
おそらく常連らしき剛の者。それだけ言うと、またくるりと前方を向いて待ち続ける。
「けっ! もったいぶりやがって!」
「そう言うな那吒。いや、この御仁なかなか分かっておられる。物事とは直前まで仔細が分からぬ方が、かえって面白いもの」
「あーはいはい」
そして二人も男にならい、じっと順番を待つ。
列が縮むごとに。店へ近付くごとに。
ぷん、と香ばしいにおいが漂う。このにおいは。
「お、おい兄い……こいつぁニンニクだぜ!」
にわかに那吒が慌て始める。それもそのはず。
「そうだな、我ら五葷を禁じられているからな……」
五葷とは。ラッキョウ、ニンニク、ニラ、アブラナ、香菜のこと。神仙、及び地上の道士達は体内の氣を清浄に保つため、これらの食物を摂取することが禁じられていた。ちなみに肉食もしてはならぬきまりである。
「ニンニクが使われてるんなら、オレらはどの道食べられねえ。仕方ない兄い、今日はもう帰……」
「ならば五葷抜き肉抜きにて調理してもらうまで」
「…………」
その執念は何なんだよ。
行列から微動だにしない真君に、那吒はほとほと呆れ果てるのであった。
さて、並ぶことしばし。
ついに。
「ついに!」
二人は列の先頭へたどり着いた。先ほどの剛の者はすでに店内だ。そして。
巨漢が二人、店内から外へ排出されて、入れ替わるようにして彼らが中へ招かれる。
「おお……これはこれは」
店内を見渡すなり、二郎真君は感嘆の声を上げる。
厨房を囲うように設えられた食台。どこもかしこも油汚れでベタベタしている。
並ぶ椅子にはひしめくように巨漢が座っていて、みな一様に丼に入った麺をすすっていた。
「うへぇ……」
場末の光景に那吒は顔をしかめ。
「素晴らしい……地上の楽園かここは……」
二郎真君は何故か感動している。そんな神仙達へ。
「へいらっしゃい!」
威勢の良い声で、店主が厨房から呼びかけた。
「お兄さんがた、注文は何にするよ?」
大きな鉄鍋で野菜を煽りながら、店主は問う。下働きらしい若い青年が、厨房から出てきて二人の横へ立った。
「注文……」
「あんちゃん達、初めてなら『小』くらいにしときな!」
戸惑う彼らへ助言を飛ばしたのは、先ほどの剛の者だ。にかっと笑って、剛の者は自分の拉麺をやっつけにかかる。
「『小』とは、食事の量のことかな?」
「ええ、そうでさぁ!」
店員の青年に問えば、詳しい説明が帰ってくる。
「他に『中』と『大』がありましてね。あのお客さんの言うとおり、最初は『小』をお勧めしてまさぁ。あと注文の時に言って頂ければ野菜や肉の量を多くしたり、逆にニンニクやらを抜いたりできますぜ」
「ほう、それは願ったりかなったり」
「そうそう。あと、最近は菜食主義のお客さんも多いっすからね。湯(スープ)も野菜ダシ、それも五葷を抜いたものを用意していやす」
「聞いたか那吒! まるで我らのためにあるような店!」
「そっかー、よかったなー」
至れりつくせりのこの桃源郷。二郎神はクソ真面目に感極まっているが、那吒は正直どうでもいい。帰りたい。
そんな風にちんたらやっていると。
「おいおい、注文するならさっさとしろよ! 後ろがつっかえてんだからな!」
店主から一喝が飛ぶ。
気付けば周囲の空気は一変していた。店の前に並ぶ者はおろか、いま卓について食事をしている者まで。一様に餓狼の如き眼光で、初心者二人を射抜いている。
場に満ちる殺気。
「ふむ、この店には独特の規則があるようだ……なら、郷に入らば郷に従うまで」
意を決して、早々に注文を決める。まず、早く帰りたい那吒が口を開いた。
「あー、オレ小の肉抜きニンニク抜き素湯(野菜スープ)拉麺で」
「かしこまりやした!」
「兄いは?」
「私は……!」
カッ。
無駄に後光を放ちながら、二郎真君、天兵を率いて百妖へ宣戦布告するかのような大音声。
「大の肉抜きニンニク抜き素湯拉麺、そして野菜は!」
「野菜は?」
「多々! 益々善し!」
「へい、野菜マスマスね」
かくて無事に注文を終え、食事代を先払いし。
席について待つことしばし。
「へいお待ち!」
どん、と二人の目の前に置かれたそれは。
「…………」
「盛りすぎじゃね?」
丼からこぼれんばかりに高く高く盛り付けられた、野菜の塔。あまりにこんもり盛られていて、もはや麺が見えない。小を頼んだ那吒でさえ完食を危ぶむほどの量なのに、二郎真君の目の前に置かれているそれときたら。
「それヤバすぎじゃね?」
マスマスの野菜は、美丈夫の目線まで盛られている。
この怒涛の量。さすがの真君も辟易するか……と思いきや。
「おお、見よ那吒。この須弥山の如き頂きを……!」
いたく感動していらっしゃる。
「ああ、なんと神々しい。山峰に彩雲がかかり神鳥が飛び交う様が見えるようだ……おお、この透き通るような見事なもやしよ」
「…………」
「この下には麺があるのか。うむ、げに須弥山を支える世界の土台たる威容。この丼には世界の全てが詰まっている」
「おーい兄い。帰ってこーい」
拉麺を通してどこか別のところを見ているらしい二郎真君だが。
「ちんたら御託述べてねえでさっさと食っちまえ! 伸びちまうぞ!」
なぜか照れた様子の店主がまた喝を入れる。真君、「至極もっとも」と箸を手に取り。
「しからばっ、いざっ!」
一心不乱に食べ始める。
「うへえ……全然減らねえ……」
青い顔で苦戦する那吒の隣で。
「ハムッ! ハフハフッ、ハフッ!」
ズルズルずぞぞと美麗な神将、飢えた獣にも負けぬ食いっぷり。その健闘ぶりに。
「嘘だろ……あれ初心者か……!?」
「なんと見事な天地返し……!」
歴戦の猛者達から上がる賞賛の声。
真君の唇へ次々飲み込まれる、野菜に麺、そして湯。
天界では味わえない摩訶不思議な風味の中に、太麺が踊る。
絶妙な塩気の湯。シャキシャキの野菜に、食べ応えのある太い麺。全てを咀嚼し切った後に訪れる、風味絶佳ののどごし。
多くの神仙が好む清涼な味わいとは真反対。しかしその味、歯応えには、これでもかとばかりに生命がみなぎっていた。
その生命の塊を、食す、食す、ただ食す。
そして激闘の末。
「まっこと美味であった!」
完食!
丼にはもやしのヒゲはおろか、湯のひとしずくすら残っていない。まさにまごうことなき完食。
「はやっ! もう食ったのかよ!?」
隣の那吒はといえば、まだ半分も食べていない。しかし顔色は「うぷっ」と満腹食べ過ぎの様相で。
「どれ那吒。もう食べられないというなら私が頂こう」
「嘘だろ……まだ入るのかよ! 成長期の象だってそんなに食わねえぜ!」
「いざっ」
かくして那吒の丼までつるりと片付けて。
「素晴らしい店、素晴らしい一杯。店主、馳走になった」
驚嘆の視線を背に、二郎真君は店を出る。
その後ろ姿に「待ちな」と呼びかける店主の声。
「……いい食べっぷりだった。また来な」
「店主……」
「いやオレぁ二度とごめんだ!」
厳しい店主が最後にちらり見せた優しさに、再びの来店を誓う二郎真君であった。
さて、帰路。
感動醒めやらぬ美丈夫を後ろに引き連れ、那吒は胃もたれに苛まれる腹をさすりつつ、ぐったり歩いていた。
「あー、こりゃ夕飯いらねえかなぁ……」
こんなことを言えばあの守銭奴が「よっしゃ食費浮いた!」と小憎たらしくはしゃぐのだろうが。
「もう嫌だ……今日は食いもんなんか見たくもねえ」
もはやそんなことどうでもいいくらい、胃もたれがひどい。少年神は早く帰って横になりたかった。
しかし。
「那吒、私は決めたぞ」
背後のクソ真面目ボケ神将、何やら戯言をほざき始めた。
「決めたって……一体何を」
嫌な予感とともに、おそるおそる那吒が振り向くと。
「那吒! 私は拉麺屋を開こうと思う!」
青天の霹靂。
期待に満ちたその言葉は、まるで雷鳴のように那吒の鼓膜へ響くのであった。
(まっ、まっ……)
わなわなと、相方の発言にしばし戦慄した後。
(またクソめんどくさいことを言い出しやがってー!!)
那吒の心の声は、当然真君に聞こえるはずもなく。
「さあっ。さっそく開店準備だっ、行くぞ那吒!」
二郎真君、意気揚々と清流堂への道のりを急ぐのであった。




